武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

4話 『おばあちゃんの爪は、どうしてそんなに鋭いの?』Ⅳ

 その団体の先頭を歩くのは、とてつもない大男だった。
 彼は部下を連れ立って、とある民家の前に立った。誰も彼も大柄だが、先頭の男とは比べるべくもない。大男はその民家のドアノブを握って、思い切り、引く。
 その怪力は、合金製のドアを歪ませた。それを何度か試すと、大きな音を立てないまま玄関の扉はへし折れ、不審者たちに内部への口を開いた。
「突入。ウッドらしき人物がいたら撃て。どうせ死なん。他は、丁重に扱え。姐さんか、その家族だ」
「了解しました、頭。おらお前ら! 根性見せるぞ!」
『応!』
 大男の部下たちが大型のショットガン片手にぞろぞろと家に入っていく。その様に大男――ファイアー・ピッグの化身は、「大声出すんじゃねぇってのに……」としかめっ面をして中に入った。
 家の中に入ると、たった一人だけが、リビングで本を読んでいた。青年である。断りもなく入ってきた大柄な男たちに対して、あまり驚いたところを見せずに視線をやっている。
「……ファイアー・ピッグか? アンタ」
 青年は、大男を見てそう言った。ピッグは、人間の鼻をふんと鳴らす。
「動じる様子がないな。知っていたのか?」
「知っていたも何も……、白羽から雑談でいろいろ聞いてるからな。部下を積極的に使うのはファイアー・ピッグであるヒルディスさんだけだって。総一郎が眠った白羽担いで出て行ったあたりで誰かしら来るのは察してたよ。総一郎の部屋は二階の一番奥だ。それ以外はあまり荒らしてくれるな?」
「匿っているのか?」
「馬鹿言うな。昨日、大勢を殺したって聞いて、頭冷やして来いって家から追い出したところだ。ったく、あのバカ野郎は。殴ってやりたがったが、今殴ったところでどうも思わねぇって分かると、気力も失せるよなぁ……」
 近くに置いてあった瓶を、コップに傾ける。こんな時間から酒か、とピッグは眉をひそめた。
「ちっちぇ頃から知ってる可愛い弟分、妹分がそろって非行に走っちまったんだ。やけ酒くらい寛容に許してくれよ」
 ピッグは、その言葉に驚いた。表情を、そこまで激しく出したつもりはなかったのだ。だがそれを読み切った上で、ここまで飄々としていられる。気づけば、声をかけていた。
「青年。お前が、ズショか?」
「……白羽から聞いたのか」
「日本でもなかなか優秀な人材だと聞いた。だが倫理観、死生観が独特なうえ揺るぎようがないから、仲間には引き込めないとも。しかし、今は違う。姐さん――シラハさんはウッドに誘拐された。青年なら、何か知っているのではないのか? 今回の騒動に、協力してはくれまいか」
 ピッグの、外向きの丁寧な言葉遣い。だが、届かなかった。
「嫌だよ。白羽は総一郎の姉だ。弟が姉を連れてっただけのことに、ただの保護者気取りが手を出すつもりはねぇよ。だが、総一郎の部屋から何か見つかるのを期待するなら自由だ。何か俺の部屋から嫌な破壊音が聞こえる気がすっからさ、それを止めてあいつの部屋だけに絞ってくれよ。俺一応研究職だから、やられるとやばいデータとか結構あるんだ。つっても、NCRが完成した時点でガッポガポだからしばらくは遊んで暮らせるんだが」
「……」
 ピッグは、白羽の言う『独特の倫理感』というものを目の前にして黙り込んだ。確かに、これは引き込めそうにない。目を直接見つめたが、彼がこのことに関して嘘を言うとは到底思えなかった。
「……おい、お前ら! ウッドの部屋は二階の奥だ! そこ以外に手を出すな!」
 階段をのぼりながら、部下に向かったそのように怒鳴った。すると、背後で欠伸とぼやきが聞こえてくる。
「今日の清の授業が六限まであってよかったぜ。こんな大声前にしたらさすがにあいつも泣いちまう」
 そう言って、一人で笑うズショという人物に、ピッグは形容しがたい底知れなさを感じた。




 懐かしい、夢を見ていた。ARFが、ARFでなかったころの時代。白羽が勝手気ままに何でも屋を営み、それを愛見が支えてくれていた頃の事。
 何でも屋といっても、部活のようなものだった。空き家があると聞いて、止める愛見の言葉を振り切ってスラム街に足を踏み出した。そして見つけた空き家を改造して、ついでに寄ってきた浮浪者だのギャングだのを死なない程度に成敗して、『何でも屋! 相談タダで受け付けます!』と看板を掛けて完成した、白羽にとっての秘密基地のような場所。
 亜人差別はその頃から酷くって、友人が一人、目の前で警察に射殺されたのがきっかけで、そういうことをやりだそうと考えたのだ。何の脈絡もなかった。彼女の死に理由を見つけるのは不可能だった。他人に憎しみを覚えたのも、この時が人生初だ。しかし、親しい人が殺されたのは初めてではない。
 日本にいたとき、母を殺された。あの時は、憎しみを抱く余裕すらもなかった。それを考えれば、まだ自分も成長したのだと思える。
 白羽はそのときすでに髪が白かったが、羽は興奮しない限り勝手に広がることもなく、つまりは服を着ている限り人間にしか見えなかった。愛見も同じだ。手を開いて力を籠めねば、手の目の瞳は現れない。だから、命をつないだ。殺された一人はそうでなかった。隠すには大きすぎる尻尾を持っていた。
 そんな小さな違いが生死を分けた。そのことに、白羽は、行動しなければと思ったのだ。何をすればいいのかもわからない。何がしたいのかもわからない。ただ、黙っていられなかった。
 何でも屋では、多くの人を助けた。その所為で、だいぶ人に名を知られたが、別に困ることではなかった。よくよく思えば、あの何でも屋時代のやんちゃで、白羽に付いてくるという人が出てきてくれたのだと思う。無料を謳ったのに、結局代金はしっかり受け取ってしまったという事だ。
 何でも屋時代に出会った人。夢は、まさにその初対面の時の記憶だった。半分夢にのめりこみながら、もう半分では懐かしがっている自分がいた。
 ドアを開けて現れた人物。それはピッグであり、その奥から恭しくピッグに迎え入れられたのは、今ではARFの幹部の一人であるウルフマンこと――幼き日のジェイコブ・ベイリーだった。

 ふいに、瞼が開いた。いつの間にか眠っていたのだと、その時になってはじめて気づく。「ん……」とけだるげに起き上がり、伸びをした。その時に、違和感を覚えて視線を周囲に巡らせる。
 そこは、整然と家具の並べられた部屋だった。造り自体は白羽のそれと同じだ。だが、模倣だった。家具それぞれに込められた思い出の痕跡というものがまるで感じられない。例えば、部屋端のクローゼットなど、図書をいたずらで転ばせた時に作ってしまった疵が存在していなかった。
「……何処、ここ? 気味が悪い……」
 立ち上がる。その最中で、目を剥いた。足を見る。鎖がない。
「どういう、事?」
 半ば恐怖に駆られて、白羽は部屋を出た。すると、廊下でなく、図書のリビングにも似た雰囲気のある部屋に出る。本物に比べるとだいぶ小さい。いや、白羽の部屋とはちがって、この部屋自体は模倣されていないのか。
「……ウッド、ウッド! どこにいるの! 説明してよ!」
 十中八九自分をここに連れてきた犯人の名を呼ぶ。だが、この場には居ないようだった。しばらく奴を探して部屋を探し回るが、一向に見つからない。その途中で玄関の扉を押したが、開かなかった。流石にそこまでの不用心はしないという事か。
「まったく、あの人は本当勝手! 何でこう、ああ、もう、ムカつく!」
 その場で地団太を踏む。どしんどしんと音が立つ。階下から何か反応がないかとも少し期待したが、特に何もなかった。もしかしたら住んでいないのかもしれない。あるいは、ウッドがそういう部屋を選んだのか。
「流石に居を移したんだから説明してくれるでしょ。……そこら辺の一般人を殺したあの事件とは違って」
 付け加えるように言った言葉に、自分で落ち込んだ。ため息を吐いて適当な椅子に腰かける。そのままぐったり、背もたれに寄りかかった。
「……総ちゃん……」
 つぶやいて、下唇をかむ。そしてウッドを思い出し、怒りによって湧きかけた弱い心をかき消した。「あんにゃろー!」と無為に叫ぶ。そしてまた、ぐたっとする。
「……私、最近運動全くできてないなぁ……。骨粗しょう症とか大丈夫かな。そういう問題じゃないかな」
 調べたくとも生憎とパソコンの許可が下りていなかった。許可、というのはつまり、洗脳である。いまだに指を組めないのと同じ仕組みだ。忌避感、である。
 仕方ないと、むんと起き上がる。その時、首を傾げた。先ほどまでに気づかなかった扉を、正面に見つける。
「……怪しい。とても怪しい。という事は」
 躊躇わず、その扉に近寄り、開けた。どうせ奴の仕業である。すぐさま身の危険はないが、何やら面倒なことを言われるに違いない。そうと分かっていても開けてしまうのは、それが真実だからだ。真実を知らねば、戦えない。
 開けた先にあったのは、真っ白な部屋だった。床のフローリングを除いて、壁も、天井も、ただただ白い。その部屋の中央を曲線に林立する、五枚の絵。描き掛けであるだけが特徴の、ただのキャンバスだ。
 問題は、その絵の内容だった。
「……みんな……?」
 気づいて、飛びついた。ウルフマン、アイ、ファイアー・ピッグ、ハウンド、ヴァンパイア・シスターズ。それぞれの姿が、巧妙な絵で再現されている。そこまでは、いい。だが、そこに付け足される奇妙な線があった。
「……首、に……」
 ウルフマンの首。そこに、横一本に線が描かれていた。連想するは、斬首。何故、こんなものが、と後ずさる。
「それはね、ウッドが描く予定の絵なんだよ」
 背後からの声に、振り向いた。小さな体躯。娼婦のように妖艶な笑み。息をのむほどの美貌。幼き毒婦。そんな存在を体現した少女が、部屋の入り口に立っている。
「……また来たの? ナイアルラトテップ」
「いちいち面倒な呼び方をしてくれるなぁ。ナイ、でいいじゃない。最初にそう名乗ったでしょ?」
「余計なことはいいの。どういう事か、答えて」
「つれないなぁ。総一郎君はボクに心を許して、キスまでしてくれた事だってあったのに」
 怒鳴りそうになった。だが、堪えた。そんな事をしても、奴を喜ばすだけだ。ナイアルラトテップ。無貌の神。トリックスター。この宇宙で最も、性格の悪い存在。
 睨み付けていると、「ま、いいさ。白羽ちゃんがボクに当たりが強いのは昔からだもんね。許してあげるよ。昔からのよしみで」と、にこやかに笑うのだ。腹立たしさに震える。それを見て、奴は今にも笑い出しそうにしている。
「ウッドはね、今日の昼前、ARFの正体を知ると共に知られたんだよ。ジェイコブ君に、愛見ちゃん。だから、ここに逃げ込んだ。この部屋はカバリストが用意したものでね。特に君の部屋なんかは、図書君の家のものと全く一緒なんじゃないかな?」
「全く、ってほどではないよ。別物と気づく程度に新品だった。……けど、そう。カバリスト、ね。存在は知ってたけど、初めて関わったよ」
 カバラは、神の技術だ。現在では数秘術として実用的に使われることが多いと聞くが、もともとは魂の位を上げて、上位存在に自らを消化させていく修行法である。天使である白羽は、つまるところ上位カバリストと言ったところか。
「それで、この趣味の悪い絵は?」
「総一郎君が、一時期芸術にハマったのは話したよね?」
「あなたが白と黒の絵の具をこっそり取り換えて、悪魔の絵をかかせたとかいうあれ? あの、くだらないお遊び」
「でも、結局真実になったじゃないか。堕天使ってのは、つまりは悪魔だしね。総一郎君は白羽ちゃんを美しい天使として描こうとし、おぞましい悪魔を描いてしまった。アメリカに来てからの君そのものじゃないか! 天使であろうとして、悪魔に堕した白羽ちゃん」
「くどい! ……結局、何」
「予定表、だよ。どういう風にケリをつけていくかっていう、予定表」
 そして、ウルフマンに関してはこういう風に決着がつくっていう予定がすでに立っている訳だね。とナイアルラトテップはケタケタ笑う。いい加減腹が立って、「でも!」と言った。
「ウッドは、殺さないってそう言った! 事故ならともかく、予定として殺すことを計画するはずない!」
「おや、おかしなことを言うね? 白羽ちゃん。あれだけ君を無下に扱っているウッドを、今更信じているなんて言うのかい? それは酷い矛盾だね! あまりに滑稽だ。まぁでも、これはボクの勘ぐりすぎだろう。白羽ちゃんがウッドを信じているわけがない」
 違う? なんてことを聞いてくるのだから、本当に不快だった。だが、白羽は他人の言葉に左右されて意見を変えるようなことをしない。「信じてるよ。信じない訳、ないでしょ」と硬い口調で言う。
 脳裏によぎる、あの冷たい言葉。
『お前以外に「武士垣外白羽」が居ない。なら、ひとまず連れて帰ろうと思っただけだ』
 そんなの、こっちだって同じだ。
「私にだって。私にだって、『総ちゃん』はもうウッドしか居ないのッ……! そんなことは一目見た時から知ってた! でも、信じたくなかった。総ちゃんが死んだなんて事、私には信じられなかった……」
 ウッドを見るのは、辛い。あれはつまり、総一郎の死骸が、全く別の荒んだ意思を持って動いているに過ぎないのだ。リビングデッド。白羽の持つ『天使の目』には、ウッドはそのように映る。
 あらゆる光を見通す蒼き光彩は、総一郎に。真実を見抜く視神経は、白羽に。母の天使の目は、そのように遺伝していた。
 しかし、だからこそ、白羽はウッドをどうする事も出来ないでいた。ウッドは、そのまま総一郎が死に至るまでに負った傷だ。奴は他者の命を物の数にも考えず、死者を冒涜し、それら全てを嘲っている。――他者に自らの命を物の数とも考えてもらえず、死に体となっても冒涜され、あまねく全てに嘲笑われた。
 白羽には、ウッドがそう見える。それをまざまざと見せつけられるのがただ辛くて、彼と姿を合わせたくない一心で、キツイ態度を取らざるを得ないのだ。
 しかし。
「それでも、ウッドはみんなを殺さないって言った。総ちゃんは、大切な人のために嘘を吐く子。だから、だから私は信じるの。総ちゃんを信じるから、ウッドも信じなきゃならないの……!」
 ナイアルラトテップに睨みつけながら、白羽は言った。するとしばらく奴は目を瞠ってから「へぇ」と笑う。
「ふぅん。……へぇー……。何だ、意外に面白い構造になっているじゃないか。総一郎君がウッドになって、白羽ちゃんがブラック・ウィングになって、その対比が一番美しいと思ってたから白羽ちゃんにはガッカリしてたんだけど……、いやはや、読めないものだね。もしかしたら、こちらの方が面白いかな?」
「何を言っているのか分からないけれど、あなたを喜ばせるつもりはないよ」
「いやいや、ボクが勝手に楽しむのさ。ともかく、ボクは君を動揺させるために下手な嘘は吐かないし、もとより君は嘘を見抜けるからね。さぁて、と。じゃあ、今日はお開きとしようか」
 バイバイ、と奴は言った。同時に視界がゆがみ、まるでブラックホールに光が飲み込まれていくようにして暗転する。それに、抗う事はしない。何度も手を伸ばして、届いたことなどなかった。
 そして、目を開く。自分がリビングの机に上半身を投げ出して、寝ていたのだと知った。すると、同時に玄関から鍵を開ける音が聞こえる。そちらに目をやれば、何やら食材だのよく分からない――いや、あれは画材だろうか。とにかく大量の物を抱えたウッドが、少々疲れた様子で扉を閉めていた。
「……お帰り、ウッド」
「ん?」
 振り向きながら、彼は奇妙な顔つきになる。そして、「どうした」と聞いてきた。
「お前が俺に『お帰り』などというとは、思っていなかったぞ、ブラック・ウィング」
「別に。新居になって鎖もなくなったし、あんまり反抗的な態度を取り続けるのも面倒になったってだけ。気にしないでいいよ」
「……そうか」
 釈然としないようではあったが、特に意図はないのだと理解したのか、特に何を言うでもなく買って来たものの整理を始める。その所作は、普通に見れば総一郎そのままだ。悲しいくらいに、面影があった。
 白羽に何を要求するでもなく、黙々と一人で行動するウッド。それを黙って見ているのがどうにも座り悪く思えて、「ねぇ、ウッド」と問いかけていた。
「私とあなたが『初めて』あった時、あなたを拒絶する私に、あなたは傷ついたようなふりをしたよね?」
「……そう、だな。あの時は、自分のことを総一郎だと勘違いしていた」
「あの時、もし、私があなたを総ちゃんと認めていたら、あなたはどうしたの? 嘘を貫き通して、ARFで働いてくれた?」
 その問いを受けて、ウッドはしばらく考え込んだ。そして、思わずといった具合に吹き出す。そのままくつくつと肩を震わせ、「ブラック・ウィング」と喜色にとんだ言葉を投げかけてきた。
「あの時お前が俺を拒絶したのは、実を言うと愚かな行為と思っていた。だが、違ったのだな。お前は、取りうる選択肢の中でも最善のものを取っていた」
「それは、どういう事?」
「単純なことだ」
 ウッドは、心底面白そうに言う。
「お前が俺を総一郎として受け入れていたら、俺は考える間もなくお前を殺していただろう。死者と生者の区別もつかない、生かす価値のないものと軽蔑して」
 白羽は、それ聞いて「そっか」と言った。そして目を逸らして、ぽつりと言う。
「……ほら、やっぱり」

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