武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

1話 白羽の居ない日々Ⅲ

 その日は、雨の日だった。
「……何か、これはこれで好きになってきた気がする」
 雨がアスファルトを叩いている。外観の為だけに取り残された街路樹が、葉を打つ雨粒に音を立てていた。総一郎は、『壊れない傘』を差しつつのんびりと歩いている。小奇麗な私服にリュック。向かう先はミスカトニック大学付属校だ。受けた記憶はないが、入学試験はパスしたことになっている。
 アメリカには、日本やイギリスにあった文化感が薄い。だが、その一方で人の営みが豊かに感じられるのも事実だった。都市化。発展。そういう、円熟よりも活気を求めた人々の生きる場所。そう思うと、これはこれで風情があるのかと思うようになる。
 般若家があるミスカトニック大学付近は、かなり好条件の場所だ。高収入でなければ住めない場所。図書は様々な人の好意と運のために、ここに住めているのだと語った。その点に関して、深く感謝しているとも。
「ご近所づきあいが、まだ俺全然できてないんだよな。早い所、あいさつ回りでもしないと」
 出来たのは、精々ミヤさんくらいだろうか。聞けば図書も良く行く店なのだという。横に書かれたバカ高い定価の話をすると、『ああ、何か犯罪起こすとミヤさんがそれを察知して、そいつにだけ定価を払わせるんだとか言ってたな』と笑っていた。外見もそうだが、何だかんだ本名が明らかになっていない辺りも含めて、謎の多い人である。
 高校に着くと、大量に人がいた。アメリカ人と、日本人らしき人々、大体半々くらいだ。アーカムは日本人の割合が非常に高い。何処もそうという訳ではなく、数少ない日本難民受入れ都市であるからだ。
「入学式は無くて、行き成り授業だったっけ」
「ま、そういう感じだな」
 突然話しかけられて、総一郎は飛びあがった。素早く振り返ると、そこに居たのは図書である。「何でいるのさ」とつっけんどんに聞いた。
「何でってのは随分と御挨拶だなこの野郎。まぁちょいと心配だったってのもあるんだが、本当のところは俺の職場だからだな」
 くいと彼は広い大学を顎で指し示す。総一郎は、それに従って視線をやった。この街で最も大きな敷地を有する建物、ミスカトニック大学。広さは東京ドーム数個分だとか聞いた事があるような、ないような。どうでもいいが、今の世も東京ドームを尺度にしているとは思わなかった。
「図書にぃ。見栄張っちゃ駄目だよ。すぐばれるんだから」
「バレねぇよ! いや違う、真実だっての! 俺! ここの! 職員! 何か久々に総一郎に弄られてかなり懐かしさが胸に迫ってる!」
「うわっ、キモ」
「……うん、頭冷えた」
「分かった分かった。ごめんって。そこまでキモイとは思ってないから。それなりそれなり」
「それなりに思ってんじゃねぇかよ……」
 悲しそうに項垂れる図書の背中をポンポンとやりつつ歩く。しばらくして「高校はあっちの方な」と指で示された。
「いろいろ勝手が違うと思うけど、安心しろ。日本人が多いから、割とすぐに慣れるさ。いざとなったら白羽の名前出してみ? とりあえず、人間関係で悩むことはないと思うぜ」
「本人が居ないのに何でこんな度々名前を聞くんだろう……」
「そりゃ、あいつがお人よしのアホだからな」
 肩を竦める図書。何ともアメリカ染みた所作である。だが、それよりも総一郎は気になることがあった。気づけば、言葉が口から出ていた。
「図書にぃは、白ねぇを『ぶっ飛んでる』って言わないんだね」
 かなりの頻度で彼女を指していた形容詞。それに、彼は答える。
「別に。そこまでヤバい奴って訳でもねぇだろ。ま、昔からアホなのは変わりないのが残念だったが」
 彼はそう言って、ひねた笑みを浮かべた。それが、何故か嬉しかった。


 人ごみの中、あらかじめ配られていた資料を頼りに、自分の受ける授業を確認してそちらへと歩いていく。高校の癖にすでに大学っぽいな、と思う。何せクラスというものが無いのだ。気が楽といえば楽だったが、新たな土地でのこれは結構不安かもしれない。
「……ふむ」
 総一郎のために用意された、ナンバー77のロッカー。微妙にカバリストの影がちらついてウザったかった。何だろう。遠回しの嫌味だろうか。
「まぁ、いいけどね」
 荷物を入れる。鍵を閉める。そして教科書だけもって所定の授業に向かおうとする。すると目の前にはメガネをかけた少女が総一郎のことを睨んでいた。
「……えっと?」
「あ、すいません~。……日本人の方、ですよね~?」
「……はぁ」
 睨んでいたというよりは凝視されていたらしく、彼女は酷く穏やかに話しかけてきた。間延びしたような話し方だと、総一郎は思う。今まで、関わり合いの無かったタイプだ。ちょっと戸惑う。だが、続く彼女の言葉が総一郎の緊張を取っ払った。
「もしかしてですけど、武士垣外白羽さんの、ご親戚の方でしょうか~?」
「えっ、は、はい。弟、……です」
『何だと!?』
 びくっ、と突然飛んできた声に竦みあがる。老若男女の混ざり合った声である。狼狽しつつ、総一郎は周囲を見回した。その場にいる、ほとんどの人間が総一郎に注目している。
「え、な、何ですか?」
「え、その、私も何となく聞いてみただけなんですけど。偶然って、あるものですねぇ~」
 感心した風にメガネの少女は言う。穏やかな雰囲気だが、彼女以外はそうでもない。「ちょっ、ちょっ、ちょっと待ってくれよ!」と言いつつ近づいてくる黒人の少年。かなり背が高く、総一郎が見上げるほどもある。
「あのシラハさんの弟だって!? ってことはお前、ソウチ、ソウ、ああもう! 言いにくい!」
「ソウでいいよ……」
「いや! シラハさんにちゃんと言われてるんだ。ソウイチロウっていう名前を噛まずに言えない奴は私刑ね☆ って! おし、今回は言えたぞ!」
「俺の知らない白ねぇが再び……」
 一体全体何があったのか。総一郎には皆目見当がつかない。
「それで、お前はソウチ、ぐぁああ!」
「いや、もううざい。ソウって呼んでくれ。無理に総一郎って呼ぼうとするなら考えがある」
「考えとは?」
「君の名前は何」
「オレか? ジェイコブ・ベイリーだ。みんなからはJって呼ばれてる」
「なら君がソウイチロウと呼ぶ限り、俺は君の事を意地でもジェイコブと呼び続ける。そして偶に意図的に噛む」
「……それは、嫌だな」
「だろ? 分かったら、俺の事はソウって呼んでくれ」
「ああ。……済まない、シラハさん。本人の意思は尊重するしかないようだ……。だが君に似て妙に逞しい感じは微妙にうれしいよ、シラハさん……」
「何だろう。無性に殴りたい」
 筋肉質で身長もあるのに、どうにも畏怖と言うものを感じない。ドラゴンと比べると全然小さいから、当然と言えば当然だ。
 そこに、白人の少年が割り込んでくる。
「もういいだろ、J。みんなソウイチロウとは話したがってるんだ。お前だけで独占するなよ」
「分かったよ。マナさんはどうする? オレはそろそろ授業があるから行くが」
「あ、そうですねぇ~。じゃあ私は、もうちょっとここに居ます~」
 黒人の少年Jはそう言って、にこやかに総一郎に手を振って去って行った。何とも微妙な気分にさせられる。色々と突っ込みどころの多そうな人柄だ。
「というか、俺も授業あるから行きたいんだけど……」
「あ、そうですか~。ならすいませんが皆さん。どうか総一郎君に気を遣って授業に行かせてあげてもらえます~?」
「マナさんが言うんじゃ仕方ないな。じゃあ、ソウイチロウ! いろいろシラハさんの話聞かせてくれよ!」
 そんな風なことを言い残して遠ざかる十人弱の人々。というかあの中にさらりと教師が混ざっていることが非常に不可解だった。どういう交友関係なのだろう、白羽は。しかもJ以外適度に静かで統制が取れていた。本気で謎だ。
「すいませんね、総一郎君~。みんな白ちゃんが居なくなっちゃって寂しがってるんです~。どうか、許してあげてくださいね~?」
「あ、はい。まぁ、別にそこまで嫌って程ではないですよ。……えっと、マナさん?」
「あ、わたし、東雲 愛見って言います~。貴方のお姉ちゃんとは仲が良かったんですよ~。だから、困ったことがあったら是非わたしに相談してくださいね~」
「あ、それはどうも。よろしくお願いします」
「こちらこそ~」
 互いにお辞儀し合ってその場は分かれた。総一郎は一人授業に向かいつつ、首を傾げる。
「……この釈然としない感じは一体」
 湧き上がる謎の不快感。総一郎は胸のむかむかする感覚を抱きながら授業へと向かう。
 広い校舎を、正しい道をカバラで計算しつつ歩いた。迷う事はなかったが、迷路のような建物だとも思った。大学付属の金がかかっている学び舎故、その景観は騎士学園にも迫る見栄えの良さと、それ以上の居心地の良さがあった。歩くのが楽しいと感じたのは、日本の実家以来だ。
 目当ての教室を発見。着席し、すぐにチャイムが鳴った。多少新入生という事で先生自身の挨拶はあったが、本当にそのまま授業に入った。内容は少し難しかったが、総一郎にとってその作業は思い出すという方が近い。イギリスの時からある程度はやっていたものだから、そこまで苦労することはなかった。そして久々の数列が楽しい。超楽しい。
「カバラ自体に罪はないよねー」
 いくつか授業をこなしていると、遭遇した数学。授業で出される問題を、本来の解き方と、カバラを用いた十通りの解き方で何もかも判明させる。へぇ、この問題を作った人、セロリが苦手なんだ。
「……セロリ……?」
 隣の生徒の声に、総一郎はピシッと固まった。横を見ると、少女が困惑気味に「やァ」と手を上げる。酷く愛らしい顔つきである。丸っこくて、ひょっとすれば年下にも見えた。黄色人ではあったが、微妙に日本人ではない。ひとまず、「やぁ」と返しておく。
 そして、彼女は指で総一郎のノートを指し示す。
「それで、これが何なのか教えてくれるカナ? 何でこの問題からこの膨大な数字と、そこからアルファベットで『セロリ』が出てくるのか」
 微妙に、イントネーションに特徴があった。中国人かな? と当りを付けつつ答える。
「はは、恥ずかしいな。ただの悪戯書きだよ。ほら、あの先生太ってるでしょ? 何かセロリが嫌いそうだなって思って」
「ヘェ、ボクも嫌いだヨ、セロリ。アレ苦いよネ」
「ちなみに俺はセロリよりマーマイトの方が嫌いかな」
「ンー、ベジマイトなら食べたことあるよ。あれもマッズくってねェ」
 嫌いな食べ物トークで通じ合って、互いにクツクツと笑いあった。先生の厳しい視線がこちらを向いて、取り繕うようにぴたっと姿勢を正す。
 その後あまり時間が過ぎない内に、チャイムが鳴った。「折角だから一緒にランチにしようヨ」と彼女は誘ってくる。「いいよ」と答えつつ、名を聞いた。「人に名を聞くときは、自分から名乗るものだろう!」と滅茶苦茶流暢な日本語で返された。
「……えっと?」
「あ、アレ……? 伝わらなかったカナ? 君、日本人だよネ?」
「う、うん。いや、そのネタ自体にも聞き覚えが全くないわけじゃないんだけど、ちょっとびっくりして。君、日本人だったの?」
「ウウン? ボク、留学生なんダ。名前はタン 仙文シィェンウェン。で、好きなものは日本! ジャパニーズ! ほら、見て見て! 小遣いハタイテJVAバッチも買ったんだヨ! やっぱりこれがあると夜道も安心して歩けて良いヨネ! しかもこれ、夜だと微妙に光るんだヨ!」
「あれ、そうなの? あ、俺の名前は武士垣外 総一郎。よろしくね」
 あまり女の子らしくない名前である。ふと気になって、カバラで彼女の事を割り出し始めた。これは、総一郎の野性的な勘に起因する。何処か、怪しいと思ったのだ。
 そして、少年は内心硬直した。
 彼女――いや、『彼』、男ではないか。
「武士! ニンジャの次に格好いい名前だネ! ヨロシク! イッちゃん!」
「い、イッちゃん?」
「あだ名だヨ! いやーボクって幸せ者だナァ。いきなり日本人の友達が出来るんだかラ。今度魔法見せてネ!」
 随分とハイテンションな彼は、そのまま総一郎の手を取った。そのまま、スキンシップとばかり腕を抱きしめる。何かいろいろ危ない気配を感じて、総一郎は苦笑しつつ距離を取った。
 何だろうか。彼女――じゃない、彼に対して、何か己の内側から立ち昇るような感情があったのである。そんな素気ない行動に、彼は頬をむくれさせる。そんな表情もかなり可愛いのが困りものだ。頭を振って思考を正常化。素直に彼の人柄を評する。
 剽軽で、愉快な人だ。そういう人間が総一郎の好みだから、というのも大きいかもしれない。しかし、と総一郎は振り返る。思考が、仙文から他者へ飛ぶ。
 思えばJや愛見だって、愉快の範疇に入りそうなものである。だが、何故かそれを否定したい自分が居た。いつもなら、少しでも友好的な人間ならすぐに好評価を下すのに。
 カフェテリアで数ドル払って食事を貰う。席に着くと、すぐに「おーい!」と呼ぶ声。何となく物理的に上から落ちてくるような声には、聞き覚えがあった。
「来たな、J」
「何故か微妙に敵視されてるみたいで辛いぜ……」
 妙に警戒した声色が出て、総一郎自身驚いていた。彼の言うとおり敵視、とまではいかないのだが、何故か素直に心を開こうと思えない。実際的なことを言えば誰にも開けないのだけれど。
 Jはその逞しく黒光りする腕で、持っていた大量の食事を総一郎の隣に置いた。不自然な配置である。せめて向かいに座れ。
「あ、ここに居たんですね~、お邪魔します~」
 すると今度は愛見が現れ、総一郎の向かいに座った。何だかぎっちり感が凄い。
「イッちゃん。友達が多いんだネェ」
 感心した風に、仙文は言った。それに、片眉を上げて「ん?」と食いつくJ。
「イッちゃん? 誰だ、それは」
「彼の事サ。えっと、君は? ボクは湯仙文」
「オレはジェイコブ・ベイリー。イッちゃんの友達ってんならオレの友達みたいなもんだ。Jでいいぜ。イッちゃんとはその姉のシラハさんを通じて知り合ったんだ」
「わたしも、イッちゃんとは白ちゃんつながりですねぇ~。よろしくお願いします、東雲愛見です~」
「ちょっと待とうか。いつの間にイッちゃんで定着した」
 あんまり大人数で呼ばれたくない愛称である。少人数なら許容範囲だが、この勢いだと知らない人に「イッちゃん」と呼び掛けられそうで嫌だった。
 学校が終わり、家に帰るとすでに図書がリビングで寛いでいた。「帰ってくんの早いね」と言うと、「今日は教授の機嫌悪かったから逃げてきた」とカラカラ笑う。
「どうよ、学校。上手くやってけそうか?」
「……うん。人間関係で苦労することはなさそう。かなり無碍に扱わない限り良くしてくれそうな、気のいい人たちばかりと友達になったよ」
「白羽の友達か?」
「うん。三人の内、二人は。一人は、たまたま話して仲良くなったんだ」
「良かったじゃねぇか」
 にかっと図書は総一郎に微笑みかける。だが、少年は素直にそれに応える気にはなれなかった。
 それを察知して、図書は「何か問題があるのか?」と聞いてくる。総一郎は、少し躊躇ってから、結局答えた。
「……みんなが白ねえのこと知っててさ。それは、嬉しいんだよ。掛け値なく。でもさ、変じゃない? 白ねえは失踪しているんだよ? それをして寂しいだの何だのと、心配する奴はただの一人もいやしない……! みんな、白羽白羽って言ってるくせに、まるで転校でもしていったみたいな気軽さで! 確かに俺だって白ねえがそれなりに強い事は知ってるさ。でも、強いだけじゃあ駄目なんだ。頭が良くたって、どうにもならない事もある」
 その語気は、次第に荒くなった。どうしても、自分のトラウマがよぎる。白羽が自分のような辛い目に遭っては居ないか。それだけが心配だった。それほどに心配だった。
「……なるほどなぁ。やっぱり、総一郎はそうだよなぁ」
 そんな少年の思いに、しみじみと図書は言った。少年は、「どういう事?」と顔を上げる。
「白羽を昔から知ってる奴は、失踪している今が嫌なんだ。心配で、不安だからな。でも、この町で知り合った奴。清なんかもこの部類に入るのかな。そう言う奴は、どいつもこいつも心配してない。何故なら、白羽は『ぶっ飛んでる』からだ」
 あいつの逸話聞いたか? と彼は聞いてくる。
「一石二鳥のところを三鳥落とした話は聞いたよ」
「ああ、アレもハラハラさせられたなぁ。でも大抵の奴らはスゲェっつって目をキラキラさせてやがる。他には、こっちきたばっかの時に亜人差別でクラスの奴に生卵ぶつけられて、報復に籠いっぱいの生卵を持っていったら最終的に全員と仲良くなった話とか、スラムのクソ餓鬼に襲われた後成敗して、紆余曲折の末に青空教室やった話とかあるぜ」
「……うわぁ……」
 中間の情報が省力され過ぎてて経緯が全く掴めなかった。だが、ただ一つ言えることがあるとすれば――
「な、『ぶっ飛んでる』だろ?」
「……」
 総一郎は、黙り込む。事実、自分でそう思ってしまったのが悔しかった。けれど、それほどまでに破天荒で奇抜な白羽を、少年は知らない。ちょっとすっ呆けて、元気で、愛くるしい彼女しか、彼は知らない。
「総一郎、お前の感情は正しいよ。けど、待ってる以外に方法もないんだ。落ち込みすぎるな。いつかきっと、帰ってくる。そう信じるしか、出来ることなんてないだろうが」
「……そう、だね。うん、その通りだ」
 総一郎は頷いて、階上の自室へ向かった。一段一段、昇っていく。白羽も幾度となく昇降しただろうこの階段。一瞬止まって、彼は呟くのだ。
「……白ねえ。君は本当に、『白ねえ』なのかな」
 再び、昇り始める。総一郎は扉を開け、そして音が立たないように強く閉めた。

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