ゴースト、ダンジョンで生活する。

島地 雷夢

ゴースト、人魚に助けられる。

「ん?」 昼食を食べ終え、探索を再開させたトウカは変に鼓膜が揺さぶられるのを感じ取った。「トウカ様、今」 軽く目を細めたセイルはトウカに確認を取り、三叉に手を伸ばす。どうやら彼女の鼓膜も響いていたようだ。「うん、何でしょうね?」 トウカは荷車を引く手を休めて、腕を組んで思案顔を作る。どうしてこのような現象が起きたのか見当がつかないが、少なくとも気分を害すような効果は無さそうであったので、頭を振って変な感覚の残る鼓膜を正常に戻す。「……叫び声、でしょうか?」 セイルは渋面を作りながらそうぽつりと口にする。「叫び声? そんなの聞こえませんでしかけど」 トウカは耳を澄ますが、叫び声なぞ耳に入って来なかった。「私には、微かに音が聞き取れたのですが」 右耳に手を当てて、収集する音の量を増やしてみるが、もうセイルの訊いたと言う叫び声は鼓膜を震わせなかった。 人魚は水の中で生活しているが故に、海の生き物が発する超音波、海流の動きに機敏に反応出来るように振動を感知する能力に長けている。故に、先程セイルが訊いたと言う叫び声は決して聞き間違いではなく、このダンジョンの何処かで叫ばれたものだ。 が、人魚の感覚をもってしても僅かにしか聞こえなかったところをみると、音源はかなりの距離先に行った場所であろう事が推測される。「どうします? 一応今日はもうやめにしておきますか?」 トウカはセイルが聞こえたという情報を疑う事も無く、危険が迫り来るならば一刻も早く隠し部屋へと戻り、休んでしまった方が身の安全を確保出来ると踏んでいる。なのでトウカはそう提案する。「そう、ですね。あまり奥へと行けませんでしたが、今日はもうやめておいた方がいいと思います」 セイルはトウカの提案に乗る。音は遥か遠くから聞こえてきたのでここならば比較的安全と言えるかもしれないが、それでも絶対とは言い切れない。それに、その声の主が真っ直ぐとこちらに向かってきていると言う可能性も少なからず孕んでしまっている。「じゃあ、今日はもう戻ると言う方向で」「はい」 二人は頷き合い、荷車の向きを反転させ、地図を頼りに来た道を戻っていく。 今回の探索では北側とほぼ同等の面積を地図に記す事が出来たのだが、それでも東側は完全に道を記している訳ではない。思ったよりもこの洞窟――ダンジョンは深く入り乱れているのだとトウカは痛感した。 帰り道にも辺りに気を配りながら進んで行く。この階層に唯一存在する罠であるトラバサミであるが、トウカが飛んでいる事、セイルが金属の荷車に乗っている事から脅威がほぼゼロになっているので注意せずに進んでいる。 が、念の為にとトウカはセイルに荷車の車輪に反応して作動したトラバサミの位置を地図に記すように頼んではいる。「トウカ様」 地図と方位磁石を持って道を確認していたセイルは、荷車を引くトウカの肩に手を持っていって軽く揺さぶる。「どうしました?」「前方から何かが来ます」 歩みを止めたトウカの問いにセイルは前方を指差しながら答える。遠くから発せられた叫び声から感覚を研ぎ澄まさせていたセイルは、進行方向から何かがこちらへと向かってくる音を捉えていた。 セイルはトウカにフライパンを渡し、三叉を持つ。本当ならば三叉の方をトウカに持って貰いたいのだが、彼自身は「三叉はセイルさんが持ってて下さい」の一点張りで、共に行動するようになってからも三叉を使おうとはしなかった。 なので、セイルは不本意ながらも三叉を所持するようにしているが、トウカのみに危険が迫るのならば、三叉を無理にでも彼に押し付ける所存である。「あ」 フライパンを受け取り、前方へと視線を向けたトウカは、そこで漸く何かが這ってくるような音が聞こえてきたのを自覚する。トウカとセイルは手にした武器をそっと構えて目の前から来る何かに備える。 五秒もすると、小さな影が確認出来た。トウカはそれを目を細めて注視すると、複数匹存在している事が確認する事が出来た。「えっと……」 トウカは遠く見える影の形に、昔見た事があると既視感を覚え、記憶を探っていく。「…………あっ、あれって」 張り巡らされた記憶の糸の中で該当するものを探し当てたトウカは声を上げる。「トウカ様!」 セイルの切羽詰まった声と同時に、前方から白く細長いものが飛んでくる。「うわっ!」 トウカはそれを避ける事が出来ず、直撃してしまう。いや、避けようとしなかったのだ。避けてしまえば、そのまま後方にいるセイルに糸が直撃してしまい、位置的に顔面へと巻かれて窒息してしまっていただろうから仕方がない。しかし、その糸は別段と殺傷能力を備えていなかったそれはトウカを傷付ける事は無かった。 代わりに、彼の体に纏わり付き、フライパンごと腕が固定されてしまいフライパンが触れない状態となってしまった。 目の前から跳んで来た白い物体は糸だ。それも、ただの糸ではなく粘着性とある程度の強度を兼ね備えているものだ。粘着性は僅かに五秒で失われてしまうが、トウカはその五秒の間に糸を受けてしまったので、外そうにもピタッと体に張り付いてしまい、自力では解けなくなってしまっている。「やっちゃったなぁ」 トウカは両腕を固定された状態で溜息を吐く。腕は振れないが、移動自体は浮遊なので完全に身動きが取れなくなっている訳ではないのが救いだった。その現実が彼をあまり慌てさせないでいる。「思い出した時に、糸を飛ばされる事も考慮しておけばよかったなぁ」 苦虫を潰したような顔でトウカは近付いてくる何かに視線を向ける。ここまで近付くと数も正確に分かり、三匹が隊列を組むようにして地面を這って進んでいる。 その三匹の名前はティアーキャタピラー。全長六十センチもある巨大な芋虫型のモンスターである。 体色は濃い緑に薄黄色の斑点が体中にあり、頭でっかちで排泄器官がある方へと向かうにつれてすぼまっていく独特なフォルムをしている。 ティアーキャタピラーの特徴として、まるで眼から涙を流しているかのような顔をしている事が挙げられる。愛嬌のある顔に埋まったくりっとした目が潤み、その端から涙を流している様が、人間にとっては変に保護欲をそそられてしまう風貌となっている。 しかし、ティアーキャタピラーは実際には泣いてなどいない。潤んだ眼は目に酷似した体内で生成した粘着糸を噴出する為の器官であり、涙のようなものは飛ばし切れなかった糸が付着しているにすぎないのだ。 ティアーキャタピラーの本物の眼は一見すると涙目に見える器官の上にある小さな黒い点がそれである。そこで獲物を見付けると粘着糸を飛ばして身動きを封じ、ゆっくりと近付いて捕食を開始するのだ。 この芋虫のモンスターは肉食性であるが、普通の肉は食べない。その代わりに眼球や脳髄、脊髄と言った部位を好んで食する。食事の方法は上下に開く顎の中から針のように尖った管を伸ばし、それを突き刺して中身をすするのだ。 このような食事方法から、いくら愛嬌のある顔をしていたとしても決して近付きたくないモンスターで女性限定では上位に位置している。「セイルさん、このもぶっ⁉」 トウカがセイルにティアーキャタピラーの習性を伝えようと口を開いた瞬間にまたもや糸は飛び出してきて今度は口を塞ぎに掛かってくる。幸いに鼻まで塞がれなかったので呼吸が出来なくなる状態にはならずに済んだ。「ん~~! ん~~!」 口が塞がれた事により、パニックに陥ってしまったトウカはそのまま渦を巻くように地面へと墜落してしまう。「んんっ⁉」 そして、最悪な事に落ちた場所にトラバサミが配置しており、足にがっちりと噛み付いて来てしまった。 つまり、完全に身動きが封じられてしまったのだ。「ん~~っ!」 トラバサミに噛み付かれた箇所の痛みに涙しながらも、首をティアーキャタピラーのいる方へと向ける。 先頭を行っていたティアーキャタピラーが体を曲げてやや上方を向く。それは体に力を溜めている姿勢であり、体をばねにしてトウカに向かって跳びかかっていく。顎を上下に開いて、尖った管を突き出しながら。「ん~~~~~~~~~っ⁉」 トウカは目を見開き、涙を流しながら迫りくるティアーキャタピラーを為す術なく眺めているしかなかった。 絶体絶命のピンチとは、まさにこの事を言うのだろう。 しかし、それはトウカが一人であったならば、だ。「トウカ様っ!」 トウカの頭めがけて管を突き刺そうとしていたティアーキャタピラーの胴体に三つに分かれた穂先が突き刺さる。芋虫の管は寸での所で止まっており、あと一秒でも遅ければトウカの頭を貫通していただろう。それを思うと、トウカの額に冷や汗が流れ落ちる。 セイルは間一髪間に合った三叉の一撃にほっと息を吐き、未だにうごめいているティアーキャタピラーを一瞥すると三叉を振るい、天井目掛けて投げ飛ばす。体液を飛ばしながら芋虫は天井に激突し、ぐしゃっとからだをやや平たくさせて絶命する。「…………」 セイルは荷車から飛び降りてティアーキャタピラーとトウカの間へと躍り出る。「んん!」「トウカ様、直ぐに終わらせますので、暫しお待ちください」 トラバサミに引っ掛かり、糸でがんじがらめになったトウカにセイルは優しく、それでいて凛々しい表情と声音でそう告げると、芋虫へと顔を向ける。 その際に表情を完全になくし、冷めた視線で残り二匹のティアーキャタピラーを射抜く。二匹はからだをびくっと震わせ、セイルに恐怖を感じるが、それでも逃げる事はせずに彼女に向けて二匹同時に糸を発射する。 三叉を振るい、糸を柄に集中させて自身の体への着弾を阻止すると、セイルはその勢いのまま横に薙ぎ、手前側にいたティアーキャタピラーを穂先で打ち付けて壁へと吹き飛ばす。 吹き飛ばされた一匹は最初にやられた一匹と同じようにやや平らにひしゃげ、体液を撒き散らす。 最後に残ってしまった一匹は、なりふり構っていられないと言う感じで無謀にもただただ跳び掛かっていく。 セイルは真正面に三叉を突き出し、ティアーキャタピラーの愛嬌のある顔へと向ける。空中で止まる事の出来ない芋虫の顔面に吸い込まれるように三叉の穂先は突き刺され、脳を損傷したティアーキャタピラーは数度痙攣して絶命する。 三叉を大きく振るって、付着した体液を完全に振り払うと、背後でトラバサミに引っ掛かっているトウカの方へと振り返り、這うようにして近くへと向かう。「お待たせしましたトウカ様。現在得物はこれしかありませんのでご容赦下さい」 セイルは一言断りを入れると、三叉の先で糸を傷付けていく。初めに口の部分を、そして腕についている糸に切り傷を付けて緩んだ所を引き剥していく。 最後にトラバサミを外そうと手を伸ばすが、それはトウカ自身によって拒否され、彼は涙目になりながらもトラバサミの歯を手に食い込ませながら自力で脱出を果たした。「ありがとうございました。セイルさん」 トウカは危うく脳髄を吸われかけた所をセイルに助けられたので、土下座で感謝の言葉をのたまう。「お、御顔を上げて下さいトウカ様っ!」 あまりの下手っぷりに、セイルは慌ててトウカに顔を上げるように告げる。「いや、命を助けて貰ったので、これぐらいは」 しかし、トウカは土下座をやめる事はなく、そのまま続行する。「お願いですからおやめ下さい!」 セイルは無理矢理トウカの上体を上げて土下座を中止させる。「私は、トウカ様に迷惑を掛けてしまったので、その分動いたにすぎません」 顔をやや伏せながら、セイルは三叉を握る手の力を強める。「私がいなければ、トウカ様は糸を受ける事は無かったと思います」 彼女はどうやら、トウカが最初に放たれた糸をわざと避けなかった事に気付いていたようだ。その事に対して、セイルは責任を感じてしまっている。もし、自分がいなければ、トウカが死ぬかもしれないと言う状況に陥らせる事は無かっただろう、と。「いえ、僕一人でも結局はティアーキャタピラー――さっきの芋虫を三匹も相手にしていれば絶対に糸は当たっていましたよ。そして、為す術もなくやられていたと思います」 トウカは首を横に振り、セイルの言葉を否定する。「なので、セイルさんが三匹を直ぐに倒してくれて、本当に助かりました。ありがとうございます」 今度は頭を下げるまで抑えたが、感謝の念は言葉だけではなく、トウカの全身から伝わってくる。「…………私は」 トウカの感謝に、セイルは顔を上げて、真っ直ぐと彼を見る。「トウカ様の、役に立てたのですか?」 不安そうに尋ねるセイルに、それを払拭するべくトウカは微笑みかけながらはっきりと口にする。「はい。役に立てたなんてものじゃないです。あなたは、僕の命の恩人ですよ」「……そう、ですか」 セイルは目を伏せ、トウカの言葉を胸の中で復唱する。「じゃあ、セイルさん。早い所戻ってゆっくり休みましょう」 トウカは瞼を閉じているセイルを抱き抱え、ゆっくりと荷台に乗せるとフライパンも乗せて荷車を引いて来た道を戻っていく。「はい」 漸く自分を助けてくれたトウカの役に立てた事に、セイルは嬉しく思い、目の端に僅かだが涙を溜める。

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