武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

4話 『おばあちゃんの爪は、どうしてそんなに鋭いの?』Ⅴ

 本拠地に着いた途端、ぶっ倒れたのだと聞いた。
「心配しましたよ~? まさかあれだけ丈夫なJ君が、ここまで疲弊するだなんて思っても居ませんでしたから~」
 眉根を寄せて、眼鏡をかけた愛見が言う。すでに、窓の外は暗くなっていた。夜。ジェイコブは救護室のベッドからのそりと起き上がり、首を回した。そして、肩をすくめて笑って見せる。
「大丈夫だよ、マナさん。一応俺だって、ARFの中じゃ単独での戦闘能力なら一位にいを争うんだから、マナさんが心配する事じゃない。……だけど、まさかイッちゃんがウッドだったなんて……」
 視線を落とす。寝て起きても、いまだ混乱していた。ウッド。イッちゃん。この二つが、どうしてもジェイコブの中で結びつかなかった。特に、最近のウッドとは、到底。少し前の堅物と言う印象が強かったころは、ほとんど全員が、ウッドの正体は彼ではないか、と疑っていた。だが愛見の証言がそれを打ち消し、しかし覆された。
「そう……ですよね……。私も、混乱してるんですよ~。本当に、……あんなに穏やかな子だったのに……」
 二人して、うつむいた。性分的にも、冷静では居られないのだろう。愛見は戦況を見てのとっさの判断には長けているが、遠くを見据えて計画を立てるというのには向いていない。そういうのは、それこそ白羽や、副リーダーであるファイアー・ピッグ――ヒルディスヴィーニの専売特許だ。
 ウッドに白羽を奪われてから、ARFは止まっている。あの宣言からすぐにでも行動に出るはずだったのが、白羽と言う“象徴”を奪われて、誰も彼もが動けなくなっている。
 例外は幹部であるウルフマンたちや、ピッグの直属の亜人くらいなものだった。それ以外の構成員は、ほとんどが白羽を頼りにARFに加入したのだ。むしろ、幹部の全員もそうであると言えた。ピッグも求心力がないわけではない。だが、白羽以外にARFのリーダーはいないのだった。
「……調子はどうですか、坊ちゃん」
「ああ、ヒルディスさん……。いい加減、坊ちゃんってのをやめてくれよ。今のおれは、ただの『ウルフマン』だって」
 人間の姿をした彼が、救護室に現れた。ジェイコブに言われて、「おっと」と頭をかく。
「すいません、心配のあまり昔の癖が出てしまったようで……」
 低い声で謝る。その声からは、どうやっても動揺の色を読み取れない。彼はそういう性質の人だった。部下としての顔をつけているときは、頑として感情を出さない。逆に戦闘時などは荒々しかったし、面倒のかかる子供――例えばヴァンパイア・シスターズの面倒を見るようなときは、大雑把な体育の先生のような顔を見せた。
 つまり、オンオフが激しい人なのだった。その一方で、昔ジェイコブの付き人をやっていたときの対応が、いつまでたっても抜けきらない。
「今は、おれの方が部下だろ? 副リーダー、しっかり頼みますよ」
「はい、いや、……ああ、任せてくれ」
 そこでやって、顔から強張りが抜けてニッ、と不敵に笑う。
「それで、どうでしたか?」
 間延びを消して、愛見が尋ねた。「ああ」とヒルディスは渋面を作る。
「すでに奴は居なくなっていた。ついでに姐さんの兄貴分の顔も覗いてきたんだが――姐さんの言う通りの人だったな。味方に付いてくれれば頼もしいだろうが、それがあり得ないとも感じさせられた。ただ、話していてウッドの野郎を匿っている風でないことも分かった。最近になって住居を用意した人間の名簿を、ハウンドに洗わせている……っと。噂をすれば、だ」
 ヒルディスの指輪が、微かに震えた。亜人には電脳魔術を使えないものが多く、貧しくなくともEVフォンを身に着けるという場合が少なくない。
 飛び抜けて裕福ならば、魔法の使えないアメリカ人の様に手術で脳内に機械を入れてしまう事も出来た。だが、生憎とそんなことに使うくらいなら、他に金を掛けねばならない案件を、ARFは山ほど抱えていた。
「おう、こちらピッグ。ハウンド、どんな塩梅……、何? おい、それは本当か!」
 相当の場でもない限り冷静なピッグは、よほどの事でもないと事を荒げはしない。だからこそ、ジェイコブと愛見は驚かされた。「どうしたんだ、ピッグ!」とベッドから詰め寄る。
「ちょっ、ちょっと待ってください坊ちゃん。……ああ、ああ、……分かった。すぐ向かう。 ん? ……分かった、そのつもりならそれでいい。ではな」
 電話を切って、ヒルディスは息を吐いた。そして、次の言葉を二人は待つ。その視線に気が付いたのか、彼は一度深呼吸をして、低い声で言った。
「……落ち着いて、聞いてくれ。ウッドが、繁華街に現れた」

 それぞれが素性を知られないように“活動着”に着替えてから、ピッグの部下を呼び出して、ハウンドから報告を受けた地点へと移動した。かなり急いだが、それでも情報を受け取ってから十分は過ぎてしまっている。
 ――しかし、どうせ奴の狙いはARFの幹部である自分たちだ。そう高をくくっていたことを、到着した直後、ウルフマンは激しく後悔する羽目になった。
「……これは、いったい何だ?」
 地獄。到着したARFのメンバーの、大半がその光景を見て想起した。もだえ苦しむ亡者と、それを嘲笑う悪魔。血と炎揺らめくその街の一角の中心で、銃声や魔法による爆発音、そして断末魔が反響している。
「――おや、ARFではないか。どうしてくれる。お前らが来るのが遅かったせいで、こんなにもJVAを殺してしまった。彼らは俺の同郷だぞ。悪いとは思わないのか」
 日本人の頭を握力で握りつぶしながら、友人のちょっとした過失に呆れるような口調で、ウッドは軽く首を振った。続々と戦闘員が車から飛び出し、そして立ち込める血の匂いと煙に、思わず口を覆っている。
「全く、気遣いというものがないな、もっと早く来ることもできただろうに。前回など――」
「死……ね……ッ、この、外道め……!」
 奴の背後に倒れる、日本人らしい男性。彼は内臓を腹部からこぼしながら、震える手をウッドに向けていた。そこから放たれる、日本人の名に恥じない巨大な氷魔法。鋭い五メートルもありそうな氷柱の雨が、いくつも、さながらアイアンメイデンのようにウッドを覆いつくす。
 だが、奴は死ななかった。
 突如としてウッドを取り巻くように現れた炎が、尾を引いて奴の周囲をめぐりまわった。物量の差を温度と密度で退け、氷柱はひとつ残らず氷解し、ウッドの肌にも届かない。奴は、反撃をしなかった。一瞥もしなかった。そのまま、男性はこと切れる。
 ウッドは、何もなかったかのように続けた。
「まぁ、いい。所詮彼らは前座だ。楽しもうではないか、ARF。そして――」
 組織の全体に向かっていた視線が、たった一人の怪人に向けられる。
「――ウルフマン。さぁ、宴を始めよう」
 その言葉は、まるで当てつけのように狼男の耳の中で反響した。






 ジェイコブ・ベイリーの出自は、年若く問題だらけな構成員ばかりのARFの中でも、最も“分かりやすい”ものだ。
 十六年前に生を受け、それなりに裕福な両親に大事に育てられた。その頃は、亜人は正体を隠し立ち回りさえ上手ければ、幸せな家庭を築くことも決して夢ではなかった。警察にも亜人に対抗する手段がなく、精々がセントリーガン設置などによるオートマチックな銃撃戦程度のもの。亜人として生を受けたからには、傷つかないとは言わないものの容易に彼らをいなすことができた。
 だが、シルバーバレット社がアーカムに参入してきてから、事情が変わった。彼らが開発した、対亜人用の特殊な銃器、弾丸。この街にのんきに暮らしていた厄介な吸血鬼一家を殺す事でその価値は示され、すぐに警察に導入された。
 人間と亜人間の争いが目立つようになったのは、必然とすらいえた。街中で銃撃戦、魔法や亜人そのものが宙を飛び交い、路上に血が流れない日はなかった。ジェイコブが十歳のころ、学校に通う時、同世代に送り迎えをしない親はいなかったのを彼は覚えている。
 民家の前を通るとき、料理のにおいよりも血の匂いがした。街の花屋を横切るとき、花よりも硝煙が鼻についた。
 その過程で亜人側につく人間もいれば、裏切って人間についた亜人もいた。前者はたいていギャングの関係者であり、亜人をさらなる裏社会に引きずり込んだ。後者はさんざん利用された後、ぼろ雑巾のように捨てられた。
 人間は力を持たないまま、亜人登場後も世界の覇権を握り続けた存在だ。何故かといえば、繁殖力の高さに加え、彼らの“言葉”が脅威だったからだ。
 亜人は、警戒心とともに笑顔を作るのに向かない。笑顔であれば警戒などしていないし、敵意があるなら唸らずにはいられない。だからこそ、彼らは汚されていった。研究台に上げられ、事実上の奴隷にされ、いかに彼らを力で圧倒しようとも、特殊銃が現れた時点でそのアドバンテージは失われていた。
 亜人だけの強い組織が必要だった。人間のいない、信頼できる仲間たちだけでできた、人間に対抗する組織が。
 そんな時勢の中、とある酒場で、鬱憤をためた亜人たちが気晴らしに宴を催した。
 ジェイコブの父は、その酒場の経営者だった。亜人としての腕っぷしが強いことで知られていた上に、いくらでもツケてくれる寛容さから、常連客には慕われていた。
 愚痴を漏らす常連をなだめ、こんな時くらい、と大損を覚悟で大酒呑みたちに店の在庫を大放出したのが切っ掛けだった。誰もかれもがその夜は浮かれ、騒ぎ、酔いに酔った。そして、誰かが言ったのだ。
『――店主。俺ぁよぅ、アンタが頭になってくれんなら、どこまでも付いていくぜ』
 その声は、ひとつ、また一つと続いた。
『確かに、店主さんなら肝も据わってるし、自分たちの中でもうまく立ち回ってる』
『いまだに人間と遣り合わずに飄々としてんのなんてアンタくらいのもんだぜ!』
『けど、誰よりも怒ってくれてんのもアンタだ。アンタ酔わせると二言目には「これだから人間は!」ってな!』
『愚痴りに来てんのに愚痴られちゃあかなわない。でも、だから信じられるんだ』
 客の声は次第に集い、酔いもあってか酷い大合唱になった。父はしばし困惑したが、酒を大きく呷ってから、高らかに叫んだ。
『だったら、テメェら付いてこい! 俺がなんとかしてやらぁ!』
 あまりの大騒ぎに起きてきたジェイコブが見たのは、勇ましく仲間を背負おうとする父の姿だった。あまりの酒臭さにすぐに引っ込んでしまったが、今なお、あの後ろ姿は鮮明に残っている。
 それが、数年前にJVAに壊滅させられる前まで絶大な力を持っていたアーカム唯一の亜人組織。そして無常にも突然難民としてわたってきた日本人組織に壊滅させられたギャングの元締め。『怪物たちの宴』の誕生だった。





 ウッドが指を鳴らすと同時、周囲に散らばる血、肉片、その全てから剣が出現し、地面に突き立った。数分前まで存在していた惨劇を示すのは、炎上する車や建物に刻まれた傷跡くらいのもの。しかしそれすらも、ウッドの魔法が修繕し、なかったことになった。
 嫌らしい笑みを浮かべるその木の面。ウルフマンは強く睨み付ける。奴は、死体を剣に変えた。そのことが許せなかった。死者が冒涜され、永遠に奪われたという事。それは、生者に埋葬の自由すら許さない。葬式すら、本人なしに行わねばならない。
 その辛さを、ウルフマンは身をもって知っている。司法解剖と名分を立てて連れ去られた父。その亡骸を取り返せなかった屈辱を、ウルフマンは忘れない。
 強く、一歩を踏み出した。ピッグが諫めるような目を向けたが、「頼みます」と低く言うと、頷いてくれた。数秒沈黙してから、部下たちに指示を出す。ウルフマンの攻撃力、速度を主軸に据えた策を考えてくれたのだろう。
 だが、ウッドは「へぇ?」と何かを察したように木の面をケタケタと笑わせている。そして舐めるようにウルフマンの全身を見てから、人差し指、中指でウルフマンを挑発した。
「来い、ウルフマン。どこから来ても、俺は一向に構わないぞ」
「――その余裕ぶった顔、ぶん殴って歪ませてやるからな、ウッド」
 今はもう、戦闘中にイッちゃんのことなど考えない。敵。躊躇いがあれば、ウルフマンは奴に遊ばれることしか出来ないことを、昼間の接触で思い知った。
 ピッグと瞬間目配せしあって、ウルフマンはまっすぐに駆けだした。以前の夜にぶつかりあったときは、策の特質上本気では走らなかった。今朝逃げるときばかりは違ったが、逃げる全速力と向かってくる全速力は全くその姿を変える。
「――む」
 ウッドは虚を突かれたのか、ウルフマンの肉薄に反応できないでいた。狼男はニヤリとほくそ笑んで、爪を伸ばし、駆けざまに振るう。
 しかし、金属を思わせる甲高い音とともに、その斬撃は弾かれた。停止し、反転して奴に向かい直ると、いつの間にか剣がそこに浮いていた。
「驚いたな。全く反応できなかった。剣が動いてくれなければ死んでいたよ」
「……何を、白々しい」
「しかし、なるほど。ならば、ウルフマンの相手は剣に頼んでおこうか。俺は幹部二人をやるから、任せたぞ」
 まるで剣を人格として認めているかのように振る舞って、奴はポンと軽く剣をたたく。するとそれは回転しながらウルフマンに襲い来たから、舌を打って迎撃した。
「ウルフマン! いったん身を退け! 相手がそれじゃあ相性が悪い!」
 指示を飛ばしてくるピッグに、答えようとした。その時、背後からの殺気に気付いて振り向きざまに爪で薙ぐ。固い手ごたえと、やはり響く甲高い音。その光景を見て、ウルフマンは絶句した。無数に浮かび上がる、死体でできた剣。
「逃がしはしない。お前の相手はそれだけいるのだ。全部相手をしてやれ」
「くっ」
 飛び上がり、逃げ出そうとするウルフマン。だが、素早く剣たちはその行く手を塞いだ。着地しそれぞれの間合いを測るが、ドン詰まりに陥ったような諦観がそこに滲み出す。そこで飛ぶ、ピッグの怒号。
「ウルフマン! そんな簡単に諦めるんじゃねぇ! 剣が邪魔なら砕きゃあいいだろうが! もっと柔軟に考えろ!」
「そんな余裕でいていいのかな?」
「なっ」
 ウッドの手元に残った唯一の刃。氷柱を放った男性の体が、丸ごと変化した大剣。それを手に、ウッドはピッグに肉薄した。そして、縦に一閃。
 間一髪で避けるものの、アスファルトが砕け、破片がピッグの体をうっすらに切り裂いていく。
「ッ! この、クソ野郎が!」
「おっと」
 ピッグの腕が炎をまとい、ウッドに殴り掛かる。だが、それをやすやす防いで、「おお、恐ろしいものだ」と軽口をたたいてから距離をとった。
「総員! フォーメーションW!」
「応!」
 ピッグの短い指示に、直属の配下たちが散らばっていく。数人がピッグのすぐ後ろに待機し、残りは全てウルフマンへと向かった。そのまま彼らは自らが追い込まれないようにそれぞれ立ち位置を守りながら、的確に狼男に援護を入れていく。
 それを目の当たりにしながら、ウッドは肩をすくめた。
「……見事なことだ。あの勢いならすぐにすべて壊されてしまうに違いない。いや実はな、あの剣は正直大した強度はないのだ。横に寝かせてハンマーで数回叩けばひびが入り、それを曲げればすぐにへし折れてしまう」
 見ろ、とウッドが指し示す先では、ウルフマンが「何だこりゃあ! 脆いじゃねぇか!」と言ってピッグの配下が固定した剣に爪をふるっていた。一撃で粉砕されるそれら。周囲の剣は破壊を妨げようと向かってくるが、ほかの配下たちが魔法なりなんなりを行使して追い払ってしまう。
 ピッグは鼻で笑って、獰猛な笑みをウッドに向けた。
「ご忠告ありがとうよ、クソ野郎が」
「いいや、構わない。だが、ふむ。それでは困ってしまうな。ウルフマンが戻ってくる前に幹部の一人でも潰しておきたいのだが、……ピッグには隙がないな。配下をつぶすのを狙うのも下策か。そのほうが厄介そうだし――となると、アイだな」
 ぐるり、と気色悪く彼女へと顔を向けるウッド。すでにナイフを構えた彼女は「いいでしょう。かかってきなさい」と勇ましく進み出る。
「ほほう。やはりその自信に揺らぐところはないな、アイ。だがな、今朝の俺と同じと思うと痛い目を見るぞ?」
「ほざきなさい!」
 近寄って一撃を繰り出したのは、アイだった。彼女は鋭くウッドに一撃を入れる。間一髪でかわすウッドだが、アイの攻撃の手には切れ目がない。カウンターの一つも入れることなくおされている。
「おお、おお! やはり鋭いな! お前の太刀筋は!」
「その小五月蠅い口を、黙らせてあげますよ!」
 防戦一方。だが、ウッドはそれでも掠りさえせずに避け続けた。高らかに笑う声が、アイを苛立たせていく。
 ちょうどその時、ウルフマンは全ての剣を破壊し終えた。ひときわ大きく素早い剣を、配下たちが巻き添えを食わないように捌けさせてから、その場を素早く動き回り、加速を続け、最後とばかり交差するように爪を払って剣を文字通り八つ裂きにした。
 ずざっ、と足元で音を立てて、鋭く地面につく。それから戦況を見ると、アイがウッドに向かっていき、ピッグがそれを難しい顔で睨み付けていた。
「ピッグ! 何で加勢させないんだ!」
「隙がねぇんだよ。アイの奴、本気でやってやがる。超近距離戦はあいつの十八番だ。ウチのモンであそこに割り込めるようなのはいねぇ。ハウンドかヴァンプがいりゃあやりようはあったが、前者は他の仕事。後者は今どこにいるかもわからん」
 言われて、ウルフマンもそのやりあいに目を向けた。その剣閃は、あまりに激しい。試しに加勢に出ようかとタイミングを計るが、確かに彼女自身の手が激しすぎるために飛び込めなかった。
 せめて注意を飛ばそうと、口を開いた瞬間だった。
「――おいおい、焦りすぎだ。こんなところでミスをしてどうする」
 ウッドが言った瞬間に、アイは一閃を受け流され体勢を崩した。そして、そこに迫るウッドの剣。受け止めことなきを得るが、形勢は逆転する。
「どうしたどうした! 先ほどまでの勢いがまるで見られないぞ、ん? 俺を黙らせてくれるんじゃなかったのか! アイよ! そんなことでリーダーを取り戻せると思っているのか!?」
 それを聞いて頭に血が上るような思いをしたのは、きっとウルフマンだけではあるまい。歯を食いしばり、様子をうかがう。アイの攻撃の手に比べて、動きはどこか緩慢で隙があった。これなら、飛び込める。ウルフマンは、目を細めて息を吸った。
 そして、走り出す。
 ARF最速の獣は、一直線に奴へと向かい、少々のフェイントを入れて奴に一撃を放った。そのフェイントがよかったのだろう。ウッドは「おおぅ!?」と珍しく困惑した声を出し、その一撃に吹っ飛んでいく。だが、きちんと一撃そのものを防いでいるのが憎らしかった。
「チッ、防がれたか。だが、これで終わりだ!」
 倒れ伏している奴に飛びかかり、覆いかぶさった。一撃を入れるが、剣で防がれる。そこからは鍔競り合いだ。彼の爪とウッドの剣の間で火花が散っていく。ウルフマンはれっきとした力自慢の亜人である。得体のしれないウッドではあったが、それでも十分に押していた。
「くっ、なっ、何故……!?」
 よほど自分に自信があったのだろう。だが、見る影もない。ウッドの木の仮面は無表情どころかわざとらしい泣き顔を模していて、それだけ焦っているのが伝わってくる。
「舐めるなよ! これがARFの実力だ! 降参するなら、今のうちだぜ……!」
 ウルフマンは不敵な笑みとともに言った。そして、この爪が奴に届きそうになる。
 その寸前で、パン、と柏手が打たれた。
 力を込めながらも、ウルフマンは横目で見た。そこでは、アイが柏手を打って笑っていた。
「いやはや、凄いですね、ウルフマン。流石ARFの戦闘派。ウッド相手でも後れを取りませんか」
「や、やだな。アイ。今はそんなことを言ってる場合じゃ……」
 そこで、ウルフマンは違和感に気付いた。アイがほめてくれるのは嬉しい。だが、あまりにも状況にそぐわなすぎる。
「まさか私が手間取ったウッドをここまで簡単においつめてしまうとは、思っていませんでした。今朝も非常に速かったですしね。あれは追いかけるのに苦労しました」
「ア、アイ? 何言ってるんだよ。アイは俺が抱えていたはずじゃ……?」
 だんだんと、ウルフマンの中で疑惑が膨らんでいく。だが、それを信じることは出来なかった。手が、意思に反して震えだす。それを見ながら、「おっと」と彼女はとぼけたような声を漏らした。
「まだ解除していませんでしたか。つい忘れてしまっていましたよ。じゃあ――ここで種明かしと行きましょう」
 仰々しく、まるで舞台女優のように、アイは両手を広げた。その姿が、ウルフマンの視界上でブレ始める。それは、ゲームのバグに似ていた。現実にはあり得ない、ひどい矛盾。
 そして、矛盾が解消される。
「――ウルフマンよ、これが現実だ」
 今までアイがいた場所で、ウッドは高らかに笑い始めた。それを見て、狼男は忘我する。我を取り戻してからも、狼狽えた。自分がつい先ほどまで爪を向けていた相手を見ることができなかった。だが、あの悪魔は冷酷だ。
「しかし、ウルフマン。そう圧し掛かっては、可哀想ではないか。いい加減、どいてやったらどうだ?」
 その言葉に、反射的に視線を下す。そして、見るのだ。
「……ウルフ、マン……」
 信頼を裏切られ恐怖する、彼女の悲痛なその顔を。

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