武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

5話 三匹の猟犬Ⅷ

 現場は、大荒れだった。
 ミスカトニック川を横断する橋の両端を、特別招集された警察官たちが封鎖していた。本来なら、昨日の今日でこんな厳戒体勢は敷かれない。だが、他でもないリッジウェイ警部の指示だった。
 彼ほど多くの功績を上げる警部は居ない。本来なら、もっと前に昇進して現場から居なくなっているはずの人間なのだ。そんな彼が、彼の持ちうる権力やコネをほとんど使って準備した。結果、すわ戦争かと言った風情になっている。
「……まさか、ヘリまで持ち出してくるとはなぁ」
「それだけじゃないだろ。大量の車はもちろん、船だって揃えられてる。知ってるか? 今回駆り出された銃の丁数。五百に届きかねないってよ。たった一人の怪人の為に」
 新米警官二人が、喧噪から外れてぼやいていた。他の人員は上司に配置場所の指示を受け、てんやわんやに移動中といったところ。
「この三時間後が予告襲来時刻だっけ? 流石にここまでする必要はない……といいけどな」
「さぁなぁ。『ハッピーニューイヤー』の時だって、被害者の頭を回収しようとしたとき結局出来なかったろ? まぁあの時はリッジウェイ警部が乗り気じゃなかったから、戦力不足だったって先輩が言ってたけど」
「でも今回だって、あの人やる気なさそうだったぞ? 実際現場には来てないらしいしさ」
「でもここまで準備させてるんだから良く分かんないよなぁ……」
 新米二人は、首を竦めて不可解さをアピール。そこに、合流する人物がある。
「やぁ、二人とも。どんな具合だ?」
「ああ、ウッド。まぁ見ての通りだな。お前の為にこんだけの事になってるよ」
「ハウンドも来てないみたいだ」
「そうか、報告御苦労。ではそれぞれ配置場所に戻っていいぞ」
「そうか? じゃあな」
「あーあ、仕事再開かー。めんどくせー」
 緩い言葉を最後に、新米警官二人は去って行った。ウッドは彼らを見送る。精神魔法でウッドに仲間意識を抱かせたのだ。そうして手駒にしたのが、橋のウッドが居る片方に配置された警官全員。ハウンドが警官を利用するなら、自分もと便乗していた。
 警官たちが配置位置に騒がしいのも、それが理由だった。ウッドが急遽配置を変えたのだ。ハウンドに、対抗しやすいように。
「やられるばかりでは性に合わないからな。出来る範囲で楽しくやらせてもらうさ」
 ククッと笑って、さて次はと視線をやる。川の、向こう岸。制圧していない橋の反対。
「来る前に、あちらも俺の手駒としておこうか」
 現場指揮官に軽く挨拶を交わしながら、ウッドは徒歩で橋を渡っていく。寒い冬の風が吹き、今日は凍っていない川の水面が細波に揺れた。今日も曇天。雪が降るという予報だった。
 ハウンドは時間通りに来るのだろうか。あるいは一時間前くらいに来て、策を巡らせるつもりなのだろうか。もしくは宮本武蔵と佐々木小次郎よろしく、遅らせてこちらの動揺を誘うつもりか。
 少なくとも、最後の選択肢は取らないだろう。今更ウッドが時間程度の些事に狼狽えるなどと考えるなら、拍子抜けと言うものだ。
「十中八九、時間前に来て、準備をしておこうという腹積もりだろう」
 とすれば、良い笑い物と言うものだ。準備をしに早く来たら既にその場は敵の手中、という状況にハウンドは置かれるのである。奴の鉄面皮が剥がれたのとを想像して、ウッドはくつくつと笑いながら歩く。
「――だが、そうも簡単には行かせてくれないのが、ハウンドの厄介さなのだろうな」
 前から駆動音を轟かせ、爆走してくるバイク。それはまっすぐにウッド目掛けて近づいてくる。
 ハウンド。地を駆ける獣。嗅ぎ付けてきたというよりは、ウッドが無防備に橋を渡りだすのを待ち構えていたという雰囲気だ。狡猾な敵である。
 ウッドは指を鳴らし、あらかじめ準備していた魔法式を周囲に広げた。脳裏に呪文を思い浮かべる手間を省いたそれは、一秒に満たない時間で何十という数の多様な魔法を発動する。カバラで発明した独自の技術だ。
 狙いを定める。ハウンドもまた、片手に銃を構えている。何となく、ウッドは可笑しな気持ちになった。肩を竦めて、笑いかける。
「しかしハウンド。お互い、せっかちなモノだな」
 ウッドの魔法が一斉にハウンドに襲い掛かった。一撃で大砲にも匹敵する魔法の数々が、まるで夕立のようにハウンドを追いかける。射出される複数の属性魔法を潰すのは、カバリストですら難しいだろう。
 だが、ハウンドは対応した。まずバイクで魔法の雨の間を縫うように駆け抜け、どうしても避け切れない何発かに小さなマシンガン振るい、発射された弾丸が魔法を打ち砕いていく。
「流石だ。ハウンドがそのくらいはしてくるだろうと、読んでおいて良かった」
 ウッドは右手にひどくリーチの低い魔法を発動していた。雷魔法によって、対象の原子結合を完全に破壊する魔法。原子分解。総一郎が幼いころから使い慣らしてきた、文字通り必殺の一撃だ。
 狙いは、バイクだった。まず、ハウンドの足を潰す。そうすれば奴は人間の鈍足だけが移動手段となる。足の遅い猟犬など使い物にはなるまい。
 魔法を無力化し終えたハウンドは、まっすぐにウッドに突っ込んできた。距離はもう五メートルもない。電気のはじける音がウッドの右手で響いている。
 踏み込んだ。
 お互いが一瞬で詰められる間合い。ウッドは腕を振るう。バイクに当たる。
 そのはずだった。
 至近距離からの爆発がウッドに襲い掛かった。辛うじて原子分解の魔法がウッドの腹部を守ったが、足や頭部は熱に焦げて溶け消えた。一方ハウンドは高く跳躍し、NCRと言う名の黒鉄のスライムを使って安全に着地する。
 バイクには、爆発物が積んであった。ハウンドは、最初からバイク単体のスーサイドアタックを予定していたのだ。
 NCRに守られながら何度か地面を回転し、ハウンドは立ち上がる。次いで指輪の指紋認識をスライドし、EVフォンを立ち上げ予備のバイクを呼び寄せる。今日日、自動操縦の出来ない車両などない。今日の為に、ハウンドは十両以上の移動手段を用意していた。
 最後とばかり、長柄のアサルトライフルを外套から抜き出した。ウッドが立ち上がる前に、ファイアバレットを叩きこんで無力化する。
 マズルフラッシュが仄暗い曇り空の下で瞬いた。MW2型の弾丸が、ウッドに着弾し炎弾と化す。赤い火がいくつも上がった。ウッドを覆いつくして余りあるほどの焔。もういいだろうとアナグラムから判断して、引き金から指を離す。
 火が、少しずつ萎れて行った。残るのは細かく千切れた肉片だ。焼かれ炭化した肉は、再生できない。研究を重ねた分だけ仕事は楽だったとハウンドは目を瞑り、肉片を回収してからの撤退を決める。
「おいおい、緊急脱出に失敗したら、こんな未来が待っていたのか。ちょっとショッキングだな。それに、爆発に弱いのは気が付いていたが、そうか。俺はそもそも、火に弱かったようだ」
 背後からの声に、ハウンドは振り向きざまにグレネードを投げつけた。「遅いぞ。計算済みだ」とウッドは物理魔法で弾き飛ばし、グレネードを川に投げ捨てる。数秒遅れて、爆発した。川の水が打ちあがり、ウッドとハウンドの上に雨を降らす。
 ハウンドの外套が濡れていく。ふとした瞬間に、それ以上の冷たさを感じた。見れば、雪が降り始めている。視界が悪くなると、ハウンドは雪を嫌う。
「いや、見事だった。バイクが爆発するというのは、ちょっと予想外だったな。ハウンドとて移動手段を奪われれば痛いと踏んでいたのだが、向こうから走ってくる無人のバイクを見るかぎりそうでもないらしい。まったく、余計な痛手を負ってしまった」
 ハウンドは、ウッドの言葉に耳を貸さない。魔法が展開されていない以上、アサルトライフルでファイアバレットを打ち出すばかり。
 しかし、ウッドは肩を竦めて首を振る。「生憎と、その手の内は割れている」と、翳した手から氷魔法を無数に飛ばして相殺した。
「この分だと、ハウンドはもう手がないのか? もしもそうならガッカリだな。まぁいい。であればすぐにでも勝負を決めてしまお……ん?」
 空気を連続して嬲るような轟音と、うねり広がる風の奔流を感じ取って、ウッドは右を向いた。そして、言葉を失う。目の前に浮かび上がるは巨大なヘリコプター。総一郎の前世のそれと比べても、恐らく二倍近くあるのではないかと言うそれ。
 注視してみると、操縦士が乗っていないのが分かった。無人機。噂に聞くハッキングは、ここまでの事をやってのけるのか。
「……なるほど、まだまだ手はありそうだ」
 ヘリコプターがミサイルを放った。見ればハウンドはすでに居らず、タイヤ痕だけが残っている。魔法を展開することにウッドは全能力を用い、抵抗した。
 数瞬後、ハウンドは背後に上がる橋の上に高々と上がる火の柱を盗み見た。ウッドはどうやら防ぎきれなかったらしい。ハウンドはバイクを急停止させ、内部工作員の警官を数人呼び出す。
 ハウンドのやったことは、ヘリの電子的手段による乗っ取り――ハッキングだった。カバラと脳内設置型コンピュータの併用でファイアウォールを抜け、ヘリを遠隔操作で自動操縦モードに切り替えさえた上で、その動きを犯罪者制圧用の動きから、ダウンロードさせた軍用の動きに切り替えた。
 そうすることで、ウッドを機械技術において世界最先端にして最高峰の米軍と、疑似的に戦わせることが出来る。ついでに他のパトカーや船も同じ要領で軍用人工知能の支配下に置き、奴を包囲させた。
 ――そう易々と終わるまいとは、ハウンドも思っていた。ウルフマンたちがあれほど苦労させられたウッドである。だから先ほど、声を掛けられてすぐに反応できた。
 しかし、とも思う。現時点で、ハウンドはまだウッドの実力を測り切れていないと知った。アナグラム計算の上では、バイク爆撃からの集中砲火で無力化できたはずだった。
 ウッドがカバリストであることは知っていたから、それを加味して警察を呼んだものの、本当にダメ押し以上の意味はなかったのだ。アサルトライフルで何発も奴を撃った時点で、どれだけ過少に見積もっても、ウッドが無傷だとは考えられなかった。
 だが、奴は平然と現れ、余裕な口ぶりでハウンドをからかって見せた。
 とするなら、アナグラムそのものを、ウッドに関わる情報そのものを疑ってかかる必要が出て来る。明らかに余計だとすら思っていたこの警察の武装ですら、今は心もとないほど。
 ハウンドは、考えを改めた。今日中にウッドを捕獲することは不可能だ。まだまだ、奴の情報をかき集める必要がある。
 ――そのために、何をすべきか。ハウンドは集まって来た部下たちに指示を出し、散開させる。そして再び、銃を構えながらバイクで走りだした。
 ミサイルの爆撃跡地は、アスファルトが割れて地面が焦げ付いていた。しかし、橋自体が壊れる様子はない。現代の建築技術は、核の直撃を受けない限り、そう易々と倒壊しないというのが通説だ。
 ウッドの姿は、ない。普通なら肉片も残らなかったと想像しただろう。文字通り消し炭になったと。しかし、ハウンドは強く予感していた。振り返る。おや、と言う顔でウッドがこちらを見る。
「何だまったく。後ろから驚かせてやろうと思っていたのに」
「……」
 ハウンドは無言のうちにアクセルを踏んだ。ウッドはやはり無傷だった。服装も、煤一つ付いていない。ならば、今日はこれ以上物資を浪費させたくなかった。
 要は、戦略的撤退だ。
「……ふはは、逃げるのかハウンド。だがな、俺は追いかけるのは得意だぞ?」
 バイクにて早々に遠ざかっていくハウンドを見て、ウッドは指を鳴らした。今日中に勝敗は決まらないだろうという事は、とっくのとうに見越していたのだ。また、自分が逃げる形にはならないだろうと。もっと言えば、逃げるのはハウンドであると。
 だから、指鳴らしによって発動した魔法は、ハウンドの退路を断つものだった。
 橋の両端。その上空十メートルほどの場所に、ウッドが用意したのは鉄杭だった。ただし、長さが優に三十メートルはあるそれだ。幅も広く、十分に橋埋め尽くして余りある。重量など、数トンでは決してきかないだろう。
 それが、銃弾を上回る速度で真下に打ち出された。核が直撃すれば倒壊する程度の橋だ。壊れない、訳がなかった。
 橋の骨組みがひしゃげる。両端の支えを失って、破綻していく。
 橋全体に、一瞬にしてヒビが走った。地面が落下するにしたがって、浮遊感がハウンドを襲う。崩落。この橋は、既にはじけ行く泡沫と化していた。バイクが偶に宙を走る。唐突に地面に突き上げられる。視線の先にはウッドの鉄杭。行き場はない。
 ハウンドはすかさずEVフォンから電子命令を送った。船からの砲弾が、ウッド目掛けて一斉に打ち出される。だが、きっとこれでは時間稼ぎにしかなるまい。次に、ヘリを呼び寄せた。すさまじい風に地面のかけらがパラパラとハウンドの体を叩く。
「させるか」
 ウッドの声。火の魔法がヘリを撃ち落とした。ハウンドは知っている。カバラがヘリの末路を教えてくれていた。知ったうえで、さらなる時間稼ぎに費やした。
 まっすぐにバイクで疾走する。銃を構え、ファイアバレットを地面に撃ち込む。爆裂する弾丸は橋の瓦解を変化させられる。地面の崩れ具合をアナグラム計算で調整し、目の前にジャンプ台を作り上げる。
 最後に、背後に何発かばら撒いてやれば、邪魔者は居なくなった。
「がっ、ぁっ」
 ウッドの胴体を弾丸で射抜いた手ごたえと共に、ハウンドはジャンプ台を駆け昇った。バイクで宙を走り、一度ウッドの鉄杭の上を跳ねてから、橋の向こうのパトカーの一台を踏みつけて去っていく。直後、大きな水音を聞き、橋が沈没を始めたのだと知った。
 一方、ウッドである。木面の怪人は風、重力魔法で宙を浮きながら、してやられたと首をすくめていた。つい先ほど撃たれた傷はもう残っていない。だが、後悔もあった。
「ハウンド、か……。思った以上に引きの早い奴だ。用心深いな。ただの一度も有効打を与えられなかった。……それに、その所為で結局、奴の全力すら掴めないとは」
 情報が足りない、と思う。とはいえ、こちらもほとんど情報を晒さずに済んだ、という確信があった。むしろ、ウッドが異名の通り――木と言うだけあって火に弱い事を知れただけでも、今回は勝ち越しと言えるのではないか。
 そう自分を納得させようとしたとき、何かがウッドの顔に命中した。
「な……っ!?」
 衝撃に顔が思わず横を向き、二回目の衝撃も同じように顔を叩いた。「イタチの最後っ屁とは、気の利いた……!」と皮肉と共に衝撃の来た方向を向いて、警察官たちのどよめきを耳にする。
「……何だ。いや、これは」
 ウッドは顔に触れる。仮面。あるはずだった。しかし、無い。ウッドは悟る。仮面を打ち抜くだけでは、ウッドの頭部が破損するだけで終わりだった。しかし二回に分けて銃撃することで、仮面のみを外させた。
「そうか、つまり、警察を呼び寄せた本当の理由は、これか、ハウンド……!」
 異なる角度からの狙撃は、ハウンドが部下たちに指示していたものだった。顔。個人を特定するのに最も分かりやすい印。とはいえ、ウッドは自由に顔を変えられるため、ウッドを特定するという点においては役に立たない。
 ここで意味を持つのは、総一郎とウッドを関連付けて調査されるようになることだ。ウッドにはほとんど情報がなくとも、総一郎にはある。そして、その事実がネットの海にばら撒かれれば、ARFですらたどり着けなかった情報が引き出される可能性も存在する。
「なるほど。情報戦は、お前の勝ち越しのようだな、ハウンド。しかし、見ていろ。お前のやり方は何となく分かった。あとは地道に、手札を潰していってやる」
 光、音魔法を脳裏で唱える。発動するはほぼ完全なる隠密の魔法。ウッドは姿を消し、魔法で飛び上がった。

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