生きる喜びを教えてくれたのは異世界に転生した君でした

T&T

9.芽生えた想い


 時は黄昏時を跨ぎ、辺りには夜の帳が下りようとしていた。
 ユウの初めての実戦のあと、荷台にいた少女とユウは緊張の糸が切れたのか、荷馬車を街に向けて走らせ暫くすると眠ってしまった。
 私達は賊が乗っていた荷馬車をそのまま利用し、少女とユウを荷台に乗せた。エリーは私の傍らに乗せる。賊は縄で縛って別の馬に縛り付けた。街に向かい始めた際に少女に聞いたところ、少女は確かに誘拐されており、今向かっている街『ペイニア』の領主の一人娘とのことだった。朝食後に屋敷の庭を散歩していたところ、誰の目にも触れることなく賊達に連れ去られ馬車に乗せられたそうで、私達と出会わなければ救出の目はなかったのではないかという程に賊の動きは手慣れたものだったようだ。加えて少女が言うには、馬車と後から来た三頭の馬に乗った賊に間が開いていたのは、万が一に備えて追手を気にしてのことだったようでかなり慎重な賊だったとのこと。まぁ結局、私達が賊の進行方向にいたこともあってその賊の作戦は成功することはなかったのだけれど。

 しかし、賊から少女を救ったとは言ってもだいぶ街から離れた場所での救出劇であり、時間としてはほぼ半日ほど少女は行方不明状態のはずだ。こんな時間まで領主の一人娘が見当たらないとなれば今頃きっと、街は大騒ぎだ。早く連れ帰ってあげたい。少女の話を聞いた限りでは、時間的にそろそろ街の門が見えてもおかしくなかった。
 そしてその少女の隣で眠るユウの顔を一瞥する。傍らにいる竜族の少女に向ける信頼と変わらぬ程に、私は出会ってまだ2日の彼に不思議な程の信頼を寄せていた。すると唐突に、眠っていると思っていたエリーが眠そうに声をあげる。

「リズ、どうしたの? 嬉しそう」
「何でもないよ、街が見えたら起こしてあげるから、まだ寝てな」

 思わぬ発言に驚きながらも、頭を撫でるとエリーは再び静かな寝息を立て始めた。

『嬉しそう』

 エリーの言ったその言葉に得心する。やはり、そうなんだ。私は今、嬉しいんだ。私のために自分の世界を投げ打つほどの覚悟を持った彼がいることが。その彼が今も私のために生きるなどと言ってくれることが。全幅の信頼を私に置いてくれていることを実感でき、純粋な彼の気持ちがとても嬉しかった。
 私はこの世界に来て、この世界を旅することしか考えていなかった。ややこしい人間関係に疲れ、全てを投げ出してファンタジーな世界を旅することを夢みた。この夢のような世界で特に目的もなくそんな状態でいる私に、彼は今後も飽きずに一緒に来てくれるだろうか。
 ただ旅をしたいと言う私にエリーは『神の子の宿命には逆らえない。』と、この3か月間何度も私に言ってきたけれど、未だにその宿命が何なのかを教えてくれずにいる。彼女曰く、まだ教える時期ではないということだった。以前はその宿命がどんなものであれ構わないと思っていたが、今ではその宿命が同じ神の子であるユウと共にある宿命であってほしいと願っている自分がいる。そうすれば、彼と同じ目標に向かって旅ができるから。街に着いたらまた、宿命というものについてエリーに聞いてみようと、そう思った。
 たった一晩、自分達のことを語り合い、たった2日、一緒にいただけだ。彼は自分を慕ってくれているが、それは異性ではなく『人として』であることは重々理解している。
 私はどうだろうか――。
 彼の真っすぐな覚悟ある言動に惹かれていることを自覚できないほど、自分は色恋に無頓着ではなかった。改めて自分の想いを自覚した途端、頬が紅潮していくのがわかった。


 ◇◇◇


 ガタガタと定期的な振動が心地よい。しかし徐々に意識が明確になっていくと、その振動を不快に感じ始め僕は目を覚ました。目の前ではリズがエリーの小柄な身体を支えながら手綱を引いていた。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。

「ごめん、リズ、交代しよう」
「ひゃぁっ!!」

 突然のリズの悲鳴とその振り向く勢いにたじろぐ。水浴びの時でさえ、こんな声出さなかったのに。

「ご、ごめん、驚かせた?」
「う、うん、少し。ユウもびっくりしたよね、ごめんね」

 そういって笑うリズの顔は紅潮しており、その息遣いも荒かった。
 どうやら呼吸を整え直す時間が必要になるくらい驚かせてしまったようだ。

「多分、もうすぐ着くと思うからこのままでもいいんだけど、エリーを横にしてあげたいから荷台に移るね」

 リズは振り向いた時にずり落ちたエリーを抱え直すと、僕と馬車の引手を交代しよう荷台に移る。すると、ちょうど前方に街の門と思われる灯りが見えた。

「「あ、着いちゃったね」」

 そのハモりに、互いに目を見合わせて笑った。
 僕らの笑い声で、エリーと少女も、目を覚ましたようだった。
 門に着くまでの間に聞こえてきた街中の焦燥の騒ぎ声はひどく大きなものだったが、門に着き、守衛兵に少女の姿を見せて事情を説明してからは歓喜の悲鳴の嵐であった。この街の領主が、この街の民に愛されているのがよくわかる。
 守衛兵に賊を引き渡しているとすぐに領主が門まで馬を走らせて少女を迎えにきた。何度も何度も深々と頭を下げられ、感謝の意を表される。屋敷に泊まり、宴席に参加することも強く求められたが、僕らも今日は疲れていることもあり丁重に辞退し、明日の正午に改めて領主の屋敷を訪問することで領主も折れてくれた。今日はさすがに、僕もリズも気楽に宿屋で泊まりたかった。
 屋敷への宿泊が無理ならせめてと領主に勧められた宿屋に入ると、宿屋の主人が笑顔で僕らを迎え入れてくれた。大理石調の白色をベースとした豪奢な石造りの宿であり、床には一面赤絨毯が敷かれている。どうやらこの街一番の宿らしい。1階は上品な酒場のような食事をする場所になっており、宿泊部屋は2階のようだ。
 主人の計らいで食事がすぐに並べられたこともあって先に食事をいただいた。宿の値段を聞いても主人は答えてくれず、リズが金貨を渡そうとすると『街の英雄からお金は受け取れない』の一点張りであったため、仕方なしにお言葉に甘えることにした。
 そのやり取りの中でリズが部屋の鍵を3本ももらっていた。どうやら、1人1部屋用意してくれたらしい。それは申し訳ないと、リズは間違いなく不要になるエリー用の部屋の鍵だけは返却していた。
「はい、ユウ、今日はベッドもあるし、ゆっくり寝れるよ」
「どうかな、贅沢すぎて眠れないかも」

 鍵を受け取りながら漏らすその僕の感想にリズも同調するかのように笑う。

「あ、そうだユウ、今日はまだ眠らない?」
「おかげさまで、馬車でゆっくり眠らせてもらったからね」
「じゃあさ、シャワー浴びたあと、こっちの部屋に来てくれる?」

 え!?

 思わぬ発言に一瞬頭が真っ白になるが、すぐに思い直す。
 エリーがいる。エリーがいる。勘違いしてはいけない。2人きりではないのだ。

「い、いいけど、何かあった?」
「エリーにね、神の子の宿命っていうのを教えてもらおうと思って。ユウもいれば話してくれると思うの」

 想定通りであって想定外の回答。
 神の子の宿命? それは気になるキーワードである。

「わかった、じゃあ、あとでね」
「うん、待ってる」

 壁面の白色とのコントラストが激しい黒色の扉に鍵を回し、それぞれの部屋に入る。
 豪奢な作りに相応しい大きなベッドには天蓋も付いており、ベッドの上にはバスローブもある。浴室を覗けばシャワーだけでなく、なんとバスタブも備え付けられていた。さすがにお湯は出ないだろうと思いながら蛇口らしきレバーを捻ると、お湯が出てきたことに感動を覚える。そしてシャワーでバスタブにお湯をはろうしたタイミングで、僕はリズとの会話に失敗したことに気づいた。

 あとでって、どれくらい!?

 女性のシャワータイム×2人分の時間。そんなものはわからない。だが、今ならまだ聞ける。この豪奢な浴室を見て、お湯をはろうとせずにはいられまい。それはつまり、まだ脱衣していないということだ。 僕は急いでリズの部屋に向かいノックをすると、エリーが扉を開けてくれた。

「リズは?」
「浴室。お湯をはろうとしているみたい」

 僕の考えは正しかった。浴室に赴き、ノックとともにリズに声をかける。

「リズ、時間のことで確認なんだけど」
「ユウ? どうしたの?」

 その声を聴き、浴室のドアを開けるとシャワーを手に取り、バスタブにお湯をためようとシャワーのレバーに手を伸ばしているリズがいた。布を胸元と腰元に軽く巻いた、簡素な下着姿のリズが。

「きゃっ! ちょっと! 何で開けるのよバカッ!」
「うわああああ! ごめんごめんごめん!」

 即座に扉を閉め、ドア越しに声をかける。
 そうだ、ドア越しで声が届くのだから開ける必要などどこにもないのだ。リズの言う通り、全くもって僕はバカだ。自己嫌悪に襲われていると、浴室の中から呆れたようなリズの声が聞こえて来た。

「もう! それで、どうしたの?」
「いや、この浴室を見たらゆっくり入りたいだろうなって思って。こっちの部屋に来る時間を決めておいた方がいいかなってね。女性ってお風呂長いでしょ?」
「そうね……じゃあお風呂から出たらそっちの部屋に声をかけに行くから」
「わかった、じゃ戻るね、ごめん、ごゆっくり」

 エリーにあとでねと声をかけ、僕はいそいそと自分の部屋に戻った。『きゃっ!』と恥ずかしがるリズの可愛い姿を思い出しては悶えつつ、ドアを開けてしまった自分に自己嫌悪しつつ、僕はバスタブにお湯がたまっていく様子を一人黙々と見つめていた。
 この風呂のお湯のように、時が経つ毎にリズへの想いが溢れそうになっていく。その想いは、リズという人に対しての想いなのか、リズという異性に対しての想いなのか。恋愛経験などろくにしていない自分にそれを区別することはできない。しかし、例え恋だとしてもそれを認めてしまうとリズの傍にいる資格がないような気がして、僕はその想いを胸の中にグッと押し込め、自らを戒めたのだった。




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