生きる喜びを教えてくれたのは異世界に転生した君でした

T&T

65.天空都市~上陸~

 
 春の風のように温かく優しい風が頬を撫でる。
 光に包まれた後、最初に感じたものは風だった。
 ユウはゆっくりと目を開ける。傍にはリズ達もちゃんといた。

「ここが……天空都市?」
「だといいんだが」

 呟くユウにネロが相槌を打つ。
 ユウ達の目の前には石畳の道が真っ直ぐに伸びており、その両側には遺跡と同じような形の石造りの建物が並んでいる。その道の遥か先には高台のようなものが見え、一際目立つ砦のような建物と塔が建っていた。

「天空都市で間違いないと思うわ」
「ユウ! こっちこっち!」

 シャルの声とリズの声が背後から聞こえ、振り向くと石造りの柵があり、2人はその柵から外を見下ろしていた。
 駆け寄って同じように柵から身を乗り出して外を見ると、眼下には純白の雲海が広がっている。

「すごい」
「綺麗ね」

 ユウ達が立っていた場所は広場のようになっているが、どうやらこの天空都市の端っこにいるものと思われる。
 石の柵は天空都市をぐるりと回っているのか、ユウ達が雲海を見下ろしている場所から両側へとずっと伸びており、柵沿いの道は荷馬車がすれ違える程度の広さだった。

 眼下に広がる純白と目の高さには鮮やかな青。
 その光景にユウもリズも、ネロとシャルすらも言葉を失っていた。
 そんな4人の光景を横目に、ルカとエリーは4人とは別の驚きの中にいた。

「ルカ」
「わかってる……間違いないよ」
「でも、ここは明らかに違うし、だからと言って神樹が見えないのはおかしい」
「……ここから見えないだけかも。離れてるのかもね、魔力弱いし」
「外周に沿ってこの都市を一周したい」
「うん、ユウ兄達にも話して一緒に行こう」

 珍しくエリーとルカが会話を成立させていると、ユウの焦燥を帯びた声が響く。

「リズ?!」

 ユウの声にルカとエリーがユウ達に向き直ると、そこで4人の異変に気付く。ユウとリズが地面に膝をつき、苦しげにしている。ネロとシャルもユウ達程ではないが明らかに肩で息をしており、普通とは言えない状態だ。

「みんなどうしたのさ?!」

 2人が慌てて駆け寄るが、意識はしっかりしているようだ。ユウは苦しげにしながらもリズの傍に寄ってリズを介抱しようとしていた。

「少し、息が苦しくて。空気が薄いのかな……」
 リズの言葉に、ネロの訂正が入る。
「違うぞリズ。これは……魔力酔いだ」
「魔力……酔い?」
「簡単に言えば、ここの魔力が濃くて、それに当てられて気分が悪くなっているってことだ。慣れれば落ち着くはずだから、ユウも心配することはない」
「こんなに魔力が濃いなんて、流石は天空に浮かぶ魔法都市ってことかしら?」

 シャルも息を切らしながら魔法文明の恐ろしさに舌を巻いている。
 しかし、ルカとエリーはその原因がわかっていた。ルカはエリーを見ると、説明を促すように頷く。

「この魔力は、この都市からのものじゃない」
 その言葉にネロとシャルが驚きの表情を見せる。
「どういうこと?」
「エリーもルカも、この魔気の正体を知ってるのか?」

 魔気というのは、魔力濃度が濃い大気のことを指す。通常、大気には魔力が少なからず含まれているが、私生活に影響を及ぼすほどの濃い魔力を帯びた大気は魔気と呼ばれる。
 ユウとリズが立てずに石の柵に寄りかかる程の魔力だ。魔気と呼ぶのが相応しかろう。

「この魔力は、竜族の里に漂う魔力と同じ」
「それって――」
「ここが竜族の里ってことなのか?!」

 思い掛けない発言に、ネロは興奮モードに入り始める。しかし、ネロの期待はエリーが首を小さく振ることにより裏切られる。

「竜族の里には石造りの建物はない。全て木造……というか、木だから」
「まぁどう考えてもここは竜族の里じゃないんだよね、漂う魔力も里よりは弱いし。それはオイラも保証するよ」
「……じゃあ、どういうことかしら?」
「この天空都市は、竜族の里の傍にあるんだと思う」

 そこで落ち着いてきたのか、ユウがリズを介抱しながら会話へと首を突っ込む。

「エリー、竜族の里って、空にあるの?」

 ユウはリズとエリーに出会ってすぐの頃に、竜族の里の話を聞いていた。その里には神竜の遺骸があると。しかし、遠いところと聞いていただけで、空にあるとは初耳だった。

「空にある、というのはみんなのイメージと少し違うと思う。この天空都市は浮いていると思うけど、竜族の里は樹の上にある」
「樹の上? ここ、雲の上だよ? 高さ全然違うけど、傍にあるって……」
「んーとね、竜族の里がある樹っていうのは、神樹って言って、すんごい大きな樹なんだよ。いつからあるのかもわからないくらい、とても古い大樹なんだ」

 そのルカの言葉に、ネロが声を震わす。

「ル、ルカ……その大樹っていうのは、まさかアドアステラの大樹のことか?」
「人族はそう呼ぶの? とにかくでっかいから、天まで届きそうな樹のことを言っているなら、それだよ」
「アドアステラの大樹が……竜族の里だと……」
「驚愕の真実ね、あれだけ有名な樹の上に、まさか竜族の里があったなんて」
「そんなに大きくて有名な樹なの?」

 漸くリズが会話に加わる。汗をかいているが、呼吸はだいぶ落ち着いたのがわかる。

「空気が澄んでいれば本部の俺の執務室からでも見えるぞ」
「あそこからでも、天辺てっぺんは見えないのだけどね。この世界に生きていて、あれを知らない人はいないんじゃないかしら?」
「お前らのその反応見ると、やっぱり神の子なんだなって感じるよ。あれを知らないとはな」
「そりゃまぁ……僕らまだこの世界に来てから1年経ってないですから」
「でもいい機会よね、ユウ。ここ、近くなんでしょ? そんなすごい樹を間近で見られるなんて、すごいわ」

 エリーとルカの発言以降、興奮の冷めない人族4人の盛り上がり続けそうな会話を遮るように、ルカは意見を具申する。

「それでお願いがあるんだけど、魔力は里のものと同じのはずなのに神樹が見えないから、この都市の外周に沿って探索したいんだけど、いいかな?」
「俺らのすることはこの都市の安全確認だからな、どこから見ようが問題ない。ルカとエリーの希望優先で構わないぞ。俺らもアドアステラの大樹を間近で見たいしな」

 ネロの言葉に、他の3人も頷く。

「だがその前に、ユウとリズ。お前らの身体を慣らすために、今日はこの付近で野営だ。そんな状態じゃ戦闘になってもすぐバテるぞ」

 ネロの言葉には2人とも、何の反論もできなかった。
 その後、ユウの索敵スカウトにより周辺に魔物の存在が見られないことを確認すると、転移装置から近場の家屋を初日の野営場所とした。

 都市のどこかでコントロールされているのか、夜になっても気温は下がることもなかったため火を焚く必要もなかった。転移装置の場所でそのまま野営してもよかったのだが、風に乗った自分達の匂いが都市の中の魔物を呼び寄せる可能性を考慮すれば壁に囲まれた空間の方が少しとは言え安心なのは否めない。周辺に魔物が確認できないだけで、この天空都市のどこかにはいるのかもしれないのだから。
 そして日の出までの数時間を、男性陣が交代制で番をする形となった。

「かよわい乙女的な扱いをしてくれるのは嬉しいけど、私達も見張り番するわよ?」

 シャルの申し出を、ネロはユウとルカの野営指導だと言って断ると、シャルは不満を覚えながらもそれ以上は言わずにテントの中へと入っていくのだった。



 ◇◇◇



 草葉が石畳を撫でる音がする。
 この都市に吹く穏やかな風が、この都市のどこかにある草葉を転がしているのだろう。

 ネロは自らの黒剣を肩に抱えながら、壁に背をもたれて見張り番をしていた。
 ただ静かに座り、廃墟と化した家屋の入り口をじっと見据えていた。その入り口の向こう側は、転移場所から続く石畳の大通りだ。
 見張り交代の時間はとうに過ぎている。しかし、だからと言ってユウやルカを起こすわけでもない。
 ネロはそもそも交代するつもりはなく、1人で番をするつもりだった。

「そんなことだろうと思ったわ」

 傍にあるテントからシャルがゆっくりと音を立てないように出てくると、ネロの隣に腰を下ろした。

「寝れないのか?」
「寝たわよ。このままあの子達が起きなかったら、きっとネロはそのままにするだろうなって思って耳を澄ませてたの。案の定だわ。これじゃ全然指導になってないじゃない」
「いいんだよ、これで。コイツらを守るのは俺の役目だ」

 シャルはその言葉を受けると、劣化して所々から星空の見える石造りの天井を仰ぐ。

「……懐かしいわね。覚えてる? あなた、私達との最初の野営でも似たようなこと言ったのよ」
「……そうだったか?」
「えぇ。それで私達も『危険と隣り合わせの冒険仲間なんだから男とか女とか関係ない!』って怒ったじゃない?」
「……そうだったか?」
「もうっ! それ、忘れたふりしてるだけでしょ? あの時のあなた、すごいショック受けた顔してだいぶ反省してたんだから」
「わかった、わかったよ。覚えてる。忘れもしないよ。俺の中の『女は男が守るもんだ』って考えは、あの時のお前らのおかげで変わったんだからな」

 それ以上俺を辱めないでくれと言わんばかりに、ネロは俯いて手をひらひらと扇ぐ。

「じゃあ今日はどうしてこんなこと?」

 その時のことを覚えているのであれば、一人で見張りに立つことが仲間の想いを踏みにじることだとわかっているはずだ。

「……こいつらは、俺が守るべきだろ?」

 どうやらネロは、ユウ達を守ることが自らの責任だと思っている。それは恐らく、冒険者としての先輩であることと、彼らの師であることも大きく影響しているのだろう。

「なら『私達』ね。その立場は、私も同じでしょ?」
「そうだな……」
「抱えないで。守ることに固執する気持ちはわかるわ。私もあんな想いは、もうしたくないもの。でも、あなた1人じゃないってこと、忘れないで」
「……すまん」
「よろしい。はい、じゃあ交代。私達で交互にしましょ」

 1人じゃない。ネロはいつも支えられていた。
 いつもシャルに支えられている。昔は更にもう1人、ネロを支えてくれた人がいた。その人がいなくなり、一体どれほどの負担をシャルに強いてしまっただろうか。何故かそんなことを今、まざまざと感じていた。

「ありがとう」
「あら、やけに素直じゃない?」
「……たまには、な」

 そしてネロは座ったままの体勢で目を閉じる。
 シャルは横になれと言ったつもりだったのだが、敢えて何も言わない。目を閉じたネロが、頭をシャルの肩に預けてきたからだ。

(本当、子供みたいに甘えん坊なんだから)

 ネロにとって自分は大切な人になれているだろうか。胸の痛みを癒してあげられる存在になっているだろうか。
 少なからず、絆で結ばれている存在だという自負はある。しかし、互いの胸に刻まれたこの痛みが、呪いのように互いを締め付けて離さないだけなのではないだろうかとも思ってしまう。

(……呪い、だなんて失礼よね。ごめんね、レイチェル)

 今は亡き友に詫びながら、シャルは静寂の中、肩に感じる愛を噛み締めていた。







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