武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

6話 決別ⅩⅩⅠ

 シェリルの手を引いて家に帰ると、ARFの全員が色めきだった。それぞれが目を丸くしたりぽかんと口を開けたりして自らの呆然具合を示しながら、繋がれた手を指さして言う。
「えっと、その、総ちゃん、それは……?」
「その、色々あってね。仲良くなったんだ」
「そ、そう……」
「久しぶり、ボス。あと……無口な人と狼さんもここにいたんだね」
 片割れの欠けたシェリルの言葉は何処か引っ込み思案で、その様にシラハとアーリは顔を見合わせた。ウルフマンは一周回って納得したのか、「まぁ、イッちゃんだしな。それよりヴァンプの姉の方はどこ行ったんだ?」とマイペースに尋ねてくる。
 それに、総一郎は答えるかどうかを吟味した。だがシェリルが総一郎の手を引いて、目を合わせて首を振ってきたから、「本人からノーサインが出たみたいだ」と肩を竦めた。
 その辺りで、シェリルは総一郎にもたれかかって目をつむった。「ソウイチ……、後はお願い……」と言って寝息を立て始める。無理もない、と総一郎は苦笑した。
 時間帯は、昼前と言ったところか。本来なら寝ている時間で、かつ苦労して日光を避けながら図書家まで訪れたことで、シェリルの眠気はピークに達しているようだった。それぞれに目配せして、ひとまずシェリルは総一郎の部屋で寝かせることになった。
「私の部屋でもいいのに」
「あはは、男の俺の部屋っていうのも少し考え物だけどね。日光をちゃんと遮断できる部屋が、現状俺の部屋しかなかったから」
 姉弟で運んで、そっとベッドの上に横たえた。それから光が極力入らない様に準備をして、居間に戻る。
「さて……じゃあ一通り説明してもらうとしようかな」
 そう宣言して総一郎の目の前に腰掛けた白羽は、何ともご立腹と言った次第だ。思えばウッドが白羽に対し事に及んだのも嫉妬から始まったのだし、遺伝的なものなのだろう。
 だから総一郎は、皮肉気に笑って言うのだ。
「安心してよ。仲良くなったって言っても、お互いを信頼出来ている訳じゃあ決してない。ただ、同情しているだけなんだ。“あなたも私みたいに辛い目にあってきたんだね”って」







 シスターズの姉は偽物だという一点を除いて、総一郎は事の顛末を皆に説明していた。また、そこから得られた不可解な出来事を議題に挙げ、相談を持ち掛ける。
「シルバーバレット社の令嬢と、双子の『実験』に当たった部下、か。どっちも一応データはある……が、完全じゃないな」
「令嬢の方は警察やARFにも勝りかねない巨大組織がバックにあるからね。シルバーバレット社は今のアーカムを牛耳ってるっていうのは、裏の人間なら、誰も口にしないけどみんな理解してると思う」
「ヴァンプを虐待したヒルディスさんの部下なんてのが居たのか。何つーか、やるせねぇな。でも、何でデータがそろってないんだ?」
「分からない。情報に穴が多すぎるんだ。こいつ絶対にどこかの組織のスパイだったぜ。名前まで出鱈目に入力してある」
 アーリは電磁ヴィジョンと睨めっこしながら、空中で指を激しく動かしている。どうやらデータの復元に勤しんでいるらしい。
「……ダメだな。ここじゃあ設備も何もかも足りない尽くしだ。だいぶ体の方も本調子になってきたし、アタシは本部の方で仕事の続きに取り掛かるとするか」
「そうだね、そろそろ任せたい仕事の本も溜まってきてるし、頼りにしてるよ、ハウハウ。あなたにしか出来ない仕事ばかりだから」
「ったく。こういう仕事の話だと、上手いことやる気を出させるんだからいいボスだよなぁ本当に。ソウ関連になると嫉妬してからかい甲斐あるのによ」
「アーリ、こっちに飛び火させるのは止めて欲しいかな。俺だって照れる性質なんだから」
「ははは! 悪いな、そういうとこも含めて、お前は良い弟分だよ、ソウ。じゃあ、一つ一つ片づけていくとしようかね」
 アーリは立ち上がり、伸びをした。強調される胸部に男性陣の視線が行く。総一郎は我に返りすぐに目を逸らしたが、物凄い目で総一郎を見つめる白羽に目を合わせられない。
 そんな白羽を嗜めたのはアーリだった。「今のうちに弟離れしとかないと後で辛いぜ?」と白羽の肩を軽くたたいて、「じゃあな、また今度」と言って去っていく。
「……」
 白羽はそれが衝撃だったのか、ポカンとしてアーリの後姿を見つめていた。無理もない。アーリは、失敗した白羽のようなものだ。彼女は結局、弟を永遠に失った。
「イッちゃん、おれをヴァンプのとこまで連れてってッてくんねぇか?」
「え、あ、うん」
 総一郎も白羽の様を見て呆けていた、と気付かされたのは、ウルフマンの要請がきっかけだった。総一郎も立ち上がり、ウルフマンを抱えて階段へ向かう。
 それから、問おうとしたのだ。J、君はシェリルと仲が良かったかな、と。
「イッちゃん、いい機会だから言わせてもらうけどさ。おれはどうかと思うぜ。イッちゃんと、シラハさんの関係」
 総一郎は硬直した。シェリルは口実だったのだと、すぐに分かった。総一郎は目をつむり、歯を食いしばって、それらを止めて再び歩き始めた。
「知ってたんだね」
「アーリと違って、おれはずっと意識が残ってたからな。ついでに言えば、昼夜もしょっちゅう逆転してる。今のおれには起きる、寝る、食うしかないもんでよ」
 ごめん、と謝ろうとした。「気にすんなよ」とウルフマンは言う。
「首のこれは、ウッドがやったことだ。それをどう捉えるのかはイッちゃん次第だとは思うが、おれはもう気にしちゃいないさ」
 部屋の前に着く。総一郎が目を向けると、「長くなる話だ。また今度な」と。
「シェリルとは話さないの?」
 ウルフマンはお茶らけて笑った。
「やっぱおれはいいや。何を話せばいいかも分かんねぇ」
 さきほど総一郎の核心をついたとはとても思えないような、快活な表情だった。総一郎はどんな顔をすればいいかわからなくなって、尋ねる。
「じゃあ、その、何処に置けばいいかな」
「ここで降ろしてくれれば後は勝手に転がるから気にしなくていいぜ」
「そう? じゃあお言葉に甘えて」
 廊下に置くと、口を大きく開けたり閉じたりしてスムーズに転がり始めた。本当にそういう生物だったかのような動きに、総一郎も顔を引きつらせてしまう。
「Jは逞しいなぁ……。俺も見習わないと」
 顔を叩いて、「おし」と意気込んだ。そしてゆっくりと扉を開ける。
「ソウイチも大変だね」
 起きていたのか、シェリルはベッドに腰掛けて呟いた。総一郎は目をパチクリとさせて、息を吐く。考え込む気も削がれて、首を傾げて返した。
「君こそ。それで、俺の事はそうやって呼ぶことにしたの?」
「うん、誰も呼ばなさそうだし、ソウイチも私の事シェリルって呼ぶでしょ?」
「確かに君を呼び捨てするのは、家族だけだね」
「皮肉は嫌い。イギリスを思い出すから」
 何のことだと思って、総一郎は勘づいた。総一郎の記憶の事を言っているのだ。カバリストに玩具にされた、忌まわしい過去を。
「参ったな。俺もいつの間にか、あそこに馴染んでたってわけか」
「嫌いな相手に似るなんて可哀そう。抱きしめてあげようか?」
「お生憎様。俺が甘えるのは白ねぇだけなんだ」
「知ってた。だからお願いしてきたら、裏切り者って言ってあげようと思ってたの。ぎゅってソウイチが好きな風に胸に抱きしめて、ね」
 総一郎は深くため息を吐いた。やり辛い。特にこの辛辣さ加減が、傷ついたことに起因していると分かるからこそ。
「……けど俺は、甘えてくる相手は、親しい相手なら受け入れるタイプでね」
「嫌だよ。私が甘えるのは家族だけ」
「俺はどんな立ち位置なのかな」
「……もういい。早く首を出してよ。お腹すいたの」
「はいはい」
 シェリルの隣に腰掛け、彼女を真正面に抱きかかえた。ナイよりは大きい、がやはり子供だ。総一郎は襟を広げ、うなじを露出させる。
「いただきます」
「日本語の習慣まで移っちゃった?」
「うるさい」
 かぶりついてくる。痛みはない。けれど、吸われるとむず痒さが走った。『灰』と似ながら真反対の感覚だ。
「おいしい?」
「おいしい。絶望が染み出してくる味がする」
「きっと君も同じ味がするよ」
「そうかもね」
 小さくシェリルは笑った。首筋に零れた血が垂れるのが分かった。この服は汚れるとき以外着られないな、と嘆息する。
 食事が終わって、シェリルが首筋から口を離した。総一郎は軽く水魔法で洗って、襟を戻す。
「そういう方法、私考えたことなかった。便利だよね」
「真似しない方がいいよ。吸血鬼って、流水がダメなんだろう?」
「え、ほんと? あ、でも確かにバスタブは入ったことあるけど、シャワー浴びたことない……」
 お互いの記憶が混同していると苦労する。総一郎はカバラで対抗したが、シェリルにはそれが出来なかった。だから今『シェリルの姉』は顕現していないし、シェリル自身も何処か総一郎に似た所作を真似したがる。
 ――あの後、総一郎は晴れて吸血鬼ではなくなった。頼むまでもなく、シェリルが真祖の呪いを解いていたのだ。だから吸血鬼のままだと思い込んでいたところ、太陽の真下でコートを剥かれたものだから随分と冷や汗をかかされた。
 分かっていたことだが、シェリルは悪戯っ子だ。しかしそれは、心の許した相手か、あるいは姉に便乗する形でしか為されない。
 そして今、姉はいなかった。シェリル曰く、「遠くにいるみたい」と。
 それがいいことなのか悪いことなのか、総一郎には分からない。
「それで、これからどうするの。私はARFに復帰、って言っても今までとほとんど変わんない……アレ、私って働き者だった?」
「うん、そうだったよ。強力な種族魔法を駆使して敵を圧倒する、ARFのエースだった」
「ソウイチがそういう事を言うときは嘘だって相場が決まってるの。もっと上手に騙してよ」
「本当にやり辛いな。君は」
「全部見て来たからね。ああなったのがソウイチでよかった。ウッドなら、殺しちゃってた」
 要望通り、と言う。それから、いつも“あなた”は間が悪い。とクスクス笑う。
「で、どうするの。夜なら動けるよ。アイでも探す? それとも豚のおじさん?」
「そう、なるのかな。いや、どうだろう。白ねぇはまだ俺に次の指示を出してないし」
「ボスの指示に従うの? ソウイチが?」
「……何か変かな」
 あまりに素直に驚きを示されれば、こちらこそ戸惑ってしまう。
「独断専行であらゆる物事をかき回すのがソウイチだと思ってた」
「ダメだ何一つ言い返せない」
「えへへ。そういうとこも私そっくり」
 思い返せばそんな場面ばかりだ。自分が品行方正な人間だと思っていた総一郎は愕然とし、シェリルはそんな総一郎の様子に嬉しそうだ。何が嬉しいのか、総一郎には分からない。
 それからニヤニヤと、まるで試すような口調で提案してきた。
「好きなようにすれば?」
「好きなように、ね」
 今までの人生、必要に突き動かされてきたと考えていた。だが、好きなように進んでいった結果、とも言えるのか。
「私だってソウイチだって、日頃から好きなようにしてたでしょ。気になるところに行って、したいことして、後の祭り。そうしてたら、問題ごとはどうにかなっちゃう」
「悪化したことだって数えきれないと思うけど」
「ナイの策略を、ソウイチが跳ね退けられなかっただけでしょ。今なら何とかなるんじゃない?」
「君はおれの記憶を覗いた割に楽観的だね」
「違うよ、覗いたばかりだから言える事。ソウイチは一々物事を深く考えて、怖がりすぎなんだよ。もっと身軽に生きなきゃ」
「……、……シェリルは生意気だなぁ」
「本音、やっと出たね。ソウイチの嫌そうな顔、私好きだよ」
 ああ、これは今まで接してこなかったタイプの相手だ。他人の嫌がる顔を見て嬉しがる手合い。幼稚だが、美貌が彼女を魔性に仕立て上げている。
 不意にナイが思い浮かんだが、彼女はシェリルとはまた別だろう。楽しさの為に総一郎にちょっかいを出しているのではない。その身が無貌の神であるという、いわば宿命の為に敵対せざるを得ないでいる。
「考えてるのは、ナイの事? それとも、ローレルの事?」
「何で、その二択なのかな」
「えへへ、怒ってる。心を覗かれるのは嫌い? 私はね、大嫌い。だから仕返ししてるの。私の恥ずかしいところ、きっといっぱい見たから。それできっと、みんなに喋ったから」
 総一郎は、視線鋭く反駁した。
「言わなかったよ、君のお姉さんの事は。シェリル、君が嫌だって首を振ったんじゃないか。それを守らないような、子供じみたモラルは持ち合わせていない」
「えっ」
 総一郎にとっては当然の行動が、シェリルにとっては驚くべきことのようだった。だからなのか、口をつぐんで俯いてしまう。
「……ごめんなさい。意地悪なことを言いました」
「謝れるなら、君にいう事は特にないよ。何ていうか、そうか。大体つかめて来た。俺は君よりも人生経験が豊富だったから、君の記憶を覗いてもどうにか処理できた。シェリルに起こっていることは逆だ。君のキャパを超えるだけの悲しみが、俺の中に詰まってたってことだろうね」
「馬鹿にしないで! 私は、私だって!」
 激しく言い返してくるシェリルの瞳は、瞳孔が開いていた。情緒不安定なのが、何よりの証拠だろうに。総一郎は小さな吸血鬼の頭を押さえつけるように撫でると、反発が来た。
「止めて! ソウイチなんて嫌い! 何であんな辛い目にあって、こんな普通にしてられるの!? 嫌だよ、辛いよ。虐めないで。ボス、私は本物だよ。ローレル、別れたくなんかなかったよ。ナイ、裏切るなら全部裏切ってよ、涙なんか流さないでよ」
 総一郎の手を払いのけて、シェリルはベッドにうずくまった。泣いているらしい。それでいながら悲しい思い出に挙げるのが全て総一郎の物なのだから、総一郎は思案にしかめ面をするしかないのだ。
「マズイな。自分の意思からして希薄になってる」
「なってない! ソウイチの馬鹿!」
「じゃあ一つ質問するよ。それに答えてくれれば、君の意思は希薄ではなく、君は俺の記憶を処理出来ていて、君のあってきた災難は俺の物よりも悲しみに満ちていたことを認める」
「……え?」
 涙にぬれた顔を、シェリルは上げた。総一郎は目を合わせ、前置きをする。
「君はさっき、好きにすればいいって言ってたね。俺は今まで好きにして来たんだから、今度もそうしろって」
「え、う、うん」
「なら、シェリル。君のしたいことを言ってみてよ。シェリル・トーマス。君は今何がしたい? 君が本当に為したいことなら、俺が全力で手伝うから」
 言いながら、総一郎自身も引きずられていると理解した。同情の力か。他人の痛みを自分の物のように感じ、感情移入している。
「私の、したいこと……」
 シェリルはしばらく考えて、言った。
「ローレルに会いたい」
「それは俺の願望だね。君はローレルに会ったこともないんだから」
「えっ、あっ、じゃあ……ナイと」
「ナイも同じ。君とは遭遇もしていない」
「ボスとはもう仲良くなってるから……、えっと、えっと」
「頑張って。君の、君自身の望みがあるはずだから。それを、俺に教えて欲しい」
 シェリルの顔が青くなって、汗が流れ始めた。総一郎はそれを拭いてやり、震える手に自らのそれを重ねた。
「……お父さん、じゃない。日本人じゃない。人間じゃない。お父様。そう、お父様、吸血鬼で、強くて、ジェントルマンであるべしって変な口癖があって、それが、私のお父様で」
「……うん」
「お母さん、ううん。天使じゃない。天使はボスだから。そう、吸血鬼の、大人の、小さいころ優しくしてくれた、お母様。少し強引で、でもドジなところがあって、温かい笑顔が好きだったの」
「うん」
「お姉様。私を、ずっと支えてくれた。けど、違う。怖い。ウッドは、怖いよ。白ねぇ、ボス、違う。お姉様はお姉ちゃんじゃない。ウッド。誰かに理解されて死にたくて、誰にも理解されないで犬死するのが怖くて、何もできない私の為に、代わりに色んな事をしてくれた、お姉様。ウッド? ――でも、でもダメだよ、ダメだよ!」
 シェリルは総一郎に縋りつく。
「ウッドだって自分なことに変わりはないんだよ! たくさん殺して、たくさんの人を狂わせて、それで自分じゃないなんて言えないよ! 私が殺したの! 私が責任を取らなくちゃいけないの! 白ねぇはきっと許してくれる! Jだってアーリだって『あれはウッドがやったことだ』っていう! けどダメだよ! 責任を取らなきゃダメなんだよ!」
 シェリルは慟哭して、総一郎を抱きしめて泣きじゃくった。総一郎はそれを優しく抱き留めて、頭を撫でた。
「そうだね。責任は誰かがとらなくちゃいけないんだ。親しい誰かに許されたって、責任は残ってる。許されないことをしたんだ。ウッドは俺の為に動いた。ならやっぱり、責任は俺にあるんだって」
 失敗したなぁ、と総一郎は目を閉じた。
「誰にも言わずに隠しておこうと思ってたのに、こんなところで暴かれるなんて。『灰』もかなりキツかったけど、ここで自分の本心を突きつけられるのは、やっぱりクルなぁ」
 しかし、総一郎は表情を崩さない。イギリスでの差別以来ずっと嘘をついてきたから、こんな時だって顔色で嘘を吐く。
 それは仮面だった。ウッドと違うのは、剥がれないという一点だけだ。

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