武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

挿話2 ある少年の初恋【上】

 母から、「久々にファーガス君に会いたい?」と尋ねられた。
 とある、夏の日の事だった。総一郎は父との稽古を終えて、白羽と共に食べるためのアイスを二つ、手にしていた。少年は小さなタオルを首にかけながら、きょとんとして言う。
「こっちに来られるの?」
「ええ。あちらの方も休暇中で、来たいって五月蝿いんですって。総一郎はどう?」
 どう、と尋ねられれば、嬉しくないわけがなかった。二年ぶりの再会だろうか。顔のにやける感覚を覚えつつ、「本当に? いつ来るの?」と返す。
「分かんないけど……、多分、この夏中には来られると思うわよ」
「ほう……。おおぉぅ。ヤバい。何か嬉しくなってきた。ちょっと白ねえと一緒に空中レースしてくる。時速五百くらいまでならいいよね?」
「五十にしときなさい。アイス食べながら五百キロも出したら、一瞬で風に持ってかれた挙句、落ちたアイスで人が死ぬわよ?」
「分かったよ。じゃあ、食べ終わったら」
「ならよし」
「行ってきまーす! 白ねえ~!」
 総一郎は、アイスを両手に走り出した。木の床を走ると、裸足のせいでぺたぺたと音がする。障子などが開け放たれた家の中で、セミの鳴き声が反響している。
 総一郎の心は、踊っていた。久しぶりの親友との再会である。


 実のところを言うと、ファーガスとは連絡を良くとっていた。
 日本国内ではだいぶ無理をさせていたから、メールでくらいは英語でやろうと持ちかけた。しばらくはそうだったが、唐突に彼が、文法が滅茶苦茶の日本語で、日本語での文通にしてくれと頼みこんできて、それ以来そのようになっていた。
 理由は、定かではない。だが、やはり彼の語学力には目覚ましいものがあった。今では一週間に二、三回ほどメールを交わすのだが、とりあえず文面の上ではネイティブレベルの練度となっている。
 そのため、母からの「いついつに来るから、準備しておきなさい」というような言葉を、総一郎は待ち望んでいた。あれから数年も経っていないが、スピーカーとして彼はどれほど日本語を話せるようになっているだろう。それを除いても、総一郎が今まで身に着けた魔法などを披露するのは楽しみだった。亜人の友人――たとえば、タマを紹介するのも同じだ。
 母からファーガスの来訪を告げられた翌日、ワクワクしながら総一郎は家中をうろうろしていた。その後ろを、白羽が付いて来ている。
 そうすぐに来るはずもない事は、理解していた。しかし、子供の体と言うものは厄介なもので、心躍る出来事が待っていると、どうにも耐え切れずそわそわしてしまうのだ。
 そんな風にして家中を徘徊し、父に奇妙な目で見られ、途端に恥ずかしくなって二人で身を縮こまらせつつ早足で逃げていると、玄関に通りがかった時に丁度呼び鈴が鳴った。
 白羽が、それに一早く反応した。彼女は来訪者に対して、自分で戸を開けるのが好きなのだ。そして、「えぇぇぇぇぇぇえええええええええ!?」と叫ぶ。
「何々!? どうしたの白ね、えっ」
 二人は、ただ唖然として口を開ける。開けた玄関の向こうにあったのは、栗毛の少年の姿だった。ソウイチロウとほとんど同じ背丈の彼は、不釣り合いなほど大きなボストンバッグを肩に背負っている。キーホルダーに、猫の写真が付いていた。
「ファーガス!」
「ソウイチロウ! 久しぶり!」
 ファーガスが両手を広げたので、思わず総一郎も西洋式の挨拶に倣いハグをした。そのまま「シラハも久しぶり!」と軽くハグを交わす。ソウイチロウの少し戸惑い気味のそれに対し、彼女のそれは「ファーちゃんお久ー!」とノリノリだ。
「うわ、メールが凄いから少し予想してたけど、もうすでにネイティブレベルじゃないか! というか、いつ日本に来たの?」
「あれ? 親父伝いで連絡は行ってたと思うんだけどな」
 首を傾げるファーガス。そこに、パタパタと駆けてくる足音が聞こえてきた。「久しぶり~、ファーガス君。よく来たわねー」と母が出迎える。
「……母さん?」
「……テヘっ」
「二児の母がいまさら何やってんの……」
 どうやら母のドッキリだったらしい。最近思うのだが、白羽の生来のユーモアは彼女の遺伝なのではないか。
 しかし、それだけに驚きと嬉しさもひとしおだったのは確かなことだ。改めて礼を言う気にはならないが、腹を立てるほどのものではないだろう。
 ともかく、ファーガスを迎え入れた。当然父にもすでに連絡が行っていて、「よく来た。数週間、くつろいでいくと良い」と一言言って、また自室に引っこんでしまった。
 今回訪問したのは、ファーガス一人という事だった。しかし、小学二年生がたった一人で国際旅行などできる訳もない。言うまでもなく両親に付き添われたのだが、その二人は息子を置いて結婚記念旅行と決め込んでいるとか。何ともむず痒い話である。
 そんな風にして滞在することになったファーガスだったが、二度目という事もあり、武士垣外家になじむのは前回に比べても早かった。日本語の上達っぷりが非常なものだったというのもあるだろう。日本人特有の音便やら、ら抜き言葉などの機微も抑えているのだから恐れ入る。
 その日は時期的には夏休み中盤で、総一郎たちの学校が始まるのと同時に彼は祖国へ帰っていくらしい。中々の長期滞在だ。
 そんな訳だから、一週間が過ぎる頃、ほとんど彼は武士垣外家の一員と化していた。亜人の紹介なども済ませて、今ではタマを頭に乗せて、彼の指導を受けながら総一郎と碁を打ったりする。
 今日も、そうしていた。ファーガスはボードゲームがあまり強くなく、しかし頭が悪いわけではないので、タマに教わった戦法で総一郎を苦しめる時もよくある。
「いいか、ファー坊。総一郎は頭がいい。だが、それはお前さんも同じだ。冷静に、使える技を使っていきゃあいいんだよ。有効な手札が無かったら、考えて作り出せ。いざとなりゃあ、俺が助言をくれてやる」
「頼みにしてるぜ、相棒」
「……何だか、僕悪役みたいでヤダなぁ」
 再会したファーガスには、改めて気づかされた生来らしき魅力があった。人々の中心に自然と立っているような雰囲気があるとでも言おうか。寛容さと情熱。総一郎に置いては、情熱の矛先など剣と魔法にくらいしか向かないから、彼には一歩及ばないと言ったところだろう。
 特にそれが不満という事でもなく、ただそんな風に認識しているというだけだった。どちらにせよ総一郎はファーガスの親友で、付き合いこそ短いが般若兄妹などと並ぶ位置にいるというのは間違いのない事なのだ。
 もちろん、白羽は最上位に位置している。
 そんな彼女だが、今日は般若家に遊びに行っている。なにやら、図書が新しくゲームを買ったので、混ざってくるという話だった。
 総一郎が行かなかったのは、最近、ファーガスとの碁打ちが予想以上に面白くなってきたからだ。
 タマと直接碁を打つ時もあるが、大抵は総一郎が勝つ。だが彼が指導という立場で、打つのはあくまでファーガスという状況ならば、なかなかに強い。総一郎が負かされる日も近いだろう。
「そういえば、ファーガスが拉致った猫ちゃん。今どうしてる?」
「拉致ってねぇし。元気にしてるよ。人懐っこくて、それがまた可愛くて」
「名前は?」
「アメリア」
「結構しっかりした名前付けたね。いい名だ」
「ありがとよ」
 パチ、と総一郎は白石を打つ。ファーガスは長考をしないから、すぐに次の手が来て総一郎の手番になる。総一郎は器用な性質で、雑談しながらも手を試行錯誤できた。もっとも、雑談の方はより一層雑になるのだが。
「ファー坊。ここはどうすべきか教えたな?」
「……ああ! そういえば使えるな。了解。……ってーと、ふむ」
「あの、二人とも。今は僕の手番だからね?」
 謎のプレッシャーが総一郎に圧し掛かる。そういう話は自分の手番で言ってほしい。
 しかし、彼が来てからすでに二週間は経っているが、それでも随分と打ち解けたものである。タマなどほとんど毎日遊びに来るようになり、その上ずっとファーガスの頭の上に引っ付いている。他の亜人たちにも好かれていて、法律がなければ彼に加護を与えたかったという人物は後を絶たない。
 もちろん動物への魅了は健在で、その上熟練度が増してものすごいことになっていた。口では簡単に言い表せないほどで、一例をあげるとするならば、ファーガスと鬼ごっこをするときはこちらにも魔法を使わせてほしいと思うレベルである。
「イギリスでの土産話とかある?」
「んー、そうだな。友達とポーカーやってたら、あっちで一番仲のいい奴がロイヤルストレートフラッシュ出したことがあってさ」
「おお。凄いね、それ」
「ただし他の奴らは全員危機を察知して、その回のゲームを降りていたという」
「悲しい!」
 奇跡の無駄遣いである。
「ちなみにその時のファーガスの手札は?」
「ブタ」
「せめて空気読んであげなよ……」
「いや、そいつ分かりやすくってなぁ……」
 微笑ましげな笑みを浮かべるファーガス。それに総一郎は違和感を覚える。
「……それって、もしかして女の子?」
「えっ、はっ!? 何で分かった!?」
「総一郎の勘の良さは、亜人仲間の間でも有名だからな」
 くつくつと、ファーガスの頭の上でタマが笑っていた。「うるさい」とファーガスは彼を下ろして膝に乗せ、のど元を撫でまくりはじめる。
「うっ、やめ、う、あ。はぁあ……」
「目に見えて脱力したね、タマ」
 ゴロゴロと喉を鳴らし始める彼の姿は、はっきり言って普通の猫と大差ない。いつものてやんでい口調もどこへやら。流石は動物の類に滅法強いファーガスである。
「……で? どんな子なの? お名前は?」
「……言いたくない」
「そんなぁ。言ってよ、折角なんだから。どうせ、僕はその人と会う機会なんて訪れないんだろうし」
 肘で軽くファーガスをつつく。すると彼は難しい顔をしてから、ハッ、と名案を思い付いたように顔色を明るくした。そして、やり返すような意地悪な笑みを総一郎に向けてくる。
「じゃあ、総一郎の好きな人――シラハとルカの二人から、きっかり選んでもらおうか! それが出来たら話してやらないでもないけど、……ふっふっふ。出来ないだろ?」
「白ねぇ。ほら、早く言ってよ。好きな人の名前」
「お前少しは迷えよ! ルカが可哀想だろ!」
 琉歌と図書なら相当迷ったが、生憎と白羽は総一郎の中でずば抜けた位置にいるのは前述のとおりである。言い忘れていたが、白羽の次は父だ。総一郎は家族思いなのである。
 総一郎の即答に「畜生……」と悔しがるファーガス。一体どれほど日本語を学べばここまですらすらとこれほど多くの語彙が出てくるのかと、総一郎は甚だ疑問だった。
「それで? 何て名前?」
「……クリスタベル・アデラ・ダスティン」
「なんかすごい名前だね」
「まぁな。何たって、貴族だし」
「……えっ?」
 彼は今、何と言った?
 驚きついでに白石を打った。するとファーガスは「ん」と眉を顰めて、十秒ほど彼にしては長考した後、パチンと黒石を打つ。繋ぎの一手。しかし、どうも何かが潜んでいるようでならない。再び総一郎は長考し始める。雑談もまた続く。
「――貴族?」
「ああ、貴族」
「あの、舞踏会でらんらん踊りつつ謀略を巡らせ、いざ軍事となったら大きな槍とか弓矢とか使って『突撃ー!』ってやる人?」
「ソウイチロウのイメージは中世で止まってるな」
「仕方ないじゃないか。僕理系だし。そこまで歴史とか政治とかには明るくないんだよ」
「そういう問題でもないだろうけどな……。つっても、最近の貴族はあながちソウイチロウのイメージから外れてない。敵対するのが亜人になったくらいで」
「あー、図書にぃが言ってたなぁ、そんな事」
「だからさ、日本のことを知って俺びっくりしたんだよ。亜人って言えば、俺たちからしたら『夜更かししてると亜人が来て食べられちゃうわよ』みたいな全国の母親の常套句の一部にすぎなかったもんだからさ」
「日本だと鬼だね。人食い鬼」
「そうそう。それが日本じゃ陽気に過ごしてるんだよ。ほら、このふにゃふにゃになったケットシーみたいにな」
「ん? あれ? タマ!?」
 ファーガスに撫でられすぎて、タマは生物として蕩けきったような状態になっていた。目はトロンと虚空を眺め、四肢も弛緩している。まるで、言い方が悪いが、致死量寸前の麻薬を打ったような状態だった。麻薬に致死量があるのかどうかなんて知ったこっちゃないが。 
 仕方ないのでファーガスから受け取って、縁側から地面に降り、近くの茂みの中に投げ込んだ。「おい! そんな乱暴するなよ!」とファーガスが見咎めるが、「いいんだよ」と少年は答える。
「亜人っていうのは、自然に近しい環境に居る限りすぐに正常に戻るから。今日は多分戻らないだろうけど、明日になったらぴんぴんして顔を出すよ」
「……そういうもんなのか?」
「だから日本はこんなに緑化運動に力を入れてるのさ」
 縁側に戻り、「それで、」と言いつつ石を打つ。ファーガスはさして考える様子もなく、一手を返してくる。――ふむ、今の一手では、彼の企みを阻めなかったか。
「でも、貴族って身分差とかすごいんじゃない? 僕が言うのもなんだけど……大丈夫なのかと」
「んー……。フラグは立てた」
「フラグ? ……何か聞いた事あるな。何かものすごい昔に、スラングか何かであったような……」
「あれ、これって今は死語なのか?」
「今って?」
「あ、いや……」
 言葉を濁すファーガス。しかし総一郎も訳が分からず、続く彼の誤魔化しに乗るしかなかった。
「ともかく、縁は切れてないって感じか? うん。まだ脈はある」
「ほぅ、どうやって?」
「それを語るには、まず馴れ初めから離さないといけないんだが……。長くなるぜ?」
「いいよ。どんと来い」
 ちりん、と風鈴がなった。総一郎の興味はすでにファーガスの話の方に移っていて、終盤に差し掛かった碁盤も半ばどうでもよくなっていた。日はすでに傾きつつあり、その赤い光がガラス製の風鈴を通り、不思議な光を畳に照らし出している。

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