武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

6話 決別ⅩⅩⅩ

 総一郎はその朝、ベッドでじっと右手を見つめていた。
 ルフィナとの、二度目の商談の予定が入った朝だった。日も登り切っていない、そんな時間帯だ。つまり普段のシェリルならば棺桶に入る時間で、けれど彼女は今日の為に生活習慣を人間のそれに合わせている。
 そのシェリルはというと、総一郎の横で寝息を立てていた。もちろん白羽と相談して、決して浮気に該当するそれこれでないと説明している。むしろこの年頃の相手に欲情できると思われる方が心外だ。
「せっかく無理な時間に寝てるんだ。起こしちゃいけない」
 総一郎は呟いて、ベッドから抜け出した。それから袋より木刀を抜き出し、階下へ、庭へと移動する。
 大窓を開け、図書の趣味なのか揃えてあった下駄を履き、総一郎は正眼に構えた。もっとも基本的な構えで、それ故に大切なもの。
 ゆっくりと構えを上げる。上段。それからまた、ゆっくりと振り下ろす。
 音を立てないという配慮でもあったが、それ以上に、もはや速く振るう必要はないのだという総一郎自身の考えがあった。総一郎は、もう誰も傷つけない。ならば、誰かを斬るつもりで木刀を振るうこともない。
 太極拳のような動きだ、と我ながら思う。だがゆっくりとした動きだからこそ、今まで力任せに誤魔化してきた挙動が、はっきりとした粗として目の前に浮かんでくる。
 深く息を吸い、少しずつ吐きながら振り下ろした。速度のごまかしを失って、総一郎の太刀筋はそのままの姿をさらす。その度に矯正し、洗練されていく。
「早起きだね、総ちゃん」
 声が掛かって、縁側を見た。白羽が微笑ましそうにしゃがんで、こちらを見ている。
「いつもの事だよ。やらないと、気持ち悪いから」
「最近、早く振らないよね。ゆっくりで、でもすごい汗」
「この方が、いつも使わない部分を使うのかな。速く振るのもいいけど、しばらくは遅くていい」
「最近ね、総ちゃん怖さが抜けて来たなって思ったけど、こういうところだったのかな。ワイルド総ちゃんも、私好きだったけど」
「もう、人は殺せないから」
 総一郎が苦笑しながら言うと、白羽はことさら愛おしそうに総一郎を見つめた。その表情が色っぽくて、練習の途中だったが、近づいていた。短く、啄むような口づけを交わす。
 顔を離すと、名残惜しそうに白羽は総一郎の頬に手を当てた。それから安心した口調で言葉を継ぐ。
「もうすっかり人だね。ウッドなんて、最初からいなかったみたい」
「そうかな。でも、ウッドは居たよ」
 ――俺はその事を忘れてはならない。総一郎は言葉を飲み込んで、巧妙に白羽から隠した。
 総一郎のやんわりとした否定に、白羽は口をとがらせる。それから表情をARFのリーダーのそれに変え、問うてきた。
「今日はルフィナさんとの商談だけど、シェリルちゃん、大丈夫そう?」
 大丈夫だよ、と無責任に言う事は出来ない。シェリルと総一郎は、別の人間だから。故に即答を避けるべく、総一郎は無言で白羽から離れ、構え、振り下ろす。
「俺は、信じてるよ」
「……そっか。なら、私もボスとして、シェリルちゃんを信じるしかないね」
 白羽は頷いて、「素振り頑張ってね」と言い残し去っていった。総一郎は一度肺の中の息を全部吐ききって、最初から素振りをやり直す。
 全神経を集中させると、違うものが見えてくるのは昔からだ。昔は父が見え、刀が見え、自分自身が見えた。今は、何も見えない。素振りをしているはずだが、目の前は真っ暗で、何も感じなくなる。
 敵を、見失っているのか。あるいは、敵など最初からいないのか。総一郎にはその判別がつかない。ただ、振るうばかりだ。それも、赤子さえ殺せないような遅い剣を。
 日が、昇った。総一郎は眩さに素振りを止め、集中を解かれてしまう。
「……ふー。仕方ない、今日はここまでにしておこうか」
 眉をひそめながら瞼を開くと、そこにウッドが居た。総一郎の目の前で、人間の亡骸を弄くって作った剣を握っている。
「よう、総一郎」
「……」
 幻か、疑った。だが、そんな事はどうでもよかったのかもしれない。
「俺を、殺しに来たんだね」
「ああそうさ。俺を、取り戻しに来た」
 木面がケタケタと嗤う。そして亡骸の剣を素早く振るった。
「粗が激しいね」
 総一郎はゆったりとその太刀筋を流す。肉薄し、その仮面に「灰」と記した。
 これでもう、ウッドは誰にも関われないし、関わられることもないだろう。
「……悪いな、これを待っていた」
「だろうね。でも、君は素直じゃないから」
「まったく、自分とは厄介なものだ。言いたい事全部汲み取られるというのは、気味が悪くって仕方がない」
 肩をゆすって笑うウッドは、とっくに総一郎に食って掛かる気を失ったらしい。その場に座り込んで、剣も手放してしまう。
「完全な孤独のお味はどう?」
「最高だな。業のすべてが、俺から離れていく。だが、その分はお前に行っているんだろう、総一郎。お前はどうなんだ」
「重いよ、とても重い。押しつぶされそうなほどだ」
「きっとお前は耐えられなくなる。それでも背負っていくのか」
「笑いながらする質問じゃないよ、それ」
「悪いな」
 木面はやはり、ケタケタと嗤いを繰り返した。だがウッドはもはや誰にも何も思わない。すべてを敵に回す修羅が敵を失って、なお嗤うというのなら、それは自嘲以外有り得まい。
 ただし、この場には“自分”が二人いた。ウッドが嗤うのは、一体どちらか。
 総一郎は、肩の重さにため息を吐く。
「多くを、背負わせてきたんだね」
「散々暴れてやったさ。お前は言いたいことをすべて言えないからな。ため込んでしまう。だから俺は、お前の分まで全部言ってやった。暴れてやった」
「『ハッピーニューイヤー』までしろなんて、思ってなかったけどね」
「アレは仕方がない、そういうものだ。お前の、幸福そうな他者を恨む気持ちだ。だから八つ当たりはしたが、殺さなかったろう?」
「彼らは、消えたらしいね。まず間違いなく、碌なことにはならない。今なら空間魔法を取り払うなんて簡単なのに、それも出来ない」
 ウッドは、木面の笑みを深くする。
「そうだな、ああ、その通りだ。お前は奴らをまともにできるのに、もはやその機会は失われた。で? どうするんだ? お前は、その罪をどうやって解消する」
「……君は、俺の性格の悪いところを凝縮させたような奴だよ、本当に」
「お前の口から、聞きたいのだよ」
 うずうずしている。待ち焦がれている。そんな語調だった。だから総一郎は目をつむり、吟味して、結論が変わらないことを確認し、言うのだ。
「殺すよ、全員。恐らく彼らは、ナイの支配下にある。酷い苦痛も課せられているはずだ。遭遇する頃には、もう手遅れになってるよ。だから、殺す」
「――クッ、クハッ、ハハ、フハハハハハハハハハハハハハ!」
 ウッドは腹を抱えて笑う。今まで相対してきた敵に向けるものよりも、遥かに高らかに。
「よく言った! いいや、こう言うべきだな! よく言えたものだ! お前は救済と称し、自分の忌まわしき過去を虐殺して回ると、そう言ったのだ! これ以上の喜劇がどこにある!? お前は今世紀最大の畜生だ! 鬼畜だ! 何だ? 言いたいことがあるなら言ってみろ!」
「ムカつく奴だよ、我ながらね」
「それは誰に向けて言ったのだ! 俺か? お前か!? ああ、忘れていた! どちらもお前だったな! フハハハハハハハ!」
 総一郎は、目を背けない。ウッドは自分に対する反発の心だ。総一郎の二面性の具現だ。だから目線を合わせ、仮面を奪った。ウッドの本当の顔が露になる。
「……泣いてくれてありがとう。長い間、辛い思いをさせたね」
 そこに在ったのは、中学生時代の総一郎の顔だった。今よりも幼く、虐げられてきた自分の姿だ。彼は泣きじゃくり、嗚咽をこぼしてまともに話すことさえできない。
「あぁ、ぁ、ぁあ、あああぁぁぁぁぁぁああああああああ……!」
 それは、安堵の涙だったろう。そして、贖罪の涙だった。彼は総一郎に縋りついて、首を振る。
「違う、違う。僕は、君に、多くを押し付けて、何も、何も出来ないでッ。僕は無力だった。君の為に、何もしてやれなかった!」
「それで、いいんだ。君の罪も、何もかも、俺が持っていく。お疲れ様。ありがとう」
 ウッドは仮面を失って、泣き声を上げた。そして少しずつ透けて行き、消えていき、最後には光の残滓が総一郎の中に戻ってきた。
 いつか、小説で読んだことがある。慟哭と、すすり泣きの違い。前者は、ストレスの発散も兼ねていると。だから健全な子供ほど大きな声で泣く。喚く。そうして、明日へ向かうのだ。
 すすり泣きは、違う。悲しみを乗り越えられず、堪える事も出来なくて、膨大な感情の発露として涙をこぼす。総一郎は、そうではない。総一郎に涙はない。
「ソウイチ、何やってるの? 早く準備してよ。もう時間になっちゃうよ?」
 縁側で、日光対策に厚着をしたシェリルが言った。気付けばすっかり汗も引いていて、日の場所も高くなっている。
 重みを感じて、手を見た。ウッドの木面が、そこに残されていた。一見すれば、桃の木のそれだ。だが性質は真反対だった。動かないが、これは修羅の塊でもある。
 被ったが最後だろう。あるいは、最後の瞬間に被れば、それですべてを終えられるのか。
「――今するよ、ちょっと待ってて」
「早くしてね。ソウイチが居ないと、あいつ私なんか相手にもしてくれないよ」
 腰に手を当てて怒る姿は、まるで本当に口うるさい妹が出来たような気持ちにさせられる。総一郎は「はいはい」とシェリルの髪をわざとぐしゃぐしゃにして、怒らせてからシャワー室に向かった。









 タクシーの中で、シェリルは過呼吸を起こしかけていた。
 送迎は前回の通りアルノがやるのかと思ったが、シェリルが嫌がったからタクシーを遣わしてもらったのだ。十中八九、自分が極度の緊張状態に襲われると見越していたのだろう。
「お、お客さん、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫ですよ。ね、シェリル。大丈夫、大丈夫」
 最初は運転手に向けて、二回目からはシェリルに言い聞かせるように、総一郎は繰り返す。シスターの声ではないが、大丈夫というのはシェリルにとって金言だ。彼女は総一郎の手を握ってきて、意識して呼吸を抑えていく。
「うん……大丈夫、大丈夫……」
「ついでに精神魔法でもかけとく?」
「えー……、それどうなの? 危なくない?」
「カバラあるし行ける行ける」
「絶対ヤダ。こんな大切な場面でソウイチに恥かかされるのだけは避けたい」
「あっはははは! 総ちゃん、シェリルちゃんにだけは信用ないんだね」
 前の助手席で、白羽が笑った。総一郎はアメリカめいたボディランゲージでお手上げを示す。
「本当だよ。俺以上にシェリルを可愛がってる人なんていないよ? もっと大切にして欲しいもんだね」
「カエル肉食べさせたの忘れないからね」
「でも美味しかったじゃないか」
「うぐっ、……美味しかったけどぉ!」
 シェリルは悔しそうな上目遣いで総一郎を見上げた。すっかり緊張も解けている様子だ。バックミラー越しに、白羽にアイコンタクトを送る。白羽もウィンクを返してくれた。
 セレブリャコフ家に着くと、アルノが待っていた。総一郎は一目で、それが単なる“アルノ”であると見抜く。となれば、すでにルフィナは「辻さん」として先日の客室で待っているはずだ。
「シェリル、先に聞いておくね。あのソファに座るとき、君は前と同じがいい? それとも真ん中?」
「真ん中に座る。私が、あいつの正面に座る」
 強い目で見返してくる。もちろん、恐怖も見て取れた。だがそれ以上に、憎しみを湛えたままの力を宿した声色だった。
 客室の扉が開かれる。すでに辻は奥のソファに座り、紅茶を嗜んでいた。総一郎、白羽を見て「待っていたよ。今日こそ、商談を固めようじゃないか」とのたまう。
 その目は、一度だってシェリルに向けられない。
「っ……!」
 シェリルは肩を怒らせて、一人でずんずんと客室に入っていき、先んじて辻の目の前に座り込んだ。ようやく辻はシェリルを見たが、その目は行儀のなっていない子供を見るそれだ。
「ブシガイト君。今日は吸血鬼の子がだいぶハシャいでいるが、本当に言い含めたのかね。また先日のようでは困るぞ」
 総一郎は何も言わない。シェリルが、自分で答えるからだ。
「存分に困ればいい。私は、私たちは、今日お前を困らせにしたんだから」
「……ほぅ。なるほどこう来たか。数日で精神状態が整う訳がないと思っていたが――ならばいいだろう。君を商談相手と認めよう」
 恐ろしい、と思う。この辻という転生者は、シェリルの一言で大体の事情をつかみ取ったらしい。ウッドの言うとおりだ。自分の気持ちをすぐさま汲み取ってくる相手は、気味が悪い。
 総一郎と白羽も、シェリルを挟むようにソファに座った。それから、辻とルフィナが話し始める。
「さて。改めて、君。君の心象の補填が、私とブシガイト君、ひいてはARFとの友好関係の懸け橋となるわけだが、どうだね? まさか先日のように、私に死ねなどと言うんじゃないだろうね」
「言う事聞いてくれるなら言うけど、しないでしょ。だから言わないよ」
「ほう。なら、何を望むね。私は謝りもできないし、君のご両親も生き返らせられないぞ?」
「……」
 シェリルが何を望むか。それは、総一郎でさえ教えてもらっていない事だった。シェリルは自分で全て考えたいと言ったのだ。それを、総一郎が尊重しない訳には行かない。
 シェリルは、しばしの間黙っていた。考えを纏めているのだろう。それを邪魔して話すほど辻は無粋ではなかったし、それが愚策であるとも見抜いていただろう。
 敵ながら、心象の損なう行動を一切しない。だからこのように、総一郎を味方に付けつつあるなど、彼に都合よくモノが運ぶ。
 ――だが、それももう終わりだ。
「とりあえず、もう人殺しの道具は生産禁止ね。だから当然、マジックウェポンも生産中止」
「……は?」
 辻が、超然とした笑みを崩した瞬間だった。シェリルは、辻にバレないようにこっそりと嗤う。
「何を言っている? 君、私をからかっているのか?」
「からかってないよ。本気で言ってる。何? 出来ないの?」
「出来るわけがない。今までどれだけの資産をつぎ込んできたと思っている。余り思い上がったことを言うべきではないよ」
 呆れてモノも言えない、とばかり、おおきなため息を辻は漏らした。それから苛立った目で総一郎に目を向けようとして――
「そう? でも、その損失、ソウイチを敵に回すよりも大きい?」
 ――凍り付く。総一郎にやろうとしていた視線を、シェリルに戻さざるを得なくなる。
 そしてシェリルは、妖艶な吸血鬼として嗤うのだ。
「小さいよねぇ? だって、ソウイチ、『祝福』とかいうのをほぼ間違いなく持ってるんでしょ? 襲われたら、工場からこの屋敷、何から何までなくしちゃう可能性があるもんね。何なら、殺されちゃうかも?」
「……」
 辻は、シェリルに向かって姿勢を正した。それから少しの間手を組んでうつむき、顔を上げる。
「そうだね。確かに、そうだ。認めよう。ブシガイト君との関係は、マジックウェポンの生産中止をしても儲けものだ」
 しかし、と辻は言葉を継ぐ。
「そう単純に行かないのもまた、大人の世界だ。我が社は警察と専属契約を結んでいる。マジックウェポンを卸さなくなったら、リッジウェイ警部が激怒するだろう。下手をすれば私は検挙されかねない。だから、その要求は――」
「自分でアレだけの異能見せつけておいて、警察の何が怖いの? 私たちは警察相手にずっと戦ってきてる。それとも、ソウイチよりも警察が怖い?」
「――――――――ッ」
 辻は、口をつぐむしかない。警察や国家権力の名を出すのは、通常の感覚からすればとても有効だ。シェリルがただの子供なら通じた欺瞞だったろう。けれどシェリルは、地頭が優れている。子供と見做されるのは、その外見と、人生が一部欠けてしまっている故だ。
 まともな教育を施されていたなら、総一郎と真に対等な人物になっていた。シェリルは、それだけの才覚に恵まれている。
「……警察と、関係を切れというのか」
「そうだよ。もうマジックウェポンを警察に卸すのは禁止。っていうか、人殺しの道具の生産禁止だから、普通の武器もダメ」
「飢えろ、と?」
「そんな事一言も言ってないよね? 別に、勝手に色々やって、また儲ければいいよ。ま、お前が飢えて路頭にさまようことになったら、私は指さして爆笑するけど」
「……!」
 辻は激しく歯ぎしりをする。シェリルを睨む視線は仄暗く、それだけにシェリルは好戦的な笑みに口端をゆがめた。
「何? 文句あるなら言えばいいよ。もっともそれを私は受け入れないし、ソウイチもお前の味方にはならない。そうなった方がいい?」
「いや……」
「歯切れ悪いなぁ。こっちはお前に恩があるんだよ? それに、恨みもある。別に敵対したいならそれでいいよ」
「ブシガイト君! この吸血鬼が言っていることは本当かね!」
 我慢の限界が来たのか、辻は総一郎に吠えた。そのタイミングで、シェリルが強く机を叩く。
「お前と話してるのは私だ! こっちを見ろ!」
 辻は虚を突かれて、目を剥いて呼吸を荒げた。凄まじい、と思う。シェリルは前回の白羽の所作を見て、効果的であるとして取り入れたのだ。
「ぅ、ぐ、ぐ……!」
「ほら! 早く決めて! 私の要求は、シルバーバレット社による、人を殺傷できる武器の製造禁止! この要求が呑めないなら、もうARFは、ソウイチはお前の敵! オール・オア・ナッシング! 早く決めろ!」
「ッ………………!」
 辻は、強く歯を食いしばった。それからシェリルを仇敵のように睨みつけ、耐え、耐え、耐えきれなくなった。
 目を、逸らす。疲れきったような声を、絞り出した。
「分かっ、た。条件を飲もう。マジックウェポン及び、通常の民間銃火器の生産を中止する。警察にも根回しして、契約を切る。これでいいだろう……」
「そうそう。それと新製品出すなら、まずARF通してね。よっろしくぅー」
 ついでのように白羽が条件を付け加えるから、辻は強張った笑みしか浮かべられない。顔を片手で抑えて、呟く。
「……あの時に殺していれば、こんな事には」
 未練がましく顔をしかめる辻に、シェリルは手を差し出しながら、嗤い掛けた。
「そうだね。あの時私を殺せなかった時点で、お前は私以下だったんだよ。という訳で、これからも仲良くやってこーね。ル・フィ・ナ・ちゃん♪」
 叩きつけるような勢いで、辻は手を差し出した。しかし種族柄、吸血鬼はとても頑丈だ。か弱いルフィナの体の方にダメージが来たと見えて、辻は痛みをかみ殺すような、引き攣った笑顔で応えた。
「そ、そうだな。す、末永く、やっていこうじゃあないか……! 見てい給えよ。マジックウェポンを失ったとて、私はすぐにでも次の商品を生み出して、利益を上げてやるからな……!」
「そうだ、もう一つ付け加えるけど、製品開発の過程、もしくは発売後に亜人の立場が悪くなるような商品はダメね」
「ぐっ、あ、ああ! 構わないとも! 事実上ARFの傘下に入るのだとしても、転生者を敵に回すよりかはずっとマシだ!」
 その転生者こと総一郎はずっと蚊帳の外だったが、たまにはこんな日もあっていいだろう。だんだん辻の強がりが面白くなってきて、ニヤニヤの止まらない総一郎だ。
 ダメ押しに、半笑いでトドメを刺してやった。
「じゃあ、これからよろしくね、ルフィナ、改め辻さん。こっちは自分の『祝福』が何かも分かってない未熟者だけど、もしかしたら君よりも強いかもしれないし、仲良くやっていこうか」
 辻はギクリと背筋を伸ばし、それから壊れかけのロボットのような所作で総一郎に向きなおった。それからポカン口を開け、シェリルを見て、両手で顔を押さえ、力なくがっくり項垂れる。
 そんな様子を見て、ARF三人は勝利の確信と、情け容赦のないハイタッチを交わした。











「頭が回るっていうのは、厄介なことだね。俺の未知の『祝福』にはとてつもないリスクが在るかもしれないがために、損かもしれないと分かっていながら、警察との関係も切らなきゃいけない」
「しかも苦労してね。あー、すっきりしたぁー! 言いたいこと言えたー!」
「お疲れ、シェリルちゃん。はい、トマトジュース」
「じゅー」
 トマトジュースを啜るシェリルを見ながら、総一郎は伸びをした。昼食前の公園。三人はベンチで並んで座っていた。白羽が、三人のジュースなりお菓子なりを売店で買ってきてくれたのだ。
 商談が纏まって、早々に総一郎たちは退室した。タクシーの類は断って、歩きでセレブリャコフ家を離れたのだ。あれから意見を翻されては堪ったものではないと、勝ち誇りつつ全員速足だった。
「にしても、シェリルちゃん凄かったよ! どこであんな話術身に着けたの!? これから商談系の仕事一部振っていい?」
「いいよ、ボスの頼みだし。ちなみにあの話術は意地悪で足元見てくるのはソウイチを、相手が足元見て来たら怒鳴りつけるのはボスを見習ったの」
「ふ、ふぅ~ん? そっかぁ~」
 白羽は分かりやすく目を泳がせながら相槌を打つ。総一郎は知らないふりをして、白羽に貰ったアイスバーを齧っていた。
「あ、ソウイチアイス食べてる。私にもちょーだい?」
「こら、シェリルちゃん。行儀悪いからダーメ。どうしても食べたいなら買ってきてあげるから」
「ボス、本音は?」
「あんまり私の総ちゃんにべたべたするようなら処す」
「こっわーい☆ ソウイチ助けて~」
 シェリルは総一郎に隠れるように移動して、肩越しに「チラッ」と口にしながら白羽を見た。というよりも煽っていた。白羽は白羽で「むっ、卑怯な!」などと遊びに付き合ってあげている雰囲気だ。
「でも、やっぱり暖かくなってきたよね。肌寒い日もあるけど、今日はもう冬の終わりって感じがする」
 総一郎が言うと、白羽が総一郎に詰めて座り直してくる。
「ね。やっと冬も終わったよ。今年の冬は、本当に長かった」
 白羽が詰めると、シェリルも対抗して詰めてくる。
「ねー。これで木にも花が咲いてたら最高だったのに」
 白羽が負けん気を発揮して、総一郎の腕を抱き始める。
「あー、そういえばここら辺の木って毎年咲いてるよね。日本から輸入してきたのかな? 日本とアメリカって仲いいし。ね、総ちゃん?」
 シェリルが総一郎に膝枕させ、下から勝ち誇る。
「私が生まれた時には、暖かくなると一面ピンクだったよー、ソウイチ」
「ちょっと! 流石にシェリルちゃんそれ反則! 外見幼いからって!」
「ふふん。ボスもこの程度なら、私がソウイチのハートを奪う日も近いんじゃない?」
「なっ、そっ、総ちゃん! そんなことないよね! 総ちゃん私一筋だよね!?」
「姉弟同士なんて不健全なんですー! ここは遺伝子の多様性的に私が最適!」
「正直今はどっちもウザい」
「「ぐはっ」」
 総一郎によってダブルノックアウトだ! 白羽とシェリルは立ち上がれない!
「そうか、一面ピンク。……楽しみだな」
 まだ枯れ木といった風情の並木に、総一郎は思いを馳せる。アイスをもう一口齧り、強くなってきた風の温かさに息を吐いた。
 だから、気づくのに一瞬の遅れが出た。
「……え、お姉様?」
 シェリルの声に、総一郎は目をパチクリさせる。白羽も同様だ。シェリルの視線の先、総一郎たちが座るベンチの正面に、シェリル同様厚着をしたシスターが立っていた。
「こんにちは、だねシェリル。えへ、初めて言ったよ。こんにちは、なんて。挨拶なんてもっぱら“おやすみ”だったのに」
「あ、お姉様。私が言うのもおかしいけど、眠くないの?」
「ふふ、相変わらずシェリルはズレてるなぁ。けど、そんなところが可愛くて、放っておけなくて」
「……お姉様?」
 シスターは寂しそうに微笑む。怯えるシェリルには、それが不吉に見えたのだろう。だが総一郎は悟っていた。こんなところまで似るのだ、と神妙な心持になる。
 シスターは、まずコートを脱ぎ捨てた。
「ぁ、お姉様、あぁ、ああぁ」
 太陽光を受けて、シスターの体が燃え上がる。それでも耐えているのは、真祖たる並外れた蘇生能力故か。吸血鬼の姉は、痛がりもせず続けた。
「でも、私は知ってたよ。シェリルはとっても賢い子だって。えへ、何だか変な言い方だよね。元はシェリル一人なのに、私は自分のこと、本当のお姉様のつもりで接してた」
「違うよ……、違うよぉ……! お姉様は、私の、私の本当のお姉様で」
 シェリルは涙声で首を振る。シスターはまた服を一枚脱ぎ捨てる。服は一つ一つが太陽光で一瞬にして燃え上がり、灰に変わった。シスターの体も、灰になっては蘇生を繰り返し、密度を少しずつ低めていく。
「シェリルはソウイチと出会って、変わったね。バカな振りもしなくなった。ソウイチの真似から、物事を学び始めた。私、安心してたんだ。やっとシェリルがシェリルになれるって。ヴァンパイア・シスターズの片割れじゃなくなるって」
「お姉、様。私、嫌だよ。お姉様が居なきゃ、寂しいよ……!」
 シスターの姿は少しずつ煤けて、中に光を灯すようになった。体の中に、火が点いている。不死の吸血鬼をも燃やす、小さくも熱い火が。
「私も、寂しいよ。でも、寂しいだけ。私が居なくても、もうシェリルは誰かを受け入れて、一緒に生きていける。それにね、離れ離れになるわけじゃないんだよ。私はシェリルの中に戻るだけ。ずっと一緒なのは、変わらないよ」
「それでもッ! 私はお姉様と二人がいいよ! 私、私は……!」
 シェリルの目に、涙がにじみ出した。それを、シスターは微笑まし気に禁止する。
「ダメだよ。もう、シェリルは泣いちゃダメ。だって、泣きすぎだよ。最後くらい笑いなさい」
 シスターは最期に、着ているシャツやスカートを纏めて破り去った。同時、太陽光がシスターの中で乱反射し、炎上し、その体が一息に灰に変わる。
 そして、強い風が吹いた。
 陽気を受けた暖かな強風は、シスターの灰を高く巻き上げて並木へと届かせた。その瞬間に起こったことを、総一郎は忘れない。魔法でも、カバラでもない。理屈を置き去りにした奇跡がそこに起こった。
「……桜」
 並木として植えられたソメイヨシノが、シスターの灰を浴びて次々に開花していく。視界の端から塗りつぶすように、季節の変わり目の強い風に乗って、どこまでも桜色に染め上げていく。
「灰、桜、……え、花咲か爺さん? アーカムで?」
 白羽が戸惑いの声を漏らす。しかし、そんなものシェリルには関係なかった。とっくに彼女は涙を引っこめて、声を上げる。
「綺麗……!」
 桜の花に向けて、シェリルは手を伸ばした。総一郎は前世の知識を想起する。かつて日本とアメリカの友好を願い、日本はワシントンD.C.に四千本近い桜を送ったのだと。
「これからのアーカムに、ピッタリだね」
 総一郎は桜を見上げる。友好の証、冬の終わり、そして“灰”が残した奇跡。
 季節は変わり、風が吹く。春が来たのだ。別れの春が。自立の春が。

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コメント

  • ショウ

    眠れてるやんw

    1
  • モコモコ

    めちゃめちゃ面白い。ほんと好き。面白すぎてクトゥルフ神話調べまくっちゃった上に邪神好きになりそうで怖い

    続きが気になって夜しか眠れません。

    3
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