武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

6話 決別ⅩⅤ

「わがままな貝!」
「ハイ次」
「靴と靴下がスーザンにショックを与える!」
「いいわね、次」
「サンタはシフトショーを保存する!」
「はーい、噛んだー。もういっかーい」
「……ああ、何やってるのかと思ったら早口言葉ね」
「あ、イッちゃん。やっほ」
 ヴィーが得意げに手を振った。仙文が言ったのは「Selfish, shellfish. Shoes and socks shock Susan. Santa saves shoft shnow.」最後はスペルが妙なことになってるから、恐らくSanta saves soft snow.(サンタは柔らかい雪を集めている)を噛んだのだろう。
「イッちゃん! ボクが君に仙術を伝授する日は近いよ!」
「発音滅茶苦茶よくなってない? 仙文のチャームポイントが……」
「あれ!? 不評?」
「確かに……変な英語使う仙文の可愛さをアタシは失わせてしまった!?」
「そういうマスコットキャラクターみたいな特徴はいいの!」
 内面は特に変化していないようなので、総一郎はヴィーに無罪判決を脳内で下す。
 図書より新しい魔術――名付けて電流式炭素粘着弾(長い)を教えてもらった翌日の事だった。昨日は白羽が午後に他の仕事に向かったのに対して、総一郎は図書の一日を巻き込んでずっと練習していたのだ。
 おかげで攻撃面においては、敵の無力化、アンチマジックにおいてウッド並みとは言わないものの、中々の仕上がりになったと自負している。総一郎が内に秘める木面の怪人に劣る点と言えば、奴のやりすぎなくらいの精神攻撃以外は特に思い当たらないくらいだ。
 となれば、次に着手すべきは当然防御面となる。そのため総一郎はある程度仙術について調べてきた上で……と言っても何も分からなかったのだが、仙文に会いに来たのだ。
 現時点でグレゴリーに遭遇するのは勘弁願いたかったので登校したくなかったのだが、背に腹は代えられない。魔法等々でかなり用心しての行動だった。
「それよりその、仙術についてなんだけどさ。……具体的に言えばどういう技術なのかって改めて聞かせてもらっていい?」
 早速仙文に相談を持ち掛けると、
「オ、オォ!? 再说一遍!」
「初めて仙文の口から中国語を聞いた!」
「あー、なるほど。こんなキョロキョロした言葉が母国語なら発音もあんな感じになるわね」
「変な納得止めテ! ……ソ、ごほん。……そ、それで、本当に仙術に興味がわいたの? 気を遣ってるとかじゃなく?」
「図書にぃが仙術って知る人ぞ知る凄い技術とか言ってたから、試しに聞きたくなったんだよ。……前に断ったのに都合良いとは思うけど、教えてもらえる?」
「――モチロン! 任せてよ!」
 人に施す立場でありながら、これだけ純粋に嬉しそうな表情を出来るのは仙文の美徳だと感じる。眩しいな、と思うと同時に、そんな感想を他人に抱くことが多くなっている自分に気付く。
「前に言ってた仙文の謎技術ね。結局のところ、どういう事が出来るの?」
「んーとネ。じゃあヴィー、ボクの事叩いてもらえる?」
「どうしようイッちゃん! 仙文が変な性癖を!」
「仙文! ダメだよ君にはそういうのは早すぎる!」
「へんに茶化すの止めて! もー、ヴィーはいっつもそういう話に持ってくんだから……」
「うふふ、ごめんなさいね。でもはっきり言って仙文が可愛いのが悪いのよ」
「……。ともかく、早くやってもらえる?」
 分かりやすく照れている仙文に、総一郎とヴィーは互いに目配せし合って意地悪な笑みを。だがこれ以上からかってもくどいばかりなので、彼女は指示に従って仙文の頭を軽くチョップした。
 あるいは、しようとした。
「……ん? え!?」
「え、何々どうしたのヴィー」
 総一郎の目からは、何も異常が感じられなかった。アナグラムにも大きな揺れはない。だがヴィーは、目を丸く躍起になってチョップを続ける。
「う、嘘! え、ナニコレ凄い! 凄いっていうか、ええ!? どういうことなの仙文!」
「ふっふっふー。これが長年の研鑽を積んだ仙人の底力だよ。普通ならこんな華奢な体格でアーカムを生き抜くのは難しいところだけど、仙人なボクにはへっちゃらさ!」
「……俺の目には仙文をチョップでイジメるヴィーと、空元気に振る舞う仙文しか見えないんだけど」
 残像が見えるレベルの連打である。途中から両手で始めだしたものだから、何だか太鼓を叩いているかのようだ。
「人聞きの悪いこと言わないでもらいたいわね。ともかく、イッちゃんも仙文を叩くなりしてみるといいわ。そうじゃないと分かんないと思う」
「じゃあまあ、しっぺ程度に」
 仙文に腕を出してもらい、人差し指、中指の二本で仙文をぴしゃりと。そうしてやっと、総一郎はその意味に気が付いた。
 触れられる。だが、攻撃を加えることが出来ない。
 強く、痛みを伴う接触のみにおいて、仙文の体が霧のように避け、そして瞬時に再構成されるのだ。結果、痛み、衝撃だけが発散させられた状態で、総一郎の二本指は仙文の腕に触れるばかりとなる。
「……ん、え? もう一回いいかな?」
「うん、どうぞ」
 無論繰り返しても変わらない。力強くたたいても、衝撃は霧散して、ただ触ったと言うしかない状態になる。こちらの指にも痛みはないし、仙文とて余裕な表情だ。
「こ、これは、ええと。どういうことなのかな」
「水は善く万物を利して争わず」
「え?」
「道教の始祖、老子の言葉だヨ。ボクの仙術の根幹でもある。だからボクの仙術は、他者に何かしらの影響は及ぼせないんだ。勝利はボクら仙人には無用の長物。勝利は殺人。タオではないから」
 道教、と総一郎は口の中で繰り返す。中国三大宗教の一つだったはずだ。仏教、儒教、そして道教。宗教、と考えて思い出すのはつい先日の事だった。ウルフマンはゴッドに悪魔と定められているがために、カバラを学べない。ゴッド、神。
「……これ、どうすれば出来るの?」
 とても率直な質問だった。総一郎は、あまりこういうことはしない。大抵はカバラである程度分析してから、自分なりの推論を交えて質問する。そうすることで相手から一目置かれるし、深い話に導けるという自分なりの交渉技術でもあった。
 そうしなかったのは、出来なかったからだ。カバラでは分析できなかった。アナグラムは物事に呼応して変動する。しかし仙文のこの現象に対し、アナグラムは変動しなかった。
 仙文は、ニコっと笑う。
「ありがちな修行は要らないよ。イッちゃんは仙人になるわけじゃないから。けど他人から干渉を受けないためには、業を何とかする必要があるかも」







 この話は後日ね、という約束をして、その日はそれ以上仙術について話さなかった。帰宅すると連絡が来ていて、「アメリカで気にするのも変だけど、一応六の付く日に会えるかな?」という旨の連絡がきた。
 場所の話をすると、スラムでも一番に危険な場所について尋ねられた。総一郎はピンときたが、それよりも先に何故と問い返した。
『ごめんネ、言葉が足りなかったヨ。危険かどうかは問題じゃなくって、人気が少ない場所で、かつ複数の様々な人間、亜人、それ以外の意識が群がる場所がいいなって。木を隠すなら森の中って言うでショ?』
 ボクらしかいなくて、ボクらがその場に紛れてしまうような場所がいいんだ。仙文はそう言った。その条件二つは矛盾しているように思えたが、しかし総一郎が思い浮かべた『危険な場所』は見事にその条件に合致していた。
『けど、その場所は本当に危険なんだ。俺でさえ怖いと思う場所だし、例え仙文でも無事では済まされないかもしれない』
 総一郎が思い浮かべたのは、アーカムのスラムの最奥、狂人どもが管を巻く一区画だ。ウルフマンとの戦闘で、ウッドが半ば呑まれかけた場所である。Jと雑談する中で少し話題に出したことがあったが、彼にとっても嫌な場所らしくすぐに話を逸らされたほど。
 しかし仙文はこう返信してきた。
『でも、その程度でボクがどうにかなってしまうようなしょぼくれた技術なら、イッちゃんは仙術を学ぶ必要はないんじゃないかな』
 総一郎はただ絶句した。電脳魔術で総一郎の認識下に立体表示されるディスプレイを凝視して、仙文に対する認識を改めざるを得なくなった。みんなに愛される少年、少女じみた外見のマスコット。そんな存在には似合わない胆力に支えられた発言だった。
 だから、総一郎は仙文に言われるがままに、その場所に案内することになった。荒廃しつつある新市街と、そこで頻発する、警備と称し闊歩し始めたJVAと米警察のぶつかり合い。彼らの目をかいくぐってたどり着くのは、古いレンガ造りの旧市街だ。
 新市街は暴力のにおいがするが、旧市街、特にその奥の奥にも嫌な臭いが立ち込める。それは生理的な距離反応を招く、害虫とネズミの匂いか。日の当たらない場所で何を思い立ち竦んでいるのか、虚空を見つめる老人の横をすり抜けて、二人は進んだ。
「なるほど、イッちゃんが嫌がった理由が分かったヨ。ここには業が渦巻いてる。人間と亜人以上にかけ離れた存在同士が、互いに相手を虫以下のように振る舞った結果がこの場所なんだネ」
 仙文は路上の吐瀉物を踏みながら、厭うことなく呟いた。総一郎はギョッとしてその足元を見つめたが、しかし仙文の足跡は吐瀉物の上に付けられておらず、靴の裏にも付着していないようだった。
「……仙文、どうやって歩いてるの?」
「普通に歩いてるヨ。昨日ヴィーとかイッちゃんとかにベシベシやられた時みたいに、普通にネ」
 その発言から窺えるのは、特別な技術によるものではない、というところか。仙文がそう言った『存在』であるから、攻撃は効かないし吐瀉物のような汚いものも付着しない。
「この辺りでいいヨ。多分これ以上行くと、何かに見つかっちゃいそうだから」
「そう、だね。ここから先は、灯りがないと本当に危ない。それも、ただの灯りじゃダメな類の」
 ウッドの時には気にならなかった不快感に、総一郎は顔をしかめていた。だが、仙文は随分と平気そうな顔だ。今さらながらに、何者なんだろうと思う。総一郎にとって仙文は、みんなから可愛がられている人気者で、一番の親友の一人だ。
 しかしそれは、逆に言えばそれ以外を知らないという事実につながる。それに、冷静になってみればおかしいのだ。何故その違和感に、今の今まで気づけなかったのか。
「じゃあ、まずはここで向かい合って礼をしまショー。――よろしくお願いします」
「よ、よろしくお願いします」
 唐突に行われた一礼に、総一郎は応えた。すると仙文はにっこり笑って、「これで法は守れた」と言う。
「えっと」
「じゃあ次に、爪きりを頼める? ちょっと血が出ちゃうくらいの深爪」
 こうやって、と仙文は爪切りを出し、親指の爪をかなり深めに切り取った。それを爪切りと同じように取り出した麻の袋に入れて、爪切りを渡してくる。
「……ちょっと勇気要るねこれ」
「割と痛いけど、大丈夫?」
 気の毒そうな仙文に、大丈夫だよ、と強がって切った。爪切り特有のあの“パチンッ”という音と共に、少し肉を抉って爪を切る。じくじくと痛むが、グレゴリーのあの時とは比べ物にならない。
 それを同じ麻袋に入れて、仙文は地面に放り投げた。それから、こちらを見据えて話し出す。
「率直に言って、イッちゃんは器も術も十分、それに道を見つけるための術も備えてる。業さえなければすぐにでも仙人になれる人なんだけど、如何せん積んだ業が大きすぎる。上手いこと散らしたとは思うけどね。でも持ち物である仮面に集約されすぎてるから」
 仙文の話を聞いて、総一郎は僅かに気付き始める。それは動揺。それは恐怖。そこを、仙文が一喝した。
「ボクに対するその感情を捨てて。大きな感情は業になる。君はそれが出来るよね、イッちゃん」
 体が勝手に動いた。総一郎の手が素早く自らの頭に触れ、そして精神魔法を放つ。効果は感情の抑制だ。総一郎は大きく息を吐き、手を下した。
「何をすればいいかな」
「仮面を捨ててほしいんだ。ここに。そして燃やしてほしい。出来れば灰すら残したくはないけど、この吹き溜まりにならきっと紛れてしまうから」
「大丈夫だよ、俺は何もかも消してしまえる力があるから」
「それは……恐ろしいね。業すら消してしまえるなら、君はすでに仙人でも聖人でも、ささやかな神ですらない」
「俺は君たちにとっての先駆けだ。亜人よりも前のもの」
 総一郎は、自分で何を口にしているかも分からない。ただ別人のように話しながら、それを内面から朦朧と見つめている。
「イッちゃんに足りないのは法だけだった。今の礼で入口に立たせたけど、何というか、そうか。君は指し手ですらない。盤そのものを覆せてしまう、そういう存在なんだね」
「俺に必要なのは」
「山ほども高く、海ほども深い業を背負いながら天地合一を為してしまっている君に、ボクは一体何を助言すればいいんだろう。これ以上業を背負いたくないなら、君のその闇に身を投げてしまえばいい。悲しいけど、それが一番早い道だよ」
「違う。俺の最後は、もう決めている。自分の中の闇に飛び込むんじゃない、闇を抱えて、消えていくだけだ」
「なら、何を為したいんだい?」
「残されたものの幸福を。そして流血なき勝利を」
「君が君ならば今すぐにでもできるよ。けれど、そうか、なるほど。見えて来た。今、君はまだ君ではないんだね。かつてそうであったのに、君は名づけられ変容し、そして殻を破って真逆を模り、また殻の中に戻ってきた」
「俺とは?」
「それはタオだよ。君が見出さなければ意味はない。……分かったよ、結局君が欲しがっているのは、法なんだ。そしてその法を守るための術を知りたがっている」
「どうすればいい」
「『仮面』を燃やし、その灰を入念に『イッちゃん』の顔に擦り付けるんだ。そうすれば業は混乱して、君の周りを漂うばかりになる。けれどそのとき、君は失われる。ボクのように普段から穢れを避けるという事は出来ないよ」
「つまり」
「君は君が君を失う、そのときにのみ置いて、ありとあらゆる業を置いてその場から消えることが出来る。見えるけどいない、触れられるけど殺せない、けれどそれは同時に君が何物にも干渉できないことを意味する。一時的に空気になる、そんな方法だ」
「灰を顔に擦り付ける」
「初めは、特に入念にね。一度出来たならば、次からは君の分かる言葉で『灰』と体のどこかに書くだけでいい。人を三回手の平に掻いて呑み込むような具合でね。逆に、戻りたいなら灰を払えばいい。分かりやすく言うなら、そう。君は手の平に灰と書けば何物にも干渉されなくなり、そしてその手の平に息を吹きかければ元に戻れる」
「それだけなのか」
「それだけだよ。特に代償も必要はない。混乱させるだけだから。けれど覚えておいてね。灰を被って何者でもなくなったとき、君はきっととても軽い気持ちになる。けどそれは仮初で欺瞞だ。今君が背負っている重圧こそが真実であるという事を、忘れてはいけないよ」
「……分かった、あり」
「お礼の言葉は言わないで欲しい。それもまた業だから。仮面は持ってる?」
「持ってる。仮面を剥がした時から、ずっと肌身離さなかった」
「なら、この場で燃やして。ついでに、この麻袋も」
「ああ」
 異次元収納袋から取り出したウッドの仮面は、忌むべきもののようで、実際にはウッドの象徴としてその業を総一郎の代わりに請け負ってくれた。ウッドはその意味を無意識に理解していたのか。今となっては分からないが、また機会もあるような気がしてくる。
 総一郎は魔法でも何でもない動きでそれら二つに火をつけ、その場に落とした。周囲によどみが湧いて出る。――いや、すでにそこにあったものが、すすけた煙で見えるようになっただけなのか。
「そうだよ、気にしなくていい。怖がれば付け込まれる、そういうものだから」
「この程度のもの、殺しつくしてここまで来た」
「そうか、過ぎた言葉だったね。君の業のほどは、知っていたはずなのに」
 煙がもうもうとその場に立ち込め、最後には小さな山となった灰が残された。いやに早い、と思う。きっと時間の流れがおかしくなっているのだ。
「その灰を一掴み、顔に擦り付けるんだ。余りは、このまま残しておく」
「灰さえ残したくないと先ほど」
「見つからなければいいんだよ、誰にもね。ここなら紛れて分からないだろうし、恐らく君は、いずれこの方法に頼らなくなる。だから残しておこう? 君が必要になって取りに戻ったとき、また君の前に戻ってくるはずだから」
 滅茶苦茶な風が吹いた。総一郎には、風の流れが感じられなかったが、山盛りになった灰は四散してその場に消えて行った。目をつむる。開けると、喧騒の中にいた。
「イッちゃんイッちゃん! あのクレープ美味しそうじゃない!?」
「おっ、いいね。おし、ここは俺がおごってあげよう」
 正午を過ぎたおやつの時間。二人は少し遠出して、アーカムとは離れた遊園地はしゃいでいた。ずいぶんと張り切ってしまったものだ、と自嘲する。朝早くに起きてアトラクションに乗りまくり、こんなにも楽しんでしまった。
 二人そろって若者らしいオシャレをし(仙文はヴィーに騙されたらしくショートパンツを基調としたボーイッシュな女の子といった格好だった)、カラフルな甘いパンケーキを昼食に、ジェットコースターや観覧車、はたまた総一郎が前世の知識で言い表せないようなアトラクションまで目白押しだった。ここまで純粋に楽しい一日は久しぶりで、その所為か財布の紐も緩もうというもの。
 けれど仙文は律儀な性格らしく、嬉しそうに微笑みながらも、手を振って嫌々をしている。
「そんなー、悪いヨー」
「いいっていいって。何だかおごりたい気分なんだよ」
 こんなにも晴れやかな気分なのは、ある意味では白羽との和解と同じくらいだ。これはおかしい。まさか白羽と同等以上に仙文は総一郎にとって大切な人だとでもいうのか。
 そんな風に謎の葛藤に首を傾げていると、心底嬉しそうに、しかしやはり仙文はこういった。
「ダメダメー、奢るのも奢られるのも悪いヨ~。それはどうやっても、やっぱり業になっちゃうからネ」

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