武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

4話 黒髪の監視者(3)

 イングランドクラスへ赴いて、職員室に足を運んだ。そこにはデューク先生がカタカタとノートパソコンで何やら作業をしている。彼は座学の教師もしているから、その資料でも作っているのだろうか。
「あの、デューク先生」
「はい? おや、グリンダー君じゃないか。アイルランドクラスに行ってしまったと聞いたよ。寂しい限りだ」
「俺も先生の面白い訓練できなくて残念ですよ。っと、本題なんですが、これ、多分イングランドクラスの生徒の落とし物だと思うんですけど」
 言いながら、アンジェが見つけた鍵を渡した。
「ここ、これは……!」
 ファーガスは、その時のデューク先生の変化に戸惑った。目を見張り、声も少々詰まっている。だが彼はファーガスの奇異な視線に気づいて、しばし慌てた末に咳き込んだ。五秒ほど激しくそうしてから、「済まなかったね。この歳になると気管が弱くて」と冗談を言う。「まだまだお若いでしょうが」と突っ込むと、くすっと笑ってから「責任を持って持ち主に届けておくよ」とほほ笑んだ。
 その帰り道。ファーガスは冗談に流されかけた疑念を再び思い返していた。本当の中学二年生なら何から何までジョークだったと理解するのだろうが、ファーガスはそれに比べればまだ人を見る目に長けている。
「けど、まさかアンジェの言ったようなサスペンスの訳があるまいし」
 不可思議に思いながら、少年は首を傾げつつアイルランドクラスに戻った。昼休みだが、そう毎日パーティで集まる必要もないだろうという雰囲気がいつしかそこにあって、今日は手軽にハワードと飯を取ってしまうつもりだった。
 待たせたな、と言いつつ席に座ると「あ、すまん。お前のこと忘れてた」とすでに八割がた食事を終えているハワードが、咀嚼しながら少年に目をむけた。今更この程度で腹を立てるファーガスではない。こっそり奴の脛を蹴り飛ばしておくくらいだ。
 地味に痛がるハワードの横に、ため息を吐きつつ座った。「何だよ辛気臭ぇな、こっち来るんじゃねえ」とあまりにも心無い言葉を吐かれたので、いっそ腹も立たず素直に「なぁ」と声をかけることができた。
 纏まらない内容だったが、ハワードは意外にも真剣そうな面持ちで聞いてくれた。何だ、こいつにも良い所があるではないかと少々の感動を覚えていると、何故か奴は少し震え始める。
「……どうした?」
「い、いや、なな、何でもな、くふっ、何でもねぇよ、ぉ」
「ハワード、お前今笑って」
「ない。笑ってなどいない。さぁ、さっさと修練に行くぞ。俺たちはまだまだ強くならねばならないのだから」
「なんか格調高い話し方になってるけど。え、何にお前は追い込まれてんの? 何がお前を素にさせてんだよ」
「素になどなっていない」
 嫌な予感しかしない。ファーガスは冷や汗をたらし始める。
「――分かった。スコーンを奢ってやる。だから、頼むから何が可笑しかったのか教えてくれ」
「……お前、いつになったらオレが大貴族の息子だってことを理解するんだ」
 対するハワードは嫌そうな顔だ。しかし、アンジェの前情報通り好物だったようで「仕方ねぇなぁ」と折れた。これは非常に珍しい事だ。きっと目がなかったのに違いない。
「アンジェの病気が始まったってことだろ? そしてその場にグリンダーが居合わせた。つまり今回の被害者はお前だってことだ」
「病気? 被害者って」
「アイツはそういう所があるんだよ。激しく気になったところに事件ありってな。でも一度くらいはやってもいいと思うぜ。オレは二度と御免だが、いい経験にはなる」
「どういうこった」
「オレの経験談なんだけどよ、オレも一度つき合わされて、酷い目に遭った。その代りと言っては何だが、危機管理能力が身に付いたな。それが切っ掛けで鍛え始めたから、入学時点でオークの一匹は勝てるような実力で居られた」
「具体的に何があったんだよ」
「オレん家の保護領の森があってよ。そこの結界が一か所破れてた。見つけたはいいいが、亜人がすでに目を付けて出てこようとしていてな。その場の雑魚を、素人が必死こいて駆除するなんていう危ない目に遭った」
「当時何歳だ?」
「十歳。敵も角もちウサギなんていう雑魚だったが、当時はガムシャラだったな」
「あー、アレ飛んでくるスピード滅茶苦茶速いんだよなぁ。五発喰らったら、多分お前は死ぬからなって師匠に言われた記憶ある」
「ただの角もちならいいが、上位種は弾丸うさぎなんて呼ばれてるからな」
「場合によっては一撃で腹が破れるとか聞いたことあるし……」
 魔獣狩りの初めに苦労する場面は、誰でも同じらしい。ともあれ、「はぁん」とファーガスは腕を組んで考え始めた。
 確かに、鍵を渡した時のデューク先生の反応は妙だった。そして今のハワードの話。踏むと唸っていると、「無駄無駄」と奴は言う。
「その場にいた時点でもう手遅れだぜ、グリンダー。さっき言ったろ? 『今回の被害者はお前だ』ってな」
 大人しく修羅場くぐって来いよ。と奴はからからと笑った。食事を終えたらしく、「先修練場行ってるからな」と言い残して立ち去ってしまう。
 その放課後。予定が合わず、今日の狩りは各自自由にと言う話になった。ベル、ローラはそれぞれ用事。ハワードは当然のように狩りだった。そこでファーガスは、何となく山に行く気にもなれず、ぶらぶらと校内を散歩していた。
 改めて見ると、騎士学園は貴族が集まる場所なだけあって博物館のように意匠が凝らされている。そうしていると自分が全く知らなかった場所などを発見できて、結構楽しい。
 スコットランドクラスは一度の経験もなかったため遠慮したが、イングランドクラスにもお邪魔させていただいた。微妙な差が発見できて面白かったのだが、その途中で変な人物を発見した。
 小柄な女生徒で、緩くウェーブする黒髪の持ち主だった。彼女は物陰に隠れながら誰かを追っているようで、逆に言えばファーガスからは丸見え過ぎて滑稽なほどだ。視線を上げてその追われ人を確認すると、教官、案の定デューク先生だった。
「……アンジェ」
「ひぅ!」
 びくっ、と反応して、彼女は振り返った。そこにあった瞳は酷く怯えていて、それがファーガスだと認めるとホッと胸をなでおろしたようだった。
「何ですかもー、びっくりさせないで下さいよ。マジに心臓止まるかと思ったじゃないですか」
「本当にそんな感じの顔でむしろ俺の方が驚かされたっての」
 まるで世界の終わりを迎えたみたいな顔だったというと想像しやすいかもしれない。
「で、……デューク先生を監視してるのか、アンジェ?」
「はい。よく分かりましたね」
「分かるわ。何で分からないと思ったよ」
「……」
「今決めた。俺もっとアンジェの扱い雑にする」
「うぇええ!? いや、本当済みませんって! 冗談ですよそんな、ファーガス先輩も固いお人ですねぇ全く。そんなに頭カッチンコッチンだといつか簡単に割れちゃいますよ? そりゃあもう、卵みたいに。いっそのことハンプティダンプティって呼びましょうか」
「お前の口の悪さは一級品だな……」
「キャッ、褒められちゃいました」
「ハワードにも勝るとも劣らないんじゃないか?」
「そんなこと言うなんてあんまりです! 先輩! いくら怒ってたってそんな、酷い……」
「涙目になるほどハワードと一緒にされるのが嫌か……」
 とはいえ少し演劇的な口調だから、多分心底という訳ではないのだろうが。
 ふと気になって視線を巡らせると、とうにデューク先生は居なくなっていた。アンジェもそのことに気付いたのか、「あー!」と非難の声を上げる。
「どうすんですか! もしかしたらデュークの憎いあんちくしょうが、今頃ものすごい悪事を働いているかもしれないんですよ! そんな事件現場を見逃したらどうしてくれるんですか! 楽しみにしてたのに!」
「お気に入りのテレビ番組かっての。いいよもう、今日は。それ以前にイングランドクラスに入り浸ってると、見つかった時酷いぞ」
「そう……ですね。仕方がありません。確かにあたしも、上級生に見つかってボコ殴りは嫌ですから」
「それは相当珍しい例だと思うけどな……」
 少なくとも、ソウイチロウが居なくなってからは互いのクラスのいがみ合いと言うのは鎮まっている。関わり合いにもなりたくない、というのが通常の感情なのだ。攻撃の理由がない限り、極力無視し合う関係である。
 二人で無難に脱出してから、一旦食堂に向かった。二人分のスコーンを買い、片方をアンジェに与える。
「えっ、いいんですか?」
「ま、俺も先輩だしな」
「やっほぅ! ――あっ! でもここにネル先輩が居ない!」
「やっぱ仲良いだろお前ら」
 ぐぬぬ、と悔しがりつつスコーンにトッピングを加えてかぶりつくアンジェに、ファーガスは苦笑交じりの嘆息。次いで笑みを消して、問いかけた。
「なぁアンジェ。いくら気になるって言ったって、お前のやり方は趣味が悪い。その上他クラスだから危険もある。痛い目を見る前にやめておけよ」
「……むぅ」
 スコーンを口に運ぶ手を止めて、静かに視線を落とす。でも、と今度は本当に悔しそうに言うのだ。
「あたしが本当に気になった時って、絶対に何かあるんです。本当に。……まるであたしは、悪魔の化身なのかもって思うくらい」
「……」
「だから、責任を持って止めなければならないんです。そうでなきゃ、近い将来、死人が出かねないんです……!」
 追いつめられた人間の顔だ、とファーガスは思った。一時期は、鏡を見る度にずっと見せつけられていたものだ。三百年も前の話だが。
「そう思う、根拠を教えてくれよ。俺も知らない仲じゃない。出来ることなら協力してやりたい。でも、どうにも実感がないんだよ。ハワードにもアンジェのそういう事を聞いたけど、一回きりだろって、どうしても思ってしまう」
「一回きりじゃないんです。ネル先輩っていうと、結界の解れの話でしょう? あの一回こっきりだったら、あたしだってこんな面倒なことしませんって」
「――聞かせてくれるか?」
「……はい。隠すようなことは一つしかありませんし。だから誰にも言わないでくださいね?」
「分かった分かった」
 沈痛な表情を見せたり、かと思えばすぐに相好を崩したり、忙しない後輩である。
「ネル先輩の事件は、時期的には三番目なんですよね。最初に気になったのは五歳の頃。対象はお父さんでした。付いてきた結果は、お父さんの浮気。口止めに相当おもちゃを買ってもらいましたし、相手の女性とも別れさせました」
「……まぁ、大したことと言えばそうだけどさ」
「次に、本屋で見た変な人を追いかけたら、危うく殺されるところでした。当時の連続殺人犯だったらしいんですね。家に電話を掛けたら近衛の人がいい感じに犯人をぼこぼこにして助けてくれました。警察の人に表彰されましたね。嬉しかったです」
「危険すぎるだろ」
「三番目は、ネル先輩の言った通り。結界が解れて、亜人が出てきそうでした。亜人っていうのは、他の国はともかくこの国では人に害をなし、時によっては食らうもの達です。発見できなければ、何人死者が出たか分かりません」
「……そりゃあ」
「あと二つありますけど、まぁ、大体今までのと同じ感じです。そして、今回が六度目。だんだん危険度が上がってますから、何としても止めたいんです」
「なるほど……なぁ」
 彼女の好奇心が曰く付きであることは、恐らく事実なのだろう。こんなつまらない嘘をハワードが吐くわけがないし、アンジェもこんな凝った嘘を語って楽しむ人間でも年頃でもないはずだ。
 それに、とファーガスはアンジェを真正面から見つめ返す。彼女の表情は真剣そのもので、そこにはひたむきな義務感が強く灯っているようにファーガスには思えた。
 ――ファーガスは吟味する。証拠としてなら、物的なそれを別としても八割方信用出来る。残りの二割は、荒唐無稽な話を排除しようとする常識の存在だ。けれど、三百年前からは想像も出来なかった亜人の出現を鑑みると、その常識さえどうなのかと考えてしまう。
「……分かったよ。とりあえず、アンジェの話を信用する」
 笑いながら、少年は言った。取り立てて信じない必要もないと思ったからだ。監視はアンジェ一人でやるから危険なのであって、元イングランドクラスであったファーガスがうろつく限りは、多少なりとも危険が薄れると考えている。
 ソウイチロウの話は、最近では話題にも上がらないのだ。
「本当ですか!」
 アンジェは、跳び上がりそうなほどに喜んでいた。それが、ファーガスにはくすぐったい。「協力っていうのは、不審がられないように付いて来いってことだろ?」と確認を取ると、首肯が返ってきた。なら、問題はない。
「なら、精々付き合わせてもらうさ。別に忙しいって訳じゃないしな」
「はい!」
 その喜び方があまりに素直で、可愛いな、なんてことを思ってしまう。それは恋ではなかったが、これからこいつには、多分いいように使われてしまうんだろうなと、そう思い明るいため息が出たのだった。

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