武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

5話 三匹の猟犬Ⅹ

 ロバートと少女――ライカが互いを異性として意識し始めたのは、出会ってすぐの事だった。
 しかし当時、彼らはまだまだ初心な少年少女に過ぎない。二人とも緊張のあまりに何も話せないというぎくしゃくした時間を経て、誰かに助けを求めなければとロバートは感じた。
『なら、アタシに任せろ!』
 そこで手を挙げたのは姉であるアーリだった。誰に対しても物怖じしない彼女は、紹介して間もなくライカと打ち解け、ロバート以上に仲良しになってしまった。それに嫉妬するロバートだったが、結果的にはライカといつも以上に楽しく過ごせたから無罪放免とした。
 でも、とロバートは釘を打つのを忘れない。幼くもいじらしい恋心から、姉にライカは自分のガールフレンドなのだ、とちょっと拗ねた風に言わざるを得ないのだ。
『分かってる分かってる。いいムードになったらそっと身を潜めろってことだろ? そのくらいの気遣いアタシにも出来るっての』
 アーリはからからと笑っていた。分かっているのかいないのか、判断しかねる態度にロバートはため息をついた。
 それから長い間、三人でつるんでいた。それぞれもちろん別の友人たちがいたが、本当の親友として付き合うのはその三人だった。
 何の妨害もなければ、きっといつまでもその友情は、その愛は続いたのだろう。ジュニアハイスクールに入ってしばらくしたあの日に、リッジウェイ警部によってライカが射殺されなければ。








 ハウンドは三日間かけて、ウッドの情報を洗いなおしていた。先日テレビ中継の前で外させた仮面。全世界に晒された怪人の素顔。そこから派生する様々な情報群。ありとあらゆる、ウッドの情報を。
「……」
 画面をじっと見つめるハウンドの顔が、パソコンの反射光にぼんやりと光っている。いつものように一人、コンクリート詰めの幹部室での作業だ。一度消した電気を、付け直すのも忘れるほどに没頭していた。先日橋の上で起こしたウッドとの戦闘の映像を、電磁ヴィジョンの大画面で再生するときに暗くしたのだ。
 SNSでは、ウッドの正体とされる総一郎の話題で持ちきりだった。
 ミスカトニック大学付属の生徒曰く『あんなことをする奴だとは思わなかった』『落とし物を届けてもらった時の笑顔とテレビ中継のそれが結びつかない。今でも信じられない』『あのシラハの弟なんだ。デカいことをしでかすには何らかの意味があるんじゃないか?』
 世間の人々曰く『あんな子供があんな悲惨な事件を起こすなんて、世も末だ』『聞けば彼はジャパニーズだというじゃないか。やはりジャパニーズはいい加減本土に戻ったらどうだ?』『そもそもあのニューイヤー事件で使われた魔法は一体何なんだ? 未知の技術じゃないか。捕獲して研究できないものか。きっと技術に進歩に繋がるぞ』
 ここまでは、何の役にも立たない便所の落書きのようなものだ。だが、こういう風に積み上がって出来上がるビックデータは統計学を交えれば『民衆』という生き物の行動原理を読み解くことが出来る。
 ――それに、重要なキーワードが一つも見つからなかったわけではないのだ。
『彼はソウイチロウ・ブシガイト。ARFの頭目と目されるシラハ・ブシガイトの弟であり、二十五年前にアーカム警察所に配属されていた特務部隊員ユウ・ブシガイトの息子だ』
「……」
 ハウンドが自作で作り上げた自動検索は、アーカム中のあらゆるネットワークシステムをハッキングし、その上でキーワードを抑えた資料のみをかき集めて来る。
 そうしてハウンドの目に届けられたこの一文は、警察署のファイアウォールをすり抜けて見つけた電子メールに記されていた情報だった。もちろん、ARFに白羽がいる以上直接聞けばこの程度の情報は得られる。だが、それ以上に興味深いのは、このメールの続きの文面なのだ。
『どうやらソウイチロウ少年はユウ・ブシガイトが宿していた特殊な魔法遺伝形質を受け継いでいるらしい。私は少年が起こしてきて事件をその遺伝形質の暴走と見て動くつもりだ。かつてのユウ・ブシガイトはあの形質を完全に我がものとして任務に臨んでいた。その前提で言えば、今我々に打てる手は非常に少ない。迂闊に近づけば我々は大打撃を負いかねない』
 『特殊な遺伝形質』という単語に、ハウンドは強く心を惹かれた。これがウッド攻略の鍵となる。それは確信に近いものだった。
 しかし警察署のメールのやり取りをしばらく監視していたが、その特殊な遺伝形質について詳しい資料は出回っていなかった。精々が、その形質の持ち主であったウッドの父が、如何に強かったかを語るもの程度だ。
 とはいえ、それが役に立たないわけではない。他にも自動検索でパソコンを走らせながら、ハウンドは過去の記録を暇つぶしがてら読み進める。
『ああ。今思い出しても恐ろしいほどだった。まだモンスターズフィーストも出来ていない頃の話だな。あの頃はシルバーバレット社も来日していなくて、数の多い人間がようやっと強力な亜人と渡り合っているような時代だったよ。まぁ亜人の大半は大昔にジャパンに押し付けたからな。その包囲網を潜り抜けられる程度には優れた奴らだったんだろう。
 亜人犯罪も多くてな。マフィアの用心棒や快楽殺人なんてものを、亜人たちは平気でやらかす時代だった。しかもここアーカムは、アメリカ合衆国全土でも有数の犯罪多発地域でな。今五体満足で居られる幸運を神に感謝するほかないというものだ。
 話が逸れるところだった。そうそう、ユウ・ブシガイトの話だったな。亜人が社会に溶け込んで人間扱いされてる国なんて、と前評判はさんざんだったものだから、奴が来たとき度肝を抜かされたのを覚えているよ。どうせまずは語り合おう、彼らも人間なんだから――なんて甘っちょろい事を言うんだろうな、とな。
 だが蓋を開けてみれば真逆だった。ジャパニーズだから、どうせ人当たりの良い奴だろうというのが我々の想像だったんだが、初めて会った時のユウはひどく不愛想でな。一言名を名乗ってその後はろくに挨拶もしなかった。これで仕事ぶりが悪かったら、裏でリンチに遭うだろうというほどに反感を買っていた。だが、それは杞憂だった。
 令状をもって容疑者のところに赴いたら、ユウはいの一番に家の最奥に乗り込んで容疑者を殺したよ。俺たちがしどろもどろになって裁判だのなんだのと言ったら、奴は――魔法で亜人の心を読んで、死刑に値するだけの罪を犯したと判断して略式の処刑を執行した――とかなんとか言ってたのを覚えているよ。俺たちはポカンとしたね。ユウはアメリカから日本形式のやり方でいいと許可をもらっていたらしかったが、それでいえばジャパンという国はなんと恐ろしい場所かと思ったものさ。
 それからユウは勤務期間の五年間で、百人以上の犯罪亜人を殺していった。もしかしたら二百にも届くのではとすら思う。当時有名だった吸血の古老っていう夜な夜な若い女を狙って吸血殺人を繰り返すヴァンパイアや、機械を狂わせるグレムリンの強盗団もあいつに掛かれば子供みたいなものだった。アーカム警察がいかに甘かったのかが分かったな。ユウは奴らを、有無を言わせず切り裂いていった。そう、切り裂いたんだ。ユウの得物は銃じゃなかった。カタナ、それも木製のそれだった。私は申し訳程度に手伝ったものだが、いまだにあれは夢なんじゃないかと疑っているよ。
 それから五年かけて、ユウは素質のあるやつらにちょっとした技術を教えた。ありがたいことに、その中には私も入っていてな。そのお蔭で私は今も第一線でやれているのさ。ああ、他の素質のあるやつらは全員若隠居しちまって今はどいつもこいつも大富豪なんだがね。全く、折角教わったカバラをそんな事に使うなんて馬鹿馬鹿しい話だ。そうならないだろう見どころのある奴を見つけて教えてやりたいもんだがね、見どころのある奴はたいてい亜人殺しなんかには執着しないから教えるだけ損なのだよ。どうせあいつらも、カバラを知るなり警察を止めて事業を始めるに違いないんだからな』
 ハウンドは気付くことがあって差出人の名前を見る。アダムズ・リッジウェイ。舌打ちをしてウィンドウを閉じると、ちょうど自動検索が終わっていくつかの目録が作成されていた。
 それらを見ていく。やはり、ソウイチロウで調べてもロクな結果は出てこない。ハウンドは次に移る。ユウ・ブシガイト。彼に着目して過去何十年もさかのぼると、来米した期間の情報がいくつも挙がった。所詮は大昔のセキュリティだ。ハウンドが余裕で通過できる今のファイアウォールと比べても、脆弱性が多すぎる。
「……」
 とはいえ、内容は有用だ。読み進めるごとに、ハウンドは確信を深めていく。
 資料に記されていたのは、ユウ・ブシガイトの通院歴だった。しかし、警察側の当時の記録をさかのぼるも見つかるのはただその凄まじい仕事ぶりである。つまりウッドの父は、病に罹っていたわけではない。
 その上で通院する理由があるとすれば、ただ一つ。彼が宿していたという――そしてウッドが引き継いでいるという特殊な形質遺伝について研究するためだろう。
 ハウンドはミスカトニック大学付属病院の記録をあさる。ミスカトニック大学のファイアウォールはアーカムでは一番厳重だが、それでもハウンドにとっては低い壁だ。自動検索の時点で破れる程度のものである。
 そうして集められた調査書を浚っていると、このような題名のファイルを見つけた。
『特殊遺伝形質・シュラについての研究結果 研究責任者/サラ・ワグナー 被験者/ユウ・ブシガイト』
 これだ、とハウンドは一も二もなくデータを開いた。膨大なデータ量だったが、全てがウッドを通じて心当たりのある、しかもハウンドが思いつきもしないような解釈によって説明されたその資料は、時間を理由に読み飛ばすには興味深すぎた。
 読み始めて三時間たったところで、読了するだけでも一日作業になるとハウンドは気付いて顔を上げた。今のうちに休憩をとって、このまま突貫で読み終えてしまおうと考えたのだ。そこで、ハウンドのEVフォンが震えだした。
 どうやら、電話らしい。
「……」
 ARF以外の誰かがハウンドのEVフォンの番号を知っているはずもない。数少ない例外がいないわけでもないが、その例外もARFの構成員全員も、ハウンドが喉に障害を負って音声による会話ができないと知らない者はいなかった。
 また作業を円滑に進めるためしばしば合成音声に声を出させるときもあるものの、EVフォンに直接電話がかかってきた時には、他の電子機器がない限り合成音声機能は使えない。
 故に、この着信はひどく不可解なものとしてハウンドの目に映った。
「――」
 取るべきか、取らざるべきか。今ハウンドはウッドに掛かり切りで、他の事にかかずらっている暇はない。だが、奴との戦いで不確定要素を残すのも嫌だった。
 しばし考えたのち、ハウンドは応答のボタンを押す。
『ああ、やっと繋がりました。ええと……、アーカム在住の、何ですか、ひとまず“ハウンド”さんと呼称させていただきますが、それはあなたで間違いないでしょうか?』
「……!」
 ハウンドは狼狽した。このような言葉を電話越しに投げかけてくる相手など、ただの一人も心当りがない。どの筋にも漏れていないのがハウンドの番号なのだ。だが、相手は当たり前のように話しかけて来る。
『沈黙、という事は肯定という事でよろしいでしょうか。ええ、私たちはハウンドさんが言葉を口にできない事情を把握しております。ですのでこちらの問いかけに返答していただく必要はございません』
 少女の声だ、とハウンドは睨む。言葉の節々から読み取るに、彼女はイギリス人だろう。育ちの良さそうな言葉遣い。しかし少々、すぎるほどに丁寧な雰囲気を感じ取り、ハウンドは疑念を高めていく。
『単刀直入に申し上げます。私が今回お電話を差し上げたのは、他でもありません。救世主様――あなたが現在敵対状態にある怪人ウッドに、これ以上の危害を加えることを止めていただきたいのです』
「……」
 ハウンドは手元のパソコンから合成音声のアプリを立ち上げ、パソコンに喋らせる。
『お前は、何者だ』
『おや、質問いただけるとはありがとうございます。我々はウッドをかねてより救世主と崇拝させていただいております「薔薇十字団」と申す組織です。……あなたもカバリストの端くれでしょう? そのくらいは聞いてピンと来てほしいものですが』
 知らない。ハウンドは思う。ハウンドがカバラを知ったのはとある縁からだ。ハウンドにカバラを教えるなり風のように去っていった彼は、薔薇だの十字だのと言った言葉を発しなかった。
 だが、似たような単語に記憶があった。イギリスの、カバリストの総本山とでもいうべき組織の名前に。
『黄金の夜明けとは、違うのか』
『薔薇十字団の前身だったでしょうか。その前だったかもしれませんが、ひとまず通じているようですね』
『つまり、自分のようなハグレとは違うという事か。しかし正統なカバリストが、いったい何故ウッドを神聖視する』
『神聖視、と言うと語弊が残ります。彼は我々カバリストにとっての最後の希望。もっと言うなら、彼が死ねばカバリストは――あなたも、あなたが知る他のカバリスト全員も含めて滅びゆく定めにあります』
『一体、何の話をしている?』
『あなたの行いは我々にとって都合が悪い。ウッドを殺そうと考えるならば排除します。そのように、警告しているのですよ』
「……」
 マズイ、とハウンドは唾をのむ。名前も顔も分からないカバリストを敵に回して平気な顔が出来るのは、顔を衆目に晒す前のウッド程度のものだ。
『殺害一辺倒には考えていない。こちらも出来ることなら生け捕りが望ましい』
『生け捕り……とは愉快な言い方をしますね。とはいえ私の今回の仕事はこれだけですので、この先ハウンドさんは好きなようにすると良いでしょう。ただ、我々の警告を忘れた時、後悔するのはあなただと理解していただければ幸いです』
 では、と言って電話は切れた。ハウンドはEVフォンを耳元で構えたまま動けなくなる。
 不特定多数のカバリストを敵に回しても構わない事情が、ハウンドにはない。となれば、あらゆる可能性を探らねばならないだろう。ウッドを生きながら無力化するという、無理難題を成り立たせるために。

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