武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

9話 我が身を滅ぼせ、英雄よ(7)

 その日の夢は、少し様子が違った。
 化け物は、行き成り総一郎を踏みつぶすのでなく、五メートルも離れていない場所で総一郎を見つめていた。何処か、戸惑っているような雰囲気が読み取れた。なるほど、と納得する。
「少し、夢の中での覚醒が早かったらしいね。いつもなら、踏みつぶし始めたところで僕は目が覚めるんだろう?」
 周囲を見渡す。やはり、あの時見た迷宮だ。とすると、精神だけこの場所に毎度毎度呼び寄せられていた、という訳なのか。鼻で笑う。大した事のないトリックだった。
「……で? 君としては、何かしら僕を甚振らないと、満足できないだろう。いいから、来いよ。僕だって、無抵抗な相手を殺すのは――まぁ、それなりに経験がないわけじゃないけれど」
 右手を、強く握る。うねり、波打ち、望むように動いた。負ける気がしなかった。今の自分にとって、奴は敵ではない。そんな自信があった。
 争闘が、始まった。戦っている内、奴は黒龍よりも強いことが分かった。それでも、総一郎の中の勝利を揺るがなかった。
 奴は奇妙な部位にある口を大きく開き、総一郎に噛み付いてきた。それをいなして、右手の棘で傷つける。しかし、しぶとい。それを何度か繰り返すも殺せず、焦れたところで噛み付きが当たった。左肩。激しい痛みと、直後に来た痺れ。
 なるほど、そういう魂胆か。総一郎は狙いを知り、嘲笑った。動けない相手を、貪り食らう。道理で、今まで抵抗できなかったわけだ。総一郎は毒魔法をアナグラムで改良した呪文を心の中で唱える。そうすれば、解毒剤は直接総一郎の体中にいきわたる。
 追撃の踏みつぶし。紙一重で躱す。そして、攻撃。だが、やはり効果があるようには見えない。
 泥臭い戦い方だった。しまいに、総一郎は焦れた。もういいと、手を翳す。
 その先で、黒い何かが浮かびあがった。
「あはは、流石夢。何でもありだ」
 飛ばす。まっすぐ化け物に当たり、そのまま小さな穴をあけながら奴の体の中心辺りで静止する。
「終わりだね。ひとまず、体をバラバラにされる苦痛だけ返しておくよ」
 指を鳴らした。直後、黒い何かは棒状に伸びて化け物を貫通した。ぐるりと回り、縦横無尽に回転を続ける。その果てに怪物は塵芥に変わった。
「……なんともまぁ、呆気の無い事だ」
 目を、覚ます。
 総一郎は、自室で起床した。ローレルは居ない。当たり前だ。自分から、拒絶したのだ。
「……寝起きのひと騒動が無いのと同じに、ローレルの笑顔もない、か」
 キツイなぁ、頭を掻きながら、呟いた。この辛さは、きっと死ぬまで続く。それでいい。この傷を、無かったことにしたくない。
「……さっさと、終わらせよう」
 総一郎はぼやいて、机に向かった。ノートを広げる。そこに、数字を書き入れていく。
「多分二時間くらいかな。あとは、予定通りに」
 アナグラムの、細かい計算を詰めていく。宣言通り二時間で見なおしまで終わらせ、総一郎は席を立った。
 今から取り掛かる作業は、ごく簡単だ。ローレルの安全の確保。総一郎の卒業。極限まで簡略化して言えば、そういう事になる。
 とはいえ、全くの手つかずという訳ではないのだ。仮止めとして、ローレルの警護を務められる魔法生物を飛ばしている。火の鳥。光魔法により不可視で、人間なら一撃で仕留められる程度には強く造った。自律できるように、精神魔法も込みだ。証拠とばかり、時折火の粉が垣間見える。
 まず、すぐに済ませられる方から手を付けよう。総一郎はそのように考え、自信を透明化させて部屋を出た。しばらく歩いて、食堂に向かう。入り口ですれ違った少年の容姿をアナグラム解析し、光魔法の呪文に組み込んでそっくりそのままの姿に変身する。
 無料で配給される食事を適当に選んで、ありついた。朝食だけは旨いと評判のイギリスだが、どうも不味い。ローレルの食事に慣れてしまったから、尚更そう思う。食べている途中で、そのローレルが横を通り過ぎて行った。思わず、目で追う。彼女はそれなりに平気そうな顔で――しかし目元を赤くはれさせながら、もそもそと朝食をとっていた。
「……本当、きっつい」
 総一郎は途中でフォークを置いて立ち上がった。食欲が、失せたのだ。
 スコットランド式索敵を杖なしで発動させ、近くにワイルドウッド先生がいないかを確かめた。少なくとも、食堂には居ない。そのまま歩き出すと少し酔うような感覚があったが、我慢した。職員室へ向かう。そして、返信を持続させたまま名も知らぬ教官に尋ねた。
「すいません、ワイルドウッド先生に用事があるのですが、今彼はどこに居ますでしょうか?」
「ああ、……Mr.ワイルドウッドね。何でも、学園長と共に外回りの用があるとかでしばらくいないよ。しかし、君、彼と懇意なのかい?」
「あーっと、どうでしょう?」
「もしそうなりかけているのだとしたら、止めておいた方がいい。彼は亜人びいきの変人だ。知ってるだろ? ブシガイト。奴の所為でクラス間によく問題が起きるようになった」
「何と……」
 総一郎はいかにも深刻そうな声を出す。内心ではその教師に向かって舌を出しておく。
「このままでは、大事になりかねない。全く、奴もどこか遠くで野垂れ死んでくれていればよいのだがな」
「そうですねぇ。生徒に死んでくれなんて願う教師も、勝手に野垂れ死んでくれればいいんですが」
「えっ?」
「では、失礼しました」
 頭を下げて、足早に去っていく。帰り際に毒を吐かれた教師はぽかんとして、反応を示せないでいた。歩きながら、ため息を一つ。
「ムカついたから、で人を殺せるようになれれば、僕もきっと気が楽だろうに」
 実際は、逆だ。昨日人を――それも、子供殺したせいで、今でも胃のムカムカするような不快感があった。自分は、やはり、人殺しに向いていないのだ。父の言葉は、いまだ総一郎の中で響いている。
 ――道を進むように、人を殺せるようになれ。人殺しに憑かれるな。人殺しに覚悟を決めるな――
「修羅にも、人にも、なるな。本当に、無茶な要求をしてくれる」
 もう、自分は、人を殺したくない。この異形の右腕があるからこそ、今では強く思うのだ。
 己の無理やりな卒業は、後々に回すことにした。本当ならワイルドウッド先生に話を付けて、魔法でもなんでも使って卒業証書を発行させてアメリカへバイバイと決め込むつもりだったのだが。
 まぁいい。総一郎は足を速める。次にやることは、ちょっとした長丁場になる予定だった。
「何年だっけ? 五年?」
 階段を上がっていく。目的の教室について、その人物の名を尋ねた。呼び出すように頼み、近寄ってくるのを待つ。
「えっと……何処かで会ったっけ?」
「さぁ? それより、君、ローレル・シルヴェスターの名に心当たりは?」
「――ああ、ブシガイトのつがいだろ? 何だっけ? 奴に知られちゃならないから、緘口令が敷かれてるっていう――」
「ありがとう。君のお蔭で大体の顔が割れたよ。感謝を示して、君に傷はつけないから」
「は?」
 総一郎の言葉は、対面する少年の意識に間隙を作るアナグラムで構成されていた。そこを突き、彼の顔を鷲掴みにする。反応されるよりも早く、精神魔法を使った。
 強い静電気のような音。手を離す。彼は一瞬呆けて、すぐに頭を振った。
「ごめん。ボーっとしてたみたいだ。それで、何の話だったっけ?」
「構わないよ。それで、ローレル、という少女に聞き覚えは?」
「ないなぁ……。それは何? 誰かの名前?」
「いやいや、知らないならいいんだ。ありがとう。では、さようなら」
 総一郎は、踵を返す。彼は、二時間の成果だ。昨日の奴らから読み取れたアナグラムの内、覚えていた数字を必死に計算して、やっと導き出した一人だった。
 そして、他には十数人。それらの記憶からローレルの情報を消せば、何もかも丸く収まる。立つ鳥跡濁さず、だ。この国から消える際、彼女が何の心配も無いようにしてやりたかった。
 それが、総一郎にできる、せめてもの愛の証拠だ。
 歩きながら、考えてしまう。二人、ずっと共にいた時に訪れたはずの未来。数字の上で、彼女は腕を総一郎が如く変貌させた。その頃には総一郎の体のほとんどがこの忌まわしき右手の異形と化していて、ローレルの変容と一緒に融合し、文字通り一つになる。
 悪夢のような未来図だ。突拍子が無さ過ぎて、理解が及ばないと言い換えてもいい。
 早足で進みながら、右手を見る。浸食がすすみ切った先。それでも、ローレルは離れないというのか。それだけの執着が、一体どこから現れたのか。総一郎には分からない。
 次の人物を見つける。先ほどと、同じようにしてローレルの事を想起させる。その瞬間を狙って、頭に触れた。精神魔法。彼女の記憶が消えていく。思考はまた、愛すべき少女へと戻る。
 彼女には、辛い思いを何度かさせてしまった。それらは、ローレルが自分を好いてくれていないと成り立たない物がほとんどだった。ナイ、騎士学園の闇、迫害、カバリスト。恐怖は、少女の純粋な恋心を、支えという名の執念に変えてしまったのかもしれない。
 ――怖い。だが、ソーが居れば大丈夫。ソーが居なければ、私は駄目だ。何があっても、離れられない――
 彼女の芯に変わりつつあった想いだ。ただの自意識過剰なら、どんなに良かったことだろう。だが、カバラで弾き出した答えだった。ギリギリでもあった。昨日の時点で別れを切り出せなければ、ローレルは間違いなく総一郎に依存し、離れることが出来なくなった。
 ローレルは、強い少女だ。克己心が、彼女の中心にあった。だからこそ総一郎たちは出会い、恋に落ちた。しかし数々の衝撃が、少女の核を破壊しかけていた。
 触れずに放っておけば、ローレルはすぐに自己回復を図るだろう。克己とは、そういうものだからだ。その為に突き放したのだが、一方で彼女の身に危険が迫ってはいまいかと心配になったりもする。
 事実総一郎は、二人に一回の頻度でローレルの安全を確認しに行っていた。火の鳥でも敵わない相手がいるかもしれない。そう思うと、気が気でないのだ。
 とはいえその全ては杞憂なのだが、その上でしばし彼女をじっと見つめて、周囲に怪しい動きをしている輩がいないかを確認し、さらには火の鳥の視覚情報を転送させてようやく、総一郎は使命に戻る。一周回って過保護な父親のような行動である。
 総一郎とて、ローレルから離れたい訳ではないのだ。必要だから、そうしているに過ぎない。カバラでは、彼女は一カ月もすれば自己を取り戻す可能性が高い。少なくとも、その間は近づけないのだ。――そして、運が悪ければ一生再会できないだろう。
 総一郎は、少女に捧げる最後の置き土産について葛藤していた。彼女の為を考えるならば、どちらの方がよいのかと。
 すなわち、総一郎との記憶を消すか否かである。
 個人的な感情を言うならば、当然覚えていて欲しい。だが、その所為で彼女が自立への決心がつけられない可能性もあった。逆に、総一郎の事を覚えているからこそ努力する、という事もローレルならあり得そうだ。
 その問いに、カバラを使う勇気はない。
 弾きだされた答えは、「絶対」になるからだ。
 最後の情報所持者の頭に触れて記憶を消し飛ばした。その後、素早く去っていく。その頃にはもう夕方近い時間で、授業で言えば六限目辺りに差し掛かるころだろうかと思案する。
 チャイムが鳴り、騎士候補生たちが教室に入り始めた。総一郎はふと気になって、自分が元居たクラス、そして今ローレルが授業を受けているだろうクラスへと足を向ける。
 判断は、彼女自身を見て判断しようと考えた。カバラなら、是非がはっきりと分かる。少し覗いて、そこで決めればいいのだ。軽い気持ちで、立ち寄った。そして、教室中がざわめいていることに気が付いた。
「……何があったんだ?」
 今、総一郎は総一郎ではない。誰か別の騎士候補生に見えているはずだった。その上、一クラスが大所帯のために、クラスの全員を把握している、という生徒は少ない。こっそり紛れて、近くの少年に尋ねてみる。
「済まない、少し遅刻してきたんだけど……。一体、何があったんだ?」
「え!? 見てなかったのか! 今凄い場面だったんだよ。新しい教官が最後列に座ってた女子見た瞬間に血相変えてさ! そのまま『自習だ!』って怒鳴ってその子連れて何処か行っちゃったんだ」
 嫌な、予感がした。
「そ、その子どんな子だった? ほら、髪が金髪とか、小柄だったとか、髪の長さは肩口あたり、とか」
「おお! まさにその通りの外見をしてたんだよ! その子も何か事情があるらしくってさ。止めてくださいっ! って抵抗してるけど出来てないんだ。まるでドラマを見ているみたいだったよ!」
「先生は!? 新しいって言ったよね?」
「えーっと、確か……。ああ、そうそう!」
 そして彼は、最悪の名を口にする。
「カーシー・エァルドレッド、とか言ったかな。ちょっと前までアイルランドクラスの寮長してたんだけど、ドラゴン狩りで戦果を挙げて一気に教官職を手に入れた人さ!」
 総一郎は、踵を返して駆けだした。
「クソ、あれだけ注意しておいて! 二度も同じ過ちを繰り返すなんて、僕は馬鹿なのか!?」
 顔がこわばる。歯を食いしばり、全力で走った。だが、奴の場所が分からない。何故、という煩悶が、総一郎の中でこだましている。一体、どうして。緘口令の敷かれたこの情報は、知っているものならば全て把握されているはずではなかったのか。総一郎が精神魔法で割り出したのは最初の一人が知っていた人物だけではない。文字通り根こそぎ割り出して、記憶を消して回ったのだ。生徒だけでない。教官も、騎士補佐だって少数ながら含まれていた。
 そもそも、何故、誰もカーシー先輩がこの情報を握っていると知らなかった? 普通、一番に知らされてしかるべき人物なのではないのか?
「……違う、カバリストだ」
 これは、奴らの狙いだったのだ。考えながら一旦、学校を出る。風魔法で校舎の屋上に上がり、そのまま索敵を広げた。見つける。次いでカバラで最も効果的な敵の無力化方法を割出そうとした。
 その瞬間、幻視が総一郎を襲った。今朝がた殺し尽くしたはずの化け物が、狂的な憎しみをもって襲い来る幻が。
「ぐ、ぐぁっ、……っ」
 体が、揺らぐ。魔法の制御をしくじって、総一郎は墜落し始めた。ギリギリのところで衝撃を消して着地する。だが、容易に立ち上がれなかった。光魔法も、すでに効力を失っている。
 視界には、二種類の映像。目に映るそれ。そして、化け物に食い千切られるそれ。総一郎は、歯を食いしばりながら足を出す。

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