戦国時代

鈴木颯手

木島家設定

家臣団坂谷正信(1463~1543)木島家家臣。領地の開発や外交等を得意とし、合戦でもひとたび出れば敵は恐れる程だった。主君との仲も良好で最後は隆興と嫡男隆憲等に見守られて死去した。
直矢高次(1493~1548)木島家家臣。数多くの戦に出て活躍していた。その姿を見て敵は「鬼高次」とよんでいる。隆憲とともに戦死する。
浜松坂茂(1500~1555)木島家家臣。隆憲亡き後の木島家を支え続けてきた将だが後に息子に暗殺される。
浜松坂房(1522~1557)木島家家臣。隆憲亡き後は堀田家に寝返る。その際に父親の坂茂を暗殺している。しかし、2年後に病死する。
主な合戦1498年。「飯井城戦」豪族飯井隆正の居城飯井城で起きた合戦。結果は木島家の勝利。飯井隆正は戦死する。
1525年。「高間川合戦」隆興の初陣合戦。相手は豪族高間雄平。結果は木島家の勝利。高間雄平は満身創痍で逃走する。
1548年。「福島山合戦」勢力を伸ばす堀田家との間で起きた合戦。堀田家は憲政が総大将、木島家は隆憲が総大将だった。結果は木島家の敗北で当主隆憲以下、弟の義隆、「鬼高次」と呼ばれた高次等多くの武将を失った。
1556年。「木島川の合戦」木島家の本拠地木島城の前を流れる川で起きた合戦。総大将は木島家が隆興、堀田家が憲政。木島家の勝利に終わったが半年後に堀田家に従うこととなる。
1568年。「伯方盆地合戦」堀田家と天下人新田秀政との間で行われた合戦。木島家は堀田家側として参戦。結果は堀田家の大敗北。この合戦から堀田家は没落する。
1578年。「木島家独立合戦」木島家が堀田家から独立するために起こした合戦。堀田家は1万2000の兵を出して独立を阻止しようとする。対する木島家は5000。それでも戦い抜き最後は堀田家の本拠地まで迫った新田家に対抗するために堀田家が兵を引き独立する。その後天下人新田秀政に従うこととなる。
1590年。「大仙川城攻防戦」天下人新田秀政の最後の敵大仙政親の居城大仙川城を攻めて起きた合戦。合戦は半年行われ、最後は味方の裏切りにより落城し、大仙家は滅びた。この時木島家は8000を率いていたが特にすることはなかった。
1600年。「天下分け目の合戦」天下人新田秀孝率いる西軍と帝率いる東軍との間で行われた合戦。木島家は東軍につき西軍と戦った。結果は東軍の勝利で木島家は15国の領主に復活する。
















おまけ「重臣・坂谷正信の死」
    薄暗い部屋に三人の姿が見えた。一人は布団に寝ておりもう二人はそのわきで見守るように座っていた。
    布団に寝ている老人は目をつぶっていたがやがて目を開けて隣で座っている二人を見る。
    「隆興様」
    正信は自分の当主隆興に声をかける。隆興はそれを聞いて静かに声をかける。
    「正信…」
    「隆興様、そんな顔をなされるな。某とて不死身ではないのですよ」
    人間50年と言われるこの時代で正信は80と長生きした方だ。
    「某としては合戦で華々しく散りたかったがもうこの体は某の言うことを聞いてはくれませんので」
    「何を弱気になっておる。俺の知っている正信は冷静沈着で何事にも動じず、合戦に出れば敵は恐れ、味方の士気は鰻登りに上がり、政治も上手くこなすそんなやつだよ」
    「ははは、過大評価し過ぎですぞ」
    しかし、実際は隆興の言う通りである。坂谷正信のお陰で勝ち戦になった合戦は多いのだ。正に木島家の大黒柱である。
    「さて、隆興様。そろそろ眠くなってきてしまいましてな寝かせてはくれぬだろうか?」
    「…すまないな、ゆっくり眠るといい」
    「そうさせてもらいますぞ。ああ、それと隆憲様」
    正信は重くなってきたまぶたを必死に開けながら木島家嫡男隆憲に声をかける。
    「そなたは武勇に優れ、人望も厚い。しかし、少し周りが見えておりません。それではいずれそのみを滅ぼすことになるでしょう。これは某の最後の言葉です」
    「…相わかった、この隆憲その言葉をしっかりと胸に刻みもうした」
    その言葉を聞いた正信は満足そうに頷いて瞼を閉じた。
    これより一刻後、正信は静かに息を引き取った。この時正信のそばには当主隆興を初め、嫡男隆憲、正信の息子の隆信、真矢高次、浜松坂茂、坂房親子など木島家のもののほとんどがいたそうだ。
    しかし、正信のから5年後に行われた「福島山合戦」で嫡男隆憲を初め、弟の義隆、真矢高次等多くの武将を失うこととなる。さらには浜松坂房の謀反により木島家は没落の道をたどることとなった。

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