武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

4話 『おばあちゃんの爪は、どうしてそんなに鋭いの?』Ⅷ

 ナイが、指をさして爆笑していた。
「流石! 流石だよウッド! 君はボクの自慢の息子だ! 最高だよ! なんて面白いものを作るんだ! これは傑作だよ! 何たって二重仕掛けなんだからね。しかし何度見てもこれは――ぷっ、あははははははははは!」
 そんな哄笑を横で聞きながら、白羽は呆然と立ち尽くしていた。早朝のニュースで、一面に報道されるそれ。思わず立ち上がって、そのままだった。座るのも難しいくらいに、全身が緊張していた。
「総、ちゃん……」
 口からこぼれ出るのは、ウッドの名ではなかった。彼女が、たった一人愛する家族。嘘だと信じたかった。でなければ、白羽はウッドの中に総一郎の死に顔すら見ることが出来なくなる。
 直接会って、問い詰めなければと考えた。殺されるのではという恐怖は、普段なら湧き出たのかもしれなかったが、今は鳴りを潜めていた。いつもならすでに帰宅している。だが、と足を踏み出した。ウッドの自室。姿はない。
「……ナイアルラトテップ、総ちゃんの場所、知ってるでしょ?」
「総一郎君は死んだよ。今世の中で歩き回っているのはウッドだからね。それに、君はこのマンションの一室からは、出ることが出来ないだろう?」
「そんなこと関係ない。今すぐ、会って話さないと」
「そう。なら、ちょうど良かったじゃない」
 言葉の直後、玄関の開く音がした。またもや大量の買い物を抱えて、ウッドが扉をくぐる。その姿を見た瞬間、飛び出していた。訳も分からないまま、抱き付いていた。
 彼は、白羽の突撃に僅かにぶれる。「総ちゃん」と名を呼ぶ。こう呼んだら殺されると聞いていた。だが、呼んで殺されるのならいいと思った。
「総ちゃん、総ちゃん、総ちゃん……! 何で、何であんな事、総ちゃんは、本当にもう死んでしまったの? もう、戻ってはこれないの? 人食い鬼の子の事、殺せないって小さい頃、私、総ちゃん、見てて、やっぱり優しいんだって、なのに、なのに……!」
 段々と支離滅裂になる言葉。顔を上げて、その顔を見つめた。昔の面影を残した、少年の姿。だが、表情はまるで能面のように感情を伺わせない。彼は、白羽を無言で見つめていた。だが、次第に歪んでいく。
 殴られるのか、あるいは、そのまま殺されるのか。その歪みは、怒りを示すものだと疑わなかった。だから、困惑した。
「……消えた……? 何故、どうやって!」
「えっ?」
 ウッドは、焦燥とともに顔を上げた。そのまま、前で彼に縋りつく白羽を完全に無視して進む。その文字通り傍若無人な振る舞いに白羽は振り落とされて転んでしまう。だが、殴られも、殺されもしない。無視された。しかし、興味なき黙殺ではなかった。
「何処へ、何処へ行ったブラック・ウィング! 目の前に現れて、どうやって消えた! お前はあらゆる魔法を使えなかったはず! 答えろ、ブラック・ウィング! その姿を現せ!」
「え……、何、何言ってるの……?」
「ブラック・ウィング! 出てこい! お前はこの部屋から自発的に出られなかったはずだ! 俺の精神魔法で、そのように制限をかけたはずだ!」
 激しく叫びながら、彼はその場を探し回った。ドアを開け、ベッドの下を確認し、タンスを開き、風呂場の蓋を引っぺがす。白羽は、それを唖然と玄関近くで見つめていた。開いた口が塞がらないどころの話ではない。ニュースを見た時以上の恐怖が、彼女を貫く。
 そして、いきり立ったウッドはリビングに戻ってきて、その視線がまっすぐ白羽を射抜いた。びくっ、と警戒をあらわにする少女。しかし、返ってくる反応はあまりにも淡泊だった。
「……何だ、そこに居たのか。居るなら居ると、答えてくれてもいいだろうに」
「……」
 ウッドは安心したのか、玄関で取り落とした荷物を手早く抱えてそのまま自室に引っ込んでしまった。それを白羽は目で追って、見えなくなってからその場にへたり込んだ。
「……どういう、事なの……?」
「ふふ、あはは」
 ソファに座りながら、ナイは一人で楽しげに笑っている。そのチェシャ猫のような笑みに、きっと彼女は答えを知っていて、意地悪で教えないのだろう、と取り止めのないことを思った。










 目が覚めると、拘束は解かれていた。
「……あれ」
「起きましたか、坊ちゃん」
 声に振り向く。ジェイコブは、どこかやつれた風なヒルディスを見た。人間の姿で、沈鬱な顔をしている。周囲を確認して、仮眠室であることを知った。簡素なベッドの上で、少年は上体を起こす。
「ヒルディスさん、どういうことですか。おれは、拘束されていなきゃ危険だったはずじゃ」
「事情が、変わりました。ひとまず坊ちゃんは隔離しなくても、いや、隔離してはならないという結論に至った。それと、もうウッドは、姐さんを拉致した愉快犯じゃすまされない。ひとまず、起きてください。何があったのかは、見た方が早いでしょう」
 清潔なワイシャツを渡され、素早くそれに着替えた。そして、薄暗い仮眠室を出る。
 ARFの拠点の一つ。その中でも、値が張ったビル。日本人が設計したもので、耐震構造とやらがなされているらしい。地震というものをほとんど経験したことのないジェイコブだったから、それがどれほどの効果をもたらすのかは知らなかったが、大規模な襲撃を受けても籠城くらいはできると聞いていた。
 いつもなら、それなりに人がいるはずだったそのビルの内部は、今では自分たち以外の誰もいないようだった。「どうしたんです?」と尋ねれば、「帰らせました。落ち着くだけの時間は、誰しも必要だったでしょうから」と答えられる。
 坊ちゃん呼びや丁寧な言葉遣いに苦言を呈そうかとも思ったが、そういう雰囲気でもないのかとジェイコブは気づき始めていた。説明でなく、実際に見せると言われれば、何か問いかけるのは野暮というものだろう。黙ってついていく。
 人気のないビルから出ると、繁華街に出る。昼。ちらと周囲から時間を知ったが、何故こうも人がいないのだろうと、と訝った。どこもかしこも、静かすぎる。
 ヒルディスはそのままスラムに足を運ぶ。ジェイコブは無言で追従する。
 スラムには層というものがある。単に住む場所を持たない浮浪者のたまり場から、ギャングの巣窟、そして精神異常者が住む、実質的な隔離地域など様々だ。その中でも“深い”場所に、二人は足を踏み入れていた。スラムの饐えた臭いが、より酷いものに変質する。
 真っ昼間でさえこの一帯は薄暗い。光のささない場所すらある。そんな場所に満ちるのは、闇の匂いだ。精神異常者の隔離地域。何処からともなく響いてくる薄気味悪い笑い声。警察も、ARFも、ラビットでさえこの辺りにはおいそれと近づかない。ここに人はいないから。もっというなら、獣しかいないから。
「……流石に、聞かせてくださいよ。何で、こんなところに」
「すいません、坊ちゃん。ですが、あそこには普通のルートじゃいけないんです。“奴”に頼んで回り道をしなくちゃならない。本当なら、俺だって通りたくはないんですよ」
 そう聞いて、納得した。心当たりはあった。とするなら、もうすぐだ。
 そんな短い会話から一分と経たないうちに、一人、路上で飲んだくれた浮浪者を見つけた。赤ら顔で汚らしい服装をしている。妙に立派な紳士帽が目立つ人物だった。彼にヒルディスは荷物から取り出した酒を頭からかける。うひょひょひょと気色悪い声で喜びを示す。
「何でぇ気前のいい人がい……おっと、こりゃ滅ぼされた神話の生き残りたぁ、うけけけけ! お前今忙しいんじゃねぇのかい? こんなところで油売ってて、あーだめだ! 酒! 酒!」
「お前と無駄話をする時間はない。案内をしろ。報酬はこの酒だ」
 掛けていた酒の滝を止めると、赤ら顔の老爺は喧しく喚きだす。それにぴしゃり言いつけると、「分かりましたよ全く……、この辺りじゃあっしくらいしか話し通じるやつぁ居ないのに、もっと優しくしてもらいたいもんだね」と尻を掻きつつ立ち上がった。
 奴は帽子を上げ、その中からランタンを取り出した。彼の先の暗がりが、ぼぉ、と照らされる。アーカムの深部には、大組織でも容易に関われない世界が広がっている。この道は、案内人なしに進めばジェイコブでも危ないだろう。
「アンタらはどっちも『道』を使ったことがあるな? なら、今更注意はしなくてもいいかねぇ」
「何があっても無視をしろ。それだけだろ」
「へっへっへっ、宴の息子は威勢がいいねぇ」
 宴、つまりはJVAに一斉逮捕されたモンスターズフィーストを指している。語ったこともないのに、奴はジェイコブの出自を知っていた。何でも情報屋も営んでいるそうだが、ヒルディス曰く『対価が高すぎて釣り合わない。止めた方が無難です』とのことだ。
 奴の先導に続くと、次第に光源がランタン以外になくなっていく。自分たちの足元、近くの壁、そして案内人の五歩先。それ以外は、質量を持った闇におおわれている。以前来たとき、恐怖と興味の入り混じった感情を覚えたものだ。それに抗ったのがジェイコブで、それに従って闇に手を伸ばし、“奥”に引きずり込まれたのが今は亡き友人だった。
「えーっと……あの騒動ってーと、ああ、この道……、だったかね。忘れちまったよ」
 うっひっひ。と悪びれなくこちらを見てニタニタと笑っている。赤ら顔に一発入れてやろうかとも思ったが、ヒルディスに視線で制され「大丈夫ですよ、そんな短慮は起こしません」と肩をすくめて答えた。憎たらしいが、奴のランタンなくしてこの場を無事に切り抜けるのは難しい。
「特上のウィスキーを後で部下に贈らせる。何とか頼むぞ」
「うっひょお堪んねーな! ……っつったってなぁ……、忘れちまったモンは忘れちまってるし……」
 こっちだったかね。とぶつくさと言いながら、頼りない足取りで進んでいく。入り込んだのは、狭い路地だった。「あーっと……」ときょろきょろする奴の手元で、ランタンがカランカランと鳴っている。
 それでも何とか歩いていると、何度か来た道を戻ったりいつの間にか元の道に戻ったりした後「ああ、この道だこの道!」とぐんぐん進んでいってしまった。その時、一瞬闇に取り残されたジェイコブは、背中を撫でる粘ついた手に気付き、弾かれたようにして案内人に追いすがる。
「おい! あんたが勝手に行くせいで妙なものに触られちまったじゃねぇか! ……うぁあ……、まだ背中に違和感が……」
「ふむ、妙な付着物もないですし、大して気にすることはねぇと思いますが」
「ヒルディスさんがそういうなら大丈夫かぁ……?」
「ひっひ、そりゃ悪うござんしたね、宴の。神話の、目的地に着いたぜ。復路はどうするね」
「復路も頼む。その分ちゃんと酒は渡そう」
「分かった分かった。心配ならちゃんと待っててやるから、心配するない。道は思い出したから、帰りはすぐだぜ。うっひっひ」
 赤ら顔でサムズアップする老爺に、苦笑いでサムズアップを返すジェイコブ。「おっ、宴の。お前いいやつだな?」と背中をバンバン叩かれる。気に入られてもうれしくない。
「こっちです、坊ちゃん」
 ヒルディスの背を追いかけると、先ほどの道とは一変し、喧噪が伝わってくる。だが、賑やかと言い表すのとは少し違った。無秩序な人々の騒めきというのではない。組織だった人間の動き、というような雰囲気がある。
『撃ち方止めッ! 撤退! 撤退――!』
 機械越しに拡散される怒号。ジェイコブは眉を顰め、「何が起こってるんですか」と固く尋ねた。酷く冷たい声で、「まずは、見てください。動揺するでしょうが、我々の存在が露見するとまずい。努めて、冷静でいてください」と目を閉ざす。
 訳が分からないまま、息をひそめて路地の出口に向かった。そして、見る。まずは炎、そして鳥。それから逃げる警察官たち。だが、最後に目に映ったもののせいで、ほかの全てが掻き消えた。
 人の頭部だけで書かれた、『Happy New Year』。その猟奇的で、気の狂った光景にジェイコブは言葉を失った。恐怖に後ずさり、転びかけたところを巨躯のヒルディスに支えられる。
「な、何ですかアレ、アレ、は……!」
 振り向いて叫びかけ、しかしヒルディスの目の色を直視して、精一杯、声のボリュームを絞った。再び正面に向き直り、それを直視する。いいや、睨むといった方がいい。静かに高ぶる怒り。肩に手を置かれ、目をやる。
「坊ちゃん、『変わり』かけてます、どうか気を静めて……」
「……分かってますッ!」
 手を払って、食いつくように己の上司を見た。彼は平静よりも意気消沈として、説明した。
 それは、ウッドの狂気の話だった。そしてその矛先が、ジェイコブに向かっているという事実だった。
「見てください、あのポリ公たちはあの『Happy New Year』を回収しに来たんです。しかし、頭一つ回収できずにいる。その理由があの不死鳥です。回収班に攻撃を仕掛け、車を破壊し、その炎を理由してデカくなり、何度でも蘇る。奴は、どうやら『アレ』をあのままに残しておきたいらしいんです」
「……クソッ!」
 聞き終わって、思わず壁に拳をたたきつけていた。やりきれない思いで感情が昂って、伸びた爪が手のひらを食い破る。血がぽたぽたと地面に点を打った。それがまた、悲しい。
 親友だった。微妙に邪険に扱われて、でもいざという時はちゃんとこちらを見てくれた。男同士の友情だ。そんな雑さも気に入っていた。何より、シラハという自分たちのリーダーに似た芯の強さというものに期待していたのだろう。いつか、彼の姉とともに自分たちを導いていってくれるのではないか、と。
 今では、最悪の敵だ。自分たちからリーダーを奪い去り、始まった直後にすべてを止めてしまった。それだけじゃない。まるで愉快犯のようにARFをおちょくって、挙句の果てが、これだ。
 だが、そんなジェイコブの激昂に、ヒルディスはあの忌まわしい文字に目をやる。
「……坊ちゃん。俺は、やはり亜人らしくない、冷たいやつなんでしょう」
「はっ? ……ヒルディスさん、急に、どうしたんですか」
「いえ、……親父にも言われたんですよ。お前は出自が特殊だからなのか何なのか、馬鹿ぞろいの亜人らしくねぇとか何とか」
 ここでいう親父とは、実父の事ではないだろう。モンスターズフィーストの元首領。ジェイコブの、父の事だ。
「褒められているようで、実際は違う。俺には、亜人らしいまっすぐさがねぇって事です。捻くれてるとも、冷酷と言い換えてもいい。俺が感情を表に出すとき、計算していない時がない」
「……何が言いたいんですか、ヒルディスさん」
 しばし黙って、ヒルディスは言った。
「俺は、ウッドを舐めていた。今まで、奴をして生け捕りの指示しか出さなかった。俺は、ウッドで実験していたんです。奴の持つスライムみたいな体には、利用価値がある。アレを解析するまでは、大人しく姐さんには捕まっていてもらおうと、そう考えていた」
「……え」
「ARFの持つコネクションの一つに、魔法科学に長けた奴らがいるんです。奴らにウッドの体組織の一部を引き渡して、解析してもらっている。だが、それじゃあ足りないようで、本体の動きの映像がほしいと言われていた。だから、奴が動きやすいように部下を配置して、奴を生け捕る振りをしてその行動を記録していた」
「そ、そんな。……でも、シラハさんはどうするんですか。助けなきゃ、だって、ウッドに捕らえられて」
「姐さんは、天使です。人格がどうとかじゃなく、種族としてそうなんです。だから、あの人は死なない。いいや、これだと語弊がある。あの人の体は死にます。だが、それは本当の死じゃない。神のもとに帰り、そしてまたこの世に顕現出来る。そこに――キリスト教、いや、一神教の神の意志がかかわらない限り、あの人がこの世から居なくなることは決してない。それに、俺たちの宣戦布告はウッドのせいでほとんど覚えられちゃあいないでしょう。ウッドの目的が俺たちだと知っている輩はまずいません。だから今は一体息をひそめなおして、もう一度仕切りなおすことが出来る」
「じゃあ! だからしばらくは放置でいいだろうって!? ヒルディスさん、アンタマジで言ってるんですか!」
 ヒルディスは、ジェイコブに向き直った。そして歯を食いしばり、固く目を瞑る。
「――坊ちゃん、俺を殴ってください……! そんな風に楽観的に物事を捉えて、まじめに動かなかったこの大馬鹿者を、本気でぶちのめしてやってください」
 言われて、ジェイコブは言葉を失った。ヒルディスは少年を見据えてその場に座した。この背の高い黒人少年でも、彼は普通に殴るには背が高すぎる。それに、気を遣ったのだろう。
「俺は、こんな地獄が作られるまで、ウッドとかいう狂人を玩具にして遊んでいたんです。その結果こんなものを見せられて、俺は、俺は、とんでもねぇ大馬鹿野郎だ……!」
 歯を食いしばり、低く唸る。沈んでいたのではない。ジェイコブは気付く。この猪の化身は、己への怒りを必死に押しとどめるあまり、あそこまで物静かになっていたのだと。その、激しすぎる自責と、それを抑えて余りある自制能力を。
「……ヒルディスさん、アンタ、おれに思いきりぶん殴られるために、あんな話したんだな?」
「……長い付き合いというものは、厄介なものですね」
「その通りだ。ネタが分かってるのに、おれはアンタに心底ムカついてる」
 加減はしねぇぞ、と狼は言った。望むところだと、猪は答えた。

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