武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

6話 決別Ⅲ

 夜が来た。仮面をかぶった。
 ARFからブラック・ウィングを奪還した以上、ウッドの行動は初期のそれに戻るだけだった。つまり、ARF幹部の拉致だ。
 現状残るのは、ブラック・ウィングを取り戻す際に下した二人。ファイアーピッグに、アイ。そしてまだ見ぬ敵、ヴァンパイア・シスターズだ。
 そう考えると、あれだけの騒動を起こしながらまだ二人しか確保出来ていない今に、眩暈がするような思いだった。が、今までの行動すべてが無駄だったとは思わない。
「ピッグも、アイも、恐らくシスターズでさえ、今の俺の敵ではないのだしな」
 遭遇すれば苦労することなく捕獲できるだろう。残りを相手取るのは大した手間ではないと、ウッドは考えていた。
 故に、ウッドは暗がりに沈むスラムを歩く。今でさえ情報に疎いのか、あるいは過剰な自信に憑りつかれているのか、スラムには一定の数ウッドに絡んでくるギャングがいる。
「うわぁあああああああ! ウッドだ! お前ら逃げろ! 勝てる相手じゃねぇ!」
 と、思っていたのだが。
「……ふむ」
 出会い頭にそう叫ばれて逃げていく彼らを見ると、いかにウッドといえ追いかけて殺そうという考えにはならなかった。そもそもギャングというのは総じて伊達男で、メンツそのもので糊口を凌いでいるような連中だ。それがこうも条件反射的に逃げていくのを追いかけて殺すのは、もはや鬼や悪魔の所業だろう。
「俺は修羅で、鬼や悪魔ではないのでな」
 修羅とは常在戦場たるもので、敵をこそ殺す生物だ。弱者を追いかけて糧とする餓鬼とは違う。
 違うが、これでは困ってしまうのも確かだった。
「マズいな。こうなるとは予想していなかった。これではARFの情報収集もままならないな」
 名前が売れすぎるというのも考え物だと、しばらくスラム中を練り歩くも数時間。ギャングの類はウッドの顔を見るだけで逃げ出してしまうし、やっと絡んできたと思えば狂っているか、亜人含めての意味で人間でないかのどちらかでは意味がない。
「燃えろ」
 話しかけてきた人面ネズミが突然かみついてきたので、特に情報を抱えていないことだけ確認して、塵も残さず燃やし尽くす。それから、珍しくため息など。
「気は進まないが、捕らえて聞き出せるだけ聞き出すか?」
 そうと決めれば話は早い。早速ターゲットとなる哀れなギャングを探し出そうとしたときに、高所から声をかけてくる相手がいた。
「やぁ、お困りのようだなウッド」
「……お前は、何かありそうだな」
 テンガロンハットを被った、青年……よりかは老練さを身にまとったギャングだろうか。会ったことはないが、普通のそれよりかは出来そうに見える。
「ああ、何かある。というほどではないのだがな。少なくともお前に有益な自信があるぞ。ともかく、ひとまず名乗らせてもらおうか」
 もったいぶった話を切り上げ、テンガロンハットの男は飛び降りた。数メートルの高さから、魔法も使っていないようだったが、足を痛めた様子もなく着地する。
「亜人のようには見えないが、お前は名のある怪人なのか?」
「いいや、そんなことはないね。だが耳ざといお前なら名前くらいは聞いたことがあるだろう?」
 テンガロンハットを上げ、奴は言った。
「俺の名はロビン、血濡れのロビンだ。ブラッダーズの用心棒と言えば、話は早いか?」
 知らなかった。
「……なるほど、あの」
「お、知ってりゃ話は早い……が、その前に俺も確認しておきたいことがあってね」
「ん?」
 ひとまず話を合わせていると、何とかロビンはナイフで大きく手首を掻っ捌いた。おお、と見ているとその血が蠢いて、ロビンの手を巨大な爪として包み込む。
「俺はウッドに害する気はない……が、下に付くんだ。上司の強さくらい確認しておきたいよな」
 そこまで言って、ロビンは襲い掛かってきた。ウッドはそれを眺めながら、凡庸だなと感想を。ウルフマンよりも遅いし、威力もないだろう。カバラを使うまでもない。
 素手で受け止め、顎を拳で打ち抜いた。ロビンの黒目がグルンとひっくり返り、力が抜け――
 しかし、血は意思を持っているかのように蠢きを止めなかった。爪は大きく集まって、サソリめいた巨大な針と化し迫る。
「……二段構えなのは、評価しよう」
 指先に電気を纏わせ、爪弾くように電子分解。血の爪はいとも容易く空気に霧散していった。残るは、頭をくらくらと揺らせるロビンのみ。
「お前の異能は見栄えの意味では中々だし、予想の外から攻撃できるという点でも実用性に富んでいるが、俺に傷を負わせるほどのそれではないな」
 軽く頬を叩くと、テンガロンハットのロビンは目をぱちくりとさせる。それからウッドを見て呻き、恥ずかし気に頭を掻いた。
「う、上には上がいるってのはこういう事か……。日本人ってのは聞いてたが、ここまでの熟練は元軍隊連中でも少ないぜおい」
「まるで戦ったことのありそうな言い草だな」
「JVAの上層部には、多少の過激派もいるんだ。俺はそいつらの元目標“物”ってとこだな」
「へぇ……」
 どこにでもそういった輩はいるものか、と心中で納得して、それから疑問点を解消しにかかった。
「それで、俺が上司だのというのはどういう了見だ? あとはそうだな、有益だと言い張るなら、ファイアーピッグ、アイ、ヴァンパイア・シスターズの四人の情報を吐いてもらおうか」
「ん? ……あの話は、ウッドが始めたものじゃないのか?」
「あの話?」
「いや、そうか。知らないのか。分かった、ならいい。こちらで確認す――」
 襟首をつかむ。壁に強く押し付け、ロビンを絶息させる。
「おい、勘違いを起こすなよ。お前は今俺に生殺与奪権を握られているんだ。情報の出し惜しみなど許すと思うか」
「ぐ、ぅ、なるほどこれがウッドか……! はは、ははは! いいねぇ、やられたがこんな甘ちゃんの下に付くなんて御免と思ってたところだったんだ! いいぜ、そういうなら全部話してやるよ。っても、大した話じゃないがな」
 呼吸は苦しげ、しかし先ほどよりもよほど元気に、血濡れのロビンは話し出す。
「ウッドが部下を招集してるって話があったんだ。だが俺にとっちゃ本人探し出して直に頼み込むのが一番だってのが持論でね。仲介業者に差っ引かれて痛い目に合うのは馬鹿馬鹿しいだろ?」
「部下を集めている、とは聞いたこともない。腕っぷしに自信のある輩を集めていると?」
「そうだな、ああ、特に銃器に留まらない戦闘能力を持った奴を集めてるって話だった。だが、お前が知らないなら中々きな臭い話になってくるよな。ああ、楽しみだぜ。また血の匂いがしてきた……!」
 ケタケタと笑うロビンを見て、こいつはここで殺しておこうとウッドは決めた。それから、カバラでよりロビン好みの態度をとりつつ、ウッドは聞きたいことを聞き出しにかかる。
「それで、残る四人のARFの詳細は知っているのか? 知らないなら、ここで用済みだが」
「いや、把握してるさ。俺は耳がよくてね。目立つ奴らの話は大体把握してる。一般にカードをばらまいてねぇ知名度の劣るアイについても、こっちの業界じゃあ聞こえてくるってもんだ」
 誰から聞きたい? とテンガロンハットの下に歪んだ笑みが浮かんだ。ウッドは順番に、「ピッグから話していけ」と命ずる。
「ピッグ、ああ、ファイアーピッグだな? あいつの部隊を見たって噂があちこちである。が、随分と様子がおかしいな」
「様子がおかしい、か」
「ああ。こぞって何かを探してやがるのさ。それこそ病的なまでの執着だって話だぜ。何でも、『見つければ人間に敵うようになる』んだと」
「人間に敵う、ね」
 たいていのJVAに比べても、ファイアーピッグは強者だろうに。ウッドはそう思うが、口にはしない。
「場所は?」
「さぁね。俺は知らねぇよ。いや、出し惜しみってんじゃない。お前なら嘘かどうかもわかるんだろ? どうぞ確かめてみてくれ」
「……いや、いい。実際に知らないなら、それはどうしようもないことだ」
 カバラで見る限り、今のロビンに嘘を吐くつもりがさらさら無いのは分かっていた。
「あ、先に言っておくがよ。ARFの連中の近況は知ってるが、何処を根城にしてるとか、具体的な場所は知らない。それでもいいよな?」
「無駄足になることも多いこの頃だ。少しでも情報があれば、そこから分かることもある」
「なら、忌憚なく言わせてもらうぜ。で、次はアイか。アイは……事実かどうかも分からない情報だが、気味の悪い噂を聞いたことがある」
「気味の悪い、か」
「そうとも。何でも、首のない毛むくじゃらの化け物を愛でてるんだと。見た奴はそれからしばらくしない内に姿を見なくなったらしいが。それに、墓場に入っていく姿を見た奴もいるとかでよ。追いかけて見てみれば、ゾンビたちを従えてたらしいぜ? どうやらあの日本の亜人は、いつの間にかアーカムのネクロマンサーに転職してたってわけだ」
 クククッ、とロビンは喉を鳴らして続ける。
「これはどっちかというと怪談みたいなものだがな。それでも、アーカムに溢れてる怪談話に、今を時めくARFのメンバーが関連付けられるのは異様だと俺は思ったね。これは土産話として仕入れたとき、絶対にウッドに話そうと思ってたんだ」
「首無し、か」
「ああ、お前に縁深い首無しだ」
 ロビンは心底楽しそうにしゃべり続けた。
「アーカムは魔女の街だ。お前が暴れまわる前から、日本人が移ってくる前から、モンスターズフィーストが出来る前から、ずっとずっと亜人よりももっと“深い”化け物どもが蠢いてやがる。分かるか? ARFっては新しいものなんだよ。それが古臭くて、どいつもこいつも使いようがないって吐き捨てて、関わるのも嫌だと誰もが叫んだ『奴ら』とつながり始めたんだ。何かが始まるって、そう思わねぇか?」
「ふむ……」
 ウッドは吟味する。首無しの毛むくじゃら。どう考えてもウルフマンの胴体だろう。だが、この口ぶりは妙だ。カバラで確認しても“その胴体が動いている”ことを言外に含んでいる。
「各地で、意図しない何かが起こっているのは分かった。奴らを発見し次第、処理せねばな。それで、最後のヴァンパイア・シスターズだが」
「ああ、あいつらは別段変わった話は聞かないな。だが出現地域がちょいと変わってきていて――」
「駄目だよ」「それは秘密~!」
 突如として現れた影に、ロビンはおろかウッドさえ動けなかった。木面の怪人はすぐさまカバラで原因を解明すると、影が見慣れない魔法によって“縛られている”のを知る。
「なるほど、これは吸血鬼の種族魔、法か」
 喋りにくい、とウッドは厭わしく思うだけだったが、ロビンは違ったらしい。拘束された相手が誰かをすぐに悟ったのか、顔を真っ青にして、蚊のように喚き散らし始めた。
「ぐぁ、やめ、やめろぉ! 俺は、俺は人間だ! 化け物どもとうまく付き合って、あいつらの秘術を使う人間の魔術師なんだよ! だからやめ、止めてく、れぇ! 吸血鬼になんか、なりたくな……!」
 月明りを煌びやかに照り返す二つの小さな金髪。幼い少女の吸血鬼――ヴァンパイア・シスターズ。
 彼女らは同時に男二人の背後をとって、その首筋に食らいついていた。僅かに言葉を区切るばかりのウッドに対し、ロビンの反応はあまりに顕著だ。
「あはは!」「この人すごい抵抗するね~」「でもウッドはそんなだね」「ウッドは嫌がらないの?」
「吸血鬼に血を吸われれば、吸血鬼になるというのは知っているが、そもそも俺の中に血が巡っているのかは甚だ疑問が残る話だ」
「そうなの?」「お姉さま吸えてる?」「実はあんまり吸えてない~」「えー! こっちの男の人はおいしいけど吸う?」「吸うー!」
 ウッドから離れて、シスターズの姉と思しき方がロビンに寄っていく。テンガロンハットが叫び声に揺れているが、シスターズは構うことなく喜色を滲ませて食事に勤しんでいた。
「……吸血鬼の種族魔法はなかなか複雑だな。あと三十秒はかかりそうだ」
 電脳魔術とカバラの掛け合わせで演算を走らせているが、ウッドも少々手間取り気味だ。これだから種族魔法は厄介なのだ、と木面に歪みが走る。羽に触れた相手の全身を羽に変えたり、影を縫い合わせたりと、普通の魔法とは別次元の効果を発揮する。
「ぷはー」「美味しかったー!」「ねー!」「すごい滑らかだったー!」「ねー!」
「おい、血を武器にしているだけあってだいぶ好評じゃないか」
 声をかけると、ロビンの肌に野太い血管がいくつも浮き出していた。苦し気に唸る様には理性が窺えず、そうと思えば少しずつ筋肉量が肥大化していくのを目の当たりにした。
「吸血鬼にもね」「色々あるんだよ~」「一番強くてすごいのは真祖っていって」「生まれながらの吸血鬼なんだけど」
「どうせお前たちがそうなのだろう? ヴァンパイア・シスターズ」
「えへ」「えへ」
 幼気な双子の笑みは、何処までも無邪気で残酷だ。だからウッドも、酷薄な笑みを木面に描くのだ。
「ならば多少は骨があると見てやろう。ウルフマンよりは楽しませろ」
 カバラで解き明かした吸血鬼の種族魔法は、光魔法でウッドの影を物理的に照らせば効力を失った。ウッドは拳を固め、球体にして宙に放る。
「その攻撃は」「さんざん」「見させられた」「もん!」
 宙でハリセンボンのように周囲に針を伸ばすも、ヴァンプたちは同時に体を大量の蝙蝠に変化させた。蝙蝠たちは上手く針の隙間を縫って飛び、騒々しい羽音を響かせながら夜の空へと遠ざかっていく。
「ハハ、逃がすと思う――」
「逃げないよ!」「でも、残念~」「血を吸えればウッドも」「眷属だったのにー」「出来たのは」「毒を流すだけなんだもん」
 飛び去る蝙蝠は幻影か、そう気づいたときには両肩に二人が食らいついている。また吸われるのかと思ったが、違った。今度は、何かを流し込まれている。
「毒、か。だが、毒が効くような柔な体では……!?」
「えへ」「ただの毒と思った?」「残念しょ~」「これも私たちの種族魔法だよー!」
 視界にノイズが走る。赤いひび、あるいは揺らぎ。ぐらと体が崩れる。全身が熱い。
「眷属には出来ないけど」「ウッドを吸血鬼にするだけならできるもんね!」「それに訓練しないと種族魔法は使えないし~」「ウッドの弱点が増えるだけ!」
「は、はは、ふざけるなよ。俺がこの程度で――」
「この程度」「じゃないんだよウッド」「だってウッドは」「種族ごと」「体そのものを変えちゃうんだから」
 倒れこむ。どうにもならないという感覚は久しぶりだった。
「でもちょっと考えちゃうねお姉さま」「そうだねシェリル」「毒だけ流したってことは」「ウッドも明日から実質真祖ってことだもんね」
 何だ、真祖というのも存外軽いものじゃないか。と軽口をたたいたつもりだったが、ヴァンプたちには聞こえなかったようだった。あるいは、言葉にできてすらなかったのかもしれない。それさえ分からなかった。










 そしてウッドは目を覚ました。黎明。目が差し始める、寸前の時間帯。
「……不覚を取った。油断していたな。未知の相手に対する態度ではなかった。が」
 全身を確認する。不調はない。本当に自分は吸血鬼になったのか。現実感はないが、迂闊に日の光に身を晒すのは危険か?
「ぅぐぁ、ぐぅ、ぅるるるるる……」
 妙な呼吸音に視線をやると、全身を真っ赤に染め、出会った頃とは比べ物にならないほどの巨大化を果たしたロビンが居た。これならば吸血鬼というより、オークなど筋肉質の化け物に例える方が適切かもしれない。
「理性も失っているようだし、下手に起こして襲われでもしたら面倒極まりないな。いや、あるいはぴったりの人材だ」
 重力、風魔法で触れずに宙に浮かせる。それを高く掲げ、日の出を待った。
「さぁ、どうなる。全身にやけどを負うのか、炎上するのか」
 そして、日が昇った。遠く届く眩い光が、スラムの奥まったそこにも差し込み、血濡れのロビンを照らし出す。
 故にウッドは、刮目した。吸血鬼になるという事の、本当の意味を知って。
 一瞬の出来事だった。ロビンは悶えも苦しみもしなかった。ただ光の中に刹那の炭化現象を起こし、瞬きの終わりほどの時間で炭さえ燃え尽きて灰になった。
 それすら、適切ではない。灰はさらに砕け塵となり、塵さえも砕けて風化したのだから。
「……」
 ウッドは静かに、日の光に指先を差し出した。すると、指先は痛みを発することなくただ感覚を失った。陰に戻せば、その僅かな動きで砕けて地に落ちていく。
「吸血鬼とは、これほどの呪いを背負ってなお脅威とされるのか」
 この様子では、恐らく他の弱点も極めて高い効果を持つに違いない。そう考えてウッドは頭を振った。
「検証せねばならないな。せっかくこの身を自分たちと同様にしてくれたのだ。奴らの正体を暴いて、楽しくやらせてもらおうではないか」
 木面は笑いだす。それからバレない様に仮面を外して、適当に魔法で全身を覆うマントを用意して、ウッドは日の光から身を隠すように帰路に就く。

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