ゴースト、ダンジョンで生活する。

島地 雷夢

ゴースト、調理が出来ないと悟る。

「あつつつ…………」 トウカは痛む顔面を押さえて上体を起こし、滲んでしまった涙を軽く拭ってホーンラビットがどうなったかを確認する。「…………動かないよね?」 目の前でピクリとも動かず、虚ろな瞳で虚空を見つめるホーンラビットの頭はべこんと凹んでおり、角が折れて皮一枚で繋がっている状態である。 トウカは動かないホーンラビットの頭を恐る恐ると言った感じにフライパンの先でつっつく。ホーンラビットはなされるがままに動き、自分の意思では動かない。 続いてフライパンを使って仰向けの状態にするべく体を転がす。仰向けにした理由は特には無いが、ここで動くようならば再び脳天にフライパンの一撃をかましてやろうと言う心つもりではいた。 が、仰向けにしてもホーンラビットは身動ぎ一つしない。つまり、死んでいるのだ。「し、仕留めたぞ〜」 肩の力を抜き、へにゃっとなって地面に両手を付くトウカは安堵の息を吐く。 今まで相手にしてきたホーンラビットよりも速く、縦横無尽になって襲い掛かってきたので精神的にも肉体的にも一層疲れが増したのだ。 もしトウカがゴーストではなく人間のままであるならば、ホーンラビットの最初の跳躍時に決着はついていただろう。それ程までに人間の時とゴーストに生まれ変わった現在では能力が異なるのだ。「取り敢えず、もう戻ろう。これ以上は無理だ」 水筒を取り出して中身を半分程一気に飲むと、トウカは仕留めたホーンラビットを小脇に抱え、バッグから地図と方位磁石を取り出してセイルの待つ隠し部屋へと向かう為に移動を始める。 ホーンラビットはバッグに入り切らないので小脇に抱えるしかなかった。 移動時には空腹と疲れから探索時よりもふらついており、傍から見れば何時壁にぶつかっても可笑しくない危なっかしい状態だった。「それにしても」 ふと、トウカはホーンラビットを仕留めるのに一役買ったフライパンを眺める。「これ、よく凹まなかったなぁ」 フライパンの底をホーンラビットの頭部に激突させて昇天させたので、それ相応の衝撃もフライパンに加わっている筈である。 現にホーンラビットの頭部は凹んでいるので鉄製のフライパンならば凹んでいても可笑しくはないのだが、このダンジョンの宝箱で手に入れたフライパンには凹み一つも見当たらない。「鉄……じゃないのかな? 鏡のようになってるし、それにちょっと白っぽいんだよね」 改めて、手に入れたフライパンに疑問を抱くトウカ。フライパンの底は裏表ともに鏡のような光沢があり、そこに油を引いて炒めたり、直火に晒してしまうのは勿体ないと思うくらいの綺麗な面を持っている。 また、鉄のように鈍い灰色ではなく、どちらかと言えば骨のように白い。しかし、材質が骨ではない事は分かる。骨ならば触っても然程冷たくはないのだが、このフライパンは冷たさがある。 なので、フライパンは金属製である事が窺えるのだが、それがどのような金属なのかまでは、残念ながらトウカには分からなかった。「……まぁ、いっか。フライパンはフライパンだし。あれこれ不思議に思っても仕方ないよ」 トウカはフライパンに対する疑問をすぱっと打ち切り、フライパンの底を軽く叩いて帰路へと意識を戻す。 地図に記された道を戻り、方位磁石で方角を確認しながらトウカは小脇に抱えているホーンラビットに意識を少し向ける。「……どんな料理にしようかな」 と、先程の異様な速さを誇る事への疑問ではなく、仕留めたホーンラビットの調理の仕方を悩むトウカ。 生前人間であった頃は彼の母親はホーンラビットの肉を使って単にステーキにしたり、薄切りにして香草で包んで焼いたり、パン粉をつけてからりと揚げてフライにもした。 また、骨はスープの出汁として利用され、野菜と一緒に肉も煮込んだスープは母親が作った中でもトウカは一番好きであった。 スープにしようと一旦は決めるが、現在はフライパンしかなく、鍋のように水を沢山張れる訳ではないのであまり量を作れない事に気付く。 また、他の食材はクラダケのみであるので物足りなさが滲み出てしまう。 いや、それ以前にスープを分ける皿も、取り分ける為のおたまも存在していないので、例え作ったとしてもセイルと二人で一つのフライパンを囲み、火傷覚悟で素手で汁をすくって飲み、肉やクラダケを掴んでむしゃぶる、と言ったワイルドな食事風景が浮かんできたので却下する羽目になる。 一応、そこらの岩石を砕いたり削ったりすれば簡易的に分け皿やおたまを作る事は出来るのだが、トウカはやった事が無く、また知らないので作ろうとはしないでいる。「となると、普通に焼くくらいかなぁ」 フライパンがあるので、単に焼くだけの簡単な調理だけは可能である。一緒にクラダケも焼けばクラダケに焼いた際に出るホーンラビットの肉汁が絡み、染み込んで旨味が増す。「やっぱり焼こうかなぁ……ってあ」 調理の仕方を決めたトウカであったが、ここで重大な見落としを発見してしまう。「僕、ナイフも包丁も持ってないよ……」 そう、トウカは刃物を所持していないのだ。刃物が無ければホーンラビットの皮を剥ぎ取り、内臓を取り出したり、骨から肉を削ぎ落すと言った作業が出来ないし、クラダケも食べやすい大きさにカットする事が出来ないのだ。 最悪クラダケはそのまま焼いて齧り付いてもいいのだが、流石にホーンラビットをそのまま焼くのは抵抗がある。毛皮も焼けてしまい、異臭が肉に付着してしまい味が落ちてしまうだろう。 毛皮を剥いだうえでの丸焼きならばよいのだが、如何せん刃物が無ければ始まらないのだ。「……いや、セイルさんに持たせてるあのフォークみたいなのをで剥げば……でもあれって刃がついてなかったような」 トウカがつい腕を組み小脇に抱えたホーンラビットを落としてしまいながら視線を天井に向けて考え込んでしまう。彼の言っているフォークとは食事の際に用いる食器ではなく、所謂ピッチフォークの事であり、鍬と同程度の大きさで分かれた先で刈り取った麦や干し草、葉等を持ち上げたり投げたりするに使われる道具の事である。 そんなピッチフォークに似ていると言われた三叉の先は尖ってはいるのだが、残念な事にピッチフォークと同様で刃がついていないのだ。なので、三叉を用いて剥ぐ事は不可能である。「いやいや、それ以前に火を起こす為の道具も無いんだけど……」 更に衝撃の事実を思い出してしまうトウカ。彼は現在マッチはおろか火打石すらも身に着けていない。それどころか、火種となる木材さえも持っていないし、見付けてもいないのだ。 最悪そこら辺に落ちている普通の石をかちかちとぶつけまくり、力技で火花を作り出してクラダケを燃やせばよいのだろうが、クラダケはまだ水分を多く含んでおり、燃えにくい状態となっているし、普通の石ではそこまで都合よく火が点く程の火花を出せる事は出来ない。火打石に適しているものは石英や黒曜石、黄鉄鉱や白鉄鋼である。「あ〜、あと血抜きもしてないから肉の味が落ちてるかも……」 ここで無視出来ない事までも頭の中にぽっと浮かんで来てしまう。 そう、仕留めたホーンラビットは血抜きを全くしていないのだ。 血抜きをする場合は昏睡状態か死んだ直後に逆さ吊りにし、喉を一気にかき切って血を体外へと排出させる。 この血抜きを行わないと肉が生臭くなって味が落ちるばかりではなく、肉が腐りやすく保存するのに向かなくなってしまうのだ。 なので、血抜きは大切なのだが、それを怠っている事に気が付き、長期保存は使用とは思っていないが、折角の肉の旨味を減らしてしまった事に対してしょげるトウカである。「いや、でも。食べ物が手に入りにくいここだと、血もただ抜くだけじゃなくて一緒に食べた方がいいのかも。……シェードバットも血を飲むんだから、栄養が無い訳じゃないし」 トウカは考え方を変え、多少味が悪くなっても栄養価の方を重視した。 彼が口にしたシェードバットとはホーンラビットサイズの大きな蝙蝠型のモンスターであり、他の生物の血を主食としている。 また、このダンジョンにも生息しており、ゴーストよりも強いがゴーストは血を宿していないので見付けても逃げるだけだ。ダンジョンモンスターで数少ない逃げる特性を持ったモンスターである。「けど、血抜きは諦めるとしても生のままはちょっと。寄生虫が怖いし……」 しかし、火を通す事だけは諦めないトウカ。生の肉を食するのは寄生虫に感染する可能性が高まってしまう。 野生の動物は狩った獲物の毛皮ごと食し、消化されない毛皮で一緒に取り込んだ寄生虫を奥へと押し込んで糞として排出するようにしているが、生憎と人間はそのような事はしないので、トウカはその選択肢は初めから考えないでいた。「う〜〜ん、どうしよう」 しかし、空腹と疲労により考えが纏まらなかったので、仕方がなく帰路の途中で枯れた草や火打石として利用出来そうな岩石を見付ける事にするトウカだが、枯草だけは見付からないだろう事は分かっている。 何せ、探索する際に隈なく確かめたのだから。石に関しては実際に打ち付けて見ない限りは不明なので希望はまだある。 なので、トウカはホーンラビットを小脇に抱え直すとそこらに落ちている石同士を打ち付けて見て具合を確かめていく。のだが、如何せん火打石たり得る石には巡り合う事は無かった。 そこらの石を確かめながらの帰り道は、探索時よりも多くの時間を掛けてしまった。 その間にも他のダンジョンモンスターに遭遇しなかったのは運がいいのだろうが、これは運だけの問題ではなく、石を打ち付けあった事で生まれた音が逆にダンジョンモンスターを近付かせないような効果を生んでいたのが大きいだろう。 そうとは知らないトウカは火打石が無い事に落胆しながらも帰路へと着いていたのだが。 とうとう、火打石に巡り合う事も出来ずに隠し部屋の存在する広場にまで戻って来てしまったトウカ。 ここまで来てしまったのならば、最悪は本当に寄生虫を宿すのを覚悟のうえで、クラダケごと生のままセイルと共にワイルドに齧り付いて食そうかととも思ったが、それでも火を起こす道具を見付けたい一心でこの空間にある石を片っ端から確かめるが、やはりと言うべきか、火打石は存在しなかった。 最後に隠し部屋の扉の前に目印となるように十字になるように置いた石同士を打ちつけて、やはり適当ではないと落胆し、もう生で食べる事を覚悟する。 トウカは溜息を一つ吐くと、隠し部屋の扉をノックしようと手の甲を扉に向ける。「ん?」 ノックしようとした手を扉に当たる寸前で止めるトウカ。どうしてノックをやめたのかと言えば、背後だ何か音がしたので、それが気になったからだ。 その音とは、何かが地面に置かれるような音だ。それも少量ではなく、そして重量がそれなりにあるものが置かれるような、重厚さが少し感じる音であった。 トウカはもしかしたら重量のあるモンスターが座り込んだのかもしれない、と細心の注意を払いながら、ゆっくりと背後を振り返る。「は?」 軽く目を見開いたトウカの口からは間抜けな声が漏れた。それは決して重量のあるモンスターが座り込んだのではなく、頬杖を突きながら眠りに入ろうとしている姿をその目に焼き付けてしまったから……ではない。 トウカにしてみれば時々見掛けるものがこの空間の中央に展開されていたからだ。 まず、そこには布が敷かれている。決して上等とは呼べないが、上等さは必要としていない。この布の役割は地面に直接置く事の無いようにとわざわざ敷いたものだ。 その布の上には、様々な物品が置かれてる。それは変な草であったり、丸底の瓶であったり、短剣であったり、パンであったり、何かの種であったり、盾もとい鍋の蓋であったり、衣服であったりと節操なく置かれている。 トウカがその様子から連想するのは露店である。彼が生前住んでいた農村にも数ケ月おきに商人がやってきて、馬車に積んである商品を見せる為に地面に布を敷いてそこに品物を置いて商売をしていた。 そして、これが露店であると決めつける要因があった。「ふぅ、重かった〜」 トウカに背を向けるようにして肩に手を当ててぐるぐると腕を回し、首をぼきぼきと鳴らしている女性の姿が目に入っているからだ。 後ろを向いているのに女性と分かったのは声の高さと体躯の滑らかな線の細さ、それに腰程まである長い髪をうなじ辺りで一纏めにしているからである。「あの、すみません」 トウカはどうしてこんな場所で露店を開いたのか疑問に思ったまま、色々な情報を得る為に女性に声を掛ける。


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