ゴースト、ダンジョンで生活する。

島地 雷夢

ゴースト、再びフライパンを手に入れる。

 出口まで着き、トウカはセイルが目を覚ますまで待っていた。単に、このままセイルが目を覚まさないうちにシーフェに送って貰ってもよかったのだが、せめて別れの挨拶と謝罪はしておきたかったのだ。 しかし、トウカはセイルが乗せられた荷車から若干遠くに陣取っている。これはトウカなりの配慮である。セイルはトウカの顔を見ただけで恐怖に固まってしまうので、そうならないようにセイルの視界の外で待機している。「トウカくん、セイルちゃんが目を覚ましたよ」 シーフェがトウカに向かってそう声を掛ける。トウカはセイルが目を覚ました事に対してほっとする。それはつまり、シーフェの言った通りに命に別状はなかったと言う事の証明になるからだ。 いや、別にトウカはシーフェの言葉を疑っていた訳ではない。それに、ここに来るまでも眠っているだけだと傍目に見て確認していた。ただ、それでも実際に起きて目を開けなければ不安は一向に晴れなかったのだ。「トウ、カ様…………っ⁉」 だが、安心したトウカの耳には、セイルの恐怖に引き攣るような声音が入って来てしまう。先程――数時間前にトウカのリビングデッドに襲われた際の記憶が甦り、リビングデッドと同じ顔をしたトウカが近くにいると言うだけで、身を震わせてしまうのだろう。 なら、と、トウカはこれ以上セイルに恐怖を与えない為にも手早く事を進めようと考える。「セイルさん、さようなら」 トウカは、決してセイルの視界に入らないようにしながら別れの挨拶をする。 決して大きくはなく、かと言って小さいともいえない声量で、確実にセイルへと向けて言葉にする。「怖い思いをさせて、すみません。セイルさんは家族の下に帰って、もう二度と、こんな危険な場所に来ないで下さいね。それが、セイルさんの為ですから」 セイルを想っての発言であるが、セイルがこのダンジョンに自力で来る事は転移陣を発動させる以外にはありえない。しかも、その転移陣が岩場の何処にあるか、またどうやって作動させるのかをセイルは知らない。意識を失った時に偶然作動させてしまっただけなのだから。 だからと言っても、トウカ自身も転移陣の事は分からないでいるがセイルにこのダンジョンに来ないでくれと言う意思を込めて口にする。トウカは自分の所為でセイルに体にも、そして心にも傷を負わせてしまった事に対して強い責任を感じてしまっている。「僕の所為で、人間だった僕の所為で、怪我をさせてしまって、すみません」 セイルからは見えない位置にいるが、トウカは深く深く頭を下げて謝罪をする。 そして、セイルが何かを口にしたのだが、それはトウカの耳に入る事も無く、トウカは頭を上げて自分の位置からも見えないセイルに向けて弱々しい笑みを浮かべる。「もう、あなたを襲ったのと同じ顔をしてる僕の顔を見る事が無いので、安心して下さい」 ほんの僅かに目を細めた後に、荷車に手を掛けているシーフェへと視線を移し、頭を下げる。「シーフェさん、お願いします」「任されたよ」 シーフェはトウカの崩さない姿勢に諦めて了承はしたものの、やはりセイルの意思も訊かずに勝手に海へと向かうのも気が引けている。しかし、一度約束し、それぞれが要求を呑んでしまった手前、それを違えるのは自分でも納得は行かない。 なので、シーフェは兎にも角にも一度はセイルを海へと連れていき、家族の下へと送る事にした。 シーフェはトウカに向けて片手を上げて重々しく頷くと、そのままダンジョンの外へと荷車を引いて行いった。トウカは、片手を上げたセイルに同じく片手を上げて別れを交わし、頭を下げる。遠ざかっていく荷車を一瞬だけ見てそのままダンジョンへと姿を消す。 トウカは一人になった。このダンジョンでゴーストとして生まれ変わって数十分は一人であったが、そこから人魚のセイルと出逢い、そして風の精霊のシーフェと出逢った。家族が恋しいとは思うものの、寂しさと言うものはあまり感じなかった。 しかし、一人になってしまったトウカの心にはすくすくと一人でいる事の寂しさが芽生え始めていく。話し相手がいない、一緒に食事する相手がいない、どぎまぎしたが一緒の部屋で寝る相手もいない。そう考えるだけで、今直ぐにでもセイルやシーフェの後を追い掛けたくなってしまう。 だが、それは叶わない。ダンジョンモンスターであるトウカはダンジョンから如何な方法を用いてもその身を外へと出す事が出来ない。例え綱で身体を括られて引き摺られるようにして外へと連れて行かれても、必ず外との境界で身体が縫い止められてしまう。 奥へと進んでいた体を止め、ふと後ろを振り返るが、それを即座に止めて首を横に何度も振る。 寂しさを紛らわす為だけに追い掛けて一緒にいようと思うのは駄目だ。それでは何の為にセイルを外に出したのか分からなくなってしまう。トウカはそう自分を戒めた。 セイルをシーフェに頼んで家まで送らせたのは、危険なダンジョンから一刻も早く立ち去って欲しく、家族に会わせたかったからでもあるが、それ以上に今のトウカにはやはり自分の顔をもう見せないようにする事が一番の理由となってしまっている。 自分ではないにしろ、同じ顔をした者に襲われたのだ。同じ顔をしているトウカが近くにいては恐怖が消える事はない。セイルの恐怖を一時的にしろ和らげる為にも、自分の前から遠ざけたかった。 なので、一緒にいようとするのを諦めた。 トウカは今一度それを自分の心に焼き付ける為に両の手で思いっ切り頬をバチンと叩く。頬は赤く腫れ、涙目になりながらも気持ちを一気に切り替える事には成功する。「さて、僕も色々とやらないとな」 右の指先で涙を拭うと、トウカはダンジョンを進んで行く。 一応の目的地は隠し部屋の扉がある空間だが、生憎と地図も方位磁石も無いのでそう簡単に辿り着く事は出来なくなってしまっている。 それでも別にいい、と思っているトウカは、何気にマッピングの際に記入していた目印の特徴を思い出しながらある程度の予測を立てて進んで行く。 念の為に言っておくと、荷車で来た道をそのまま辿って行けばそれなりに速く到着する事が可能なのだが、生憎とトウカは敢えてその道を進まないようにしている。 通った方が時間の短縮に繋がるのだが、本能的にその道は今は使わない方がいいと告げてくるのだ。トウカは勘と言うものを信じてその道から遠ざかりながら隠し部屋を目指す。 ただ目指すだけではなく、トウカはダンジョンモンスターをも捜している。 モンスターはモンスターを食べればその分だけ強くなる。 トウカはリビングデッドに会ったとしても、むざむざと食べられようとは思っていないが、それでも力量の差はあると考えている。シーフェに詳しく訊いた所、トウカを滅多切りにして瀕死の重傷を負わせた人間の両腕を千切り、首を捩じ切る程の力を有していると言う情報を得たトウカは、捕まったらその時点で終わりだと確信している。 例え捕まったとしても、何かしらの事が出来るようにする為に、トウカは強くなろうと決めた。また、目指すのは単純にゴーストとして強くなるのではなく、進化だ。 リビングデッドも元はゾンビであった。トウカなりに考えて、進化したモンスターに進化する前のモンスターが敵う確率は低いと踏んでいる。 単純に地力の差やその他諸々の要因も絡んでくるので一概にもそうとは言い切れないが、それでも進化はただ捕食による強化よりも強くなる、とシーフェが言っていたのだ。トウカは出口に向かうまでにも進化について色々と訊いていた。 なので、リビングデッドをどうにかするにはまずは簡単にはやられないような体にしなくてはいけないとトウカは思い、暫くはダンジョンでモンスターを狩る事に決めた。「……けど」 トウカは移動しながらついと右手を見る。「フライパンないんだよなぁ」 ダンジョンの宝箱で見付けてずっと愛用していたフライパンだが、それは今トウカの手元には無い。シーフェによれば、フライパンはリビングデッドが持っていたらしい事を訊いた。どうしてリビングデッドがフライパンを持っていたのかは分からないが、これによってトウカの攻撃力が減少してしまった。 トウカとしてはフライパンは攻撃力の低下よりも、調理器具としての損失で痛い思いをしている。油も手に入りにくいダンジョンでは、そのまま肉を焼いてもこべりつかない素材で出来たフライパンと言うものは偉く重宝する物だ。 それに加えて、衝撃を与えても凹む事はなく、更に汚れも簡単に落ちるので洗うのも楽ときた。一家に一つは欲しい性能を有するフライパンを実際に武器や調理器具として使用していたのは数日だけだが、利便性は充分に把握していたし、それ以上に愛着は湧いていた。 なので、手元にフライパンが無い事に些かな不安と一抹の寂しさを覚えるも、ないものは無いのだとすっぱりと諦めて、一先ずは素手でモンスターを狩ろうと思い立つ。「でも、素手で倒せるのってシェードバットとあの飛ぶ魚くらいなんだよなぁ。ホーンラビットは……一応倒せるかな?」 腕を組みながらトウカは思案する。耐久度的にシェードバットとフリットサーディンは現在のトウカの腕力だけでも倒す事は出来るが、ホーンラビットまで行くと一撃では倒せない。「ティアーキャタピラーに、ネコグマは……なぁ……」 ティアーキャタピラーに至っては近付く前に糸を噴射されて身動きを封じられてしまう可能性があるので、なるべく相対する事は避けたいと思っている。ネコグマはそもそも論外だったりする。一介のゴーストが敵う筈がないと早々に諦めているからだ。 なので、取り敢えずはシェードバットかフリットサーディンを狩りの対象とする事にし、近付いてくる気配はないかと意識を辺りに向ける。「ん?」 ふと、意識を向けるにあたって移ろがせていた視線がある一点へと集約される。「宝箱?」 豪奢な作りの箱――宝箱がそこにはあったのだ。トウカはこのダンジョンで見付けた宝箱はこれを合わせて三つ。一つ目は高性能フライパンで、二つ目は変な金属のガラクタが寄り集まったようになっていた荷車だ。 ふらふらと、トウカは宝箱へと近付いて行く。「……ナイフくらいは入ってるかな?」 素手よりはやはり獲物を持っていた方が狩りが楽なので、トウカは神に願いながらも両手で宝箱の蓋を掴み、ゆっくりと上げて中身を確認する。「…………あれ?」 中を見たトウカは首を傾げながらも、それを手に取って眼前へと持っていく。それと同時に、中身を失った宝箱が空気に溶けるようにして消えて行った。 目の前で掲げるそれを見て、トウカはぽつりと呟く。「フライパン、だよねこれ」 そう、それもまさにフライパンであった。 ただし、トウカが最初に手に入れたフライパンと違うのは色だ。最初のフライパンは色が骨のような白であったのに対して、こちらは影のような黒を帯びている。 それ以外の違いは見受けられず、底が鏡のような光沢を持っている事も、柄の長さや太さ、底の深さはほぼ同一であった事がトウカには分かった。「ん?」 と、ここでトウカは眉根を寄せてフライパンに顔を近付ける。「……僕の顔が映ってる」 鏡のような光沢を有する底にはトウカの顔が左右反転した形で映し出されていた。それがトウカにとっては不思議でたまらなかった。何せ、白いフライパンの際には鏡に己の姿が全く映らなかったのだ。また、水面にも姿は映し出されなかったのだ。 それが、どう言う訳かこの黒いフライパンにはトウカの姿が映り込んでいる。それはただの偶然か、はたまた黒いフライパンの機能によるものか、トウカには分からなかった。 ただ、トウカはフライパンに反射されている己の顔を見る。少々はねっけのある短髪にくりっとした眼、小さ目の口に鼻が――人間であった時と変わらない顔がそこにはあった。この頃は見る事が叶わなかった自分の顔をこうしてみると、少し感慨深くもなる。 ただ、トウカの表情は何処か物寂しさが滲み出ていた。鏡面を通してそれを自分で見たトウカは、感慨深さよりも少々欝な気分になってしまう。「……いやいやいや」 トウカは首を横に振り、欝とした気分を無理矢理に払い除けると、フライパンから顔を離して軽く振るってみる。振り心地は白いフライパンと遜色なく、同じ型のものを扱っていたので違和感はなく早くに手に馴染んだ。「まぁ、白じゃなくて黒いって所が違和感あるけど、ちょっとの間よろしくな」 トウカは白いフライパンの代わりに新たな相棒となった黒いフライパンにそう囁き掛けると、ダンジョンを徘徊し始めた。

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