武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

8話 我が名を呼べ、死せる獣よ(1)

 新学期になった。ファーガスは、自らの事情を直接学園長に話した。彼女は少し驚いたように目を見張っていたが、しかしすぐに納得して、「各教員に伝えておきます」とだけ言った。
 幸い、オーガの一件以来事件は起きていないようだった。学園長と話したのちにワイルドウッド先生と会ったときに、「生徒を当てにしていた自分に気付いて、少し恥ずかしくなったよ」と彼は語っていた。教員全員にそういうムードがあったらしく、これからは変な意味で特別扱いしないから、安心して欲しいとのことだった。
 肩の荷が下りた。ファーガスは、そのように感じた。騎士候補生は、全員とは言わないまでも事情を聞きかじったものが居て、「何だかごめんな」と上級生に謝られたとき、恐縮してしまったほどだ。よくよく考えれば、ファーガスを祝う宴会をやろうと言い出した人だった。
 順風満帆。そのように思いながら、気持ちよく修練場にきた。早朝である。久しぶりだと思った。今までは、色々あって来られなかったような気がする。
 すると、先客がいたようだった。自分より、少し背が低い。しかしその素振りの音は鮮烈である。少し怖いと思ってしまうほどの音。
 聞き覚えがあった。
「……ソウイチロウ?」
 ファーガスの声に反応して、その少年はこちらを向いた。黒い髪、東洋人らしい顔つき、しかし目はスカイブルーを思わせる蒼色だ。彼はファーガスを認めて、「やぁ」と言った。
「久しぶり、ファーガス。今日も早いね」
 ソウイチロウは、暢気にもそう言った。ファーガスは別れ際のことを思い出して動揺し、どもりながら彼を問い詰める。
「い、いや。やぁ、じゃねぇだろ! は、はぁ……? 何お前平然とここにいるんだよ。あの時派手に消えてったのは誰だと思って……」
「あー、……うん。あの後色々あって、持ち直したんだ。大丈夫。これからは、喧嘩する前みたく気軽に接してくれるとありがたいな」
「……」
 ファーガスは呆気に取られていたが、何故だか唐突に笑いが込み上げてきた。そのまま、「この野郎!」と人差し指を突きつける。
「何だよお前! 人に小っ恥ずかしいセリフ吐かせときながら普通に戻ってきてよ! ふざけんな!」
「文句を笑いながら言うからファーガスって憎めないんだよなぁ……」
 二人でくつくつと笑った。その後ファーガスは、ノリでソウイチロウに模擬戦を挑みボコボコにやられた。「あのドラゴンを一方的にのしたのは使わないんだ」と言われたので、地面にあおむけになりながら「もう使えないんだ」と返す。
「そうなの?」
「ああ。実際、俺はあの『能力』が嫌いだったからな。ネルが使えなくできるって言ってたから、してもらった。なんでも文献があったんだとさ」
「んー、勿体ないとか言ったら怒る?」
「怒らないけど、ちょっと落ち込む」
「じゃあ言わないでおこう」
「ありがとよ」
 お互いに笑った。笑っていると、良いことしか起こらないのだと思った。
 改めて、模擬戦を申し込んだ。次は聖神法あり、致死性なしのそれだ。ソウイチロウに異能なしで勝てると思うほど、ファーガスは馬鹿ではない。
 盾を前面に構えた。ソウイチロウは様子見なのか、こめかみ近くで木刀を地面に垂直に立てたまま、ファーガスを鋭く見つめている。
 盾に、触れた相手を麻痺させる聖神法をかけた。この方法なら、彼に一矢報う事が出来ると思った。牽制として左腕を突き出すとその盾を蹴ってきて、同時に表情を歪ませる。
「隙ありだ、ソウイチロウ!」
 片手の両刃剣を、ファーガスはソウイチロウの胴へ振るった。紙一重で避けられるが、追撃はできる。追い打ちで彼の懐に飛び込んで、返す刃で攻め込む。真剣での模擬戦上でのトドメの攻撃には、衝撃霧散と相手の体を発光させる聖神法『コンバート・ライト』が義務付けられている。光量測定の神具があって、一定以上の光を出させる威力の場合、その時点で勝利となるのだ。
 この聖神法は、非常に簡単に発動できる。ファーガスは心の中で十字を切ってから、特殊な呼吸を経てソウイチロウに迫った。
 その時、突然ファーガスの足がもつれた。完全に勝った気で走っていたから、転ぶ勢いには凄まじいものがある。ソウイチロウを乗り越えて、地面に墜落し背中を強打した。絶息し、しばらく動けなくなる。そして、覆いかぶさる影。
「えいや」
 聖神法も何もないただの突き。ファーガスはわざとらしく「げふっ」と言って脱力した。いい所まで行ったと思ったのだが、と悔しさに歯ぎしりする。
「ふー、危なかった。ファーガスが予想以上に強いから、僕思わず殺しにかかる勢いで反撃しちゃった」
「怖ぇよ! っていうか、それじゃあ今の足元狂ったの、ソウイチロウの仕業か。痛みも何もなかったけど、一体どうやったんだ?」
「え? 辛うじて使える聖神法を君の足元に仕掛けておいただけだよ?」
 きょとんとして、ファーガスは先ほど自分が転んだ場所を見た。確かに、不自然な窪みができている。
「ファーガスは僕が聖神法苦手なのを知っているからね。特に小規模に使えば、理解すらできないで追いつめられるのさ」
「大将やっぱこと戦闘になるとすげーっすわ」
「褒めても何も出ないよ、全く。……そういえば退院祝いのチョコバーのお礼してなかったね。今日昼食にスコーンか何かを奢るよ」
「打ったらものすごい響いてびっくりしてるよ俺」
 基本お茶目だよなソウイチロウと言うと、彼は頭を掻いて照れた。その手には、かつてあった木刀を巻きつける包帯も、少し前につけられていた手袋もない。真の意味で彼は持ち直したのだと、少年は嬉しくなった。
 それから少しの間武術論を語り合っていると、ローラが来た。「おう、久しぶり」と声をかけると彼女は欠伸をしながら手を上げる。
「あ、お久しぶりです、ファーガス。……というか、ソー。待っていて下さいと言ったのに置いて行くのは酷くはないですか」
「だってローレル、基本的に起きるの遅いじゃないか。偶に楽しみなことがあると早くに起きるけど。ほら、今だって眠そうにしてるし」
「……お前ら、いつの間に仲良くなったんだ?」
『え?』
 二人の声が重なって、ファーガスは全てを察し腹を抱えて笑った。ニヤニヤとしながら「ふぅん、へぇえ!」としきりに頷く。
「そうか。とうとうソウイチロウにも春が来たか! しかも相手がローラ! 仲悪いのかなとか思ってたら、この! このこの!」
「ちょっ、何、ファーガスがうざい! 何だろ、これ結構新鮮な感覚!」
「何でちょっと喜んでいるのですか」
「ローレルもこっちに来て混ざりなよ! さぁ!」
「嫌です」
「さぁ!」
「ファーガスは黙っていて下さい!」
 ローラを置いてけぼりに二人で笑っていると、彼女も陰で口元を緩ませているのが見て取れた。何だかんだと言って、彼女は面白いことが好きなのだ。そうでなければ、ソウイチロウと本当に仲良くなるなど難しいだろう。
 ローレルの眠気覚ましに付き合うという名目で、修練場の端に三人で並んで座った。ソウイチロウはまず、この学園の近況を聞いてきた。彼は目立つのが嫌だからと、昨日は夜中に学園に戻って来たらしい。
「まぁ、そうだな。去年の春に比べたら、全然雰囲気は良いぜ。クラス同士のいざこざもなくなったし。仲が良くなったって程じゃないけどな。過ごしやすくなったとは思う」
「そこに僕が帰ってくるのか……。みんな気の毒だな」
「いやいやいや。ネガティブすぎるぞソウイチロウ。お前ならざまぁみろの一言くらいあると思ってたが」
「人を勝手に底意地の悪いキャラにしないでくれよ。……でもどうだろ、やさぐれてた時なら言ったかもしれない。小声で」
「注釈が途轍もなく頼りないですよ」
「違うんだよローラ。ソウイチロウの場合は小声で言うとか言って、多分普段通りの声で食堂のど真ん中とかで言うんだよ、こいつは」
「……確かに想像できます」
「アレ? 二人とも僕の人物像おかしくない?」
「おかしくないおかしくない」
「これが正しい人物像です」
「……ふーん。いいもん。二人してそんなことを言うなら、僕だって考えがあるぞ。具体的にはグレてやる」
「具体性がどこにもないですが、微妙に恐ろしい気がするので止めてください」
「コミカルだなぁ……こいつ」
 貴族の異様なまでの亜人嫌悪がなければ、もしくは彼が亜人でなければ、きっとソウイチロウはクラスの輪を超えた人気者になったはずなのだ。だというのに、疎まれ蔑まれ、時には普段こうして話している様子からは考えられないほど鋭い目つきで、木刀を翳さねばならない。
 彼の異様な強さは、そこに起因するところも多いのだろう。それに気づいてからは、羨ましいと思うのは失礼だと考えなおした。ちょうど、他者から見たファーガスの『能力』と同じだ。すでにこの手から失せているとはいえ、前世の記憶は色濃くどす黒い。その記憶と改めて見つめ合ったからこその、この考えなのかもしれなかった。
 ベルやネルにもそれとなく伝えておくといって、他の生徒が来る前に解散した。ソウイチロウは「ネルと仲直りしたの?」と首をかしげていたが、それは時系列的にはソウイチロウとドラゴンの強襲よりも前だったのは気のせいか。


 翌日、いつも人気の少ないイングランドクラスの中庭にて。結構ソウイチロウと仲の良かったベルは、彼の帰りに素直に喜んでくれた。「彼との話は興味深くてためになるんだよ!」と手を合わせている。そんな素直な喜び方に少し嫉妬心を覚えて、ファーガスは少し嫌なことを言ってしまった。
「じゃあ、ソウイチロウと話してた方が、ベルは今よりずっと素晴らしい人間になれるって訳だ」
 ファーガスのその言い様に、ベルはきょとんとした。彼女のそんな無垢な反応に、ファーガスは我に返って「あ、いや、……悪い」と頭を下げる。するとベルは、ちょっと苛立ったように眉根を寄せて、「ファーガス」と名を呼んでくる。
「『俺は嫉妬男だ』ってほっぺに書くから、目を瞑って」
「ごめん、本当にごめん! 謝るから止めろ!」
 恐ろしい復讐に、ファーガスは少々冗談交じりで竦みあがった。すると、ベルはジト目のまま真っ直ぐファーガスを見つめ続ける。
「それなら顎に、『嫉妬』って」
「え? ちょっと待ってくれ。冗談じゃなかったのか」
 動揺に揺れるファーガス。冷や汗が背中を伝う。
「じゃあ、おでこに『俺はクリスタベルを愛している』って」
「……か、髪が伸びるまで待って」
 非常に吟味して、あまり拒否をしてもさらに怒るかもしれないと条件付きで了承したら、ベルは何故かちょっと頬を赤くした。「不意打ちをされるなんて思ってなかったよ……」とうつむいて何やら言っているが、その真意はファーガスには測りかねる。
「もういいよ、冗談だから。今の内に言っておくけれど、ファーガスは私の事を舐めてるよ?」
「……どういう事だ?」
「………………………………………………………こ!」
 ベルは、その一文字目を言うのにひどく勇気を費やしたようだった。しかしそこにまで至った彼女にはもはや気負いなどと言うものは見受けられず、ぐん、と伸び上がった体に驚いて仰け反ろうとしたファーガスは、ベルの腕に抱きしめられて逃げ場をなくす。
 そして、唇と唇が触れ合った。
「……こ、こういう、事……」
「……!」
 触れるだけの軽い物だった。しかし、唇を話した時のベルの顔は真っ赤で、それがファーガスにも伝染していく。
「……迷い込んだ先はワンダーランド」
『止めろ!』
 ファーガスとベルは顔を盛大に紅潮させて怒鳴った。ニヤニヤとした登場が非常に腹立たしい。ソウイチロウは「二人とも、相変わらず隙だらけだなぁ……」と微笑ましげに椅子に座る。「二人ともお似合いのカップルで羨ましいです」と純粋に羨んでいるらしいローラも一緒だ。
 対するこちらの陣営は酷い物である。ベルなどは勇気を振り絞った挙句に赤っ恥をかいたという致命傷っぷりで、顔を抑えて洒落た丸テーブルに突っ伏してしまった。ファーガスもベルほどではないが、大分恥ずかしさにやられている。
 ここで反撃をしておかないと、ヤバい。ファーガスはローラの台詞を糸口に、攻めの一手を繰り出す。
「ソウイチロウとローラも結構仲良さそうだったけどな」
 そのように言うと、ソウイチロウは照れたように破顔して、「そうかな?」と言ってくる。対するローラは淡々としたものだ。「はい」と頷くばかりである。……相も変わらず気の強い。
「すごい……。この子相手を目の前にして断言したよ。何この肝っ玉。ベルも見習ったら?」
「恥かかせた張本人がそういうことを言わないでよ!」
「確かに我ながら、相当来るのが早かったとは思うけどさ……。正直先に来られてるなんて微塵も予想してなかったし。でも用心してもう少し奥に行くくらいの気は利かせた方がいいと思、」
「冷静に分析しないでよぅ……」
 恥をかき、文句を言い、冷静に返され、恥をかく。赤っ恥スパイラルである。
 帰ってきたソウイチロウは、何処もおかしな様子がない。そのことに、ファーガスは安心する。色々と不可解なことはあるが、それでも日常は帰ってきたのだと。
 それから、皆で話をした。すると気づかないうちにアメリアもベルの膝の上に居て、空気が一気に解けた。楽しく、愉快な時間だった。今度は、ネルやアンジェも誘おう。――ファーガスにとって、この時が幸せの絶頂だった。

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