武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

5話 三匹の猟犬Ⅳ

 店内が一気に煙に包まれる。ウッドは、鼻で笑って周囲を見回す。
 ウッドの目は、天使の目だ。あるいは、総一郎の目は、というべきなのか。それを、ウッドは受けついでいる。
 故に、目晦ましの類はほとんど効かないはずだった。例外としてアイにやられた闇魔法は視界を奪われたが、今回は煙に巻かれてなお視界ははっきりとしている。煙を吸ってむせたアーリの姿も明瞭に認識できていた。
「とはいえ、総一郎が生きていた頃ほどではないだろうな。気付かれてさらなる対策を講じられても面倒だ。出来ることならここで仕留めてしまおう」
 ウッドは歩み出す。そして魔法とカバラを組み合わせ、ハウンドの姿を探した。一般人の誰も彼もが戦いて地面に伏せている。銃撃戦が頻発する物騒な街に住んでいる分、住民の危機察知能力は高いらしい。
「……ふむ、見つからないな。いったい何処から―――」
 その時、アナグラムに大きな乱れが走った。ウッドは仮面をケタケタと笑わせながら、そちらの方向へと駆け出す。見つけ出したるは小柄なシルエット。アーリの肩ほどの背丈をした、彼女の弟。鋭い目をした文明の猟犬。
「直面したのは久しぶりだな、ハウンドッ!」
 周囲の魔法を一息にハウンドに飛ばす。そうして奴に飛来する、火の矢に氷柱、風纏う鉛玉。それを、ハウンドは懐から取り出したサブマシンガンで一掃する。ぴゅう、とウッドは小器用に口笛を吹いた。
「なかなかやるな。少なくとも、ウルフマンよりはやりにくいぞ」
 ハウンドは答えない。黙ってそのままウッドに銃弾を放ってくる。
 魔法と銃弾の応戦。放ちながら、思う。魔法は銃弾に勝る飛び道具だ。銃弾に迫る、あるいは勝る速度で飛びながら、その大きさは銃弾の比ではない。威力は当然のごとく何倍などという言葉では表せないだろう。携帯し連発できる大砲のようなものだ。
 それを打ち消せる銃弾となると、リッジウェイ警部が使っていた対魔弾くらいしかウッドは知らない。だが、それはシルバーバレット社が警察に独占契約を結んでいると聞いた。その上、ウッドは多種類の魔法をばら撒いているのだ。それぞれ決まった種類の魔法しか打ち消せないはずの対魔弾では、どうしようもないはず。
 とはいえ理論上でいえば、可能だろう。弾薬のマガジンに複数の種類の対魔弾をつめこみ、判断しながら撃ち潰していく。けれど、それはもはや人間業ではない。
 そして、そういう『人間業ではない所業』をやってのける集団を、ウッドは知っていた。
「となれば」
 ウッドは笑う。ハウンドから、次の行動のアナグラムを割り出す。だが、“奴もまた同じことをしている”だろう。
「対魔弾を持っている理由も頷ける。同士であるリッジウェイから、受け取っているといったところか?」
 ハウンドは突如として目を剥き、反転し逃げ出した。ウッドはそれをして、ハウンドがカバリストであると確信する。
 追いかける。逃して堪るか、とウッドは配慮を捨てる。まずは風魔法で邪魔な商品棚を吹き飛ばし、ハウンドを守る壁を取り払った。アルミニウム合金の棚はウッドの激しい魔法に容易くひしゃげ、棚の上にあったレトルトパウチはつぶれて中身を晒し、缶詰は破裂し、かつて食物だったものが汚物として床を水浸しにする。
 ハウンドは変わらず銃撃で応戦しようとした。それをウッドは許さない。カバラでこちらの手を読もうにも、その意図するアナグラムをウッドが読んでズラすのだ。その所為で、半ばで潰される魔法が半分以下になる。
 人間は脆い。魔法が直撃すれば、一撃で死に至る。だから、ハウンドを追い詰め、殺さずに無力化する一撃までの道のりを、アナグラムを弄りながら整えていく。
 しかし、そんなウッドの考えを察知したのだろう。ハウンドは防御を考慮せずに走り出した。
「チッ、なかなか思い切ったことをやる」
 ウッドは自分の放った魔法に向けて、倍速で魔法を放ち追消滅させる。そうしなければハウンドが死んでしまうからだ。そうしてまんまと逃げ出す時間を得る猟犬。けれど、そのままウッドが黙っているわけもない。
「だがハウンドよ――このまま争闘を終わらせるのは、勿体ないと思わないか?」
 ウッドは嗤い、窓に空間魔法を飛ばした。それはハウンドを追い越し、スーパーの出入り口に接触する。瞬間、広がった。空間魔法は出入り口全体を覆いつくし、虹色の光を放つ。
 ハウンドはそれを見て、一瞬立ち止まってから近くにあった階段を上がっていった。ウッドは「ほう」と言ってから、悠長に進んで空間魔法に触れる。とぷん、と沈んだ。ハウンドがこれに何がしかの攻撃を加えたなら、それらはすべて無効化されたはずだった。
「その分、時間稼ぎになると思ったのだがな」
 階段を見つめ、肩を竦めてからウッドは上っていく。二階。どうやらアパレル系で整えられているようで、至る所に服が展示されている。
「ふむ、少しのんびりしすぎたな。アナグラムの痕跡をことごとく消されてしまっている――」
 いや、違う。アナグラムは決して消すことはできない。だから正しく言うならば、どれが本物のアナグラムか分からなくされている、ということだ。粉飾の痕跡は明らかなのに、証拠がつかめないようなもの。
「……やはり、カバラというものは強力だな。それを知らない人間を、戦闘の枠外に追いやってしまう。一方で、カバリスト同士が出会ったとき、やっと戦闘が始まる」
 とするなら、ウルフマンは最初から相手ですらなかった。だが、奴はカバラの計算予想を上回った。かつてリッジウェイが言っていたのを思い出す。『亜人はカバラを使えない』。今なら、その意味が分かるような気がする。
「何はともあれ、まずは出来る事をしようじゃないか」
 魔法が吹き荒れる。服飾類は強風により隅に除けられて、隠れられそうな障害物は火なり金属なりの魔法で破壊した。五秒にも満たない短い時間。対策を打つ時間は与えなかったはずだが。
「居ないな」
 気配をアナグラム計算にかけるが、もう誰一人居ないことに確信を抱くばかり。そういえば一般客はどうなったのだろう。下での騒ぎを聞きつけて、とっくに逃げおおせたのか。
 ふむと考えるが、すぐに面倒になって先へ進む。廊下があって、そこを通ると違う店が続いているのだ。構造的には数珠に似ている。糸を廊下、玉が部屋。火災が広がらないためのシャッターが、廊下に備わっていると聞いた事があった。
「ああ全く、ハウンドも面倒な戦い方をする。所詮人間なのだから、仕方ないといえばそうなのだが」
 高々銃弾で死んでしまうというのだから、人間というものは、ウッドからすれば脆いの一言だ。ウルフマンでも銃弾ごときでは倒れなかっただろう。例外はマジックウェポンといったところ。
 廊下に差し掛かり、またも同じ事をするのかと飽き飽きした気分になる。そのとき背後から、ガラガラと硬質な金属の重なりを思わせる音が響いた。振り返ってみると、シャッターが下りている。首をかしげると、もう片方が下りた。
「……む、閉じ込められてしまった」
 言いつつも、木面に退屈そうな表情をとらせ続けながら、ウッドはいくつか魔法を展開する。魔法の貫通力に耐えられる金属などない。ダイヤモンドでさえ、一分経たせず破壊可能なのだ。
 しかし、そこでウッドの手が止まる。覚えるは違和感。ああも鮮やかにウッドの隠れ家を襲撃したハウンドが、このような児戯に等しい時間稼ぎをするのか、という疑問。
 瞬時にウッドは風魔法でこの即席の密室を満たす。昔は索敵に使っていたが、今ではアナグラムを拾い集めるのに有用だった。そして、感じ取った。空気が、無味無臭の異常な気体を多く含んでいること。次いで天井に貼り付く小さなもの。指先程度のサイズの、ハエの形をしたそれ。
「ドローン」
 ウッドは展開していた魔法のうち、氷柱のそれを飛ばす。だが、わずかに遅かった。
 轟音。光の洪水。衝撃波。舐めるような炎。シャッターとシャッターの間はその四つで溢れ返った。ドローンの役目はごく単純。ちょっとした火花を起こすだけ。遠隔操作型の、アルコールを持たない捨て時のライターみたいな存在だった。それがここまでの威力を持ったのは、そこに満たされていた可燃性の気体の為だ。
 元素記号の序列一位。名を、水素といった。
 その激しい燃焼によって、廊下は悲惨な姿に変わる。床は爛れた痕をいくつも残し、シャッターは半ばからへし折れ、へし折れた部分に至っては一部融けていた。水素による爆破など想定していなかったためだろう。本来ならば、こんな場所に起こるべき火災ではないのだ。
「―――クッ、ふふ、くははははははははは……!」
 ウッドは、笑い声を上げる。周囲には、氷で作った分厚い壁。だが、半分以上溶け、破壊されていた。ウッド自身も満身創痍といっていい。四肢がちぎれ、一部肉片が融解している。
 つまりは、ウルフマンの一撃を食らったのと大体同じ程度だ。
 肉体を適当に再生しながら、「ああ、してやられた」とぼやく。爆発の衝撃はウッドを防御に必死にさせて、先ほど張ったはずの空間魔法も途切れさせてしまっていることだろう。となれば、奴はもうこの建物内には居ないに違いない。アーリも、救出済みの可能性が高かった。図らずして、彼女は望みを叶えたというところか。
 仕方ない、とウッドは歩き出す。もしかしたらウルフマンの頭だけでも回収できるかもしれない。流石のハウンドとはいえ、鞄のような気軽さで狼の頭蓋を携帯しているとは思わないだろう。カバラは発見から始まる。気付かなかったアナグラムを、計算などしないからだ。
「……まぁ、初戦はこんなものか。しかし、カバリストと直接対決することになろうとはな。今回はしてやられたが―――ふふっ。それも含めて、八つ当たりの相手にはぴったりだ」
 カバリストには辛酸を味わわされている。その恨みは、この機会に晴らすとしよう。
 ウッドはそう考え、ならばどうすべきかを思案し始める。その時、背後から気配を感じた。
 振り向くと、アーリがそこに立っていた。ハウンドはどうした、と首をかしげると同時、凄い形相だ、とウッドは思う。短時間とは言え戦闘に巻き込まれたせいだろう。髪は荒れ、半分ほど何かのスープで濡れていた。しかし、一番に目立つのはその瞳だ。見開かれ、多少充血した目はまっすぐにウッドを睨んでいる。
 肉親と争っているのだから、恨まれるのは当然の事だった。だが、奇妙なことに彼女の瞳のアナグラムは憎悪を示していないのに気付く。アーリはウッドに迫り、そして人間だったなら痛いほどの力で腕をつかんでくる。
「ウッド、……あぁ、ソウ。おまえ、ウッドだったのか。なら、ならッ……!」
 言葉を紡ごうとする唇は震えていた。恐怖にではない。興奮に。好機を見つけたという、激しい興奮に、アーリは全身で武者震いしていた。
「なら、頼みがある。お願いだ。何でもするから。アタシが出来ることなら、何でもするからッ! だから、だから頼むよ。贅沢なことは言わない。あいつの腕を折ろうが足を落とそうが、命さえあればいいんだ」
 それは、年頃の少女からは考えられない譲歩の仕方だった。
「ハウンドを――弟のロバートを、連れ戻してくれ」
 ウッドはしばしアーリを見つめ、結局、ニタと笑う。
 その言葉を、その必死さを、その狂気を、ウッドが気に入らない訳がなかった。

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