ゴースト、ダンジョンで生活する。

島地 雷夢

ゴースト、調理して叱って食事をする。

 コンロに火が点き、フライパンの底を温める。次第に熱がフライパンの底前面に行き渡り、温度を上げていく。 じゅうじゅうと音を立てながらホーンラビットの肉を焼いていく。焼ける音が鳴り始めるとそこから食欲をそそる臭いが鼻孔をくすぐってくる。 クラダケも最初から同時に炒めている。クラダケは中に火が通るまでに結構な時間がかかるので、肉類との調理の場合は一緒に入れ、肉に火が通ったのとほぼ同時に調理が終了する。「あ、油引いてないや」 と、焼き始めてから気付いてしまったトウカ。フライパンに油を引いていないと肉が焦げ付いてしまい、剥がれなくなってしまう。 ホーンラビットの肉にはあまり脂身が無く、主に筋肉部分が多いので、そこから脂が滲み出る事はあまり期待出来ない。クラダケも最初から油を含んでいないので滲み出きる事はない。 油を手に入れる努力を最初からしていなかったのでこの状況は仕方がないと言えば仕方がないのだが、トウカはやってしまったと額に手を当てる。「……兎に角、フライパンにつかないように振るいながら焼くか」 トウカは悪足掻きをするようにフライパンをコンロの上で振るい、食材を宙へと舞わせる。 ホーンラビットと共に入れていたクラダケは壁面に当たり、焼け始めた肉と空中でぶつかり合いながらフライパンの上を舞う。「あれ? あんまり引っ付いてない?」 未練がましくフライパンに引っ付くと予想されていたホーンラビットの肉であるが、彼の予想は外れ、フライパンに焦げ跡を残す事も無く引っ付きもせずに慣性の法則に従ってクラダケと共に空中を舞う。 その理由はフライパンの性能にある。 普通の鉄製のフライパンであるならば、いとも簡単に引っ付いてしまうのだが、鏡のように光を反射するこのフライパンの底はどのようなものでも焦げ付かない機能を有している。 トウカが使っているのはこのダンジョンの宝箱で手に入れたものだ。それが並大抵のフライパンと同等の性能しか持たない可能性もあったのだが、運がいい事に、トウカは最低ランクではない性能を誇るフライパンを手に入れたのだ。 なので、今後油が手に入らなくとも、フライパンでの調理時に肉が焦げ付く事はない。「……まぁ、いっか。ラッキー」 そのようなフライパンの性能に対して特に不思議に思ったりせず、偶然だと割り切って焦げ付かない現実に頬を綻ばせながらトウカは調理を続けていく。 調理とは言っても、ただフライパンで焼くだけなのだが。肉の赤い部分は次第に焼き色へと変わり、まるのままのクラダケは段々と水分を失いしなっと柔らかくなっていく。 然程時間も欠けずに、ホーンラビットとクラダケの炒め物は完成した。塩が無いので味の調整は出来ないが、それは仕方の無い事だと諦めている。「よしっ、終わり」 コンロのつまみを反時計回りに回し、火を消してコンロの上からフライパンを退ける。「セイルさん、御飯が出来ましたよ」「はい。とてもいい匂いが漂ってきているのですが……」 トウカの言葉にセイルは少々首を傾げながら問い掛ける。「トウカ様は一体何をなされていたのでしょうか? 背を向けていたので分からなかったのですが」「えっと、普通に焼いただけなんですけど」「焼く? 焼くとはどのような事なんでしょうか?」「えっ?」 セイルの言葉にトウカは目が点になるが、これは致し方が無い事だろう。 人魚の生息地域は水の中なのだ。それも広大な海の中に住んでいたセイルは生まれてから一度も火を言う存在を見た事が無かったのだ。なので、その火を使って焼くと言う行為自体を知らないのだ。「焼くって言うのはですね、まず火を」 フライパンを一度置いたトウカは親切にもコンロをセイルの目の前に置き、つまみを時計回りに回し、再度点火する。「うわっ!? 何ですかこれ!?」 赤く燃える火を初めて見たセイルは興味津々と言った感じでそれを眺め、更には触れようと腕を伸ばし、指先が火の中へと入り込む。「熱っ!?」「ちょっ!? セイルさん!?」 直ぐ様手をひっこめたセイルは焼けると言う事を見に滲みて体験してしまった。トウカは火の中に入れたセイルの指を即行で池の水の中へと入れて冷やすようにする。「何考えてるんですかっ!? 火傷して水ぶくれになっちゃうでしょ!」 凄まじい剣幕でトウカはセイルを叱る。「す、すみません……。見た事も無く、とても綺麗な色をしていたものですから」 セイルは怒るトウカの姿に自分はまた迷惑を掛けてしまったと後悔し、またこれ程まで怒らせてしまった事に目尻に涙を浮かべ始める。彼女の頬に涙の雫が伝う様を見てしまったトウカは慌てる。「あ、いや。確かに火って初めて見ると触りたくなるって衝動に駆られるので、と言うか僕も同じように触ろうとして母に止められたので人の事は言えないんですけど……すみません。最初に僕が危ないって言っておけばよかったですね」 トウカは焼くと言う意味を知らなかったのだから、火の存在も知らないのかもしれないと言う可能性を考えていなかった自分に非があると思い、目を伏せ、頭を下げて謝る。「い、いえ! トウカ様は何も悪くありません! 無知な私が触ろうと思ってしまったのが悪いのです!」 急に謝られたセイルは涙を流しながらも首を振り、両の手でトウカの頭を柔らかく持って上げる。「ですので、トウカ様は何も悪くありません! 私に、謝らないで下さい……」 そう言いながらセイルは更に涙を流してしまう。また自分の所為でと自分を責めてしまい、罪悪感が胸をひしめいてしまっている。「わ、分かりました。分かりましたから、泣かないで下さい」 セイルを泣かせる気など端からないトウカは彼女が火に突っ込んだ指のある手を池に沈め、もう片方の手を優しく握る。そして、セイルの頬を伝う涙を拭う。「…………えっとですね、焼くって言うのは」 少しでも意識を別の方へと向けようとトウカは説明を続ける事にする。「火によって中に熱を通す事なんです。そうする事によって体調を壊したり寄生虫の危険性を少なくするんですけど、その他にも旨味も増すんですよ。その際に見た目をちょっと変質させちゃうんですけどね」 と言って、トウカは直ぐ様コンロを脇に退かしてフライパンを即座にセイルの目の前に持っていく。「肉の場合はなんですけど、火を通す事によって赤かった肉もちょっと茶色っぽくなっちゃうんです」 なので、とトウカはフライパンを脇に置いたコンロの上に置き、セイルの涙が浮かんでいる目を真っ直ぐと見る。「火に当たると肌の色が変化してしまい、元に戻らなくなっちゃったり、水ぶくれ――火に当たった部分がふくれちゃったりするんで、今度から火を見ても決して触ろうとしないで下さい」 意識を逸らそうとしていたが、それでもきちんと火の危険性を伝えておかないといけないとトウカは意を決しながらと口にする。「……はい、分かりました……」 セイルはトウカの言葉にしかと頷く。もう彼が怒ってなぞいなく、自分の身を心の底から案じてくれていると真摯に伝わり、その気持ちがセイルの胸にぱっと広がって包み込んでいく。「じゃあ、もう御飯食べましょう」 トウカは笑みを浮かべながらフライパンを手に取り、そこで動きを止める。「………………フォークないや」 ぽつりと呟く。トウカが呟いたフォークと言う単語は農具であるピッチフォークの事ではなく、食器のフォークの事である。 調理時はフライパンを振るう事で肉をひっくり返す動作が自然と出来ていたので、木べら等を必要としなかった。 しかし、食べる時においてはワイルドに手で掴んで食べてもいいのだが、フライパンの上に置かれているホーンラビットの肉とクラダケはそれなりの熱を持っていて、未だに熱の籠っているフライパンの上なのでやや保温気味となっている。 なので、手で掴んで食べるのはやや難易度が高めとなっている。「……潜って枝を折ってそれを代用に」 トウカは先程池の中に潜った時に木が生えている事を確認済みなので、その枝を拝借してそれを肉や茸に突き刺して口に運ぶのが無難かと考える。「いや、あんな綺麗な木の枝を折るのは駄目だな」 しかし、あの水の中での幻想的な光景を目にしてしまったトウカには、それを演出している木の枝を折ろうとするのを心が許さなかった。なので、枝を折る事を断念する。「……となると」 トウカは背後を振り返り、隠し部屋の扉を凝視する。「……仕方ないか」 はぁ、と溜息を吐きながら、トウカは焼かれたホーンラビットとクラダケの入ったフライパンを持って一旦隠し部屋から出て行く。 そして一分も経たないうちに扉から四回のノックの音が響き、トウカが入ってくる。彼の手にはフライパンの他に木で出来たフォークが二つ握られている。 彼の取った行動はこうだ。外にいるシーフェの下へと向かい、焼いたホーンラビットの肉とクラダケを少々売り、フォークを買ったのだ。 シーフェが提示した一番安いフォークが木製であり、それを二つ購入するのにホーンラビットの肉を一欠け、クラダケを一本売り払った。 食料がまたもや減ってしまったが、それでも熱いものを我慢しながら手掴みして食べるよりは余程マシだと考えての行動であった。 トウカは池に浸かっているセイルの下へと行き、近くに腰を落としてフライパンを置き、彼女に二つあるフォークのうちの一つを手渡す。「じゃあ、いただきましょう」「はい、いただきます」 泣いていたセイルは涙はもう流していないが、声はやや小さくなっている。 怒らせてしまった事、謝らせてしまった事、迷惑を掛けた事に気を病み、また自分の事を真剣になって心配してくれるトウカに対して限定出来ない複雑な感情がひしめき合っており、それを抑える為にも声をあまり大きく出さないでいる。 二人は揃ってホーンラビットの肉にフォークを突き刺して、それを口に運ぶ。「あれ? 結構美味しい」 トウカの感想は、今まで食べてきたホーンラビットよりも味がよいと言うものであった。味がよくなった原因は血抜きをしていなかったからだ。 ホーンラビットに限り、血抜きをしなくとも生臭くはならず、肉の味が増すのだ。ただし、他の肉と同様に痛みやすくなるので長期保存をする場合は血を抜かなければならないが。ホーンラビットの本来の味を偶然引き出したトウカはやはりその事に疑問を覚える。「まぁ、いっか」 しかし、特に考えるそぶりも見せずに次はクラダケへとフォークを差し、笠の部分を一気にかじる。こちらはホーンラビットと一緒に炒めた御蔭で肉の旨味が少々クラダケにも移っており、旨さが増していた。 舌鼓を打っていたトウカはふと、セイルの方へと視線を向ける。彼女は何も言葉を発していなかったので、もしかして口に合わなかっただろうかと不安になってしまったのだ。 しかし、それも杞憂に終わった。「…………」 セイルは無言でゆっくりと咀嚼をして呑み込むと、次もホーンラビットの肉へとフォークを向かわせる。 そんな彼女の表情は喜色満面であった。彼女はいままで火を通した食べ物を口にした事が無く、それによって得られた食感、滴る肉汁がセイルの口内全てを刺激し、複雑に絡み合った感情が美味しいと言うただ一つの感想と共に解け、食事に対してだけ意識を向けるようになった。 どうやらお気に召したようだと安心するトウカもクラダケを頬張り、食事を続けていく。 食事の時間は長くは続かず、ものの数分でフライパンの上からホーンラビットの肉とクラダケは姿を消した。「ごちそうさまでした」「おそまつさまです」 手を合わせて食材に感謝を捧げるセイルの手にしていたフォークと自分が使用していたものを空になったフライパンに乗せ、それを洗おうかと思って池に浸けようとする。 が、現在セイルが浸かっているのでこのまま洗えば確実にセイルに汚れが付いてしまう事、そしてここで洗ってしまえばあの綺麗な空間を汚す事になってしまうと直ぐ様思い、フライパンを池の中へと放り込もうとした手を即座に止める。「危ない危ない」 ふぅ、と一つ息を吐くトウカ。 が、次の瞬間には視界がぶれ、体の均衡が崩れる。「あ……れ……?」 トウカはフライパンを掴んだまま、ふらつきながら顔面から池へと突っ込み、そのまま下へ下へと沈んでいく。 トウカは限界まで来ていたのだ。 生まれたてのゴーストの体力はセイルを背負っての移動、ダンジョン探索、ホーンラビットとの戦闘、池の中の移動によってほぼ底を尽き、精力的にも突然ゴーストになってしまった事に対して納得したように見せても心の何処かでは未だに信じられないと焦燥していた。 また、池の中の幻想的な光景も知らず知らずのうちに体が緊張してしまい、精神もすり減らしてしまっていたのだ。 空腹感も限界を後押ししていたが、それはホーンラビットとクラダケを食した事で空腹を感じなくなる程まで満たされた。が、それが一番の原因でもあった。 空腹が満たされた事によって、体の機能が今度は体力の回復を優先させようとして、強制的に意識を刈り取ろうと働いたのだ。「…………ん……」 トウカは抗う事も無く、目を閉じ、掴んでいたフライパンを放し、意識も手放して水中へと沈んで行った。

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