生きる喜びを教えてくれたのは異世界に転生した君でした

T&T

5.聖女のように慕った君は案外普通の人でした


「『さん』付けはダメだって言ったでしょ! ほら、言ってみて!」

 ようやく泣き止んだリズは赤く腫れた目元を濡らした布で軽く押さえながらエリーにポカポカと身体を叩かれる僕に言い放つ。エリーにはリズを泣かせた気に喰わない奴とでも思われたのであろう。叩かれながらも僕はリズの要望に応えるべく勇気をもって言葉を振り絞った。

「リ……リズ。これでいいの? って、ちょ、エリー、叩くのやめてっ」
「な~んか固いのよね。エリー、大丈夫だから、ユウを叩かないで」

 エリーはリズのその言葉で僕を叩くのをやめたが、じっと睨みつけてくるのはまだやめない。相当嫌われてしまったようだ。リズとのあの仲の良さからすれば当然かもしれない。エリーとリズで3か月間育んだ絆、その間にポッと出てきた僕が入り込み、エリーにとって姉のように大切な仲間のリズを号泣させたのだ。エリーが僕であっても確かにいい気はしない。

「固いって言われても……別にいいじゃないですか、リズさんでも」

 リスペクトしている人を簡単に呼び捨てになどできるわけもないのに、この人はやたらそこにこだわってくる。

「だって距離を感じるじゃない、『さん』付けって。あんな姿を見せちゃった相手に『さん』付けされると何だかこっちが気まずいわ」
「言いたいことは何となくわかりますが、そのうち、自然と呼び捨てになったりしますから、きっと。少し時間をください。まだ僕はこの世界に来て初日なんですから」

 まぁリズリスペクターを自負する僕が、彼女を呼び捨てにすることなんてまずないと思うけど、今はこうでも言わないとリズは納得してくれそうになかった。

「……そうね、まぁわかったわ。それで? ユウは私を追ってきたって言ってたけど、追ってきて何か聞きたいことがあったんじゃないの?」

 そうだ。自分の思いの丈をぶちまけてすっきりしてしまっていたが、聞きたいことはまだ聞けていない。

「ありますけど、さっきから僕らばかり話してて、エリーに悪いかなって」

 エリーの頭を撫でようと手を伸ばすが、その手は無残にもはねのけられる。その様子を笑いながら見ていたリズがエリーに尋ねた。

「エリー、怒ってるの?」

 エリーは首を横に振る。

「神の子同士の話は面白い。だから問題ない。でも、リズが悲しむのは嫌だ」

 エリーはリズの傍にトコトコと歩いていくと、膝の上にちょこんと座る。
 エリーも素直ないい子だ。竜族というものらしいが人間と何も変わらない。むしろ人間よりも素直に感情を表に出しているように見える。

「大丈夫よ、もうあんな風に泣くことはないわ」

 リズがエリーを抱きしめ、頭を撫でると気持ちよさそうにその身をリズに委ねる。この関係は3か月という月日の賜物なのか、それともリズの人柄ゆえのものなのか。恐らくはその両方なのだろう。美少女2人の仲睦まじい姿に油断していると、リズが本題を突いてきた。

「はい、許可も取れたよ。ユウは何が聞きたいの?」
「えっと、じゃあ……2つあります。まずは、あの時何で僕を助けてくれたのか、ということ。次に、どうしてこの世界に転生したのか、ということですかね」

 正直、すでにリズの人柄を知ってしまった今、この問いかけは興味本位でしかない。どんな答えが返ってこようとも、今目の前にいるリズが、僕の全てなのだから。

「じゃあまずは1つ目からね。何で助けたか。がっかりさせちゃう答えかもしれないけど、身体が勝手に動いたから、っていうのが答えよ。私もね、別に自分を犠牲にしようとか思ってなかったし、死ぬつもりはなかったのよ。ただ、危ないって思ったらユウを突き飛ばしてた。実は、それだけなんだよね」

 それだけなんていうことはない。きっとそれまで生きてきた経験が、勝手に身体が動くリズにしたのだ。そこのところをもう少し聞きたいと思った。

「……私も、身寄りがないっていうのは知ってるんだっけ?」
「はい、知ってます」
「だからかな。私もね、ユウと同じ感じで結構ひどい扱いを受けてきたんだよね。で、その積み重ねの結果、私の場合はユウの人を信じられないという感じの逆かな。人と繋がりを持ちたいという想いの方が強かった。人を信じて裏切られる度、嫌な想いはしたんだけど、次こそは本当に信頼し合える人をって思って生きてたのよね」

 リズは暗い空を見上げる。その瞳には自身の過去が見えているのだろうか。遠くを見つめるその瞳はやけに寂しげに見えた。

「あと、きっと負けず嫌いということもあったんだと思う。裏切られる度にコンチクショーって思って、私は絶対に自分に胸を張れないような、そんなことはしないって思った。自分に胸を張れない行為をすることは、自分を裏切ってきた人達と同じ行為をすることになると思ったの。だから困っている人がいて、私にできることがあるなら何とかしたいなって思うんだ。結果的に、何もできないかもしれないんだけど、ただ何もしないままで悔やんだりはしたくない。だからあの時、ユウを助けずにその場をただ見ていたら、私は私じゃなくなっちゃってたと思う」

 強い人だ。僕は裏切られるのに嫌気がさして、人との関わりを持たなくなった。でも、確かにそれは、自分に胸を張れる行為だったのだろうか。自分に接してきてくれた人も少なからずいたはずなのに、それを自ら拒んではいなかっただろうか。手を差し伸べてくれていたにも関わらず、僕はそれに気づいていなかった、気づこうとしなかっただけなのかもしれない。リズの話を聞いて、今更ながら自分を恥じた。やっぱりこの人を追ってきてよかった。僕はこの世界で、この人のように前向きになれるだろうか。

「カッコいいね」

 思わず言葉がこぼれた。

「え?! なんで? 結局は自分のためにそうやってるってだけの話だよ?」
「確かにそうかもしれないけど、でも、かっこいい。信念を持って生きている感じが、すごくカッコいい」
「そう? えへへ……ありがとう。えと、それじゃ2つ目ね。何でこの世界に転生したのかだけど……負けず嫌い~とか言って、それでカッコいいって言われたあとにこんな話するのも嫌なんだけど、結局は逃げたの」
「逃げた?」
「うん、事故に遭った時期、職場の人間関係がうまくいってなくてね。私はその職場を変えたかった。同じ組織なのに、みんな組織の目標とはバラバラな方向を見てて。職場全体のコミュニケーションもろくにとれてなかったの。もちろん、個人単位ではうまく回ってたところもあったけど、私はそのいい関係・いい空気を職場全体に広めたかった。でもね、うまくいかなかったの。色んな話をして、理解してもらおうと思った。でも、埋まらない価値観の溝ってあるんだなって思って、少し疲れちゃってた」

 その言葉からリズが社会人であることが、いや、社会人だったことがわかった。きっと、僕なんかが知らない沢山の辛さを味わってきたのだろう。

「トドメを刺されたのがね、神様にお願いして私が死んだあとの世界の様子を見せてもらったの。特段、悲しんでくれた人はいなかった。それを見てさ、あ~私は必要とされてなかったんだなって、そう思っちゃって。そうしたら、もう今までの世界のことなんてどうでもよくなるくらいファンタジーな世界で冒険して生きていきたいって思ったの。私、剣とか魔法とか大好きですごい憧れててさ。そんな話を神様としてたら、神様がここに転生させてくれたの。だからもう、今はすごい楽しいんだよね。一番の胸の引っ掛かりだったユウのこともすっきりしたし、これからの生活が本当に楽しみなの」

 逃げたって言うけど、なんだか、これはこれですごく、人間らしくて、嬉しくなる。想い焦がれた人はきっと別世界に住む人なんだと思っていた。自分の価値観など通用しない雲の上のような存在なのだと思っていた。しかし、こうして話をしてみれば、彼女は、リズは、普通の人だった。僕と同じように苦しい想いをして、僕と同じように世界に絶望し、僕と同じように剣と魔法の世界に憧れるような普通の人だった。

「む……何笑ってるの、ユウ?」
「いや、とても人間らしくていいなって思って。僕の中で、リズはジャンヌダルクのような聖女のイメージで定着してたんだけど、人間らしくて、人間くさくて、とてもいいと思うよ」
「聖女なんてやめてよ、私、そんなお堅くないんだから。変なイメージ持たないで」

 そう言う彼女も、急に満足気に笑みをこぼした。

「リズこそどうしたの?」
「ふふ……気づかないの? ユウ、あなた、もう私のこと呼び捨てにしてるのよ?」

 ?! しまった。 リズリスペクターの自分が、こうも簡単に崩れ去るとは情けなさすぎる。

「せ……聖女のイメージが崩れて、親近感が湧いたからかな?」

 やっとのことで振り絞る言い訳もなんとも……ダメな感じである。

「そう?なら話してよかったわ。これでやっと仲間って感じね。満足満足」

 とりあえず満足そうなリズが見れたので僕自身、もうこれでいいかと思ってしまう。満足感に浸っていると、思わずあくびが出た。気が付くと満足気に笑うリズの腕の中いたエリーは、静かに寝息を立てている。

「すっかり遅くなっちゃったし、しょうがないか。さて、続きは明日!今日はもう寝ましょ」
「うん、楽しかった。遅くまでありがとう」
「こちらこそ、それじゃおやすみ、ユウ」

 何か大型の動物の毛皮と思われる毛布を渡され、礼を言ってそれに包まる。
 濃厚な一日だった。死んで、神に出会って、転生して、リズに出会えて、夢が叶った。いや、違う、まだ叶ってはいなかった。

 僕の夢は、リズに会うことじゃない。リズのために、生きること。

 そう、この夢は明日からもずっと続いていく。この異世界でリズと共に旅をしながらずっと叶え続けていく、とても素敵な夢なんだ。『仲間』……リズの発したその言葉と今日1日のリズとの会話に、今までにない充実した幸福感を覚えながら、僕はまどろみの中へ落ちていった。




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