武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

6話 決別ⅩⅩⅥ

 結局ルフィナに断りの連絡は入れなかった。無理にシェリルを連れていく必要もない、ということを白羽に話して、あくまでも商談の一環として取り持ったという形にした。
 白羽は頷いて、当面は総一郎と白羽、そしてルフィナの都合がつき次第対談を行う予定ですり合わせた。日程は早々に決まり、それからの数日間は普段通り、グレゴリーとの遭遇にだけ気を付けて学校に通った。
 シェリルは、総一郎に追い詰められて以来、総一郎の顔色を伺うようになった。怖がられていると感じて、総一郎も努めて優しく振舞った。仲良くなれたかどうかは分からない。日常会話はまた普通にできるようになったが、怯えられているのは変わらなかった。
 ルフィナとの会談の日、シェリルはついて行くと言い張った。
「……無理してない? 別にシェリルが無理してルフィナに会わなくたって、俺は君を見捨てたり、失望したりしないよ」
「いいの。だって、ソウイチが私の為に用意してくれた話し合いの場所だって、分かってるから。ソウイチに見てもらいたいから、行くんじゃない。私が、憎いから、行くの」
 震える声だった。シェリルの言葉は何処か矛盾していて、けれど覚悟を決めている。総一郎はシェリルが言葉に詰まったときに備えて、話す内容を考えておいた。
 それに、一つだけ気になることが出来たのだ。
 昼、三人で家から出ると、すでにアルノが図書の家の前に車を停めていた。「これはありがたいね」と軽口をたたくと、「お嬢様の命令だ。それだけ、今回の件を重要視なさっている」と告げられる。
 あらかじめ日光を避けた厚着をし、睡眠も確保してあったらしいシェリルが、唾をのんだのが分かった。アルノは小さな吸血鬼に視線を向けたが、何も言わず車に乗せた。
 車の中では、誰もしゃべらなかった。警戒していたというのもあるし、緊張していたというのもあった。法廷などとは違い、隔てのない場所で加害者と被害者が話し合う。それは異様で、暴力が発生していないのが不思議なほどだ。
 到着したのは、新市街でも一等地に位置する高級住宅街の一角だった。その中でもひときわ大きな屋敷が、どうやらルフィナの住まうセレブリャコフ家らしい。
 玄関まで誘導され、敷地に入る寸前でアルノはこちらに向きなおった。
「お客様、この度の御来訪を誠に感謝いたします。今回の件に置かれましては、わたくしどもシルバーバレット社はお客様方に多大なるご恩を受けましたことを、重ねて御礼申し上げます」
「これはこれはご丁寧に」
 態度の急変に戸惑った総一郎や困惑仕切りのシェリルと違い、素直に腰を折ったのは白羽だった。流石、こういった類の威圧には慣れているのだろう。
「つきましては、わたくしどもはお客様と末永く信頼関係を築いていきたいと考えております。それゆえ、短慮な行動は慎んでいただけると幸いです」
「そうだね。俺たちも、出来る限り仲良くしていきたいものだから」
 敬語と言うのは使い方によっては恐ろしい、と実感した一コマだ。とどのつまり、暴れるなよと釘を刺されただけなのに。
「では、こちらに」
 先導するアルノについて歩く。屋内に入ると大理石の石畳に絨毯が引かれていて、並べられた使用人がそろってこちらに一礼をした。まるで前世のアニメで見たような演出だが、実際に目の前にするとかなりの威圧感があった。
「総ちゃんにシェリルちゃん。微笑みながら歩けばいいよ。ビクつくとナメられる」
 白羽の小声での指示に従って、アルノについて行く。マジックウェポンで相当稼いだらしいことが、屋敷のモノの一つ一つから読み取れた。高そうな壺や、絵画の類。これら全てが、アーカムの差別を苗床にしている。
「では、この部屋で主人がお待ちしております。どうかごゆるりとお楽しみください」
 両開きの扉を、アルノともう一人の執事が開いた。その先で、大きなソファに腰掛けたルフィナがお淑やかに微笑んでいる。
「お久しぶりでございます、ブシガイト様。それに、彼のお姉様、……ARFでも有名な、ヴァンパイア・シスターズ様。どうぞそこにお掛けください」
「久しぶりだね」
 総一郎は、それだけ返してルフィナの正面に腰を落ち着けた。総一郎を挟むように、白羽とシェリルが座り、執事アルノはルフィナの斜め後ろに立つ。
「まず、わたくしの口からもお礼申し上げますわ、ブシガイト様。工場の件、ありがとうございました。やっと腰を上げた警察の方々と鉢合わせになってしまったと聞いて、わたくしも驚きましたの。すぐに警部に弁明を入れたのですが、あの後無事に済みましたか?」
「うん、お蔭様でね。それで、君たちの工場を襲ったのは、結局誰だったのかな? 調べはついてる?」
「いいえ、残念ながら……。しかし、諦めてはおりませんわ。わたくし、こう見えて結構しつこいタイプですの。犯人によって被った不利益は、いずれ回収させていただきますわ」
 クスクスと清純に笑う。そこに意地悪そうな色などまったく見いだせない。だというのにこれだけのことを言えるのだから、ルフィナ自身も底が知れないと思わせられる。
「それで、今回の御用を、ひいてはそちらの素敵な女性たちについて、ご紹介願いたいのですが」
「そう? すでに素性は知っていると思ったけど」と総一郎。
「そこの小さなお子様がヴァンパイア・シスターズであることだけです。予想は付きますが、お姉様が何者であるかは裏がとれておりませんの」
「それじゃあ自己紹介させてもらうね。私の名前は、白羽・武士垣外。総一郎の姉で、ARFのリーダー、ブラック・ウィングでもあるよ」
 堂々と名乗り出た白羽に、総一郎もルフィナも驚愕を隠せなかった。白羽はマイペースにスマイルを振りまいて、「どうも初めまして、シルバーバレット社のトップさん。亜人差別で食べるご飯は美味しい?」とあまりに直接的な毒を吐いた。
「え、と、そ、そんな、わたくし如きの若輩者に、トップに立つ器はありませんわ」
「いやー、でもどうやってもご両親の影が見えなかったからね。実権握ってるのあなたでしょ? 警察で働いてるウチの構成員からの情報だし、これはどう誤魔化しても確定事項だよ」
「じし、自信がありますのね。素晴らしいことですわ」
「もちろん、自信しかないよ。私がこうして名乗ったのも、あなたがこの場で録音してこないって踏んだから。でもこれはちょっと意外だったんだ。差別で食ってる組織が、こんな誠実な方法を取るとは思ってなかったから」
「誠実さがモットーですもの。……ええ、誠実に、ですわ。特に貴方がたには、そうしなければ痛い目を見そうだと思ったものですから」
 白羽の連撃にルフィナはすでに顔を青くしていたが、反面目の色に強い信念がともっていることが窺えるようになった。「それは素晴らしいことだね」といって、ひとまず白羽は矛を収める。
「というわけで、あらためて説明する必要もないとは思うけれど、一応明言しておくよ。俺たちは、今ここにARFの代表としてシルバーバレット社と対面している。今回の事は、個人ではなく正式なものだと思って欲しい」
「えぇ。わたくしどもも何度かギャングの皆さんと交渉したことがありましたから、理解はあるつもりです。もっとも、彼らのマジックウェポンを卸して欲しいという要求には、一つとしてお応えは出来ませんでしたが」
 マジックウェポンは売れない、と言っているようだ。しかしこちらとしても、今さらマジックウェポンを売って貰っても仕方がない。
「いいや、俺たちの求めるものはそうじゃない。……ひとまず、そうだね。シェリル、君も自己紹介できる?」
「う、うん」
 着飾りながらも、怖がって震えるばかりの吸血鬼は、この場には不釣り合いだった。それをひしひしと感じているのだろう。名乗る言葉遣いは、たどたどしい。
「わ、わた、私のっ、なま、名前は、しぇ、シェリル! トーマス、です……。あっ、あの、ヴァンパイア・シスターズって! 名前で、有名で」
「ええ、存じております」
「っ。……」
 ルフィナの合いの手で、シェリルはスカートを強く握って、何を言えばいいのか分からなくなってしまったらしかった。総一郎は、安心させるようにシェリルの手に自らのそれを重ねながら、捕捉する。
「彼女はね、君たちが警察にマジックウェポンを売り込む過程で撮った映像の、最初の出演者の娘だよ。覚えていない? 吸血鬼の血族の、改革派と名乗る彼を」
「……アルノ」
「僭越ながら、お嬢様。お嬢様が幼少期に行った、バウンティーハントの一つを指しているのでは……、と」
「そうですか。ブシガイト様。申し訳ありませんがわたくし、少々事情がありまして幼少期の記憶が曖昧ですの。決して悪意があるのでも、軽んじている訳でもないのですが、あの頃のことは鮮明には思い出せなくて……」
「……そう」
 総一郎は相槌を打ちながら、一つの疑念を強めた。白羽は今にも殴りかかりそうな手の動きを机の下でしていたから、軽くたたいてそれを諫める。
 総一郎は、ルフィナをアナグラム計算に掛けた。十分にアナグラムは揃っただろう。数秒間の沈黙に気まずい雰囲気を耐え抜く。ワグナー博士の提言、シェリルの記憶、ナイの襲撃タイミング、そして今の発言。総一郎は、核心に切り出した。


「ルフィナ。君はもしかして、転生者か?」


「……はい?」
 ルフィナは、きょとんとして首を傾げた。総一郎は構わず続ける。
「君の幼少期の喋り方を、知る機会があった。君は、今とは全然別の喋り方をしていた。一方で、君によく似た喋り方をする奴が居た。そいつは巧妙にARFの監視の目を潜り抜けて、シェリルを拷問にかけた」
 小さな吸血鬼が記憶を蘇らせ、肩を跳ねさせた。小さく総一郎は「大丈夫だよ、何があっても俺がいる」と安心させて再開する。
「その拷問を行った人物と、よく似た人物を俺は知っている。誰よりも縁深く、俺を狙い続けた相手だ。ナイ、ってあだ名がついて回る。君には、そういう人はいる?」
「えと、その」
 ルフィナは何も分からない様子だったが、何処か苦しそうな表情を見せ始めた。総一郎は最後に、転生者しか知らないことを口にする。
「三百年前、俺たちはあの駅前で殺された。人智のしれない異様な力で、何が何だか分からないまま。君は、その中にいなかった? あの、無残に殺された記憶が、君には残っていない?」
「……ぁ」
「失礼します、お嬢様」
 突如動いたのはアルノだった。彼はルフィナの顔を掴んで、自らの額と彼女のそれを突き合わせる。その瞬間、大きく電流の音がした。精神魔法の音だと、すぐに気付いた。
 ルフィナはそれを受け、ぐったりとソファにもたれかかった。一方アルノは、まったく感情の窺えなくなった無表情で直立し、また定位置に戻ってロボットのように一寸のブレなく、執事の立ち姿を取った。
「……気付かないものだな。そうか、君も同類だったのか、ブシガイト君」
 今度は白羽が目を混乱に開閉させる番だった。総一郎はシェリルの記憶を通して見たばかりだったし、シェリルなどは“こちら”が本当の仇だろう。
 ルフィナは上体を起こし、それから首を何度か鳴らしてから、横柄に足を組んだ。その立ち振る舞いは、令嬢のそれからかけ離れている。彼女の纏うドレスはどこかちぐはぐな印象を抱え始め、しかしそれさえねじ伏せるような眼光が、隙の無い彼女から放たれ始めた。
「では、改めて名乗らせていただこうか。私の名はルフィナ・セレブリャコフ。ロシア生まれのマフィア育ち。両親は無能だったので早々に始末し、アメリカンドリームを掴みにアーカムを訪れた。君と同じ、三百年前の日本からの転生者だ」
 冗談めかしているのか、本気で言っているのか分からない口ぶりだった。総一郎に分かるのは、この自己紹介を通してルフィナが自分たちを品定めするような目で見ている事だけだ。
「それで? 改めて聞こうじゃないかね。君たちは私に恩を売り、見返りにいったい何を求める。それを忌憚なく聞かせてくれ給えよ」
 シェリルの記憶に違わない。そのカミソリのような雰囲気は、令嬢のものというより老獪なサラリーマンのものだった。

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