武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

7話 冬の図書館

 隣家である般若家の第二子にして長女、垂れ眉が愛嬌の琉歌は、懐いた相手に対して接触過多になる所がある。
 自分の世話を一番に焼いてくれる兄、般若の面を頭端に付けた図書には、暇と彼自身の許可さえあればその膝に座って鼻歌を歌い、彼女の大の親友にして総一郎の姉、天使の血を色濃く継ぐ白羽には、遊ぶ時はほぼ常にその手を握っている。 そして、肝心の総一郎には、去年の夏に助けてもらってからは会うたびに飛びついてくる。大変可愛らしいが、子供ゆえの加減のなさで、少々ながら辟易していた。
 何故こんなことを言うのか。それは、琉歌が総一郎のファーストキスを奪ったからである。
 かなり唐突な事だったように、総一郎は思う。
 寒空の遠くに、太陽が輝いていた。しかし雲もあり、いずれ隠されてしまうのかと思うと、少々の鬱憤がさらに重くなるような気がしていた。 年越しが済み、子供たちが互いの、武士垣外家、般若家からそれぞれお年玉をもぎ取ってから数日した、ある日の事だ。積雪の上を白羽と二人、ふかふかの重装備で歩いていた。
 正月らしい遊びは、全て正月中に終わらせてしまって、暇だったのである。
 かと言って正月に関係ない遊び、例えば雪合戦は大分前にこなしてしまっていた為、やろうにもやれない。しかもその顛末が、年が一番上だからと図書が魔法を込めた雪玉で集中放火されたため、嫌がって相手にしてくれなくなったという、考えられうる最悪の物だったのだ。
 総一郎は寒い中で暴れまわるほど元気が有り余っている訳ではなかったので、形だけ参加する、という程度に留めたが、正真正銘の子供たちにそんな理屈は通じない。大人しい気質のある琉歌はまだマシだった。しかし、白羽がいけなかった。
 あのバカ姉は、あろう事か光球で総一郎を除く全員の視界を奪ったのち、必死に図書へ、大量の雪玉をぶつけたのである。
 手加減を知らない子供は恐いと痛感した総一郎だ。
 その様を思い出し、周囲の空気の寒さとは無関係に、ブルリと体を震わせる。横に居る白羽に「どーしたの? 総ちゃん」と尋ねられ、思わずぎこちない返事をしてしまった。
 だが、何処へ行こうと暇である事に変わりは無く、それならば、という理屈で般若家を訪ね、図書の部屋の扉をノックした。
 そこで迎え入れられた時、琉歌に抱きつきついでに唇を奪われたのだ。
 部屋全体が、沈黙に満ちていた。
 琉歌だけがそれに気付かず、総一郎から唇を放して嬉しそうに顔を紅潮させる。次いで、てとてとと図書の後ろに隠れてしまう。
「……総一郎……?」
 仁王立ちで名を呼んだのは、図書だった。口の形は弧を描いているが、どう見ても笑みではない。 それを感じ取り、総一郎、慌てて弁解する。
「誰にどんな非が有るとは言わないけど、とりあえず言えるのは、僕の今の心境が娘のファーストキスをもらっちゃって、嬉しい様な申し訳ない様な父親の気持ちに限りなく近い物だって事だよ」
「スゲー現実味のある返しで、お兄さん怒る気も失せちゃったよこの野郎……」
 項垂れて重いため息を吐く図書。出会った当初は幼さの残る悪餓鬼と言った風情だったのが、今はある程度の分別もついて、口の悪さも控えめな、大人の雰囲気を纏い始めている。 ふと気になって、総一郎は尋ねた。
「そういえば、図書にぃって今何年生だっけ」
「中学二年の終わりだよ。お前らが幼稚園を卒業するのと同時に、俺も高校へ上がるって訳だ」
「ふーん」
 何となく頷く総一郎。それを凝視していたのは、白羽だった。「総ちゃん」と名を呼ばれ、振り向くと頭を叩かれる。
「……痛いんだけど、白ねえ」
「知らないもん。総ちゃんのバーカ」
 目の下に人差し指を当て、舌を出して子供らしい挑発をする白羽。総一郎は、刹那、呆然としながら、その姿に生前の『彼女』の姿を垣間見てしまう。
 二歳の時の白羽の開花以来、少しずつ白羽が『彼女』に似ているという理由を除き、ただ自分の姉として深く愛することが出来るようになった総一郎。だが、普段と違う行動を取られると、どうしても『彼女』の姿がチラつく。 そしてその度に、総一郎は心臓を鋭く抉られるような感覚を覚えた。助けられなかったのではないか、と言う考えが、脳裏をよぎるのである。
 白羽はそんなことも知らずに、琉歌を遊びに誘っていた。今日は、ゲームをやるらしい。その姿を、防衛本能に近い形で苦笑しながら、根っこで深く沈黙していると、ぽん、と頭に手を置かれた。
 見上げると、図書が困ったような、愛嬌のある笑みを浮かべている。
「琉歌。『LIFE GAME』は右端にあったはずだから、それならやっていいぞ。他は全部俺のクリアデータだから触るなよー」
 はーい。と清涼な声が返ってくる。見れば、少女二人は目と耳を覆う、それぞれ青色と銀色の、レンズのない眼鏡の様な物をつけていた。こっそりと琉歌が、さらに首裏に小さなカチューシャの様な物を付けようとしていたが、図書に見咎められしぶしぶしまう。その代りに彼女たちは、少しサイズの大きい手袋をはめた。
「えっと……何? あれ」
「ん? ゲームだけど」
「え、いや……。ううん。あのメガネみたいな奴と手袋は分からないでもないけど、るーちゃんが首にこっそりつけようとして他のは何? アレだけは正体が分からないんだけど」
「ああ、VRシステムな。アレは偶にジャックとかされて危険だから、小さい内はやらせない方がいいんだ。ジャックされた末にその中で殺されたり、逆に人を殺しちゃって、罪に問われるなんて子供が一時期続出したらしいからな。大人もだけど、それはまぁ、自業自得だし」
「……」
 そっかぁ、いわゆる『脳直』かぁ。なんてことを思わないでもない総一郎、微妙な笑みのまま、言葉を耳から耳に聞き流した。本当、SFなんだかファンタジーなんだか、訳が分からない世界だ。
 そんな時、かつて話された『琉球』の言葉が思い浮かぶ。琉歌の名前の由来で、幸せの島とされる場所。かつて沖縄であるかと問えば、図書はそれに是と答えた。また、この国が日本であると聞いても、答えは同じであった。
 奇妙な矛盾に、総一郎は眉を顰める。結局それっきり情報も結論もなく、ただ悶々としたりそのまま忘れたりして日々が過ぎていってしまった。そんな時、どうしようか、と考える総一郎に、渡りの船が訪れた。
「じゃあ、家のゲームには占領されちまったから、図書館にでも行くか。総一郎はいろんなことに興味を示すから、よかったら、教えてやるよ」
 頭に置かれていた手が取り払われ、図書は箪笥を開きコートを取り出した。慌てて、総一郎もそれに追従する。


 ざくざくと、足音が聞こえる。
 それ以外の音は無い。左斜め上の方を見ると、分厚い上着を羽織る図書の、白い息があった。一定の間隔で吐き出され、風船のように膨らんだと思えば、次の瞬間には消えてしまう。
 総一郎は、視線を前に戻した。自分の目の前にも白い息が現れ、そして消えていく。その向こうに見える、一部だけ高く残った雪を、体重を乗せて踏み潰した。また、ざく、と音がする。すでに足跡だらけの雪道に、新しい、小さな足跡が出来上がる。
 しばらくは、無言で歩いていた。話すべきことがなく、その意思もなかった。そのままでいると、木の標識が見えてくる。「あつかわ村へ」と記された、寂びれたものだ。相変わらず、読めない複雑な字体をしている。
 そこで、ふと総一郎は思う。
「図書にぃ、これって、何でこんな字を書くの?」
「ん?」
 声をかけると図書の視線が総一郎へ行き、その指差す方向へ向かった。標識を見て、「あー」と漏らす。言葉を探すように唸りながら、頭を掻いていた。それが彼の癖である事を、最近になって知った。
 歩くのを再開しつつ、図書は語る。
「あの字はな? 環境依存文字っつって、常用語じゃないんだよ。この村だけでしか使わない文字っていうか。意味、分かるか? もっと噛み砕いた方がいいなら言えよ?」
「ううん、大丈夫。……でも、それなら何でこの字が使われるようになったの? 常用語で書けばいいじゃないか」
「んー、まぁ、アレだ。もうちょっと村の方に戻るとさ、神社に続く石階段があるだろ?」
「あるね。僕はまだ参拝したことないんだけど」
「小一の夏休みになったら、嫌でもするさ。……それで、その神社の山には、かなり多くの日本妖怪に分類される亜人たちが住んでてな、そいつらが、『この村の名前はこんな名前ではない。正しい字を使え!』って五月蝿かったらしいんだよ。 その頃にはかなり前で止まってた亜人たちの文化も、相当現代の感覚に追いついてきていて、似合わないなりに署名なんか集めちゃってさ。俺に加護をくれた石頭の爺様もが必死に笑み作って愛想振り撒いてんだからもう爆笑ものなんだよ! 俺が加護よこせっつった時は『礼儀が足りん』って思いっきり頭に拳骨落しやがった爺様が『署名御願いしま~す』なんて猫なで声出してんだぜ!? いやぁ、そん時は笑った笑った」
 言いながら、口元を押さえてくつくつと笑う図書。馬鹿にするような色も口調から窺えたが、どちらかと言うと親しみを込めた物であると知る。嫌いな相手を、『爺様』とは呼ぶまい。
「その人、今どうしているの?」
「ん? ああ……、確か、お前が生まれる寸前で死んじまったって聞いたよ。俺はその時この村に居なかったから、葬式には行けなかった。……思い出すと、ちょっとだけ悔しくなるな。アンタから貰った金属魔法の加護で、こんなに俺は化学魔術上手くなったんだぞって見返してやりたかったんだけどさ」
 口端を少し歪めながら、図書は軽く笑った。総一郎は、偶に思う。彼は人の死に触れすぎなのではないかと。 しかし、聞く限りでは一般的な事のようにも思えた。総一郎自身、まだあまり、この世に生れ落ちてから年月が立ったわけでもない。生きていく内に多く経験していくのかと思うと、少し、恐ろしくなる。
 再びの沈黙。図書は少し上を向いて、空を見上げているようだった。釣られて見ると、空の色は薄暗く淀んでいる。このままなら、今日もまた、雪が降るのだろう。
 歩いていると、地面の感覚が変わった。今までは少し滑り気を含む土だったが、気付けばしっかりした踏み応えが返ってくるようになった。石畳で、そろそろ町なのだと理解する。
 その頃から、目の前から雪を踏む、ざく、と言う音が聞こえるようになった。
 遠くを見ると、女性が歩いてきている。しかし少々身なりがみすぼらしく見えた。人食い鬼とは比べ物にならないが、しかし暮らしぶりは裕福そうにも見えない。
 手首を握られる。見ると、図書の顔が少々強張っていた。小声で、「何も言うな。刺激したらやばい」と忠告を受ける。 何事もなく通りすがり、そのまま彼女の姿は見えなくなっていった。ただ、通りすがる瞬間に見えた、怪しく光る首元の紋様が、総一郎の目を惹いた。
「奴隷紋だ。半径二十メートルに人がいると、輝いて知らせるんだよ。あの印は多分、下級奴隷紋。つまり、あの人は軽犯罪者だって事だ」
 ぼそりと、図書は言った。詳しく聞こうとすると、「人目がある場所で話すことじゃない。図書館で教える」とだけ、不愛想に言われる。見れば、寒そうだった彼の額には、薄く汗が滲んでいた。


 目の前に表示されたディスプレイには、先ほど見た紋様が描かれていた。似たようなものが他にも数種同ページに描かれていて、下級、中級、上級と格が上がるごとにその複雑さを増していく。指を動かし次ページを見ると、それを刻まれる条件を事細かに記していた。万引きなど軽犯罪を犯したものに下級、窃盗などの中級犯罪とされるものを犯した場合中級、そして人殺しなどの重犯罪者らは、上級のそれが刻まれるらしい。
 そこまで見て、図書はそのディスプレイを閉じ、『刑法入門』と示されたアイコンを端のアイコンに持っていってから、出て来た小さなデータカードを抜き出した。ケースに入れ、目の前の返却ボックスに挿し込む。すると吸い込まれ、消えてしまった。きっと今頃、保管所に収納されている事だろう。
「とまぁ、犯罪者ってのはこんな風に扱われるんだ。軽犯罪用の下級奴隷紋でも、押されればかなり見下される。軽犯罪っつっても常習犯くらいしか押されないものだしな。本来下級奴隷紋は、中級犯罪者だけど情状酌量の余地がある相手に押されるべき物なんだよ。そういう意味では、あの女の人は少し可哀想な人だったのかもしれないな」
 目線を待ち受け画面に落したまま、図書は言った。総一郎は、その言葉に眉を顰めざるを得ない。
「何で、奴隷紋を押すの? それでおしまいなの? 刑務所は?」
「刑務所って……。いや、似たものはあるにはあるけど。――たまに思うんだけどさ、総一郎って時代小説をよく読むのか? 第二次日中戦争以前しか、刑務所なんてものは使われてないんだぜ? いや、正確には使えなくなったっていうべきなのかね」
「……ちょっと待って。すでに情報が絡まってしっちゃかめっちゃかになりそうな臭いがする。えっと、順を押さえて説明してくれない? まず、刑務所が何故使われなくなったのか」
「んなもん、刑務所っていうのは要するに罪人を拘束する所だろ? でも、今日の日本人を拘束する手立てなんか無いに等しいんだから、そんなもの、無くていいだろうに」
「一応聞くけど、何で拘束できないの?」
「義務教育課程で元素分解からの再構成を習う国だからなぁ。しかも、それを防ぐ手立てがない。魔法っていうのは便利でもあるけど、防ぐ手立てがないっていうのはやっぱり不便なものだよ。要約すれば、拘束具も監獄も、脱出の阻止に対して意味をなさない。だから廃れたんだろうよ」
「それで奴隷紋になるんだ」
「奴隷っつっても本当に奴隷って訳ではないらしいんだけどな。日本の研究家たちが遺跡で偶然発掘したのを流用してて、元々の用途が奴隷の拘束だったから、形式的に奴隷紋って呼んでるらしい。押されたら二度と外す事が出来ない辺り恐いよな。ちなみに、今はその名前を変えようっていう動きがあるらしいぜ。奴隷っていう言葉を使うのは、やっぱり、外聞が悪いんだとさ。授業で言ってたよ」
 ふぅん。と口元に手を当て、脳内で言葉を噛み砕く総一郎。余談だが、刑務所や拘留所と共に裁判所が縮小されたため、その分の有能な人間は、教育分野に流れていったという。この日本には私立が無く、すべて公立ながら、全て諸外国とは比べ物にならない教育を施されているとのだと。
 身をもってそれを知るのは、総一郎が小学校に入ってからである。
「奴隷紋の格っていうのは、強制力と、その有効範囲によるものなんだ。 まず下級は、警察とか、あとは食人種専用居住区に出入りする業者が持っている『奴隷使役権』っていう権利が無いと命令できない。それに、強制力を持つ命令も、無力化するための言葉だけしか力を持たないらしいんだよ。しかも、使った場合滅茶苦茶始末書書かされるらしいし。そういえば警察官らしいから、総一郎パパなんかも持っているんじゃないか?  次に、中級奴隷紋。誰にでも命令できるけど、やっぱり効力は低いし、必要な時以外に使ったらお縄をもらうのが自分になっちまうんだと。中級までは人権があるからな。かなり風当たりは酷いらしいけど。まぁ、上級程じゃないさ。 で、上級。こっちは人権もない。好き勝手命令できるし、それが刑罰だって主張する本もある。今の世の中は読心が簡単に出来るからいいけど、冤罪があった時代なんかではこんな重い刑は成り立たないよな。大抵は、そこらの悪餓鬼に『駆除だ』って殺されるのが落ちらしいぜ。ただ、救いがない訳じゃなくて、一応保護する場所があるらしい。その中だけでは上級奴隷も人権があるんだが、一年に一回くらいは襲撃されたっていうニュースを見るな」
 頭を掻いたりこめかみを押さえたりしながらの図書の説明を、総一郎は自分なりに咀嚼していった。刑務所での懲役は事実上不可能なため、奴隷紋による代用をしているという事なのか。そして、冤罪も無い為それで成り立っていると。しかし、その不可能になってしまう理由は取り除けないのだろうか。少し考え、腑に落ちた。
 取り除いてしまうと、そもそも自衛すらできなくなるのだ。人食い鬼が居て、それ以上に義務教育で魔術を習った先駆者たちが居る。その中には、不埒な考えを持つ者もいるだろう。故に、取り除けない。
 ふと、母に助けられたことを思い出した。その時自分が奴隷紋に気付かなかっただけで、母はちゃんと、人食い鬼の下級奴隷紋を見つけていたのだろう。
「……良く知ってるね。図書にぃって、結構頭良かったりするの?」
「ん。まぁ、そこそこじゃないか? こういうのは調べているだけでも楽しいし。そもそも授業で習うからな。俺は文系なんだ。……今になって気付いたけどさ、俺難しい固有名詞ばっかり使ってなかったか? 意味ホントに分かってるか?」
「心配しなくても大丈夫だよ。それで次は、……第二次日中戦争について知りたい」
「というと、歴史だな。でも、第二次日中戦争だけやるのは偏ってないか? 今は中国も細かい名前は変わってるし」
「今は何なの?」
「中華民主共和国」
「民主制になったんだ」
「まぁ、第二次戦争で日本に勝った後、四国干渉でほとんど実利無かったらしいからな。崩壊したのも無理ないんだと。反日で盛り上がって、盛り上がりすぎた結果の暴動だ。すぐに国家が引っくり返ったらしいし。今じゃ、日中関係はアメリカとのそれを上回ってるからな。まぁ、時代っていうのは読めないもんだよ。鬼畜米兵なんつってたのが、WWⅡで日本惨敗した後にはお互い滅茶苦茶仲良くしてんだもんな。しかも世界の嫌われ者だった日本が、いつの間にか世界中で一番優しい国に名乗りを上げるほどにまでなった。今じゃあ亜人受け入れを真っ先にしたから、世界一裕福な国って言われてるほどだ」
 ちょっと資料取ってくる、と席を立った図書の饒舌に、好きなんだなぁ、と思いつつ、こめかみに手を当てて必死に要約する。 確かに、総一郎の生前でも、中国の反日デモはニュースでよくやっていた。また、戦争をしないと書かれた憲法改正の動きも、水面下で行われているという話を聞いたことがある。それが高じて戦争になり、中国が勝ったものの『四国干渉』によってほぼ実利が無く、崩壊してしまった。実利が無いというのは、きっとギリギリの戦いだったのだろう。後の図書の話では、日露戦争の日本の戦い方に似ていたという。局地戦での勝利を重ねて、早くに講和条約に持って行ったのだ。
 しかし『四国干渉』とは何か。首を傾げ、戻ってきた図書に詳細を尋ねる。先ほどの電子媒体とは違う、紙の本をぺらぺらとめくりながら、図書は答えた。
「四国干渉は、三国干渉のもじりだな。三国干渉は知ってるか?」
「うん。前に日本が中国に勝って、でも欧米列強に脅されて、リャオトン半島を返したんだよね。で、欧米列強は中国に『金貸したり優遇したんだから、土地、貸してくれるよね?』って笑顔で脅して……」
「お前それ五歳児の歴史の覚え方じゃねぇよ……。まぁ、それと同じことが中国に起こったんだな。当時の中国は嫌われてたし。で、欧米列強は日本の『金山』を奪っていったと」
「金山? 日本にそんな物、多くは無いよね」
「言葉の綾だ。俺が悪かったな。当時の日本の『金山』っていうのは、やっぱりその工業力だったと言われてる。ようは技術よこせって言われたんだな。あと、厄介者だった亜人を押し付けられた。今はそのお蔭で、日本はほぼ国際関係の頂点に立っていられるんだけど」
 一度言葉を止めさせ、思考する。日中間で戦い、負け、しかし助けられた。ここまでは納得できる。生前の地続きで、考えられない訳ではなかったからだ。日本が負けたと聞いても、驚くほどではなかった。文系の友人が生前に複数いて、議論していたような記憶が残っている。それを聞きながら、どっちに転んでもおかしくないと思ったものだ。
 だが、亜人に至っては違う。完全に、生前の常識の外に居た。あの、気の違った化け物染みた少年もそうだ。思い出すと、微かに心臓が鼓動を速める。しかし、それだけだった。僅かの緊張は有れども、気にするほどではない。割り切ったと、総一郎は自分を評している。信じ込んでいると言ってもいい。
「厄介者……。そういえば、亜人っていつから出てきたの?」
「2013年の冬。マヤ歴が終わった頃からだな」
 総一郎、眉を顰めつつ、反論する。
「2012年じゃなくて?」
「当時はそれが主流だったんだけど、亜人の登場がそこらへんだったから、じゃあそっちなんじゃね? って説が今の所主流になってる」
「……じゃあ、何で出現し始めたの?」
「難しい質問だな。今はまぁ、食人種なんかが居るものの、まずまず平和な時代だから研究されているっていうのは聞いたことがあるんだけどさ。やっぱり、そこらへんは未だ分かっていない。 亜人の存在は今や当たり前とは言えど、ダーウィンの進化論を無視した存在なんだよな。一時は人類の出所すら疑われたらしいんだけど、『魔法』っていう明らかに異質な技術がそれを否定した。大体おかしいだろ。人類とはかけ離れた容姿をしている奴が、平然と人間との間に子供を残すの。……まぁ、そこは生物の範囲だから俺の管轄外として、だ」
 で、ここからが本題。図書はにやりと笑いながら、開いた本を総一郎に差し出した。その眼は、無邪気に輝いている。
「亜人っていうのはさ、国によって物凄い扱いが変わる存在だったんだよな。どこにでも居て、何処も同じような性質の奴らがそろっているのに、それを迫害したり共存したり猫かわいがりしたり駆除したりと様々なんだ。例えば、イギリス」
 図書は指で示す先には、人間と亜人らしき存在が、争っている風刺絵が描かれていた。人間の背後には神らしき巨大な存在が立っていて、逆に亜人たちの頭上の雲は黒く立ち込めている。亜人の内の、半分以上が森の方へ敗走していた。
「この国は四国干渉で、一番多くの亜人を日本に押し付けた国だと言われている。宗教が原因で亜人と戦って内戦状態に近かったところを、アメリカとの共同で戦争を取りやめて、亜人たちに銃を向けながら日本に送ったらしい。当初一番扱いに困ったのは、この国の亜人たちだって話だ。今でも亜人受け入れをしてない唯一の先進国だよ。その所為で、大分経済が滞ってるあたりお笑い草だけどな」
 次はアメリカ。言いながら、図書はページをめくった。風刺画の中心に二人のアメリカ人が立っていて、片方は亜人とにこやかに握手をし、片方は下卑た笑みと共に亜人を銃殺している。その上には、何故かUFOが飛んでいた。よく見れば、銃を乱射するアメリカ人の銃も、どこか奇妙な形状だ。
「この国の魔法は、日本、中国に次ぐ世界第三位の物だと言われている。魔術の発展は日本に比肩し得るものがあるんだが、いかんせん加護を受けるっていう文化が薄い。日本では小1の夏休みにリストアップされた、ほぼ全ての属性加護を受けさせるのに対して、アメリカでは亜人の加護じゃなく、本人の素養だけでやらせているらしいな。電気魔法の使い手なんかは、それだけで一級の研究職に付けるんだとよ。 その代りに、亜人の扱いが少々酷いところがあるな。昔の黒人差別に似たところがあるっていえば、分かりやすいか? それに対して、亜人たちは暴力で返しているから、地位向上が望めない。難しい話だな。 あとは、宇宙人との交信を総一郎が生まれる前辺りに発表していたはず。魔法に関係のない科学文明のみで言えば、地球上では頂点に居るような国だ。まぁ、大国は大国って事だろ」
 三番はインド。言いながら、ページが捲られる。幾つもの勢力が、互いにそれぞれ睨み合っていた。中心に神らしき存在が居るのもあれば、メンバーの半数が亜人であるグループもある。
「この国は面白いぞ。というか、ここあたりから広がる中東全体なんだが……。なんてったって混沌としている。宗教が多くてな、互いに睨みを利かせているんだ。四国干渉で押し付けた亜人の数が一番少ないのもこの国だったっけ。他の三国のご機嫌を上手い事取って、莫大な利益を上げて先進国の仲間入りをした国でもある。 ただ、亜人の登場以来ほとんど内戦しているんだよな。だから、情報が少ないんだよ。これだけ面白い国もないのになぁ……。早く終わらないものかね、内戦」
 で、ラストの日本。総一郎の目に飛び込んできた風刺画には、都市を渡り歩く青年の姿が描かれている。その横を通りすがるのは、若者らしい服装に身を包んだ亜人だ。頭から耳が出ている辺り、猫などが年を経て妖怪と化した物なのだろう。背後には建設中のビルが建っており、鬼らしき赤い肌の偉丈夫が物資を運んでいる。絵の端には、亜人と人間の恋人達が仲睦まじそうに笑いあいながら歩いていた。
「俺たちの国は、今からしてみれば何処よりも幸運だったとされている。四国干渉で敗戦の傷跡なんてほぼなかったし、日本にはそもそも八百万の神々の思想があるからな。この神様しか信じない、とかの堅苦しい考えが無かったんだ。さらに細かいことを言えば、当時はファンタジーブームが来ていてな。ファンタジーが流行るのは民衆の心が荒んでいる証拠だ、なんて言う本もあるんだが、今回に限ってはそれもうまく作用した。 ここからが面白い話なんだけど、亜人は何処の国でも原産の亜人っていうのが居て、日本なんかは種類も数も多かったのに、諸外国に比べて妖怪が出ただの出ないだのと言う話題は、全然表面に出て来なかったらしいんだよ。さて問題だ総一郎。それは、何でだと思う?」
 表面化に出ない。しかし、存在はしていた。ならば、表面化に出ない理由があったという事だ。どうでもいいが、考え過ぎて少々頭が熱い。
 総一郎、少し朦朧とする頭を捻って答えた。
「……隠す人がいた?」
 その言葉に、図書は口を開いて目を見開いた。
「おお! 凄いな、正解だ。 厳密に言うと匿う人が多かったんだよな。日本人は当時優しい国で、また妖怪を受け入れるような土壌があった。人食い鬼みたいなのは論外にしても、不気味ながら可愛らしさのある妖怪っていうのが自分に助けを求めに来たのを、当時やっていたアニメだの漫画だのの影響で、保護する人、特に子供が多かったんだ。 そこに、四国干渉で押し付けられた多くの亜人が来日してくる。最初は言葉さえ通じなかったんだが、元々子供に触発された大人たちの運動で、妖怪の存在がすぐに受け入れられてしまっていたから後はとんとん拍子で事が進んだ。 そしてそこに、亜人と仲良くして加護っていうのをもらう人間が出てくる訳だ」
 図書は頭端の般若の面を鼻歌交じりに少し揺らしながら、本を閉じ、また別の本を開いた。題名は『近代日本史~亜人との共存~』と書かれている。ページをぱらぱらと捲りながら、図書は目ぼしい単語を見つけ次第、総一郎に指し示した。『加護』やら、『教育革命』だのと言う単語だ。
「亜人は優しくしてくれた日本人に、何かがあった時はこの力を使えっつって、自分の力を親しい人間に譲渡し始めた。最初は大抵の奴らがそれを隠していたんだが、やがてぼろが出てきてな、政府にばれて研究対象にされたんだと。 それで研究が進んでいく内に、その加護を使って悪事を働く人間が出てきたんだ。そこで、政府は『この技術は秘匿するべきではない』と考え、すぐにでも義務教育に突っ込んだ。その所為で義務教育が高校にまで長期化して、ついでに教育革命で日本は諸外国に比べてとんでもない高等教育をするようになったらしい。俺の世代は自覚ないんだけどな。例えば、昔は掛け算が九九だったのが、今では九九九九っていう、二ケタの掛け算の暗唱に伸びたとか。そう考えると昔の教育ってやっぱ遅れてんだなとか思うよ」
 少々の嘲りを交えて、図書は笑っていた。反面、総一郎は気まずさに少し目を逸らす。そうか、では小学校に入ったら、二桁の掛け算をやられる羽目になるのか。総一郎、かつて理系分野に進んだとはいえ、別に二桁の掛け算を暗唱しようなどと考えた事は無い。
 ちょっとばかし、日本凄い、と思わないでもなかった。
 と同時に、ぐらりと総一郎は体を揺らし、机に突っ伏す。
「おい総一郎、どうした?」
「ん……いや、アレだよ。知恵熱」
「……一歳くらいに発症するものじゃなかったか、それ」
「五歳児には少々容量が多かったのさ……」
 力なく笑う総一郎を見つつ、苦笑いしながら図書はその頭をなでる。その感触を受けながら、総一郎は少し目を閉じた。我が兄貴分の手は、彼の知識と同じほどに大きい。 撫でるのも好きだが、最近は撫でられるのもいい物だと思うようになった。知識こそ持ち得ているものの、自分がまだ子供であるという自覚もだ。
 図書の知識は、正直言って中学二年生にしておくには勿体無いほどである。謙遜で『そこそこ』と評していたが、社会人の知識を持つ総一郎を舐めてはいけない。大学で知り合った、文系の友人に匹敵するものを図書は持っている。そして、そこまで彼が深く知っていたからこそ、総一郎のどこか夢を見ているような感覚は遠ざかった。
 混雑する情報の中、ぽつりと浮かび上がる事実がある。
 そしてそれは、白羽以外の相手に漏らすことは、許されない事だった。


「ただいま」
「お帰り総ちゃん!」
 てとてと駆け来た白羽は、靴もまだ脱ぎ切っていない総一郎の手を掴んで引っ張ろうとした。武士垣外家の玄関で、一旦般若家を訪ねたところ、姉がもう帰宅したとの知らせを受けて、帰ってきたところである。
 総一郎は、いつもならそこで苦笑しながら、白羽についていく場面だった。しかし、今回ばかりはそれが出来なかった。引っ張られた手を引っ張り返し、白羽を引き留めた。彼女はきょとんとしながら振り返る。それに、抱きついた。
 この姉弟は、お互いが幼稚園に入ってからは、あまり抱きつくという事をしなくなっていた。それはひとえに総一郎の気遣いによるものだったが、白羽もそれを自然と受け入れていた節があった。
 だからこそなのだろう、白羽の表情には、微かな困惑が湧いていた。尋ねようとする気配を、総一郎は先んじて止めた。
「ごめん、白ねえ。……何も言わないで」
 震えが支配した声に、白羽は何も言えなくなる。
 次いで、声を押し殺してすすり泣く声が、玄関を薄く満たした。それ以外の音は何も聞こえない。総一郎の、堪える様な、小さな嗚咽だけが、時折しゃくり上がる。雪はもう降り始めていて、玄関は家の中でも一等寒い。二人の間にだけ、暖かな温度がある。
 ――この世界は、総一郎の前身である若者の死の、地続きにあった。そこからもう、三百年余りの月日が経っている。三百年の壁は途方もなく大きい。そして、その先に『彼女』が立っていた。
 彼女は、もういない。どんな形であれ、その生涯は幕を閉じたのだろう。それは、若者の死のすぐ後なのか。それとも、それとは何の関係もない死を遂げたのか。だとしたら、それは幸せだったのか。ぐるぐると、寂寥の念が総一郎の頭の中で渦巻いている。
 ――どんな形にせよ、もう『若者』は一人だった。ただそれが寂しくて、総一郎は泣いていた。
 冬の肌寒さが、身に染みる。

コメント

  • ショウ

    日中...日清的な感じ?そして長え長い分には良いけど長すぎて読みずらい

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