３章２５話　情報活用のメドレー（３）

「？　なんでしょうか？」
「――淫魔ではなく、私の個人的な価値観として、別れることが運命だろうが、生涯で１回しか会えなかろうが、自分の子供には自分と別れたあとにも、できる限り裕福な暮らしをしてほしいと願っておりますので」

　瞬間、アリシアの声が詰まる。
　なにかを言おうとして、しかし、なにも言えなかった。

「つまりね？　私たちはハッキリ言えば、肉体的にも、貴族だから資産的にも、何回でも妊娠して、何回でも出産できる。けれど、だからこそ、そこには責任と、意識の高さが求められる。たとえ、それが周囲から見下されている、淫魔の妊娠だとしても」

　流石に、アリシアはアリス以上に理解していた。敵国には敵国の文化体系がある、と。アリスのように実際に目の前に現れてから理解するのではなく、王都で作戦会議をするよりも、何年も前から。
　しかし、今回のマルガレーテの価値観には内省せざるを得ない。今までの自分の価値観で語るなら、淫魔の夜這いと、妊娠と、出産なんて、確かに気持ちがいいモノなのかもしれなかったが、どこか薄汚く思っていたから。そんなモノに意識の高さなんて、欠片もないと認識していたから。

「妊娠して出産した回数だけ、赤子が生まれるのは淫魔だろうと他の種族だろうと変わりません。つまり当然、その分だけ親として生活を保障する子供の数が増える。だから私は、私とエロいことをする殿方の素性は徹底的に調べるし、子供を引き渡す際にも契約をしつこいほど確認する。それが私の言う責任で、それを果たそうとしたら、私が積極的か消極的かは問わず、いつの間にか意識は高くなっちゃうでしょう？」

「だから、養子縁組以外で、人身売買はしない、と？」

「えぇ、産まれた瞬間に親元を離れることになっても、私の子供は私の子供です」

　敵ではあるが、アリシアは目の前の淫魔、ではなく、マルガレーテ個人のことを尊敬できると感じた。
　サキュバスだから、彼女らが行う性交だから、その結果の妊娠だから。その類のレッテルを理解した上で、貴族としてかなり珍しくて、だけどアリシアの知らないところで確かに存在していた責任を理解している。

　ウソ偽りなく、自分にはない価値観の持ち主だった。　
　ならばこそ、敵であっても尊重する、それがアリシアの矜持だった。

「それで、２つ目の確認は？」
「グランツ・フォン・クリーク伯爵に対して、遺恨を与えるような可能性についてです」

「代々受け継がれている統計上、ほとんどない、そのように断言しても大丈夫なはずです」
「そこまでですか？」

「これは最終手段になりますが、淫魔にはかなり強力な性的魅了、強制発情のスキルがあります」
「それが最終手段、ですか？　むしろ、真っ先に試すべき手段だと愚考しますが――」

「グランツ・フォン・クリーク伯爵を快楽堕ちさせたとしても、彼と懇意《こんい》にしている別の一族には、当然ですが影響力はありません。加えて、妻や娘にも。ですので少なくとも最初のうちは、不法侵入には変わりありませんが、別のスキルを使い寝室に忍び込んで、なるべく色仕掛けに頼らない交渉でどうにかする、というのが現時点での方針です」
「なんらかの手段で、交渉中に通報される恐れは？」

「これは前提と認識してかまいませんが、サキュバスが寝室に侵入できた時点で、相手が男性の場合、こちらの勝利は確定です。最終手段がありますから。それを踏まえれば簡単です。向こうも思考能力を失いたくはありませんので、よほどのバカではない限り、穏便に済ませるのが一番！　敗北は確定だから、どのように快楽堕ちを避けて、どの程度こちらの要求を呑ませればいいのか？　という発想に辿り着くでしょう」
「わかりました。質問にお答えいただき、ありがとうございます」

　再度、首を垂れるアリシア。
　そして頭を上げると、マルガレーテは先ほどの見取り図を手に持って――、

「さて、これでそちらが要求した『こちらがグランツ・フォン・クリーク伯爵の屋敷の見取り図を欲する正確な理由』、その説明義務はきちんと果たしました。あとは――」
「はい、私たちは近々、シュタイルハング侯爵家にケンカを売ります。その折には、ぜひ、マルガレーテ・ハーゼ・フォン・ミッターナハト伯爵が、後ろ盾に」

「こちらも確認させてもらうけれど、あくまでもケンカを売るのはあなたと、あなたのお仲間で、こちらはあなたたちが勝利した時にのみ、あいつらの退路を予め絶っておく、それだけですよね？」
「はい、それだけで充分すぎるほどのご協力です」

「敗北した場合は、なにもしないけれど？」
「問題ありません」

　自信満々に答えるアリシア。
　それを受け取り、マルガレーテは静かに頷く。

「わかりました。こちらも主に爵位の都合で手が出せませんでしたが、率直に、あいつらは邪魔でしたので」

「直截ちょくさい的に邪魔とまで仰ってしまうほどですか？」

「実は娼館を運営しています～程度なら、個人的にはかなり許容範囲内です。が、明らかにそれよりヤバイ薬物取引や、誘拐や、性的営業の中でも『存在していないこと』になっている労働、つまり組織的な路上売春の運営は、巡り巡って淫魔にも不利益を押し付けてきます」

　本気で苛立っている様子のマルガレーテ。
　今にも物、机に当たりそうな雰囲気だった。

「ハァ……、どちらが善で、どちらが悪かなんて、些末な問題です。私だって善良な貴族であることを心がけていますが、周りからはそう見えていないかもしれませんし。あいつらだって、私以外の知り合いからは善良な貴族を認識されているかもしれません」

「つまり、悪人であることよりも、頭が悪いことの方が問題、ということでよろしいでしょうか？」
「えぇ、やり方があまりにも拙つたないい。親も子供も短絡的過ぎて、大局的な視点に欠けている。地位を利用して不祥事を揉み消すにしても、そのしわ寄せはいつか必ず返ってくる。あいつらにも、苛立たしいことに、他の無関係な貴族にも。と、いうわけで――」

「はい、捨て駒、任されました」
「えぇ、ですが個人的には、あなた方が勝利してくれることを祈っています」