武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

7話 銀世界(3)

 ファーガスとフェリックスの修業が、久方ぶりに再開したと聞いていた。
 そもそも始まったと言えば再会当日から始まっていた様な気もしたが、あれは小手調べで、本格的なそれはその翌日から始まったのだと。
 実家に帰ってきてから、一週間前後が過ぎていた。
 ファーガスは、ベルの望んだような休暇を十分には取れていないようだった。しかし、フェリックスとの修業がそれと同等の役割を果たしてくれているらしく、少しずつ元気になっているようにも思える。「やっぱ師匠強ぇわ」と傷いっぱいではにかむ姿は、心配ながらも微笑ましい。
 父も、婚約解消の話以外に置いてはほとんど休暇を取るつもりでこの家に移ったと言っていた。この家は下賜された領地の中でも一等風光明媚で、特に冬はこの地の海抜が高いのもあり、樹氷などが酷く美しい。危険区域の森も他に比べて亜人の増殖が緩やかで、趣味としてのハンティングをいそしんでいればいいという気楽な土地だった。
 穏やかな場所では、緩やかな時間が流れる。少々の嫌な雰囲気も、ぼんやりと薄れつつあった。太陽と夜は目まぐるしく交代を繰り返しているが、それすらここの住人には遠い事のように思われる。
 ベルは人並みに早起きで、ガラスの二重の壁に囲まれたテラスにて、早朝紅茶を飲むのが楽しみの一つだった。
 ファーガスも頑張ってそれに付き合おうとしてくれているが、フェリックスの手が伸びてくると、すぐに外に出て行ってしまう。聞けば模擬戦という事だ。
 今日も、そうだった。
 ベルは、いつもの通りアメリアを膝に抱いて、自分で淹れたアッサムのミルクティーを音もなく啜っていた。暖かいテラスの外ではわずかに雪が降っている。昨晩からそのようで、ガラスの壁を見ると雪とテラス内の地面に段差ができていた。
 テラスの中に置かれている家具は、父の趣味からロココ風だ。人工芝も敷かれていて、室温のこともあり、ここだけ季節を大幅に先取りしてしまったようになっている。くるくると巻かれた蔓のようなデザインのテーブルや椅子は、外の風景と比べてみると何とも滑稽だ。それが、案外好きでもあった。
 春や夏にこのテラスに来ても、あまり面白味はない。冬のこの、ここだけが切り取られて春に帰られてしまった風な雰囲気が、可愛らしいのだ。
 膝の上で、アメリアが鳴いた。あまり鳴かない猫なので、どうしたのだろうと思っていると屋敷の方の扉に気配が現れる。なるほど、と納得した。主従の関係はかなり強いらしい。
「おはよう、ファーガス」
「ん、えっ?」
 今は少し早すぎるくらいには早朝で、人がいるとは考えていなかったのかもしれない。戸惑ったらしいファーガスはテラスに足を踏み込みつつきょとんとした顔でいて、そこにアメリアが駆けていき、彼の顔を見上げて「みゃぉう」と鳴いた。
「随分と早起きなんだな、ベル。それにアメリアも。二人ともおはよう」
 アメリアを抱き上げて挨拶しつつ、彼はベルの向かいに腰かけた。少女はすでに用意してあったティーカップに自分と同じものを注ぎ、ファーガスに渡す。
「良い香りだな。ダージリンか?」
「ううん、アッサム」
 何だかバツの悪い表情でファーガスは再度ミルクティーに口をつけ、「うん、美味い」と悔しそうに言った。小さな間違えを誤魔化すファーガスが愛おしく、両手で頬杖を突き、頬のゆるみを感じながら彼の姿を見つめる。
 そうしていると、ふとガラスに映った自分の姿が目に入った。ロココの丸テーブルで両手の頬杖をし、意中の男の子を見つめる自分。それがあまりにも『らしく』て、恥ずかしさに姿勢を整える。
「……何で背筋を正したんだ?」
「気にしないで……」
 危なかった。これをファーガスに指摘されていたら、多分自分は悶死していた。
「――でも、何かこういうのっていいな。早朝から、恋人の淹れた紅茶を静かに飲む。しかもこんなきれいな雪景色だ。ベルにあつらえたような場所だよな、ここ」
 クリスタベルは悶死した。
 具体的には、顔に火が付いたので思い切りテーブルに伏せた。
「……さっきから様子がおかしいけど、何かあったか、ベル」
「何でもないよっ、バカ……!」
「何てこった。ベルが反抗期に入った」
 朝のファーガスは、結構飄々としている。新しい彼の一面を見つけたが、素直にうれしいと思うには恥ずかしすぎた。
 そんな風にして、穏やかに早朝を過ごしていた。今のファーガスには恥ずかしがるだけ損だと考えて、ベルも多少は恥をかき捨てる。
 そうすると気兼ねがなくなって、少女の心も落ち着きを取り戻していった。するとアメリアがファーガスのところに行ったっきりなことに気付いて、寂しさに返却を求める。
 殺気が感じられたのは、その時だった。
 ベルよりも、数瞬早くファーガスは反応した。立ち上がり、「ほら」とアメリアを渡して防寒用のコートを羽織り出す。そこまで至ればベルにも察しはついた。ファーガスが杖に触れて『サーチ』を発動させながら、テラスの外に出る扉を開く。
 外の寒気が、テラス内に入ってくる。「じゃ」とファーガスが手を上げたから、ベルも「行ってらっしゃい」と微笑んで見送った。彼は走り去り、その数秒後にフェリックスが訪れる。
「もう、ファーガスと一緒に居られて楽しかったのに」
「数時間も待てば十分でしょう。それに、今でないと朝食に間に合いません」
 ベルは、フェリックスには少しだけ我儘が言える。物心ついた時にはすでに居て、祖父のような感覚だった。もっとも、本当の祖父はすでに他界していたのだが。
「では、少々ファーガスを絞って参ります。ご見学なさいますかな?」
「ううん。私が居ない方が、ファーガスも全力を出せると思うから。どう? 彼」
「中々ですな。しかし、ドラゴンを――、古にこの国を滅ぼしかけたドラゴンを単騎にて滅ぼしたといわれると、納得はいきかねます」
「……あまり、厳しくしないであげてね。本当は、ファーガスの慰安旅行のつもりでここに帰ってきたんだから」
「大丈夫ですよ。少なくとも、修練に集中できていないという事はありません。今はまだ、機を見るつもりで居ます」
「そう。……それなら、良いんだけど」
 ベルの渋い表情に、我が家の執事は苦笑気味だ。フェリックスの話では集中力的には問題ないらしいし、やっぱり見に行こうかと考える。どちらかと言うと彼のスパルタの方が危険度は高いのではないかと訝った。
 と、ふとベルは思い出す。ファーガスが来る前、自分も彼を師事していた時期があったのだ。幼い年頃で、割と厳しくされたような気もするが、ファーガスが来るよりも前には止めてしまっていた。
「そういえばフェリックス。話は変わるんだけど、私もあなたを師匠と呼んでいた時期があったよね? 確かいずれ騎士学園に入るんだから、みたいな理由だったけど、それなら私もやるべきなのかな」
「いいえ? お嬢様はやる必要がないから、お父様と私で話し合って取りやめることにしたのです。お忘れですか?」
「え、う、うん……?」
 やる必要がない? とベルは首を傾げる。それは一体どう受け取ればよいのか。少し考えて、恐らく自分が騎士らしい戦闘職には就かないだろうから、と言う解釈を付けた。女は女の仕事をという事か。なるほど、頑張れファーガス。
「では、これにて失礼しますぞ、お嬢様」
「行ってらっしゃい」
 執事服で、それ以上に羽織るものを必要とせず、フェリックスはファーガスを追ってテラスから出て行った。その走る速さは、大体ファーガスの1.5倍ほどだ。ファーガスも明らかに『ハイ・スピード』を使っていたというのに、我が家の執事のそれは見るからにおかしい。
 ……しかし、ファーガスとフェリックスの模擬戦。興味がないと言えば、嘘になる。けれど見に行ってはファーガスの集中力をそいでしまうと、フェリックスに直接言葉にして自粛したのだ。行きたくても、行けない。
 とはいえ、こうしてこのまま一人でミルクティーを飲んでいるのも寂しかった。アメリアが居るから耐えられないという訳でもないが、ネルあたりに見つかってからかわれるのも癪である。
 そんな状況に、追い打ちをかけるかのようにお茶が切れた。
「……」
 テラスの扉を見る。雪の地面に足跡が二つ、綿々と続いている。だが、とベルは首を振って我慢。悶々と空になったティーカップを見つめていると、ハッとした。
「ファーガスの集中力を乱さないように、隠れて見学すればいいんだ!」
 私は実は天才なんじゃないかと自画自賛。恥ずかしがり屋のくせに、クリスタベルは自惚れ屋でもある。
 コートを室内から引っ張り出して、白い息を吐き吐き走っていった。足跡が途中で折れて、危険区である森へと突っ込んでいる。しかしこの森の亜人はほとんどが夜行性で、日中は暴れてもそうそう目を覚まさない。きっと一対一の対決になっているのだろうと、生唾を飲み下して森へと入っていく。
 一応だが、弓は持参していた。自分も、そこそこの戦闘能力を持っている。ファーガスやネルとは比べるべくもないが、それ以外の女子――ローラやアンジェと比較すれば、多分だが一番強いのではないかと思っていた。断じていうが、これだけは自惚れじゃない。
 入っていくと、だんだん罵倒やら怒鳴り声やら地響きやらの音が聞こえ始めた。随分と騒がしくやりあっているのだと、弓をいつでも打てるように警戒しておく。何か飛来物があれば、聖神法を込めた矢で粉砕できないこともない。
 そう思っていた折、ベルの顔の横、五十センチほどの距離に木が突き刺さった。
「……」
 ギギギ、と壊れかけのロボットのような動きで、ベルは横を向く。斜めに地面にめり込んだ、木。枝などと言う生っちょろい話ではない。人間五人分ほどの針葉樹が、雪に塗れて埋まっている。
「これ下手したら死ぬよね! フェリックス何やってんの!?」
 思わず口調が乱れる。警戒していて、本当に良かったと思った。正直反応は全くできていなかったが。
 声の聞こえる方を確認し、そこに徹底して遮蔽物を経由しながら移動した。そして、とうとう模擬戦(?)の行われている場所に辿り着く。
「油断するな! 脅威はまだ去って居らんぞ!」
 フェリックスの怒号。二人の戦闘は、肉薄していた。我が家の執事は顔のしわに似合わないほどのアグレッシブさで空中からファーガスに殴り掛かる。
 それに、ファーガスは素早い所作で杖を取り出して足元に振るった。祝詞が聞こえたような気がしたが、早口すぎて聞き取れない。すると、突如として雪が爆発し、真っ白な蒸気が辺りを覆い尽くした。火属性の聖神法だと気付いたのは、その時だ。
「むん!」
 体勢を低くしてフェリックスが飛んできた方向へ駆け抜けるファーガスと、強大な拳圧で蒸気を薙ぎ払うその師匠。しかし視界が晴れた時にはすでにファーガスは木の陰に隠れていて、フェリックスは振り終わった手を手持無沙汰に上げながら、眉を寄せて強い眼光を周囲にばら撒いていた。
「隠れるか! それもまた良し! このまま私から逃げおおせたなら、今日の所は開放してやる!」
 甘言が、ピクリとファーガスに反応させた。それに笑うフェリックスに気付いて、ベルは息を呑む。
「そこか!」
 フェリックスは、とてつもない速さで駆けだした。それに、ファーガスも勘付いて走り出す。その時、不意にフェリックスは立ち止まった。ファーガス、ベルも共に訝ると、彼はこのように演説を始める。
「……ファーガス、勝負に勝つために必要な事は、前に教えたな?」
 その視線は、真っ直ぐにファーガスを貫いているようだった。ファーガスは戸惑いに動けなくなっている。
「一つは、純粋なる力。腕力、脚力、持久力に克己心。己の体に付随する力の全て。一つは、勝負勘。何が勝ち馬か、何が負け犬か、見抜く眼とその度胸。最後の一つは、知恵。相手の裏を掻く、勝利への執念。それに伴う、悪知恵」
 フェリックスは、くるりと踵を返してファーガスから遠ざかっていった。きょとんと彼を見つめ、ファーガスに視線を戻した時、ベルは何が起こったのかを悟る。
 ファーガスの背後には、氷漬けの巨木が突き刺さっていた。
「お前に足りないのは、最後の一つだ」
 氷が、急激に膨らんで爆発した。ファーガスは何事かもわかっていないだろう。空中を錐揉みしながら吹き飛んで、処女雪の中に墜落する。
「ファーガス!」
 ベルは思わず叫んで、ファーガスのそばへと駆けよっていった。それに、フェリックスが「大丈夫でございますよ」と好々爺然とした微笑みを向けてくる。
「今のそれには、殺傷力がありません。純粋に吹き飛ばすだけのものなのですな。とはいえ、気絶させるくらいには衝撃があります。失神しているのは確かですから、介抱してやってもらえれば幸いです」
「言われなくてもするよ!」
 ベルは怒り気味に答えた。ファーガスはザ・気絶と言う感じに大口を開けて白目を剥いている。ちょっと怖い。
 とりあえずそれを何とかしてから、怪我がないか探した。呼吸も整っている。よし、とベルは意気込んでファーガスを担ごうとするが、彼を運べるほど筋力もないのだった。「代わりましょうか?」とフェリックスに尋ねられて、しぶしぶ頷いてしまう程度には。
 ファーガスを家に連れて帰ると、ネルがファーガスに向けて人差し指を向け、腹を抱えて笑い出したのに苛立った。フェリックスも「では、朝食の準備をしてまいりますので」と勝手に居なくなってしまうし。
 ファーガスにとって味方の少ない場所だと、ベルは微妙に落ち込む。せめて自分だけは彼にとって快い相手で居ようと、強く決心しなおした。
 ネルに手伝いを頼んで、ファーガスを彼の客室まで運んだ。文句を言っていたが、昔と違い恐怖感と言うのも薄れていたので、強くお願いすることができた。運んでいる最中もぐちぐち言っていたが、それには目を瞑った。
 ファーガスはなかなか目を覚まさず、ただ待っていることに焦れたクリスタベルは、ネルに看護を頼んでファーガスに呑ませる用の紅茶を淹れに部屋を出る。

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