武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

3話 ARFⅤ

 玄関の扉を開け放つ。まっすぐ自室に駆けていく。そして、眠った。夜を、待っていた。
 その間、短い夢を見た。総一郎は目を開ける。すでに外は暗くなり始めていた。上体を起こし、首を振る。
「僕……いや、俺は……。……気にするなよ、たかが夢だ」
 ベッドから下りる。そして、外服に着替えた。
 目的は、はっきりしている。そこに至るまでの道筋も、分かっている。
「……気が変わったら、という時の為の『報酬』だったんだな、これは」
 総一郎は指輪の形をしたEVフォンを指につけながら、クスリと笑って鏡の前に立った。身元のばれないような、黒を基調とした平凡な服。あとは、仮面を付ければいい。
 木の面は、タンスの奥にしまってあった。部屋の扉を厳重に確認してから、カバラで人が近づかないように細工して、タンスを開け放った。そして、奥に手を伸ばす。
 だが、無い。
 そこから、桃の木の面は失せていた。
「……え?」
 総一郎は、静かに動揺した。手でまさぐって仮面を探す。しかし見つからない。衣類を力任せに横にのけて、直接見て仮面を探した。けれど、見つからない。最後にカバラを使って、桃の木の特殊なアナグラムを探した。
 そうして、総一郎は現実を直視した。衝撃に仰け反って、震えながら後退した。
「……そんな、そんなバカなことがあってたまるか」
 桃の木の面が、盗まれた。つまりは、そういう事だ。
 総一郎は一瞬恐慌状態に陥って、次に深呼吸をして自らを落ち着けた。まずは、カバラだ。アナグラムを探す。風魔法で何か異変を察知する。すると、僅かな異変が見つかった。
「傷、か? これは」
 近寄って、触れる。カバラを意識的に使わねばわからなかったような、小さな痕跡。それが、窓辺にあった。少年はその先に視線を向ける。空気中に、僅かに乱れたアナグラムが見え隠れしている。
「――俺の正体を明かすつもりなのか? しかし、誰が、何故。俺を知っているのはギャングやARFだけだ。警察は逮捕状も出ていない俺に構う余裕もないはず。けれど、現時点でARFとは敵対していないし、ギャングたちはウッドの後をつけられるような気概のある奴も少ないだろうし……」
 考えるが、答えは出ない。総一郎はため息を吐いて、薄暗がりの中で窓から外に出た。屋根伝いで数軒分移動する。いつもならここから一気にスラムまで飛ぶのだが、今はその必要が無いのだと思って、陰から地面に降りた。もうすっかり、靴を脱がない文化に慣れてしまっている。
 アナグラムは、そこら中に散っているように思えた。それが、辛うじて道筋を残していると。妙な具合だと総一郎は勘ぐる。普通なら足跡のようにくっきりと残るものなのだ。しかし、分かり辛くされている。
「……けど、ギリギリで追える程度だ。素直に、辿って行こう」
 総一郎は、ジョギングを装って走り出した。夜にジョギングに出る人というのは多い。総一郎のような若者でも、走っていてあまり目立たない。
 そこから、しばらく駆けていた。大体、一時間ほどだろうか。アナグラムの痕跡は少しずつ薄れて行ったが、それでも常に追えるギリギリを保っていた。経由した道は様々だ。ミヤさん近くのスラム街を素通りして、大学周りを横切って、今は繁華街の端に沿って進んでいる。今夜中に見つかるかどうかは、甚だ疑問だ。
「……困るな。これならもう、余っている木でもう一回仮面を彫っても――いいや、それはさすがに難しいか」
 一旦歩調を緩めて、ふむと唸った。かれこれずっと走り続けていたが、あまり息の乱れはない。父の修業が今も影響しているという事だ。思い出すたび、あの日々は無駄ではなかったと感じる事がある。
 そこで、意外な人物と出会った。
「あれ~? 総一郎君じゃないですか~」
「あ……、どうも、マナさん」
「こんばんは~、総一郎君~」
 柔和な笑顔で目を細めてお辞儀をする愛見。総一郎は肩を竦めて、尋ねてみる。
「今日も、酒盛りですか?」
「あはは~、やだな~もう~。私が呑めるのは、ミヤさんの店だけですよ~? しかもあれ、アルコール0%なんですからね~?」
「……0.何%ですか?」
「……9とかですかね~」
 限りなく1だった。
「それで、総一郎君はどんな御用事ですか~? 結構汗かいてますけど~」
「これは、アレですよ。運動不足解消に、ジョギングをば」
「あら~、勤勉な人ですね~。尊敬しちゃいます~」
 心にもない事を、と口が滑りそうになる。が、我慢である。恐らく怒らないだろうが、儒学的にも年上は無条件に敬ってしかるべきなのだ。そう、年上という一点のみを。
 人間関係円満のコツである。
「そうそう。そういえば、総一郎君は聞きました~?」
「? 何をです?」
 急いでいると言えば急いでいるが、どうにも終わりの見えない作業に疲れていて、総一郎は一旦箸休めをすることに決めた。数分雑談に花を咲かせてもいいという気分だったから、愛嬌よく話を促してみる。
 すると、結構面白い話が飛び出てきた。
「実はですねぇ~、なんと! NCRがとうとう、警備ロボットとして、法人相手にレンタルが始まったのです!」
「おおっ! ついにですか!」
 乗り気になって思わず拳を握ってしまう総一郎。自分が苦労させられた分だけ、あの手ごわいロボットが立派な作品としてリリースされるのは嬉しい事だった。
「そうなのです。とうとうですよ~。もう嬉しいったらないですよね~。それに、総一郎君が手伝ってくれたおかげで~、なんとあの原子分解からの電撃さえ何とかしちゃうリニューアル版に変わったそうです!」
「ほう! その仕組みは!」
「ひとまず、建物限定でなのですが、警備区域の壁にあらかじめ給電機を備えつけておくんだそうです。ほら、原子分解って、要は原子間の電子を無理やり吹き飛ばす荒業じゃないですか。だから、再び電気を与えて――、という具合ですか~」
「しかし、アレは極度に小さいとはいえ、無造作に電気を与えて復活する物なんですか? 俺は、かなり小さな歯車チックな磁石ロボットが、引き合う力でくっつきあって動いていると考えていましたが」
「そこは問題ないそうですよ~。何せ、あのロボットはスライムの構造をまねて作っているそうですから。そういう話、授業で習いませんでした~? ほら、蚊の針を模して、無痛の注射針を作った、みたいな」
「……スライムですか、そうですか」
「あれ?」
 スナーク、スライムとよく分からない系の魔物が嫌いな総一郎。嫌な顔が思わず表に出てしまう。だが愛見は少し首を傾げただけで、すぐに話題に戻った。この人は理系だなぁとちょっと思う。
「それでですね~」
 眼鏡の奥の瞳をキラキラさせながら、彼女はさらに話を続けようとした。その途中で、「あれ?」ときょとんとした声を漏らす。「どうしました?」と聞くと、「あれ……」と指を差した。
「……人影、ですよね。しかも、何か気味が悪い色をした……。――もしかして、ウッド?」
 総一郎は、その言葉に目を剥いた。目を凝らすと、小さなビルの上に僅かに覗く人影。化学、生物魔術で簡易的な望遠鏡を作って覗くと、少年は驚きに息を詰まらせた。
「ウッド、だ。奴は、間違いなくウッドだ」
 視界に映るその面は、紛う方なき自分のものだ。
 総一郎は、慄いて半歩後ずさった。言葉が、出てこない。その時、唐突に愛見が声を上げた。
「あ! すいません総一郎君~。怪人を見つけるなんて言う幸運に折角巡り合ったのに、私、これから用事があるんでした。ごめんなさい、今日はこれで失礼しますね~」
 僅かに焦った風に、彼女は走り去っていった。愛見が走るところなんて初めて見た、と少し驚きながら、しかしすぐに、総一郎は注意をウッドに戻す。
 奴は、動いていない。ビルの屋上で、直立したまま何処かを見つめている。その気が変わるまでに、追い付かねば。総一郎は、駆け出す。
 まず近くの路地裏に入って、次に飛びあがり屋根伝いに移動した。次いで、風魔法で自身を加速させる。
 タタタタッ、と軽快な、まるで焦ったタップダンスのような音を足に纏わせながら、体重を感じさせない走りで進んでいた。もうすぐ、奴のいる場所にたどり着く。最後に気が急いて、迂回路を取らずに大きく跳躍。道路を跨いで奴のいる屋上に直接着地した。
 摩擦でくつが焼け焦げる。だが、気にすることではないと思った。「おい」と呼びかける。そして睨み付けながら、問うのだ。
「お前は、何者だ。なぜ俺から、仮面を奪った」
 背を向けた奴の姿は、異様だった。それが、少年の眉根を寄せる。自分と同じくらいの背格好。服装も奇妙の一言だ。気色の悪い人肌のような皮を、剥いでそのまま着用していると言った風情である。
 それに見覚えがあった。無意識に、右腕を一瞥してしまう。修羅の腕。整形できなかった時、あんな姿をしていた。
 少年の呼び声に、ゆったりと奴は振り向く。いやな予感が、総一郎を射抜く。奴の、顔が見えた。総一郎が作った面。振り向く際に、総一郎は気付いた。案の定、癒着している
「……」
 奴は、無言で居る。総一郎を、値踏みしているかのような視線だった。総一郎は、それに嫌な心地をしながら、傍らで考えるのだ。
 耐えきれず、言う。
「……お前は、修羅か? 俺の、修羅なのか」
 すると奴は、無言で仮面に指を掛けた。それが、総一郎を硬直させた。
 力が籠められる。僅かに、仮面が軋む。少しずつの剥離。総一郎が面を外す時の所作に、あまりにも似ていた。皮をはぐような生理的に嫌な音を立てて、仮面は奴の顔から取り去られていく。
 そして最後に、急激に力が籠められ、引きはがされたのだ。
 だがその仮面の下の顔を、総一郎は見ることが出来なかった。
 思い切り取られた仮面は、そのまま真っ直ぐに総一郎に飛んできた。ある種、投げつけられた様なものだった。仮面は総一郎の視界を塞いで奴の姿を瞬間隠す。それに咄嗟に反応できなかった少年は、我に返って眼前で飛んできた仮面を掴み、視界から素早く取り除いた。
 しかしもう、そこに奴の姿はない。
「……」
 仮面を見る。総一郎ならば残されている、修羅の残りカス。だが、ここにはない。総一郎は、もしかしたら白昼夢でも見たのかもしれないと思いだした。空は、もうとっくに夜の帳を落としていたけれど。
「……まぁ、いい。今出来ることをしよう」
 仮面を、被る。修羅が延びてきて、総一郎の大半を呑み込んでいく。腕を斬られても平気な体。体を真っ二つにされても死なない体。それが、ウッドだ。生憎と、そこまでの攻撃を食らわせた者は、いまだ一人もいなかったが。
 そして総一郎はこの世から掻き消え、代わりにウッドが現れる。顔の下は桃の木に溶かされ、癒着する。後ろの留め具であるゴムなど、本当は要らない。ただ、嵌めるだけでよいのだから。
 ポケットを探る。EVフォンを見つける。指に着け、ARFと連絡を付けようとした。そこに、邪魔が現れた。
 殺気を感じて、ウッドは瞬時に飛びのいた。そこに、爆撃染みた着地をする白い影。木刀をイギリスから持ち帰った袋が取出し、翳す。奴は、その価値がある敵だ。
「何の用だ、ラビット」
「こちらの台詞だ。数時間前から、お前がここに立っているという情報が入った。お前は何を意図している――ARFは、お前に何を命じた」
 ああ、とウッドは思う。奴は、まだ勘違いを起こしたままでいるらしい。だから、教えてやる。
「俺は、ARFではない。誘われて、断った身だ」
「何だと?」
 ラビットは、その言葉に動揺した。フードの奥で、鋭い眼光を放つ。それなのに、奴の顔は判別できないでいる。不思議な服だ。魔法でも同じことはできるだろうが、アナグラムは魔法でないと告げている。もっと、強力な何かであると。
「何故だ。お前の探し人を見つけると、そういう契約を交わしていたのではなかったのか」
 ラビットの言葉に、ウッドは「そうだったな。だが、今は状況が違う」と告げる。
「情報をほしいなら、とARFは俺の加入を求めてきた。だが、断らざるを得ない理由があり、断った。俺は再び調査を続け――その後、ARFのボスその人が俺の探し人であると知った。戦力増強という観点もあっただろうが、俺を誘った本来の目的は機密保持という事だろう」
 ウッドの説明に、ラビットはしばし呆然とした。しかし我に返るとすぐに、ニヤリと笑う。
「なるほどな、面白い。そうか、お前はそういう種類の輩だったか。では、何だ? これから、ARFの本拠地に赴いて頭をさらいに行くつもりか」
「そのつもりだ」
「……なら、お前にくれてやりたい情報が一つあるぞ、ウッド」
 唐突に、奴は地名を吐き出した。都市部の、ビルの最上階付近。察しの悪いウッドではない。すぐに、勘付いた。
「そこに、いるのか」
「居る。今日の真夜中、動き出すという事も知っている。だが、お前がブラック・ウィングを名乗るボスを攫えば、その計画は間違いなく狂う。後手に回っていた俺が、とうとう一歩前に出る」
 獰猛に、ラビットは笑う。この表情を見て、以前も思った。――奴の、何処がウサギだ。
「……俺は、お前に与するつもりはないぞ、ラビット。ただ、したい事をするだけだ」
「分かっている。前に、信じなくて悪かったな。お前は、誰とも違う。孤独な、一本木だ」
 言って、ラビットは跳び去った。ウッドは、地図を思い浮かべながら街に目を向ける。
 そして、魔法で大きく飛翔した。
 アーカムの地理は、電脳魔術で把握できた。あとは、向かうだけだ。ARFと直接連絡を取って、というやり方は、頭がよくない。新参者としてウッドが現れた時点で、まず間違いなく数ヶ月は警戒が続く。だから、この事は幸運だった。
 跳び進む際中、ウッドは雪に気付いた。冷たい、雪に。





 そこに、彼女は居た。
 壁の一面をガラス張りにした、夜景を楽しめるような造り。中は瀟洒で、ゆったりとした雰囲気の部屋だった。だが、金はかかっていない。部屋の大きさに反して、置かれた物はシンプルなだけの安物ばかりだ。
 しかし、アナグラムが無ければ分からなかった。見栄えだけを狙ったカモフラージュ。対象とされるのは誰だろうか。警察やギャング。それぞれの形で、この部屋に招き入れることがあるのだろう。
 彼女は、厳つい巨躯の男と和やかに談笑していた。雰囲気で、ウッドは理解する。ファイアー・ピッグ。その男は、奴がとった人間の姿なのだろう。とするなら、奴の正体は悪魔か神か。
 しばらくビルの外に掴まって息を潜めていた。そして、ファイアー・ピッグらしき男が出ていくのを確認する。それを、見計らった。
 音魔法での消音。熱魔法による、方向性の無い破壊。
 数秒の時間も、要しなかった。すぐにガラスは歪み始め、音なくひび割れ、砕け散る。だが、気配だけは感じ取ったのだろう。彼女はこちらに振り返った。そして目を剥いて、臨戦態勢で後ろに飛びのく。
 音を、戻した。彼女は、鈴の音のような声を精一杯低くして、唸るように言う。
「……ウッド。話は、聞いてる。私を捜索していたって話だけど、この分なら本当らしいね。――でも生憎と、私、一人の例外を除いて探される覚えはないのだけれど」
 その言葉に、ウッドは妙な感想を抱いた。この文脈ならば、むしろ、その例外だと看破されているはずだと感じていたのだが。
 だから、分かりやすい態度をとった。日本語で、“らしく”言葉を発する。
「その例外だとは、思わないの? 全く、昔でも今より察しは悪くなかったよ」
 肩を竦め、呆れた風な声色で言った。すると、きょとんとした風に「え……?」と彼女は言う。だから、ウッドは仮面を外した。抵抗なく、仮面が外れる。その事にウッドは、違和感を覚えなかった。
「久しぶり、白ねえ。俺の事、覚えてる? 総一郎だよ。武士垣外、総一郎」
 微笑んで言った。すると、彼女は驚愕に黙り込む。その様が可笑しくって、笑いながら言った。
「そんなに驚く!? むしろ、俺がウッドだって事は、ある意味では予想通りじゃないか。ARFの情報網なら俺がアーカムに来たことはすぐに知れただろうし、俺が来てからすぐにウッドが現れた。白ねえなら、すぐに看破していておかしくないと思ってたのになぁ。昔からちょっと抜けてるとは思ってたけど、このくらい見抜いてくれなきゃ困るよ全く。……何か愚痴っぽくなっちゃったな。そんなこと言うつもりじゃなくてさ、ほら、何て言うか、その」
 言葉に詰まって、後ろ頭を掻いた。しばしの沈黙。息を深く吸って、覚悟を決めて、言う。

「また会えて、嬉しいよ、白ね」
「黙れ。私の大事な弟の振りをするな、偽物」

「……えっ」
 シン、と張り詰める様な静寂が下りた。よく見れば、彼女は目を剥いて驚いているのでなく、目を見開いて鋭く自分を睨み付けていた。狼狽。委縮。二つが襲い来て、体が震えだす。
「な、何を言ってるのさ。俺は、武士垣外総一郎だよ。覚えてないの? 俺だよ。それとも、この数年で忘れちゃったの?」
「片時だって忘れた事なんてない。私が世界で一番愛してる弟だもの。でも、あなたじゃない。あなたなんか知らない」
「俺は俺だよ! 武士垣外総一郎だ! 白ねえの、弟だ……!」
「しつこい。もういい、黙って。何が目的かは知らないけど、そんな戯言を言いに来たんならとっとと帰ってよ。私はあなたの姉じゃない。あなたは私の弟じゃない。違う? ウッド」
 にべもないその言いぐさに、失意し、脱力してしまう。感動の再開を期待していた。拒絶されるだなんて考えても居なかった。
 でも悔しくて、諦めきれず、尋ねた。俯いて、「なら」と切り出す。
「なら。なら、俺は何だよ。白ねえの弟でないなら、俺は何だよ……」
 彼女はその問いに、見定める様な冷ややかな視線を浴びせてきた。上目づかいに様子をうかがう。視界に飛び込んで来る、その、赤の他人を見つめる瞳。怯みが、全身に走る。
「……私の父が、人にして人ならざる者の中の、最も恐ろしいものの一つに、こんなものがあるって話してくれたことがあった」
 区切り、続ける。
「あなたは、修羅。修羅以外の、何者でもない」
 その断言に、後退する。衝撃に、打ちのめされる。全身が震え、止まらなくなる。重心が背後に傾き、右足が下がり、地面に着く。同時に、消えた。震えも、動揺も、総一郎“らしい”所作と共に。
「でも」
 本音が漏れる。彼女を直接一目見てから、いや、もっとずっと前から思ってきたことが――

「――君だって、白ねえじゃないじゃないか」

 着地した足に力を込める。重力魔法、風魔法、時魔法。“ウッド”はそうして反転した。肉薄。アナグラムさえ欺いて、ウッドはブラック・ウィングに手を伸ばす。彼女は寸前で手を組もうとした。許さない。組まれた時点で脅威になるなら、組ませなければいいのだ。
 氷魔法。それで、彼女の手を蝕んだ。母が、同じ方法で酷い目に遭ったのを今でも覚えている。天使は、手が組めなければ無力な少女だ。
 そして、手が届いた。首を掴み、地面に押さえつける。馬乗りになって、容易に身動きをとれなくする。
「うっ、がぁッ……! ウッド、ウッド……ッ! あなたは、何をっ」
「お前以外に『武士垣外白羽』が居ない。なら、ひとまず連れて帰ろうと思っただけだ。何せ、代わりが居ない」
 彼女はそれに何か言い返そうとしたようだったが、面倒だったので黙らせた。空いた手を頭に当て、精神魔法を放つ。それだけで、簡単に気絶する。生物とは、かくも脆い。
 そうして気絶した彼女を、仮面をつけてから担ぎ上げた。白を基調とした服。翼は隠れていて見えない。だが、剥けば小さなそれが背中についているのだろう。あの、恐ろしく染まった黒き翼が。「ハッ」と吐き捨てる。何が、『私が世界で一番愛してる弟』か。笑わせる。
 ゆったりとした歩調で、窓に近づく。そこから飛び降りようとしたところで、部屋の扉から勢いよく現れたものが居た。先ほどの厳つい男だ。それがウッドの姿を見つけて、「姐さんッ!」と叫びながら黒く燃え上がる。予想通り、そこに現れるのはファイアー・ピッグの巨躯だ。
「ウッド、お前は一体何をしている!」
「見ての通りだ。ファイアー・ピッグ。情報と、その通りの人物を貰いに来た。今日の映像を流した時点でそれなりに対策は打っていたろうが、残念だったな。ラビットが、お前らの予想を裏切らせてくれた」
「ラビット……! そんな、まさか」
「もう、何も話すことはない。さよならだ。炎の猪」
 倒れ込む。中空。共に、投げ出される。その途中、光魔法で姿を消し、上空へ飛びあがった。しんしんと降り積もる雪。息が、白く染まる。
 ウッドは、自分でビルに新設した出入り口に視線をやる。砕けたガラスで囲われたそこから、炎を纏いながら奴が飛び出てきた。ロケットのように逆噴射で浮いているのだろう。叫びながら、周囲を窺っている。
「ウッド、ウッドォッ! 出てこい! いいか、絶対に見つけてやる。俺たちのボスだ。俺たちの――」
「……聞き苦しいと言ったらないな。早く帰ろう。今日は、まだ夕食も食べていない」
 独り言をつぶやいて、ウッドは風を操った。左肩に載るブラック・ウィングは、思った以上に軽い。ウッドがそうして遠ざかる中、ピッグは暗く寒い夜の中心で、その後もずっと、低い声で叫び続けていた。

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