ゴースト、ダンジョンで生活する。

島地 雷夢

ゴースト、出口を見付ける。

「さて、と」 トウカは地図と方位磁石を持ち、隠し部屋のある空間から西へと進んでマッピングを開始する。 昨日まで探索していた東側ではなく西側をマッピングしている理由はそちらに出口があるかもしれないからだ。 シーフェ曰く、方向の上がった方角に出口が存在するとの事。昨日に鼓膜が振るえただけで、トウカ自身には聞き取る事の出来なかったネコグマの叫び声。その小ささ故に音源がほぼ正反対に位置している事と予測を立てて行進している。 マッピングをしながらだが、荷車を引いていない事、そしてホーンラビットとフリットサーディンを食した事により上昇した素早さにより、また罠の有無を確かめずに進んでいるので東側の探索時よりも速く移動の移動で探索出来ている。 西側に出口があると予想しているが、確実にあるとは言い切れない。もしかしたら南側の方かもしれないが、トウカは可能性の高い西側を調べる事にした。 出口の場所も、シーフェに訊けば直ぐに分かったのだろうが、トウカはそれをしなかった。理由は変に訊いてしまうと出口へと行こうとしているのではないかと勘繰られ、最悪数日の外出禁止を強制されるかもしれなかったからだ。 トウカは一刻も早くセイルを住んでいた海へと帰そうとしている。なので、数日とは言え、外へと行けなくなるとその分セイルが帰れずにいる時間が伸びてしまう。それが嫌だったのだ。 夜中に探索をしているのも、二人が寝ている為に自分の外出には気が付かないだろう事が予想されたからだ。寝ていれば、シーフェはトウカを止める事はないし、セイルがついて行こうとする事も無い。 ネコグマの咆哮が聞こえたとされている方角へと進んでいるので、危険な目に遭うのは自分一人だけで充分だと思ってもいる。そして、出来うる事なら隠し部屋から出口への最短ルートとを見付け、このダンジョンで一番危険な存在を西側から反対方向へと誘導しようとも画策している。 トウカは生前ネコグマに遭遇した事はないが、毎年老若男女問わずに犠牲者を出していたので危険度は理解している。なので、そのネコグマを倒した存在と相対しても勝てる筈がない事も分かっている。 なので、空中に浮いて移動出来るゴーストの特性を利用して天井付近を移動し、なるべく攻撃が当たらないように細心の注意を払いながら東側へと誘う。戦うのではなくあくまで誘導がメインとなる。 東側に入ってしまえば、あとは曲がりくねった道を全速力で飛び、上手い具合に巻いてしまえばいいとも考えている。そうすれば、少なくとも一日くらいはそこで自分の事を捜すのではないか? と甘い考えながらもトウカは計画している。 相手がどのような存在か、そしてどのような習性を持っているのかも分からないので確実性に欠けすぎている計画であるが、それでもトウカはやろうとしている。 もっとも、会わないで出口を見付けてしまう可能性、出口もその存在も見付からない可能性もあるので全面的にトウカが危険に晒されるような事になる訳ではないが、それでもトウカは決心しながら進む。 全てはセイルの為に。自分が帰れない分、彼女には一日でも早く帰って欲しいと願う、少年の我儘。 身勝手だと言われても構わない。 他人に肩入れし過ぎと言われようとも関係ない。 トウカは望んでここに来たのではない人魚の為に出口を捜す。 西側は北や東に比べるとそれ程曲がりくねった道はなく、その分分かれ道が多く、それに比例して行き止まりの道も多く存在していた。また、ぐるっと回って一周し、元に戻るような道もあった。 探索時には夜中であったので、ホーンラビットを見掛けても隅で眠っていたりして襲われる事も無く、翼を羽ばたかせて飛んでいるシェードバットと遭遇しても向こうから逃げていくので、モンスターとの戦闘は全く無かった。 時折首に提げた懐中時計で時間を確認しながらの探索となっており、帰る時間も考えなければならず、逸る気持ちを抑えながらも、きちんと道を地図に記していく。 時刻が三時半を過ぎた頃だ。これ以上探索を続けるとセイルとシーフェが起き出す前に隠し部屋へと帰れなくなると判断し、このまま真っ直ぐ進んで分かれ道か行き止まりに行き当たったら戻ろうと決めた。 決めた瞬間に、トウカの脳裏には、ある記憶が甦ってくる。「え?」 少々困惑しているが、進行方向とは逆の方へと視線を向け、来た方向を見る。そして、天井付近にいた体を地面近くまで高度を下げる。「……この道、知ってる」 辺りの壁、天井の岩の形を見て、トウカは呟く。「僕が、この洞窟――ダンジョンに入って進んでた道だ」 ここへと入った時にクラダケは無いか? と壁や天井を注視しながら進んでいたので、彼が死ぬ寸前まで進んでいた道の形状を脳の中でバラバラになっていた記憶を復刻させ、目の前の道と照らし合わせた。 トウカの思い出した記憶はあくまでダンジョンの道だけであり、未だに彼が死んでしまた事を伝える記憶は掘り起こされていない。 それでも記憶違いと言う事はなく、間違いなくここは出口間際の道である事を思い出したトウカは、そのまま地面付近を飛んで真っ直ぐと道を進んで行き、右へと曲がる角をそのまま速さを緩めずに曲がり切る。 そして、曲がり角を曲がり切った彼の体は突如として動きを止める。「……あ」 トウカはそのまま視線をやや上へと向ける。 三日ぶりである、何処までも遠く広がる空が垣間見えた。 未だに白む気配を見せない夜空には雲はあまりなく、燦々と星々が輝いていた。 その空を囲うように高くそびえる木々が地表から生えており、風に葉が揺れてかさかさと音を立てる。 地面にはごつごつと岩が転がっていて、背丈の低い草に蔓性の植物が地面を這っている。 ここは、トウカの住んでいた農村の近くにある山だ。「…………あ」 トウカはそのまま地面に腰をおろし、空を仰ぐ。 彼の眼には涙が滲んでいた。 一瞬。ほんの一瞬だけ、トウカの頭の中からセイルの事が抜け落ちた。 その代わりに芽生えてきたのは、郷愁。 ここを抜けて、山を下りれば村へと帰れる。家族の下へと帰れる。 たった三日。されども三日。 それだけの時間だが、一度は割り切った、割り切れずに封じ込め、別の原動力と変えてきた家族に会いたいと言う強い想いが甦り、彼の心を揺さぶり、涙腺を刺激した。 けど、帰れない。帰る事が出来ない。 それはトウカが人間ではなくゴーストとなってしまっているから。人間でなくなった自分を村の人が、家族が受け入れてくれる筈がないと。帰ってきて喜ぶのではなく、モンスターが来たと恐怖してしまうと。 人間はモンスターに対してあまりいい感情を抱いていない。ダンシャクグモなど、害ではなく益をもたらすモンスターはその限りではないのだが、基本的に害獣のような扱いをしている。 それはホーンラビットのような獣型のモンスターだけでなく、人に近いモンスターも例外ではない。 人間ではないと言うだけで、畏怖し、侮蔑し、忌み嫌う。 例え、彼が自分はトウカだと言いながら村に入ったとしても、村人は、そして彼の家族は信じる事はせず、逆に人の名を語った愚か者として余計に容赦のない迫害をするだろう。 いや、そのような事が万が一にも起こらなくとも、トウカは村へと辿り着く事は出来ない。 それはダンジョンが存在するようになってから現在まで、破られる事も無く続いているある種残酷で、救いのない事象が原因だ。
 その事象とは、ダンジョンモンスターのどの個体にも例外なく当て嵌まる特性。 ダンジョンモンスターは、生まれ落ちたダンジョンの外へと出る事が出来ない。
 それは本能がどうとか、意思の問題とかではない。いくら外へと向かおうとしても外との境目でダンジョンモンスターは動きを止めてしまう。まるでその場に縫い付けられてしまったかのように。 トウカが出口で突然止まったのは彼の意思によるものではなく、外部から何かが働いたかのように、勝手に急停止して外に出ないようにと止められたのだ。 自分がゴーストになっている事は理解しているが、ダンジョンモンスターに生まれ変わっている事、ダンジョンモンスターの特性を理解していないトウカだが、それでも出口へと向かおうとする体が急に動きを止める事を把握してしまった。 改めて、トウカは自分が帰れない事を自覚し、地図と鉛筆を持っている右手、方位磁石を持っている左手の力をそれぞれ持っているものを壊しそうな程に強め、ふっと緩めて手にしたものを地面に落とす。「……うっ」 涙を目尻に溜め、それが決壊してとめどなく頬を伝う。「うぅっ」 頬い熱い液体が伝うのを感じながらも、歯をきつく食い縛り、堪えようとする。「うわぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ‼」 でも、堪える事は出来なかった。 割り切る事が出来なかった。 完全に封じ込める事も出来なかった。 ここには、決して不安にさせないようにと気を遣う相手であるセイルがいない。なので、彼は気丈に振舞う事も、心配させないように配慮する必要が無くなっていたので、堪える事が出来なかった。 口を大きく開き、目を固く閉じ、喉が壊れる程に振るわせて、彼は泣き叫ぶ。 手を伸ばし、ダンジョンの外へと広がる土、草、空気に触れようとするが、その手は触れる事無く、ダンジョンと外との境目で止まり、力無く引き戻される。 つぶっていた目を開き、涙で霞む視界で外の景色を見て、余計に辛い思いが湧き上がって来てしまう。 完全にダンジョンと言う未知の存在に縫いとめられてしまった。外へと出る事が完全に出来なくなったトウカは、それを嘆く。 今、胸の内に秘めている淡く切なく、そして重く焦がれる感情を全て吐き出すかのように、トウカは赤子のように泣き続ける。 外へと響いた彼の泣き声は、生い茂る葉に吸収され、空気に溶けて消えていく。 内へと響いた彼の鳴き声は、壁や天井に反響し、ダンジョン内へと響いていく。 トウカは、空が白み、星々が姿を消すまで泣き続けた。 赤く腫らした眼を擦り、涙を拭い去り、未だに嗚咽が漏れる口に失った水分を補給する為にバッグから取り出した水筒の水を半ば無理矢理流し込んでいく。「…………」 水筒の水を全て飲み干し、バッグに入れてそれを背負い、落としてしまった地図と方位磁石、鉛筆を拾い上げてセイルとシーフェが寝ている隠し部屋まで戻ろうと踵を返す。 が、最後にと後ろを振り返り、外の風景を目に焼き付けてからダンジョンの中へと進んで行く。 泣いた事によって、ある程度気持ちが落ち着いた。なので、落ち着いている間に帰らなければいけない。一人のままだと何時振り返るか分からない。早くセイルとシーフェがいる場所へと戻り、心を奮い立たせなければ、と。 そして、トウカはこの再三と確認させられた想いを、セイルには味あわせたくないと改めて思う。 家族に会えない。慣れ親しんだ人と会えない。それがここまで悲しいとは、トウカは思えなかった。池の中で目覚める直前に見た夢から覚めた時以上に、ダンジョンと外の境目で立ち止まると余計に心が震えてしまったのだ。 なので、トウカはセイルを一日でも早く帰したいとより強く思うようになる。 しかし、それは自分では出来ない事も悟る。 彼はここから出て行けない事を理解してしまっている。故に、セイルを連れて外へと出て行く事が出来ない。 責任を持って、最後までセイルを送り届ける事は出来なくても、ダンジョンの出口までなら連れて行く事が出来る。 そこから先は、セイル一人に行かせようとは思ってもいない。セイルは陸上では動く事がままならないので、ダンジョンを出てからも、陸が続いてしまうので帰るのにどれくらいかかるか分からない。 いや、最悪道半ばで力尽きてしまう可能性がある。 そうならない為にも、トウカはシーフェに道中の付き添いを頼む事に決めた。シーフェには露店があるので、かなりの我儘となってしまうのだが、それでも彼女以外に頼れる者がいないので、必死になって頼み込む所存でいる。 たったの数時間で、トウカの心は乱れた。 泣き止んで幾分か落ち着いたとしても情緒不安定。そんな状態で角を曲がろうとしたからだろうか、トウカは気付く事が出来なかった。
 横から降り下ろされた、白刃の存在に。
 彼にとって幸いだったのは、白刃は左腕の薄皮一枚だけを切っただけだろう。「いって……」 トウカは痛みが走った腕を見て、直ぐに治る前にそれが切り傷である事を見て取ると、即座にそちらの方に視線を向ける。 そこには、「ちっ、浅かったか」 雪のように白い両刃の剣を構えている人間がトウカを睨んでいた。

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