ゴースト、ダンジョンで生活する。

島地 雷夢

ゴースト、あまりの光景に心を奪われる。

 小脇にコンロを挟み、隠し部屋の扉を四回叩き、トウカは壁と同化しているそれを奥へと押して開かせる。「ただいま帰りました」 開けた扉をきちんと締め、トウカは脇に挟んでいたコンロを手に持つ。「あれ? セイルさん?」 トウカは隠し部屋を軽く見渡すが、セイルの姿が何処にも無かった。 隠れられる場所は何処にも無いので、まさか、モンスターの襲撃にでもあったのかと焦り始めたと同時に、部屋の端の湧水から形成された小型の池から何かが顔を出す。 警戒しながらトウカはそちらを向くと、顔を出していたのはセイルに護身用にと渡していた三叉の先であった。どうして三叉が池から顔を出しているのかと言う疑問を抱く前に、三叉の半身が池から飛び出す。「ぷはっ」 それと同時に、頭に包帯を巻いたセイルも池から顔を出した。「お帰りなさいませ。トウカ様」 セイルはトウカに向けて安心させるような柔らかい笑みを作りながら軽く礼をする。「えっと、セイルさん。何してたんですか?」 池から突然姿を現したセイルにトウカは目が点になりながらも疑問を解消するべく質問をする。 その際に手にしていたコンロとホーンラビットの肉が入ったフライパン、背負ったバッグをまるでテーブルのような高さと平らさを兼ね備えている岩の上に静かに置き、彼女の近くへと移動する。「はい、肌が乾いてきたのと、暑くなってしまったので水の中を泳いでいました」「え? そこで泳げるんですか?」 トウカはセイルの言葉で池をまじまじと見る。池の半径はおよそ二メートル弱であり、一般家庭の風呂場よりも広いのだが、それでも泳げるとは到底思えない狭さである。「下に広がっているんです。下の空間は今顔を出している空間よりも広いですし、それにとても素敵な所ですよ」「本当ですか?」 セイルの言葉に耳を疑い、トウカは目を軽く見張る。「はい。トウカ様も是非一度ご確認を」「えっ? ちょっ!」 言うが早いか、セイルは三叉を地面に放り投げてトウカの腕を掴むと、そのまま池の中へと潜っていく。トウカは為す術もなくセイルに水の中へと引っ張り込まれてしまう。 トウカはいきなり水中へと引き摺り込まれてしまい少々パニックに陥り、肺から空気を放出してしまい、息苦しくなって呼吸をしようと水を吸い込んでしまう。「がぼがぼ……って、あれ?」 肺を水で満たしてしまったトウカだったが、それが原因で息苦しくなるような事態には陥らなかった。いや、それ以前に水中で陸上でするように息を吸って吐くと言う行動が出来てしまう事に驚かされた。「何で……?」 トウカは知らないだろうが、ゴーストは人魚と同じように水中でも普通に呼吸を行えるモンスターなのだ。故に、海に沈んだ難破船の中を平気で徘徊する事が出来る。 セイルはトウカ以外のゴーストを見たのが海中の難破船の中であったので、ゴーストは水中でも活動が可能である事を知っており、言葉で説明するよりも実際に見て貰う方が早いと考えてトウカを池の中へと引っ張り込んだのだ。「……まぁ、いっか」 考えてもきりがないと気持ちをすっぱり入れ替えたトウカは、改めて池の中の空間に目を向ける事にする。「うわぁ……」 トウカは感嘆の声を漏らし、心を奪われた。 幻想的。まさにそう表現しても差し支えの無い光景がそこには広がっていた。 池の中の空間は確かに隠し部屋よりも広くあった。いや、隠し部屋だけではなく、隠し部屋の扉のある空間を含めても、この水中空間の方が広い。 トウカとセイルが入り込んだ場所はこの空間の中央の真上に位置しており、ぐるりと見渡せば全貌が窺える。水深は二十メートルを優に超えており、円柱形の形をしているここの半径はおよそ三十メートルもある。 普通ならば光が差し込まないので暗闇が支配するだろう水中だが、陸のダンジョンと同じように光源が無くとも色を識別出来る程に明るくなっている。 また、その仕様の他にも明るくなるようにと天蓋と壁の上部分には水中にも適応しているヒカリゴケが群生しており、より一層明るく空間を照らし出している。 幻想的と呼ぶに相応しい点の一つに、水がとても澄んでいると言う点が挙げられる。水は不純物や栄養素を多く含んでいれば透明度が落ち、少々濁ってしまうのだが、ここの水は一番奥の壁までもが霞む事無く見える程に透明度が高くなっている。 逆にそれは水に栄養素があまり含まれていないので生物が住むのには適していないと言う事でもあるが、それを差し引いてもここまで澄んだ清らかな水と言うものはそうそうお目に掛かれるものではない。 水底には雪のように白い砂が敷き詰められており、そこから地上に進むかのように、または白い水底を覆い隠すように、互いに絡み合いながら木が生えているのだ。 何処からか流れ付いた朽ちた樹木なのではなく、紛れもなく生きた木である。幹は細く、真っ直ぐではなく曲りに曲がって成長している様はまるで竜がうごめいているかのようだと錯覚を引き起こさせる。 その幹から伸びている枝は幹よりも更に細く、そして笹のように先の尖った葉を茂らせている。 茂らせているとは言っても、日光を遮るか森のようにではなく、光をきっちりと水底にまで届けさせるようにと結構な間隔を開けながら数枚の葉が密集して伸びている。 その笹のような葉は水の澄んだ青と合わさって若竹色になっており、トウカは近くの葉を手繰り寄せて確認してみると本来の色はミントグリーンである事、そして葉脈は人間の手の先にある指のように五本真っ直ぐと伸びている事が分かった。 また、この木には葉だけではなく、綺麗な花も咲かせている。葉の生えている枝に花弁を七枚開かせ、中央には黄色の雄しべと雌しべが収まっており、水中をゆらゆらと揺れている。 花の色は薄桃色、薄黄色、白色、紅と四色が確認されており、それがこの空間に彩りを添えている。 そして、極めつけが天蓋と壁から少量だが落ちていくヒカリゴケの存在だ。まるで舞い落ちる雪のように、ゆっくりと、しんしんとなって下へ下へと落ちていく。 あるものは葉の上に落ち、あるものは花弁に触れ、あるものは幹と枝の境目に挟まる。ヒカリゴケは元いた場所から落ちると、元の場所へと戻ろうとする性質がある。 なので、水中に生える木の上に落ちたヒカリゴケはゆっくりと上へ上へと壁を伝い、水中を泳ぎながら向かい、仲間の下へと戻っていく。 光を放ちながら降り注ぎ、舞い戻る様は世界の始まりを告げるかのようである。「綺麗……」 トウカは目の前に広がる光景にただただ目を奪われ、心を奪われる。トウカはこの池の存在を確認してはいたが、下の様子までは窺っていなかった。 水があり、飲み水の心配が無くなると言う程度で確認を終え、きちんと池の底を見ずに水筒に水を満たしただけであった。もし、その時にでも池の中を見ていたのならば、探索には向かわずにずっと眺めていたのかもしれない。「トウカ様」 と、トウカの腕を掴んでいるセイルが手を放し、彼の前へと進んで頬を指先で軽くつっつく。トウカはそれにより少しではあるが、意識をセイルへと向ける。「申し上げた通り、素敵な場所でしょう」「うん」 トウカはただそう呟くしか出来なかった。セイルの言っていた事は本当であったので、もっと肯定してもよいのだが、この場所とセイルがあまりにも似合っていたので彼女の方に見惚れてしまっていたのだ。 水中にゆらゆらと漂う金の髪は周りにあるヒカリゴケが触れて煌めき神秘的であり、下半身が魚と言う体も水中ならではの滑らかな動きを演出している。 そして、セイルの表情も出会ってから見た事の無い程に朗らかな笑みを浮かべていた。 彼女の笑み自体は何度か目撃しているトウカであったが、この水中で見せるセイルの笑みは彼が見たどの笑みよりも光を放っている。「ふふっ、そう言っていただけて私は嬉しいです」 セイルは自分が素敵だと思った場所をトウカも同様に思っている事に更に笑みを深くし、彼に背中を向けて泳ぎ始める。 尾ひれを優雅に動かし、まるで空を飛んでいるかのように自在に泳ぐセイルは水中に生えている木の周りを旋回したり、一度上まで昇ってそこから底まで一気に下りて行ったりする。 その様子を見たトウカは、彼女の後を追い掛けるように移動を始める。水中での移動は陸上での空中浮遊となんら遜色なく、手こずるような事ではなかったのですんなりと適応して泳ぐ事が出来たが、それでも空中を移動するよりも水の抵抗があり、速度は若干遅めとなってしまっている。 トウカが水中を優雅に泳ぐセイルに追いつく事はないと思っていたが、セイルはトウカが自分を追い掛けていると分かると、速度を緩め、彼が追い付くように仕向け、並行すると完全に彼の速度に合わせて泳ぎ始める。 ゴーストと人魚と言う異色な組み合わせであるが、トウカとセイルは水中を泳ぎ、木に触れたり、花を眺めたりする。「うっ」 少しの時間が経つと、セイルは苦悶の表情を浮かべ、頭を押さえる。セイルの額付近の水が僅かに赤くなっている事にトウカは気付く。「セイルさん、もう上がりましょう。傷口に障るといけないので」 見惚れていて忘れてしまっていたが、セイルは額を怪我しているのだ。それは包帯で傷口を抑えて出血を止めていたにすぎない。 なので、あまり激しく動くと傷口が開き、血が滲み出るのだ。セイルはこの水中を彼女なりの普通の速度で最初泳いでいた。それが原因で包帯が緩み、傷口から血が出てしまったのだ。 セイルが一人でいた時は、水の中に入ってじっとしていただけなので包帯がずれる事は無かった。彼女が泳ぎ出してしまったのは、ひとえに気持ちの問題であった。 一人でいた時は静かにこの空間をただ眺めていたいという気持ちだけが彼女の中を占めていた。しかし、トウカと一緒になっていると、セイル自身も分からない事なのだが、この素敵な空間を一緒になって泳ぎ回りたいと言う衝動に駆られたのだ。 トウカはセイルの手を取って地上へと帰還するべく上へと目指して泳ぎ始める。「はい、すみません……」 セイルは顔を伏せ、単に傷口からだけではない痛みに堪えながらトウカに引かれながらゆっくりと泳ぐ。 無理のないように泳ぎ、水面に顔を出すトウカとセイル。トウカはそのまま水から体を出すが、トウカは肩から下を浸かったままにしている。「では、一度包帯を取りますね」 体を震わせて水滴を飛ばすと、トウカはセイルの頭に巻かれている包帯へと手を伸ばし、それを丁寧に解いていく。解いていくと段々と赤の色合いが濃くなっていき、最後の一巻きを取り終えると水に濡れた傷口から血が垂れる。「もう包帯が無いので、この包帯を洗って乾かしたら、もう一度巻きますね」 トウカは水に包帯を浸からせ、血で汚れた部分を擦って落としていく。石鹸や洗浄剤も無いのだが、綺麗に血の跡が落ちていく。それはこの水が汚れを落としやすい性質を持っているからであるが、トウカもセイルもそれを知らないでいる。「すみません。御迷惑を掛けてしまって……」 折角傷の手当てをしてくれたトウカの手間を増やしてしまった事に対して、セイルは肩身を狭くし、しゅんとする。「いえ、気にしなくていいですよ。でも、傷が治るまでは安静にして下さいね。それがセイルさんの為なんですから」 トウカは地面に投げられていた三叉を拾い、一度水で洗って土を落としてから振るって水気を切り、壁に立て掛ける。その後、血を落とした包帯をきっちりと絞って水分を取り、寄ってしまった皺を取り除くように左右に引っ張る。 それを終えると壁に立て掛けた三叉へと地面と壁に触れないように軽く巻き付けて自然乾燥をさせる。「はい、分かりました」 セイルは頷き、顎を池の淵に置いてどうあっても傷口を水に浸けないよう、そして傷口から滴る血を池に落とさないようにする。「分かってくれればいいですよ」 セイルの言葉にトウカは笑い掛け、岩の上に置いていたコンロの上にホーンラビットの肉が敷かれたフライパンを乗せ、更にフライパンの中へとバッグに入れていたクラダケを十本全てを投入する。「じゃあ、お腹も空いていると思いますので、御飯を作りますね」「はい。何から何まですみません……」「だから、気にしなくていいですよ」 先程から謝ってばかりのセイルに苦笑をしながらも、トウカは食事を作る為にコンロのつまみを時計回りに回して点火をする。

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