不運なモブと無敵のヒロイン

T&T

7.ヒロイン至上主義

 レオが薪拾いから戻ると、アーサーが一人で旅の身支度をしていた。
  
「あれ、あいつは?」
  
「水浴びがしたいと言ったから、小屋の裏にある小川を教えてあげたんだ。喜んで水浴びをしに行ったよ」
  
「危なくねぇのか?」
  
「大声を出せばこの小屋にも聞こえるくらい近くだよ。それに今は昼間だし、森の獣達も出てくることはないはずだ」
  
「……ちょっと見てくる」
  
「覗きは感心しないな」
  
「ちげぇよバカ」
  
「心配なんだね」
  
「ちがわねぇよバカ」
  
 仲が悪そうに見えて同郷のユキを案ずるレオにアーサーは頬を緩めて剣を渡す。レオはそれを受け取ると、小屋の裏の小川へと向かった。
  
(まぁ剣を受け取ったところで、扱える自信はないんだけどな)
  
 小川は確かにすぐ傍にあった。ユキと思われる人影も見える。アーサーが用意したのであろうこちらの世界の衣服を身に着けていることから、どうやら水浴びは終わったあとのようだ。しかし、水浴び後の和やかな雰囲気ではないことがすぐに見て取れる。その人影の傍に人を四足歩行にしたくらいの影が見えた。大きな狼だった。
  
「あんのバカ野郎!何が獣はいないはずだよ!」
  
 走りながら剣を抜く。その音にユキも狼もレオの存在に気づく。狼は逃げることもせず、目の前の獲物を先に仕留めるべく、ユキに飛び掛かった。ユキも目の前に降りかかる死の恐怖のせいか、微動だにせず立ち尽くしていた。どうやっても、レオが間に合う距離ではなかった。

「嘘……だろ……」

 狼の顎がユキの首を捉える。その瞬間が、やけにゆっくりとレオの視界で過ぎていく。

(やめろやめろやめろやめろやめてくれええええええええ!!!!!)

 狼の牙が、ユキの白く美しい喉笛に喰い込む――鮮血が、迸り、宙を舞う。
 狼に喰いつかれた勢いのまま、押し倒されるユキ。その光景すらも、レオの瞳にはスローモーションに映っていた。

「あ……あぁ……」

 そして押し倒されるユキの背が地面についた刹那。狼が閃光とともに光の粒子となって弾け飛ぶ。ユキは、その光の粒子に包まれていた。
 目の前で次から次に引き起こされる異常事態に、レオの頭はついていかない。狼の出現、ユキの死、狼の爆散、ユキを包む光。
 一歩一歩、ユキに近づく。目の前で起きた惨劇が真実であってほしくないという願いを込めて。一歩、また一歩、ユキに近づいていく。
 仰向けに倒れているユキの傍まで辿り着くと、意を決してレオはユキの首元を見つめた。そして、自身の目を疑う。

「傷が……ない?」

 光の粒子を浴びていたユキ。確かに首元に噛みつかれ、鮮血を迸らせていたはずだった。しかし、目の前に眠ったように横たわるユキには、その傷跡も、血の痕跡すらなかった。
 ユキの傍に膝をつき、その首筋に手を当てる。脈が、ある。そしてそれが間違いでないことを改めて確認すべく、ユキの胸に耳を当てる。鼓動が、聞こえる。

「よかった……なんなんだよ、マジで」

「あんたの方がなんなのよ、モブオ。離れなさい、殺すわよ」

「うぉわっ?!」

 後ろに仰け反るレオを横目に、ユキは自らの身体を起こし、その身を確かめる。首に手を当て、傷を受けたはずのその場所が無事であることを確かめていた。

「あんたが狼を追っ払ったの? 私は、どうなったの?」

 レオは何をどう言っていいのかわからず、言葉を紡ぐことができない。

「話しなさい。話せば私の胸に顔を突っ込んで興奮していたことは許してあげるわ」

「やましい気持ちはなかったよっ! 鼓動が聞こえるか耳を当てていただけだっつの!」

「あんたがそうするくらい、私の命は絶望的な状態だった、ということよね」

「よく……わからねぇんだよ」

「いいわ、ありのままを話しなさい」

 その言葉に、レオは見たままの光景を話した。
 ユキの様子を見に来たら狼に襲われそうになっていたこと。駆け寄るも間に合わず、狼にユキはその喉笛を噛み千切られ、血を迸らせながら押し倒されたこと。倒れた瞬間、狼が光の粒子となって消し飛んだこと。その光がユキを包んでいたこと。そのユキに近づいて傷跡も血痕もないことに気づき、脈と鼓動を確かめたところでユキが目覚めたこと。

「なるほど。覗きに来るなんて、モブオでヘンタイなんて救いようがないわね」

「――」

 レオの反論が来ると思っていたユキは、その無反応な様子に拍子抜けしていたが、レオの顔を見て、貶めるかのようにからかうのをやめた。今、レオはユキが殺された瞬間を見ていた。そして、その瞬間、レオ自身何もできなかったことを悔いている。そんな人間を貶めるほど、ユキの性格は歪んでいなかった。
 そして、ユキは自身に起きた現象に頭を巡らせ、自身の考えがきっと正しいのだと思い至る。

「やっぱり、私は死なないんだわ」

 急に突拍子もないことを言い出したユキに、レオは目を丸くした。

「何でそう言い切れるんだよ」
  
「異世界に転移したヒロインが、そんな簡単に死んだら物語が終わっちゃうでしょう? 普通はどんなことしてでも神様はヒロインを助けるものよ。物語は、ヒロイン至上主義と相場が決まっているわ」
  
「観客がどこにいるかもわからねぇのに、お前がヒロインと言い切れることが理解できねぇ」

「これだけ可愛い女の子が異世界に転移する。そこにヒロインじゃない要素なんてある?」

「あるな。ティナもミーシャも相当なヒロイン要素の持ち主だ」

「……そうね。悔しいけどそれは認めざるを得ないわ。でも、今はいないもの。だから今は私がヒロイン。少なくとも、あのコ達と合流するまで私はヒロインだから死なないの。さっき、あんたが見た光景が全てじゃない?」

「……痛みはないのかよ?」

「あったわ。牙が喰い込んだ瞬間、喉に焼きごてを押しつけられたみたいな激痛だった。一瞬だったけど、二度と味わいたくない痛みだわ」
  
「何で、逃げなかった?」

「ヒロインは死なないって話したばかりじゃない」

「ふざけんな。痛みもあったんなら、次は絶対に逃げろ。あんな光景、二度と見たくねぇ」

「ヒロインは逃げない。助けられるものよ。その光景を見たくないなら、あんたが私を助けなさい、モブオ」
  
「助けたかったさっ!! でも、間に合わなかったんだよっ!!」

 震える拳を握り悲痛な叫びをあげるレオに、ユキはその後の言葉を継げないようだった。

「悪い。当たるつもりはなかった。先に戻――」
  
 先に戻れと言おうとしたレオは気づいてしまった。ユキの身体は健康そのもののようだったが、水気を帯びた黒髪が眩しいその身体は、微かに震えていた。
 ユキは自分と同郷だ。つまり、この異世界の状況に順応していく必要があるが、そんな簡単に順応できるわけがない。狼に襲われるなどということは、元の世界でも普通に暮らしていたら基本的にはあり得ない現象だ。そんな出来事を経験して、怖くないはずがない。
 レオはユキの傍に腰を下ろし直した。
  
「何よ、戻るんじゃなかったの?」
  
 ユキはレオが先に戻ると言おうとしたと思っているようだった。それならそれでいい。敢えて先に戻れと言おうとしたことを伝える必要はない。伝えたところで、今のユキは腰が抜けて動けないのだから。

「別に。疲れたからもう少しだけ休んでいくだけだ」
  
「運動不足すぎるんじゃないの? モブオが過ぎるわよ」
  
「しょうがねぇだろ。俺らの夢の主人公アーサーに比べたら、確かに俺はモブなんだから。なぁ、その話なんだが、聞いていいか」
  
 会話の空気を変えようと、レオはアーサー達へと話題を変える。

「――」
  
 沈黙は肯定であると受け止め、レオは言葉を続けた。
  
「お前もさ、ずっと、この世界を夢としてみてたんだろ? アーサー達の仲間って言うのも、一方的に傍で空気のように見守っていただけなんだろ?」
  
「――」
  
「俺は雷に撃たれてから、アーサー達の夢をみるようになった。6年間だ。俺は6年間、アーサー達の夢を見続けていた」
  
「じゃああんたの知るアーサーって24歳なの?  あんたがアーサーに初めて会ったのってアーサーが18歳の時だったんでしょ?」
  
「そうなんだが、俺の知るアーサーは20歳だ。俺は6年間、夢を見続けていたが、アーサーは2歳しか年を取らなかったよ」

「どういうこと?」

「そりゃ俺にもわからん。……でもまぁ驚いた。まさか夢で見ていた世界が、実は本当にある異世界だったなんてな」

「まだこれが夢の可能性もあるんじゃない? 私達が2人して同じ夢を見ている可能性」

「そうだけど痛みまで感じたら、もうそんなこと思えないだろ。むしろ、もうこれは現実だと思った方がいい。死と隣り合わせの世界だよここは」

「私は死なないと言ったでしょう? ヒロイン至上主義の神様がついているから、全ては神様の掌よ」

「はいはい。お前は死ななくても、俺が死ぬかもしれん」

「そうね」

「おまっ……?! くそ、そろそろ戻るぜ、立てるか?」

 レオは立ち上がり、ユキに手を差し伸べる。すると振り払われると思っていたその手は、ユキの柔らかな手に掴まれた。

「ありがと」

「何だよ、素直じゃねぇか。どういたしまして、高飛車姫」

「さっきも、駆け付けてくれてありがと。あと、心配かけてごめんなさい、レオ」

「っ?!  へいへい、どいたまし」

 レオはユキの手の柔らかさと少し気まずそうに礼を言うユキの表情に胸の高まりを感じながら、この性格に多少難ありのコを守ってあげたいと思い始めていた。これがユキの言うヒロイン至上主義の神の掌というものであれば、レオはまんまと踊らされていることになる。

「まぁ、せいぜい踊ってやるよ。お前にヒロイン至上主義の神がついているとして、俺には何の神様がついてくれているのやら」

「モブには神様なんてつかないでしょ」

 小屋までの短い道のりの中、戯言をぶつけ合い、並んで歩く黒髪の2人の転移者。
 2人がこの世界に転移したことに意味はあるのだろうか。誰が、何のために、2人をこの世界に召喚したのか。理由はきっと、ずっとわからない。それこそ神でも出て来なければわからないのだろう。
 今はただ、この死と隣り合わせの世界に如何に早く順応していくか、ただそれだけを考えるだけで精一杯のレオだった。






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