武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

2話 幼き獣(5)

 クリスタベル・アデラ・ダスティンとの邂逅は、プライマリースクールの入学前後のことだった。
 当時ファーガスはベルが貴族だとは知らず、そもそも男だと思っていた。彼女の家を貫通したパブリック・フットパスを通っていたところ、遭遇し、仲良くなった。
 そんなある日、ベルの敷地内に居るという妖精を探しに行こうと彼女が言い出した。その敷地内と言うのはこの騎士学園で言う山のようなもので、亜人が出るために敷地内に含まれているのだと当時のベルは知らなかった。
 その話には、運よくと言うべきか、運悪くと言うべきか、ファーガス以外の友達の全員の都合が合わなかった。
 そのため、二人で森に入り、妖精を探すことになった。だが一向に見つからず、幼さ故の互いの無神経さが祟って、その場で仲違いし別れた。
 ファーガスが方位磁針を持っていて、ベルは地図を用意していた。ファーガスは森からすぐに出ることができ、ベルだけが森の中に残されたのだという。
 そして森に生息していたオーガに遭遇し、彼女は奴の手の届かない木の洞に隠れ、二日間、そのままで過ごしたらしい。
 ファーガスが嫌な予感に再び森に足を踏み入れ、ようやく彼女を探し出した時、ベルはそこで胎児のように丸まり、酷く衰弱しながらも、恐怖に瞳を閉じることができなくなっていた。
 そこでシルフィードと言う妖精に力を借り、またファーガスの『前世』のこともあって、何とかオーガの撃退に成功。他の亜人はシルフィードに察知してもらい、避けて通った。
 そこからは、言うまでもない話だと思う。ベルを彼女の家族の元まで届け、事情を話した。しこたま怒られたが、それもまた、当然のことだ。
 そしてベルが再び声を出せるようになるまでに、数カ月の月日が必要だったのも、当たり前であると言えた。
 少しずつ、症状は回復に向かっている。だが、ファーガスはいまだに彼女があの森の中に魂の一部を置いて来ているのではと疑う時がある。あの事件が起こるまでの彼女は、もっと苛烈で、礼儀を重んじる、男と勘違いされても仕方がないような少女だったのだ。


 背後から迫るヘル・ハウンドたちは、一向に撒けなかった。奴らは互いに常に一定の距離を保っていて、数匹の目から逃れられても、必ず一匹はファーガスたちを捉えている。
 応戦しようと考えたのは 第六エリアのフェンスが見えた頃だ。せめて一匹でも仕留めておかないと、絶対に奴らから逃れられない。
「ベル、援護頼めるか」
「う、うん……」
「了解、じゃあ二匹仕留めたら逃げるから、準備しておいてくれ」
 ベルの武器は弓矢だ。イングランドクラスでは珍しいスタイルで、戦い方自体はスコットランドクラスのそれに似ている。要は、中~長距離戦という事だ。
 そしてそれは、おそらくベルが、肉眼で亜人を捉えてもギリギリ精神的に安定できる間合いでもあるのだろう。
 弓矢と言うのは、賢い選択であったと思う。実際ベルのパーティも、ファーガスと前後する形で、第四エリアを開放したと聞いている。
 ファーガスは駆け出し、『ブリザード・ブレイド』と言う攻撃力の高い聖神法で切りかかる。それだけで、一匹。存外簡単に倒せるではないかと思ってしまう。
 だが、それは甘い考えだった。
 返す刃で牽制。そこにベルの矢が突き刺さった。ヘル・ハウンドの喉を貫き、一撃で絶命させる。ファーガスはそこで反転し、逃げ出した。目的を達成したら、余計な事をしない方がいいのは耳がタコになるほど教官に叩き込まれている。
 走り出す。このまま撒ければいいと思った。そこに、爆発が起きた。ファーガスはもろに煽りを受けて吹き飛び、雪の上を転がる。
「ファーガス!」
 ベルの声が木々の間にこだまする。――何が起こった。ファーガスは背中全体に走るひりひりとした痛みと、内臓のよじれるような吐き気に抗って、震えながらも立ち上がった。
 ベルが、必死な表情で駆け寄ってくる。それを横目に、ファーガスは腰に差しっぱなしの杖に触れた。索敵。そして、真相を知る。
 奴らは、互いに激突することで自らを誘爆させたのだ。
 高い知能を持っている。それは、下手をすると亜人らしい特殊能力よりも厄介だ。ファーガスは考える。反転する自分に対しての、爆発。つまりは、奴らに自分たちを逃すつもりがないという事の証左だ。
「ベル……、逃げろ……」
「置いて行ったら君は死ぬだろう!?」
 怒りとも後悔とも分からない表情で、ベルは素早くファーガスの周囲に矢を四つ打ち込んだ。青白く輝く結界が展開される。次いで彼女は、迫るヘル・ハウンドを弓矢で射た。喉。もんどりうって、一匹のヘル・ハウンドが雪をまき散らして墜落する。 しかし、もう一匹。一つの矢がその膝を破り、もう一本がその耳をはぎ取った。しかしそれは、命に届かない。
「何で、何で……!」
 ベルは、次第に焦っていく。もはや距離は十メートルもない。距離が近ければ普通は命中率も上がる。けれど彼女は駄目なのだ。手の震えはヘル・ハウンドが五メートル圏内に入った時ピークを迎えた。弓を落とし、ベルの表情が幼子のように歪み始める。
「クソがッ!」
 回復途中のファーガスは、体を叱咤し立ち上がった。そして盾を翳し、ヘル・ハウンドを殴りつける。奴らに効く聖神法は、冷気を纏っていなければならないと聞いていた。それを発動させる余裕はなく、ただ背後のベルに被害のいかないよう、『ショック・リダクション』と言う手軽な盾用スキルを使う。
 衝撃。だが、吹っ飛んだのはファーガスだけだ。雪の上を跳ね、再び来た吐き気のような鈍痛に耐えながら、ヘル・ハウンドに目をやる。奴は痛そうにしているものの、弱っているというよりは苛立っていた。
 ベルを見やる。彼女は依然として手の震えを抑えられないようで、まるで親の仇のように自分の手を睨み付けていた。援護は期待できない。
 仕方ない、と割り切る。ベルに関しては、すぐにそう出来た。痛みを食いしばり、立ち上がろうとする。しかし右足があらぬ方向へ曲がっていて、どうにも立ち上がれそうにない。見れば、ヘル・ハウンドとの距離はもはや三メートルもなかった。
 ――ここで、死ぬのか。
 ファーガスは自問する。もちろん、こんなところで死にたくはなかった。
 ――なら、『使う』のか。
 ファーガスは、酷い恐怖を感じる。しかし、打開策はそれしかなかった。かつて、ベルを救うためにオーガに使用した。それをきっかけに前世のことをまざまざと思いだし、これ以降絶対に使わないと決めたのだ。
 葛藤。平時のファーガスが問われれば、『死んでも使うかよ』と即答出来る。しかし、実際に追い込まれるのとは、やはり違った。
 体が、半ば無意識に動く。命を渇望し、後悔をも厭おうとしない。止まれと強く願っても、一歩の余地さえ残されない危機において、本能は個人の意志を遥かに勝る。
 そこに、何かが飛んできた。
 それはヘル・ハウンドにぶつかって雪の上を跳ねて行った。爆発は起こらない。信じられない思いで見やると、ヘル・ハウンドは腹を破られて絶命していた。何が、と跳ねていった物体に、必死に這いよっていく。
 毛皮を、身にまとっている。だが、獣ではなかった。亜人を殺して剥いだのだと、ファーガスは悟る。
「……ソウ、イチロウ……」
 ファーガスは、戦慄と共に彼の名を呼ぶ。彼は過呼吸を起こし、酷く苦しそうにあえいでいた。顔には多くのあざがあり、体のいたる所から失血している。
 成長している。だが、面影もあった。実感が形容しがたい激情と共に湧きあがる。自然豊かな日本で数多の亜人と笑いながら戯れていた彼が、何故こんなことになっているのだ。
「クソがッ……! ――敵は、もう、居ないよな」
 息絶え絶えで、ファーガスは剣を地面に突き刺した。祝詞をあげ、回復の聖神法を展開する。青白い半球がファーガスを包み、じわじわと傷を癒していった。
 回復には、一分もかからない。しかし戦闘中に効果的に発動させるとなると、使用が難しい程度には時間を食う。
 ファーガスは自分を回復させ終わったのち、ソウイチロウにも聖神法を掛けようとした。だが、木々が密集した方向――ソウイチロウが飛んできた場所が不意に気になって、そちらに目を向けた。
 木々の暗がりで、何も見えない。しかし気配があった。色濃い、むせ返るような気配が。
「……」
 唾を呑む。ベルに向かって「こっちに来い!」と呼んだ。彼女は慌ただしく駆けてくる。その途中で、それは姿を現した。
 漆黒の肌。三メートルあらんばかりの巨躯。鋭く赤い眼光は荒々しく非情だ。それが、三匹。圧迫感が、ファーガスの呼吸を乱す。
「……オー、ガ……!」
 運が悪い。ファーガスは、歯噛みする。その時、ベルが雪の上で転んだ。そして、オーガを凝視したまま後ろに下がっていく。
 ファーガスは、思わず駆けだしていた。
 ベルの前に立ち、オーガを睨みながら彼女に手を差し伸べる。立ち上がらせた後、ソウイチロウの元へ行くよう指示を出した。次いで、彼の治療をするように言う。
 ベルは頷く。だがすべてを理解出来たのかは疑わしい。それほどまでに、彼女は酷く怯えていた。歯の根は合わず、瞳には涙が浮かんでいて。いつもの大人びた沈鬱さではない。あどけない、幼子の恐怖だ。それが、堪らなくファーガスは悔しい。
「大丈夫だ」と、ベルの手を握って言った。
「お前は、何も心配しなくていいんだよ、ベル。全部、俺が何とかする」
 少し、震えが納まる。ファーガスは微笑んで、踵を返した。オーガの巨躯は、僅か二メートルにまで近づいている。
「……よう、デカブツ。昔、お前の仲間を殺したぜ。方法は違うが、お前もそうしてやる」
 オーガは、こちらの言葉に反応したのかそうでないのか、激しく息を吐いた。雪の冷気のせいで、熱いその呼吸は湯気のようになって奴の顔を包む。
 ファーガスは盾を翳し、剣を忍ばせた。盾には衝撃霧散の聖神法。剣には、ファーガスが持つ中で攻撃力が最も高い『フレア・ブレイド』の聖神法を準備する。
 オーガの拳を待った。襲い来たそれに、盾を突き出す。聖神法もあって、防ぐことはかなった。何だ、大した事はないじゃないかと、懐に飛び込む。
 突き。それも、聖神法を纏ったそれだ。使用するこちらの持ち手が熱くなるほどの豪炎を挙げて、剣はオーガの肉を焼いた。手ごたえを感じ、一旦退く。
「どうだ……?」
 ファーガスは、オーガの様子をいぶかしむ。肉は煙を上げて焼かれ、効果があったかに見えた。だが、すぐにそれが錯覚であったのだと知る。
 オーガは、自身の患部を叩いた。煙は消え、怒りの表情を作るその醜い顔が露わになる。そして、一歩踏み込んで、右こぶしが来た。とっさに盾を構えると、意外にも軽い手応え。攻撃事態は弱いのかと推察した途端、真っ二つに割れた。砕けたから衝撃が逃げたのだと知って、血の気が引いた。
 後退。予備の盾を出しつつ、唾を呑む。予想を遥かに超えた防御力。こんな奴を、どうやって倒せばよいのだ、ファーガスは下唇を噛んで考える。
 ファーガスの持ちうる最大限の攻撃は効かない。防御だけなら何となるが、一歩間違えれば死ぬだろう。唯一頭を狙えば何とかなるかもしれないが、それを狙うだけの隙が、果たして奴にあるのか。
 自分の持つ手段を、脳内で洗い出す。聖神法そのものの力。組み合わせ。さらには科学的な考え。パズルのように組み合わせ、敵を討つ方法を導き出す。
「……考えながら戦うってのは、性分じゃないんだけどな」
 やるしかねぇか、畜生。ファーガスは呟き、まず身を隠すべく密集した木々の中に飛び込んだ。

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