ゴースト、ダンジョンで生活する。

島地 雷夢

ゴースト、リビングデッドに攻撃をする。

 利己的な考えかもしれない。自分の身勝手な都合だけで、相手の殺そうとしているのだから。死体と言えども、生きているようにしか見えない相手を、動かなくしようとしているんだから。 トウカはそう心の中で自分に言い聞かせながらも、逆さまになって沈んでいくリビングデッドに白のフライパンを振り下ろしていく。感覚が戻ったとは言っても、未だに少々痺れが残っているので十全な力を発揮出来ないでいる。また、水の抵抗を受けているのであまり速くも無い。 リビングデッドはフライパンを顔面に喰らうが、さして気にしていない風に、そして美面に直撃した故に血を僅かに流しても顔色一つ変えずにトウカをまっすぐに見つめる。「ドウ、シ……テ?」 リビングデッドは顔面に振り下ろされた白いフライパン――吸魂鏡を取り返そうとトウカの右手首に向けて左腕を伸ばす。それに感づいたトウカはさっと腕を引っ込め、リビングデッドの腕は水を掻き分けるだけで終わった。 その間に、トウカは左手に持った黒いフライパンをリビングデッドの右耳目掛けて薙ぐ。 だが、水の抵抗を受けているのは黒いフライパンも同義であり、あまり速度は出なかった。 それが起因し、トウカの右手首を掴もうとしたリビングデッドの左手は黒いフライパンの柄に触れ、そのまま握り返してトウカからフライパンを奪い取った。「戻、ッテ」 笑みを消しているリビングデッドは逆さまの体勢のまま奪い取った黒いフライパンを振り戻す動作でトウカの左腕目掛けて薙ぐ。 トウカはそれをかろうじて吸魂鏡で防ぐが、リビングデッドの腕力は目を見張る程に強大なものであり、防いだトウカはそのまま十数メートル吹き飛ばされる。「うわわっ!」 水中を錐揉み回転しながら、底から生えている木の幹に激突する寸前で何とか態勢を整え、足の先を幹に触れさせ、衝撃を緩和させるように折り曲げながら動きを止める。回転しながらの移動でここまでの動作が出来たのは、ひとえにもう回転しながら動く事が初めてではなく、フリットサーディンを食して制御能力が上がっているからだ。 ただ、衝撃自体は完全に殺し切れなかったので、トウカの一本しかない足には痛みが走り、木は揺れ動いた。それでも折れなかったのを見ると、この木はある程度の衝撃には強いのだろう事は窺える。「戻ッ……テ」 リビングデッドは体勢を整えると、黒いフライパンを持った左手をだらりと下げながらトウカへと向かって泳いでいく。五メートルもの垂直距離を一っ跳びで、それも一瞬で詰める事の出来るリビングデッドであるが、移動と言う動作においてはどうしても緩慢になってしまう。 それはゾンビ時代の癖をそのまま受け継いでしまったからだ。今のリビングデッドならば、ゴーストであったトウカにも負けないくらいの速度で泳ぐ事が可能な筋力を有しているのだが、意思も心も無いリビングデッドはその事に気付いておらず、ゾンビの時からのゆっくりな動きだけで相手へと近付いて行く。 一瞬で五メートルもの距離を詰める跳躍をしたのは、単にゴーストが垂直方向に離れていたからであり、もし水平方向に同距離離れていたとしても、やはり二本の足を使ってゆっくりと近付いて行った事なのだろう。 知能はあるが、意思や心が無ければ相手を仕留める為の策なぞ練れる事も出来ない。ただただ近付き、持ち前の筋力だけを頼りに仕留める事しか出来ない。ただ、投擲と言う行動を取れるようにはなっているが、それでも単調な行動でしかない。 もし魂が入り込めば、それこそ人間であった頃のトウカと遜色のない行動を取るようになるだろう。ゆっくりとした動作だけではなく、時には走ったりもすれば、獲物を仕留める為に考えながら行動もするだろう。 そうなるとは知らず、ただ己の魂を取り戻したいと言う欲だけによって突き動かされている生ける屍は速度を上げる事もせずに幽霊へと近付く。 トウカは、水の中でも力強く振り抜けるようにと両手でしっかりと白いフライパンの柄を握り締め、迫り来るリビングデッドへと向けて直進する。 ゆっくりと移動するリビングデッドはゆっくりと左腕を振り上げ、素早く移動するトウカは既に構えて、ほぼ同時に、白と黒の武具は振り下ろされ、互いに打ち付けられる。 このまま鍔迫り合いのような事を仕出かせば、確実にトウカが力負けをして隙が出来てしまう。 しかし、トウカは端から鍔迫り合いをしようとは考えてもいない。 トウカは打ち付けた白いフライパンを急いで引いて、リビングデッドの右側へと移動する。打ち合う相手のいなくなったリビングデッドの黒いフライパンは勢いのまま前方へと振り下ろされる。 そこで、リビングデッドの動きが止まり、首だけを回してトウカの後を追う。トウカは無防備なリビングデッドの右肩目掛けて吸魂鏡を振り下ろす。肩に当たる感触を吸魂鏡を伝って感じたトウカは嫌な顔をする。 人魚の身の安全にとは言っても、やはり人間に見える相手に対して手を上げるのには未だに抵抗があるのだ。それでも、トウカは攻撃の手を緩めようはしない。抵抗はあるとしても躊躇う事はない。もう倒すと決めた事なのだから。 トウカは右肩に当てたフライパンを戻して、そのままリビングデッドの体を中心にそえるようにして縦横無尽に動き始める。 リビングデッドは攻撃を受けた右肩を気にもせずに目の前に現れたゴーストに向けて黒いフライパンを振り下ろす。トウカはそれを避けようともしない。最下級の幽霊モンスターから脱して物理的な影響を受けにくくなったとは言っても、リビングデッドの痛烈な一撃は普通に食らうので避けなければダメージを受けてしまう事は先程身を持って分かっている筈である。 黒いフライパンがトウカの脳天へと向けて振り下ろされる。が、それはトウカの頭をそのまま素通りし、空振りに終わる。頭に直撃を受ける寸前にトウカの体が完全にリビングデッドの前から消えたのだ。しかし、フライパンが降り切られると、そこに再びトウカの姿が現れる。 だが、トウカの姿は一つだけではない。 リビングデッドの頭上にも、そして、背後にも、屍を見下ろすように、屍を見上げるような位置に複数存在している。 別に、トウカが分裂している訳ではない。緩急をつけたスピードで移動し続け、あたかも分裂しているように見せかけているだけだ。その証拠に、トウカ一人一人を繋ぐかのように水流が形成されているのが見て取れる。 進化する前ならば、このような芸当は出来なかっただろう。また、普通に進化した先のジャックゴーストでもここまでのスピードは出ない。 トウカがゴーストから進化した先の幽霊モンスターはトリックゴースト。あたかも分身しているかのように高速で移動して相手を囲み、動揺しているうちに止めを刺す俊敏なモンスター。持ち前の素早さだけならば最上位の幽霊のモンスターにも匹敵するスピード系のモンスターばかりを捕食したゴーストの進化後の姿。 見た目が普通のゴーストと全く同じなので、碌に情報収集をしていない初心者の探索者がダンジョンで出会うとまず間違いなく舐めて掛かる。しかし、その油断が命取りとなり、攻撃を当てられないままに命を落とす者が続出している。なので、初心者殺しでもあるのだ。 トウカは自分の進化した先なぞ知る由もなく、ここまでの速度を繰り出せるのを今まさに初めて知った。そして、巡るめく移り変わる景色と言う膨大な数の情報をきちんと処理出来る程の脳に発達している。もし、速度だけ同じのゴーストであったのならば膨大な情報を処理し切れずに振り回され、墜落している事だっただろう。 また、三半規管も強化されてるので、どのように高速で動いたとしても、酔って吐き気を催すと言う事も無い。姿勢制御もフリットサーディン食した末の進化であるので強化されており、決して空中縦回転をする事なぞはない。 トリックゴーストはリビングデッドに向けてフライパンを振り抜いていく。それは上からであり、下からであり、右からであり、左からであり、斜めからでもある。リビングデッドの足に、肩に、腰に、胸に、頭にと次々と打ち付けられていく。 痛覚が存在しないリビングデッドはそれをただ甘んじて受け入れている。また、持ち前の素早さを利用して繰り出される攻撃をしているとは言っても、力そのものはゴーストの時と然程変わっていないので、速度が乗っている攻撃だとしても重さが足りていないのでリビングデッドにはあまり堪えた様子は見受けられない。 それでも、連続しての攻撃は決して意味のないものではない。いくら痛覚が無くともダメージは蓄積されていくのだ。蓄積されればされるだけ、リビングデッドの動きに負荷を与えていく。痛みとは体を守る為の大事な信号であるが、それを失ってしまったリビングデッドには、トウカの攻撃は全く脅威を見い出せないでいる。「戻……ッテ、オ、イ……デ」 リビングデッドは黒いフライパンを振るいまくる。普通に振るったのでは決してトウカに当たる事はないと学習したリビングデッドは無造作にではなく、トウカの軌道上に向けて黒いフライパンを振るっているのだ。また、偶然にもトウカが作り出している水流に乗っての攻撃となったので、半ば自動的にトウカを追うような形となってしまっている。 トウカは黒いフライパンを警戒しながらの攻撃となったので当てる数が減ってしまう。物理的な影響をあまり受けなくなったとは言え、リビングデッドの一撃は普通に食らう。それに加えて高速移動中では軽く当たっただけでも自分から当たりに行くような形となればダメージは今までの比ではない。なので当たらないように注意をしなければいけないのだ。 自分は全く動かずに、攻撃を加えてくる相手の軌道上に黒いフライパンを振るいまくるリビングデッド。 縦横無尽に動き回り、相手を閉じ込めるような形で白いフライパンを振るいまくるトリックゴースト。 どちらが優位に立っているか? それは時間経過によって変わっていく。 初めはトウカが優勢だった。しかし、リビングデッドの学習により黒いフライパンを警戒しながらの攻撃となったので手数が減ってしまう。更に、長時間の高速移動に加えて情報の処理に攻撃と警戒が合わさり、彼の体力は目に見えて削られていった。「はぁ、はぁ、はぁ」 荒い息をしながらもトウカは懸命に動き続けるが、分裂している数を徐々に減らし、ついには二人にまで減ってしまう。それによって動き自体もリビングデッドを囲むように縦横無尽に動いていたものがただ屍を中心に回るような形となってしまっている。 そして、とうとう分裂しているように見せかける事も出来なくなり、ただぐるぐるとリビングデッドの周りを移動するだけになった。ここまで来ると、リビングデッドでも簡単に攻撃を当てられるようになってしまう。「一緒、ニ」 リビングデッドは無表情から再び口角を上げて笑い、追尾させていた黒いフライパンをトウカの手首目掛けて振り抜いていく。「ナ、ロ……ウ」 トウカは反応して吸魂鏡で黒いフライパンを防御するが、勢いの乗った、そして重さのある一撃に疲弊しきっているトウカでは、例え両手で握っていたと言っても防ぎ切れるものではなく、吸魂鏡は手から離れて弾かれてしまう。 吸魂鏡がトウカの手から離れたのを確認すると、リビングデッドは空いている右手でそれを掴む。いくらトウカを殺したからと言っても、普通にしたのでは魂は輪廻転生の環へと帰ってしまうのだ。なので、魂を封じ込める事の出来る吸魂鏡で止めを刺さねば意味が無いのだ。「オ……イ、デ」 吸魂鏡を再び手に入れたリビングデッドは、今度こそトウカの魂と一つになろうと白いフライパンのようなそれでトリックゴーストの脳天に向けて薙ぐ。「っ!」 トウカは荒い息をしていたが、口を閉じて無理矢理呼吸を閉ざし、頭を下げながら無呼吸運動でリビングデッドの方へと泳ぎ出す。吸魂鏡はトウカの頭上を通り過ぎていき、リビングデッドに体当たりを喰らわせながら、トウカは左手に持たれている黒いフライパンの柄へと手を伸ばし、奪い返そうとする。 リビングデッドの注意は硬直した状態となっている吸魂鏡にだけあり、またトウカから貰い受けた連撃によって握力が激減していたので抵抗らしい抵抗を見せずに黒いフライパンはいとも容易くトウカの手に渡ってしまった。「はぁ‼」 一度リビングデッドを蹴って距離を開けたトウカはそのまま黒いフライパンを両手できっちりと握り締めて右斜め下から左斜め上へと向けて振り上げていく。硬直状態のリビングデッドはそれを避ける事もせずに左腕に一撃を受ける。 すると、リビングデッドの左腕は力無くだらりと下がった。 リビングデッドは左腕を動かそうとするが、全く動く気配を見せない。 それもそうだ。トウカの振るった一撃はまさに、魄だけで動くゾンビやリビングデッドと言ったモンスターにとって最悪のものなのだから。 白いフライパン――吸魂鏡と対を為す黒いフライパンは断魄鏡。触れた部分の魄を断つ効果を有しているそれは魂を持つ者相手ならば断たれても即座に魄を引き寄せられるのであまり効果を発揮しないが、魂の無い存在ならば例え魄を内に留める体質を持っていたとしても集める事はもう出来ないので失ってしまえばそのままだ。 また、断魄鏡で断たれるのは魄だけではなく、魄が巡る体経路自体にも損傷を与える。そうすると、魄が断たれた先へと流れる事は無くなり、その部分を動かせなくなる。これも魂があれば魄を集めると同時にその経路を修復させる事が可能なのだが、死んだ体はその経路を復活させる事が出来ない。 動かなくなった左腕へと向けていた意識を、至近距離のトリックゴーストへと向けるリビングデッド。 先程の一撃に今まで以上の効果があった事に驚きを隠せないでいるトリックゴーストもまたリビングデッドへと意識を向ける。 互いの視線が交差する。 魂を奪う事が出来る吸魂鏡を手にするリビングデッド。 魄を断つ事が出来る断魄鏡を手にするトリックゴースト。 間もなく、どちらかが終わりの時を迎える。

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