ゴースト、ダンジョンで生活する。

島地 雷夢

ゴースト、元気が出て空中縦回転をする。

「あの、トウカ様」 セイルは声を落としながらトウカだらだらと続く先が見えない道を行くを心配そうに見つめる。「な……何?」 声を掛けられたトウカは息も絶え絶えで、額には汗をかき、宙に浮いている体もふらついており、人間で言えばおぼつかない足取りとなっていて、移動速度も人間であった時の歩行時よりも遅くなってしまっている。「やはり、降りましょうか?」「だ、大丈夫……です」 トウカは首を横に振りながら、負ぶっているセイルに若干引きつったの笑顔を向ける。 どうしてトウカがセイルを背負っているのかと言うと、セイルが移動する際は地面に這いつくばって芋虫のように体を伸び縮みさせるか、腕で前方の地面を掴んで肘を曲げ、体を前方へと送り出す方法しか取れなかったからだ。 人魚は水の中でなら自由自在縦横無尽に泳いで移動する事が出来るのだが、陸上では動きに制限が出来てしまう。 怪我人――それも女性に這いつくばらせての移動をさせるのにトウカは抵抗を覚え、安全に休息を取れる場所を見付けるまでの移動は彼がセイルを背負う形で落ち着いた。 なのだが。「あの、大丈夫には見えないのですが」 トウカの首に腕を回して落ちないようにしているセイルは殊更心配を掛けるようにトウカに話し掛ける。 かれこれ三十分はこの状態なのだが、彼はセイルを背負い始めてから十分後に移動速度が遅くなり息が切れ始め、更に五分が経過すると現在と同じような息切れと鈍行を起こしたのだ。「だ、大丈夫ですって……」 やせ我慢をしつつ、トウカは前へと進む。 トウカは今自分の身に起きている現象に戸惑っている。人間であった頃は畑仕事もしており、鍬を持って畑を耕したり、収穫時に手押し車一杯の作物を入れた状態で押して歩いていた。 更には、開墾する為に斧で木を切り、切株の除去作業や切り終えた木を丸太や薪に加工したりしてそれを移動させる等、力仕事とは縁も切れぬ生活を送っていた。 なので、人一人――この場合は人魚一人だが――を背負って歩くくらいは本来ならば造作も無い事であった。 しかし、どう言う訳か力と体力が衰えてしまっている。 これにトウカは首を捻るが、理由は簡単である。 人間であった彼は一度死に、ダンジョンモンスターであるゴーストとして生まれ変わった。これが原因である。 単純に考えてみても、生まれ変わると言う事は肉体は生前とは全く違うものに代わると言う事だ。 それも、鍛えられていないひ弱な状態で。生前の記憶がある分、そして自分が一度死んだと分かっていないトウカにはこのような答えに辿り着く事はないだろう。 また、力が弱い原因はもう一つある。 それはダンジョンモンスターに生まれ変わったと言う事だ。 本来のゴーストでも、個体差はあれども現在のトウカと同じように三十分セイルを背負っていたとしてもここまで体力が削られる事はないし、移動速度も遅くはない。 ダンジョンモンスターの宿命として挙げられるのは、低い階層のモンスターは地上にいる同種のモンスターよりも弱くなると言う事だ。 それはトウカも例外ではなく、地上のゴーストともし普通に戦う事になればまず負けてしまうだろう。 ダンジョンモンスターの強弱は階層によって変化するが、正確には生まれた階層によって変化する、である。 トウカはダンジョン地下一階のゴーストとして生まれ変わった。もし、生まれ変わった先が地下二階であれば現在よりもマシな状態であり、地下五階ならば人間の時と同じような力を有していた事だろう。 一応の補足として、ダンジョンモンスターも他の生物と同様に成長はするので、地下一層で生まれたからと言っても一生脆弱なままと言う訳ではない。 だが、現在のトウカは生まれてからまだ間もなく、更には成長する為に必要な事をしていないのでセイルを背負っての移動はかなりの苦行となってしまっている。 しかし、いくら苦しいからと言ってもトウカはセイルを地面に降ろす事は絶対にしない。 それは彼女が怪我をしているからと言うのも勿論あるし、女性に這いつくばらせて移動させるのに耐えられないからと言うのもあるが、一番の理由は床に仕掛けられている罠に引っ掛かってしまう事を避ける為である。 トウカはこのダンジョンに生まれ落ちてほんの数秒でトラバサミに引っ掛かってしまった。 罠に掛かると言う経験を一度しており、更にはこのダンジョンから出ようと彷徨っている際にも幾度か移動中に足の先を地面につけてしまい、トラバサミを二回作動させてしまっている。 その二回は両方とも寸での所で回避したので引っ掛かる事は無かったが、それ故に、この場所には罠が仕掛けられていると学んだ。 セイルの移動手段は這いつくばる事なので、まず間違いなく地面に接触しながらの移動となる。それに加えて移動速度も速いとはお世辞にも言えず、と言うよりも普通に歩くよりも遅い速度しか出せない。 なので、罠を作動させてしまえばそれに引っ掛かってしまう確率の方が高い。 怪我をしているセイルの身の安全の為にも空中を浮遊して動けるトウカが背負い、罠に引っ掛からないように移動している。 現在も地面にセイルの尾ひれが接触しないように細心の注意を払いながら、ある程度の高度を確保して空中を浮いている。「トウカ様、一度休憩をなさった方が」「大丈夫、です」 トウカに気を遣うすまなそうな表情をしているセイルの提案を彼ははね除ける。 単に男の意地を無駄に発揮したのではなく、一度でも休んでしまえば今日はもう一歩も動けないだろう事が分かっていたからだ。 たかが三十分、されど三十分はトウカにとってとてつもない程に長く感じられ、それによって与えられた疲労を回復するには三十分では足らない。 現在の彼は体力低下の他にも汗をかいた事による水分の欠落、またエネルギーの消費によって空腹も感じている。そんな状態で休んでしまえば動けなくなる事は目に見えていた。 安全とは言い切れない場所で動けなくなる事は何としても避けねばならなかったので、トウカは自分の体に鞭を打って前へと進んで行く。「……申し訳ありません。私が怪我をしているばかりに」 そんなトウカの頑張りに胸が張り裂けそうな程の罪悪感を覚えるセイルは謝るしかなかった。 会ってまだ間もないであろう自分の傷を手当てをしてくれただけではなく、貴重な水を全て分け与えて貰え、更には安全な場所で休むようにと促され、その場所を探す際の移動もわざわざ背負って行っている。 どうしてそこまでしてくれるかをセイルは分からずにいるが、トウカが決して自分の利益を求めているのではない事は彼の誠意のある行動によって伝わっている。 そんな彼の役に少しでも立ちたいと言う気持ちが強くなっていくが、何も出来ない現状により一層罪悪感が湧き立ち、歯噛みするしかない。 それでもと、セイルは背負っているトウカの助けになるような――僅かでもいいので疲労を和らげるような事をしてあげられないだろうかと必死で考える。 暫くうんうんうなっていると、唐突に閃いた。これで少しでも紛らわせてくれればいいな、と思いながら、セイルはまずはトウカに許可を取る。「トウカ様」「……何?」「歌を歌ってもよろしいでしょうか?」「何、で?」 トウカはセイルの意図が分からずに聞き返す。「はい。少しでもトウカ様の負担を和らげる事は出来ないかと考え、歌を歌えばトウカ様の疲労を少しは紛らわせる事が出来るのではと思いまして……駄目、でしょうか?」 彼の為を想っての発案を却下されるのを恐れてか、後半はやや小さ目の音量となってしまったセイルは少し強めにトウカの首に回している腕の力を強めた。 トウカは僅かに強くなった腕の力にセイルの不安を感じ取り、自分を元気付ける為にわざわざ考えてくれた事なのだと思い、それならば無碍には出来ないという結論を出す。「うん、いいよ。セイルさんの歌、訊きたいです……」「そ、そうですかっ。では、精一杯歌わせていただきます」 トウカからの許可により、これで少しは役に立つとセイルの顔には笑みが広がっていく。セイルは息を吸い、軽く吐いて呼吸を整え、軽く喉を鳴らして調子を整え、歌い始める。 今セイルが歌っているのは、彼女が幼い頃に彼女の両親と妹と一緒に海の中を散策している際に歌っていたものであり、軽快なテンポと明るめな声音、そして海の仲間たちと楽しく遊んでいる様子がうかがえる歌詞が物静かであったダンジョンに響き渡る。 セイルの声は人間であったトウカにとっては秋虫の奏でる音色のようにとても澄んだ綺麗な声だと思っている。なので、彼女の歌声は心地よく、まるで澄んだ声によって体に溜まった疲労が徐々にこそげ落とされていくかのような感覚が走る。 いや、それだけではなかった。トウカは疲労感が取れるだけではなく、体の奥から力が漲ってくるかのような感覚に襲われ、またそれが決して気の所為ではないとセイルを背負うのが苦でなくなり、移動速度も通常時よりも速くなっている事で実感した。 トウカの体に力が漲ってきたのは、当然と言うべきかセイルの歌の影響である。セイルは分かっていて歌を歌っている訳ではないのだが、人魚の歌には不思議な力が宿っているのだ。 それは人魚自身にはあまり影響はないが、人間や他の生物、モンスターに影響が目に見えて出る。有名な話では、船乗りが人魚の歌声に聞き惚れ、舵を取り損ねて座礁し、転覆してしまうと言ったものがある。 この場合に歌った人魚の歌は失恋に嘆くと言った内容のものであり、船乗りはその歌によって悲しみが生じ、暗く嘆かわしい雰囲気の中、正常な思考が出来ずに舵を取りそこなったのだ。 人魚の歌は内容によって相手に与える影響が変わってくるのではなく、歌い手の気持ちによって変化するものだ。 先程の例に上げたような失恋を嘆く歌でも、それでも相手を思い慕うような気持ちで歌えばそれに同情し悲しさを引き出すが、仮にどうして自分の事を分かってくれないのかと怒りを込めて歌えば、訊いた相手も知らずに憤るようになる。 現在セイルはトウカの疲れを少しでも取り除こうと言う気持ちで歌っている。 なのでこの歌は対象をも指定しているのでトウカにしか効き目はないが、その分影響を強く受けるようになっている。 また、セイルの歌声はトウカの耳の直ぐ傍で聞こえてくるので歌詞の一言一句、テンポの変化がより一層判別がつく状態なのも輪を掛けている。故に疲れが取れるだけではなく体の奥底から力が湧き上がってきたのだ。 そう、それも加減が出来ない程に。 トウカはどんどん湧き上がってくる力に、人間であった時と同じくらいにまで戻ったと感じて喜んだ。その喜び故に移動する際の制御を崩してしまった。 いや、そうではない。制御が外れる程の速度を出してしまったのだ。「あ」 気付いた時にはもう遅かった。 前方へと浮遊して動くゴーストは、生まれて間もないうちは制御し切れず、少々の事でも体勢を崩してしまい、空中を縦回転しながら前進してしまう。 止まるには他者に頼むか、壁に激突するしかない。トウカは一度縦回転を味わったので移動の際にはそうならないように細心の中を払っていたが、それも無に帰した。 セイルを背負ったトウカは前のめりになり、そのままぐるんと一回転するが勢いは殺されずに、そのまま何回転もしながら前方へと空中を転がって進んで行く。「あらららららららららららららららららららら!?」「きゃぁぁあああああああああああああああああ!?」 セイルは急に縦の回転を覚え、海流に呑まれた時のような三半規管の揺れを感知して歌を中断し、悲鳴を上げる。トウカも悲鳴を上げる。 トウカはこの生まれたてのゴーストあるあるを一度体験しているが、それでもこの次々と移り変わる景色にはなれなかった。 更に最悪な事に、回転運動によって徐々に移動速度が上がってしまっている。 それ故に更に回転する速度も上がり、ここまでの三半規管のダメージは一回目の回転時でも受けなかったトウカは吐き気を催すが、このまま嘔吐してしまえば自分だけではなくセイルにまで被害が及ぶので懸命に堪える。 セイルは海流に呑まれる事で三半規管が鍛えられていたのでまだ吐き気を覚えるには至っていない。 先程まで五分掛けて移動していた距離をものの二十秒で疾駆するその様は、まるで山を転がり下りる岩石のようである。 障害物の無い真っ直ぐな道を回転しながら空中を移動するが、終わりのない道は無い訳で、それも唐突に終わりを告げた。「ごっ!」 三十秒程転がると、開けた空間へと躍り出て、そこから更に五秒先に進むと壁があり、トウカは一度目の回転時とは違い、頭を上にした状態で顔面を強く打った。 唯一違うのは、そのまま重力に従って真っ逆様に地面へと落下しなかった事だろう。 トウカが顔面をぶつけた壁はその衝撃によって奥へと引き下がった。 故にストッパーとして本来働く筈の壁の力を十全に借り受けられなかったトウカは多少は失速しても勢いの方向へと軽く転がり、全面を激しく強打して地面を暫し滑走した。 その際にもトウカは地面を擦れて腕に傷がつかないようにとセイルの腕を首から外して彼女の背中に回した。「いだだだだだだだだだだだぶっ!」 体が削られる痛みの終わりは、頭頂部の強打であった。どうやら奥に壁が存在していたらしく、それによって滑走は停止させられた。 ただ、あまりにも強く頭を打ってしまったので、トウカは脳震盪を起こして気を失ってしまう。 セイルは頭を打つ事は無く、トウカの御蔭で怪我の一つもしていないが、鍛えられた三半規管をもってしても目を回す事だけは防ぐ事が出来ず、気を失っていた。 セイルが意識を取り戻したのは十分後であり、トウカが目を覚ましたのはそれから更に一分後であった。


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