ゴースト、ダンジョンで生活する。

島地 雷夢

ゴースト、感情を失くす。

「くそっ、さっきの泣き声で三半規管でも狂ったか?」 悪態をつきながらも人間は再び剣を振るってくる。トウカはそれを天井へと上昇して慌てて回避する。 人間は男で、年齢としては三十代に入った頃合の厳つい顔をしており、適当に伸ばした茶髪と無精髭が生えていて野蛮な印象を与えてくる。切れ長の眉の下にある鋭い水色の瞳で天井付近へと上がったトウカを睨みつける。「ったく、ゴーストのくせに人の安眠邪魔しやがって。黙って切られやがれってんだ」 唾を吐き捨てながらトウカをねめつける男の恰好は薄汚れたシャツにズボン、皮のブーツに皮の鎧を着ており、少し破け気味のマントを肩に掛けて背面を隠している。腰にはポーチを携えていて、その反対側には鞘が佩かれている。 現在トウカに切っ先を向けている剣の柄はよく見れば少し豪奢な作りとなっており、細かな文字が彫られており、所々に宝石が埋め込まれている。 トウカはこの男を見た事が無かった。このダンジョンは彼が住んでいた農村付近の山にあるので、ここに人間が来るとしたら村の人くらいしか思いつかなかった。しかし、自分よりも下にいる男は村民とは懸け離れた格好、装備をしていたのだ。 いや、それよりも。 どうして自分が襲われるのだろう? とトウカは疑問に思い、体が震え出した。 今まで、人に刃物を向けられる事が無かった。人に殺気を向けられる事の無かった人生を歩んできたトウカには、どうして人が人に刃物を向けるのかが分からなかった。 が、トウカは直ぐに理解してしまう。 自分は人間ではなく、ゴーストとなってしまっている事を。ゴーストは村を荒らす悪い存在。なので、人からすれば殺そうとするのに躊躇いの無い存在だと、彼は理解してしまう。 トウカは殺気を放ちながら切っ先を向けてくる男の様子に、やはり自分は人とは相いれない存在になってしまったのだと心を抉られてしまう。 そして、恐怖が体を支配する。明確に見える命の危機に、トウカは奥歯をがたがた鳴らし、逃げる事が出来なくなってしまっている。「はっ、ゴーストのくせに怯えてやがんのか?」 恐怖で縛られているトウカを睨んでいた男は醜悪そうに口元を歪めて鼻で笑う。「おら、落ちろ!」 男は足元に落ちている石を拾い上げると、加減もせずにトウカへと投げ付ける。「がっ!」 首、それも喉仏の部分に石が当たってしまい、重力に従って真下に落下してしまう。喉に一撃を受けてしまったのでトウカは一瞬息が出来なくなり、急いで息を吸い込もうとすると激痛が走り、喘ぐ。「なんだぁ? バッグなんか背負ってやがるな」 地面に落ちたトウカの背中に視線を向けた男はバッグを無理矢理引き剥し、中身を確認する。「おっ、食い物じゃねぇか。ラッキー、ここんところ真面なの食ってなかったからな」 食料がある事を確認すると、にやにやと笑いながらそれを左手で持つと、右手に持っている剣をトウカに向けて振り下ろす。 狙いは付けておらず、適当に振るわれた剣はそのままトウカの右腕を切り落とす。「ありがとよ、食い物を寄越してなぁ!」「――――――――――っ!」 右腕が切り離された痛みで叫び声を上げたかったが、未だに痛めている喉がそれを許さず、声にならない空気の噴出が口から出るだけだった。そして、切り離された右腕は数秒でくっつくが、痛みは相も変わらずに神経を伝って脳を刺激していく。「これでてめぇが泣き叫んで人の安眠の邪魔した分は勘弁してやるよ」 だから、と男は剣を振り被る。「死ねや」 今度はきちんと狙いをつけ、振り下ろしていく。狙いはトウカの首。確実に息の根を止める為に容赦の欠片も無く男は力を込める。「っ」 トウカの首は白い刃によって切り裂かれた。そこから血は出る事は無かったが、空気が漏れ出し、トウカの眼は焦点を失い始める。しかし、幸か不幸かトウカは死んでいない。 ゴーストと言えども首を切り離されれば即死だが、トウカは脊椎が損傷せずに気道の部分が切り裂かれただけであり、その傷も瞬時にくっついていく。それでも痛みは消えず、未だに喉が切り裂かれたままだと錯覚し呼吸が出来ないでいる。「あ~あ、ゴーストって斬撃効いてんのか分かんねぇな」 瞬時に回復する傷を見て、男はげんなりしながら、それでも剣を振るう。 トウカの左手首を、右肩を、腰を、腹を、切り裂いていく。その度にトウカは痛みにさいなまされ、それと恐怖によって逃げる事も避ける事も出来なかった。「……まぁ、こんぐらいでいいか」 最後に胸に剣を突き立てた男は剣を鞘に仕舞い込み、トウカから奪ったバッグから白パンを取り出してかぶりつく。男の視線はもう身じろぎもしない仰向けになって倒れているゴーストへと注がれている。「こんぐらいやれば流石に死んだだろ。ったく、ゴーストって倒してもあんまいい稼ぎにならないからなぁ。精霊がやってる店で売っても二束三文だし」 爪先でトウカの脇腹を蹴り、仰向けの状態から俯せに変える。「はぁ、眠気覚めちまったし、また捜し始めるか…………ん?」 白パンを食べ終え、溜息を吐いた男はトウカの背中があった場所に落ちているものへと視線を向ける。「何だ? 鉛筆に、方位磁石か?」 左手に持っていたバッグを肩に掛け、半分に折れた鉛筆と拉げてしまった方位磁石を手に取り、それをまじましと眺める。鉛筆を後方へと放り投げて、更に落ちているものへと手を伸ばす。「……何でフライパンなんてあるんだよ?」 トウカの唯一の武器であるフライパンを掲げて、それとなく全体を見るが、興味が無いようでトウカの近くに放り投げる。フライパンは甲高い音を立てて地面をはね、トウカの脇腹に柄を上にして立てかかる。 フライパンが体に当たった衝撃で、トウカはほんの僅かにだが、指の先を動かす。彼はまだ生きている。普通のゴーストであっても死んでいて当たり前の斬撃の雨を受けていても意識を保っている。 だが、それでもトウカには死んでしまいたいと思ってしまう程の激痛が体中を走っている。それに抗う事も出来ずに朦朧とした意識の下ただただ地面に伏して耐える事しか許されていない。 未だにトウカに息があるとは知らずに男は地面に落ちている最後のものを拾い上げる。「それと……これは地図か?」 山の概要が書かれている地図の表面を見ていた男は何気なく裏面も確認する。「ったく、地図っつっても山の――――は? これ、まさかダンジョンの地図か?」 食い入るようにトウカがマッピングしたダンジョンの地図を見る男は目を輝かせ口は笑みで歪む。「ははっ! このゴースト、もしかして地図でも作ってやがったのか⁉ しかも御丁寧に罠の位置まで描いてやがる!」 地面に放り投げた鉛筆へと一瞬だけ視線を向け、そしてまた地図を見る。「こいつはいい。ここに飛ばされて出口は直ぐに見付けたが、奥へ進むとなると方位磁石も地図も無い状態じゃあ、迷う事になるからな」 くつくつと笑う男は死んだと思っているトウカを捨て置いてダンジョンの奥へと向かう。「これさえあれば、俺と一緒に飛ばされた人魚を早く見付ける事が出来るってもんだ」 男の口から、人魚と言う言葉が漏れ出す。そう、この男はセイルを襲った人間である。「人魚を切り付けた時に、まさかあの岩場に転移陣が仕込まれてたとは思わなかったな。御蔭でこんな山奥のダンジョンにまで飛ばされる羽目になるとは」 転移陣とは、本来ならばダンジョン内にある罠の一つであり、陣の描かれた地面を踏んでしまうと半径二メートルに存在するものをダンジョン内の別の場所へと転移させる効果がある。 ダンジョン外にも転移陣は存在するが、それはダンジョン内の物よりも規模が桁違いであり、効果は半径二メートルに存在する生物を指定されたダンジョンへと転移させると言うものだ。「まぁ、いい。さっさと人魚見付けて、依頼してきた貴族様に売って大金を得ちまおう」 男が人魚――セイルを襲った理由はそこにある。 金の為。ただそれだけだ。 ダンジョンの宝を換金する日々を送っていた男はとある貴族に依頼されて状態は問わずに人魚を生きたまま捕縛してきて欲しいと頼まれた。男は面倒この上なかったので最初乗り気ではなかったが、依頼金の桁の多さに即座に心変わりして頷いた。 貴族が人魚を欲した理由は、観賞用。人間ではない、人間に似ているモンスターを集めて観賞するのがその貴族の趣味であった。しかし、ただ観賞するのではなく、加虐し、痛みに苦しむ様を見て愉悦に浸る為だ。 自分が優位な存在であると言う事を充分に誇示したかったからこそ、自分がモンスターなんぞよりも至高の存在である事を認識したいからこそ、その貴族は人間に似ているモンスターを集めて加虐する。 腐った性根をしているとは、男も思った。しかし、加虐対象はあくまでモンスターだ。別に人間ではないので、問題とはならないし、男も人間相手にしているのでなければそれを調達した自分に非が及ぶ事も無いと思った。それに依頼金の額がとても魅力的であったので、断る理由はなく、頷いたのだ。「あの人魚、顔は結構よかったからな、それが貴族様の趣味で歪んじまうのは勿体ねぇって思うが、所詮はモンスターだから、同情なんて湧いてこねぇな」 醜悪な笑みを浮かべながら、ダンジョンの道が四分の三描かれた地図と、拉げてしまっているが、充分に機能を果たせる方位磁石を手にして一歩、また一歩と人魚を捉える為にダンジョンを進んで行く。 と、その時である。「がぎっ⁉」 男の右側頭部に、強い衝撃が走った。何かがぶつかったようであり、男は突然の事で踏ん張る事も出来ずに地面に倒れる。男の右耳の孔からは血が流れている。鼓膜を破ったようだ。「何だ何だぁ⁉」 口の中を切ったらしく、血を口の端から流しながら、怒りに目を剥きながら衝撃のあった方へと首を向ける。 そこには、フライパンを両手で握り締めているトウカの姿があった。「なっ⁉ こいつまだ生きてやがったのか⁉」 驚く男に向けて、トウカは力一杯フライパンを振り下ろしていく。男はそれを転がって回避し、耳にダメージを受けてふらふらとしながらも立ち上がり、腰に佩いた剣をすらりと抜き放つと、トウカ目掛けて切り掛かっていく。「しっ!」 今度こそ確実に息の根を止める為にゴーストの首を起点に上下二つに分断する為に風を唸らせながら薙ぐ。 しかし、刃はトウカの首へと届く事はなく、咄嗟に構えられたフライパンの底に当たって歩みを止められた。「はぁ⁉ 何でフライパン如きで止まんだよ⁉ これはダンジョンの宝箱で見付けた上級の剣だぞ!」 上級。それは下から数えて四番目に位置するランクであるが、それ程の位置に存在する剣ならば、人が打った剣よりも切れ味が鋭く、薄い金属くらいならば刃がこぼれる事も無く切る事が出来る。 なので、男はどうしてゴーストの持つフライパンが切れないのかが分からなかった。しかし、トウカのフライパンが切れないのは当然の結果だ。トウカのフライパンは、男の持つ剣よりもランクが上の宝なのだから。 男は何度も何度も剣を切り付けていくが、トウカはそれを一太刀も浴びずにフライパンで受けきっていく。 トウカが男の剣裁きを受け切れている理由は、ホーンラビットやフリットサーディンを食した事による敏捷性、反射神経の上昇が影響している。もし、この三日間でモンスターを食していなければ、フライパンで受け切る事が出来ずに首を狩られていた事だろう。 だが、例えモンスターを食していなくとも、トウカは男にフライパンを振り下ろしていた事は確実だ。 なにせ、この男がいれば、セイルの身に危険が及んでしまうのだから。 人魚。男の発したその単語は一瞬にしてトウカの体中に張り巡らされている痛覚を麻痺させた。そして、男の独白を訊いていくうちに朦朧としていたトウカの意識が徐々に色を取り戻していく。 そして、一つの結論を出した。 この男を、ダンジョンから追い出さないといけない、と。 痛覚が麻痺しているが、それによって触覚にも支障がきたしているのでフライパンを握る力、振り下ろす力があまり発揮出来ていない。しかし、防御に関しては感覚が無くとも全力の力で行っているので耐える事が出来ている。 全てはセイルの為に。 セイルが男に捕まらない為に。 セイルが貴族とやらに加虐されない為に。 セイルを無事に海に帰す為に。 恐怖を失くし、感情が一時的に欠落したトウカは、男をダンジョンから追い出そうとする。 どんな手段を用いてでも。 相手が人間でも関係なかった。今まで人間相手に拳を振り上げた事は無かったが、躊躇いは生じなかった。ただただ、不運に巻き込まれた人魚を助ける為にフライパンを振るう。「ちっ!」 男はトウカが振るったフライパンを剣で受け流し、また切り付けていくが、素早く手元に戻したフライパンでトウカはそれを受けきる。 トウカと男の攻防は二十撃以上も続き、終わりは突然訪れる。「はっ!」 男が上段に構えた剣を渾身の力で振り下ろし、それをトウカがフライパンで受け止めた時である。 ぱきん、と音を立てて、男の剣が半ばから折れたのだ。「なっ……」 男は信じられないと言った感じで上級ランクであった剣の成れの果てを見てしまう。 それが隙となり、トウカは見逃さずにフライパンを脳天目掛けて振り下ろす。「ごっ⁉」 男は脳天に衝撃を受けて視界が眩み、地面に倒れる。「ぐ……ぐぎぎ……」 倒れ、武器を失った男は無様に地面を這って進んで行く。それはダンジョンの奥ではなく、出口のある方へと、だ。 武器が無いのであれば、フライパンを持つゴーストには勝てないと悟り、体勢を立て直す為に安全なダンジョンの外へと向かおうとする。 トウカは這いずる男の背中に視線を落とし、出口へと追い立てようとフライパンを振り被り、叩き付けようとする。 男はそれを察知し、背後を振り向いてしまう。「ひっ!」 体をこわばらせた男の眼には恐怖が浮かんでいるが、トウカは容赦せずにフライパンを背中目掛けて振り下ろそうとする。 しかし、フライパンは男の背中に振り下ろされる事無く、トウカの手から離れてその傍らの地面に落ちていく。 トウカはもう限界であった。傷はもうないが、切り付けられた際のダメージが体に蓄積しており、先程までの攻防は正に死力を尽くした状態であったのだ。残されていた体力が、ほぼ尽きてしまい、浮遊していた彼の体は男の上へと落ちていく。 そして、意識は再び朦朧となり、ぶつんと途切れてしまう。

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