ゴースト、ダンジョンで生活する。

島地 雷夢

ゴースト、人魚を見付ける。

「何何何何っ!? 僕はどうして浮いてんのどうして半透明なのどうして足一本だけなのっ!?」 トウカは空中に浮かびながら、両手で自分の体を触りまくっている。顔から肩、腕、胸、腹、と来て今度は背中、腰、そして足へと移動させ、自身の形態変化を触覚を持って実感する。「そして何で映らないのっ!?」 地面に落としてしまっていた先程手に入れたフライパンを手に持ち、ピカピカで鏡のように反射する底に自分の顔を映るように持ってくるが、そこには映る筈の毎朝の洗顔時に見る顔どころか、顔そのものが反射していなかった。 幽霊モンスターの特徴の一つとして挙がれられるのが、鏡に映らない事である。吸血鬼と同様に鏡に映らないので背後からの奇襲がしやすい種族となっているが、今のトウカにしてみれば驚き以外の何でもない現象である。「ああぁあぁぁああああああぁぁあああ!」 トウカはパニックに陥り、フライパンの底を凝視したまま右往左往する。 ふらふらと挙動不審に浮遊するそれを人が見たならば、まず間違いなく関わり合いたいとは思わずに回れ右をしてその場を立ち去る事だろう。怪しいと言うものとモンスターであると言う二重の意味で。 もしくは、隙だらけだと言わんばかりに剣で切り込まれてそのまま討伐されてしまう悲しい結末が待ち構えている事だろう。「どうしてどうしてどうしぶぇっ!」 前を見ず、更に進行方向も定めずにふらふらふらふらと浮遊移動していた為に、壁へと激突してしまう。 もっとも、眼前にフライパンを構えていたので完全な直撃ではなく、先にフライパンが壁に当たり、その後にフライパン越しに顔面をぶつけた次第であるので、ごつごつした壁に当たるよりもダメージは少なくなっている。それでも痛みは普通に訪れる。「いたたたた……」 閉じた瞼の端から涙が滲み、フライパンをまたもや地面に落として顔面を両手で覆う。ゴーストとなったトウカの体温は人間時の三分の一程にまで低下しており、冷えた両手が痛みで熱くなっている顔面を冷却し、痛みを和らげていく。 ついでに、パニックに陥ってしまった脳内環境も冷却して通常の思考を取り戻す助けも一役買った。「…………よし、落ち着いた。と、思う」 そう言った瞬間に瞼を開けて顔を覆っている自分の手が半透明故に微妙に向こう側が透けて見える事を確認してしまい、少々びっくりするが、それでも先程のようにパニックになる事は無かった。「とにかく、状況を整理しよう」 トウカは改めて自分の体をまじまじと確認する。手のひらや手の甲を眺めたり、自分の背中へと視線を向けたり、ふらふらと揺れる足先を興味深げに見つめたりする。「今の僕は、体が透明で、浮いてて、服着てなくて、足が一本になってる」 冷静に分析した結果を淡々と口にするトウカは腕を組んでどうしてこのような体になっているのか? と原因を突き止めようとトウカは目を閉じ、脳裏に起床してからの行動をフラッシュバックさせる。 と、ここで身体が半透明であるのに瞼を閉じればきちんと暗闇が訪れる事に疑問を覚えたが、それよりもと今朝からの出来事を思い出す事を優先した。「えっと、今日僕は普通に起きて、歯を磨いて、母さんが作ってくれた朝食を食べて、畑仕事を少ししてから夕飯のおかずを取って来るように父さんに言われたから籠を背負って近くの山に山菜を取りに行った。山の中を歩いてたら洞窟を見付けたから、折角だからクラダケも取ろうとして中に入って……」 クラダケとは、洞窟の奥底等光が差し込まない場所でのみ繁殖する茸であり、つるっとした星形の黒い笠とごつごつとした黒い石突が特徴である。 繁殖力が強く、毒性も無くそれなりに美味である事から広く流通している。また干しクラダケにする事でより一層栄養と旨味が増し、それで取った出汁は滋養によいとされるが、干す事によって独特の臭いが出てしまい、干したクラダケは駄目と言う人もいる。 このクラダケを取ろうと思い立たなければ、トウカは少なくともこのダンジョンでゴーストになる事は無かっただろう。「中に入って、それで…………その後どうしたんだ?」 トウカは洞窟に入った後の自分の行動がどうしても思い出せずにやきもきする。死因が頭部の強打故に、死の直前の記憶が途切れてしまっているようだ。「…………まぁ、ここまでして思い出せないんなら、無理に思い出そうとしない方がいいかな」 焦って思い出そうとせず、ゆっくりと思い出していけばいいと溜息交じりに結論を出すトウカ。 農村の生まれのトウカは切り替えを早く行える。人生はそう上手くいかないと骨身に沁みているのだ。 例えば、もう直ぐ収穫間際の作物が罠をかい潜ってきた害獣に食べ散らかせる、なんて事もある。そう言った場合に何故もっと罠を増やさなかったのか、早くに収穫をしなかったのかと嘆くよりも無事な作物をさっさと収穫し、収穫予定であった作物の代わりとなる物を代用するべく行動に移らなければ生きていけない場所で生まれ育ったのだ。 なので、分からない事、終わってしまった事に何時までも尾を引かずにすっぱりと切る事が出来るようになった。「……で、僕の記憶が確かなら、ここは洞窟の中って事になるけど」 トウカは改めて辺りを見渡す。光が差し込んでいない筈の空間だが、灯体が無くともしっかりと色まで分かる程に明るい。今いる場所は少し開けた空間だが、そこから人が五人並んで通れる壁に挟まれた道が三方向に伸びている。「結構奥まで来ちゃったんだなぁ」 頭を掻きながらも、地面に落としたフライパンをそれとなく拾い上げると、トウカは伸びている三本の内、近くの道へと向かって移動する。「とにかく、ここから出よう」 まずは地上に出る事を優先させたトウカは変に静かなダンジョンを進んで行く。 ふわふわと浮かびながら曲がりくねった道を行き、時には分かれ道に行き会ってどちらに進むべきか悩み、広い空間に出て複数の道が続いているとフライパンの先を地面に立ててそれを軸に回し、柄の倒れた方にある道を選んで進んで行った。 かれこれ一時間は移動した頃だろうか。「あっ」 トウカは道の端に落ちている物を目聡く見付け、それを拾い上げる。「僕のバッグだ」 それはトウカが山菜取りに出掛ける際、山菜を入れる籠の他に持参したバッグであった。 トウカはバッグの中身を確認する。中には飲料水がほぼ満タンの状態で入った水筒に、応急手当て用の包帯、それに方位磁石と地図が入っていた。 それはトウカが山に登る為に用意したものであり、山菜を取る為だけの登山なのだが、それでも上った山はそれなりに広く木々も生い茂っており起伏もあって標高もある。 なので下手をすれば軽い遭難状態にもなってしまう場合もあり、十年前にトウカは実際一人で山に入って遊んでいたら見事に遭難してしまい、丸一日山の中で過ごす羽目になってしまった経験がある。 その経験から、山に入る際は迷わないように方位磁石と地図を持ち、怪我をしてもある程度は大丈夫なように包帯と水を常備するように心掛けるようになった。「ここに僕のバッグが落ちてるって事は、この先に出口があるのかな?」 バッグを背負ったトウカは道の奥へと視線を移す。道の奥で何やら変なものを発見してしまったトウカだが、如何せん遠くて何であるか分からない。 なので恐る恐る近付いてどのようなものか判別出来るくらいまで移動する。「あれって……」 視線の先は曲がり角であるが、その角から少しだけ姿を見せているのは、人の手であった。 トウカはそうと分かると、更に速度を緩めて近付く。その人の手は肘から先しか見えないが地面に投げ出されるようにして力無く横たわっている。 こんな洞窟の往来で人が寝ているとは思えないトウカはごくりと喉を鳴らし、冷や汗をかきながら慎重に力無く横たわる手の方へと向かう。 トウカは二つの可能性を考慮している。 一つは怪我を負ったり毒茸を食べてしまって身動きが取れなくなって横になっている人である事。 もしそのような人ならば怪我ならば水筒の水で傷口を洗い、包帯を巻くくらいの応急処置を施せるので少しばかりは役に立てるが、毒茸等に関しては早急に村に連れて帰って解毒薬を呑ませなければならないと考えている。 トウカにしてみれば怪我や身動きの取れなくなった人を放っておける程に冷めた性格をしていない。農村では常に人と人が支え合いながら生活していっているので、人が困っているのあらば手を差し伸べるのが常だ、と言う考えが身についている。 しかし、それならばゆっくり近付くのではなく、もっと早く行けばよいのだが、もう一つの可能性がそれを躊躇わせている。 もう一つの可能性。それはつまり、あの手の主が死んでしまっている可能性だ。 このように岩でごつごつとした洞窟では足を滑らせて頭を強打し死亡、強烈な毒茸を食べて中って死亡、毒蛇に噛まれて死亡等、死亡する確率は決して皆無ではない。 また、その中でトウカが懸念しているのが他人の手によって殺されていると言うものだ。 洞窟と言うのは奥に行く程人の目につかなくなるが故に、ごろつきや盗賊と言った類のならず者が救っている場合がある。そう言った者がテリトリーに無断で入ってきた見ず知らずの他人を殺してしまうなんて場合もあり得るのだ。 実際、三年前に村の住人が知らずに盗賊の住処に足を運んでしまい、無残にも切り刻まれてしまった事があった。なので、トウカは慎重に足を運んでいる。 慎重になるのには他に理由があり、それは近付くに擦れて鼻孔につく臭いが近付くのを躊躇わせているからだ。この臭いをトウカは嗅いだ事があり、それも結構身近な場所でつい最近である。 それは農村の端の方で、山の麓の森の中である。猟師が仕留めた鹿を木に逆さ吊りにし、首元をかき切って血を抜き取り、皮を剥いで内臓を取り除いていった際に嗅いだ、血の臭いだ。 十メートルは離れているであろう場所からも嗅ぎ取れるとなると、決して少なくない量の血が流れている事を意味している。 故に、最悪の可能性を一番大きくしてしまい、慎重――警戒をして近付いている。 近付かないと言う選択肢は怪我をしているかもしれないと言う一つ目の可能性を捨て切れずにいるので頭の中には存在していない。 トウカは近付く毎にフライパンを掴む力を無意識のうちに強くしていき、何時でも振り抜けるように構える。 遂に手が眼前の地面下にまで近付いたトウカは、ここ一番で強くなった血と肉の臭いに不快感を覚えて鼻をつまみ、そっと角から顔を出す。 少しずつ顕わになる腕の奥には、俯せの人の上半身があった。それも、血に塗れた。頭部に一番血が付着しており、そこから血が流れ出たのだと誰が見ても分かるような状態であり、頭部が接している地面には血溜まりが生成されていた。 それを目の当たりにしたトウカは直ぐ様飛び出して頭から血を流している人の生死を確認する為に脈を取る。幸いな事に脈は拍動しており、生命を取り留めている事が分かり、安堵からほっと一息吐く。「あの、大丈」 夫ですか? と言葉を続けようとしたが、直ぐ様驚愕によって呑み込む事になる。 倒れていたのは人ではなかったのだから。 血に濡れた太陽のような金髪は腰まで真っ直ぐに腰まで伸びており、トウカが見た事も無い程に鼻が立って眉の細い整って美しい顔立ちをしている女性の頭部を有している上半身はまさしく人間のそれであるが、下半身が人間の物とは懸け離れていたのである。 その形状は現在ゴーストであるトウカに近い形状となっている。あくまで近いだけであって、同じではない。足は存在しておらず一本に纏められたかのような形状だが、トウカと決定的に違うのは尾ひれが存在し、鱗が密集している点である。 人間の上半身に魚の下半身を持っている。人間ではない彼女はカテゴリーとして人魚と呼ばれるモンスターである。 人魚の生血を飲めば八百年は生きると噂される長寿の秘薬と噂され、それが嘘とも知らずにモンスターであるので罪悪感が湧かずに人間によって乱獲されてその数を激減されてしまった。 今では三百にも満たない個体数しか生息していない。 そんな人魚が海でも湖でもない場所で頭から血を流して倒れているのは非常に不可解な現状である。 トウカは生まれて初めて人魚を目の当たりにしたが彼は生まれてこの方農村から離れず、海に赴いた事が無いので人魚の存在はおろか名前も知らないで生きて来たので魚の下半身を持った女性が人魚であるとは分からないでいるし、水辺も無いこんなダンジョンの道の角で倒れていてもなんら不思議に思っていない。「…………ん」 と、人魚は身動ぎをして顔を上げて少しぶれている碧眼の双眸をトウカへと向ける。「み……」 凛として鈴虫の奏でる音色のように心地のよう声音を耳に内包された鼓膜に響かせたトウカは一瞬聴き惚れてしまったが、即座に被りを振って現実に戻る。「み?」 人外故に警戒をしながらもトウカは聞き返すと、人魚は掠れる声で彼に告げる。「水…………下さい……」 それだけ言うと、人魚はふっと力を失くし、目を閉じて再び血溜まりへと顔を埋めてしまう。どうやら気を失ってしまったようだ。 血溜まりに顔を埋める人魚を眼下にトウカは人語を話すので話し合いが可能だろうと警戒を解き、水よりもまずは傷の手当の方が先だろうと結論付け、バッグから包帯を取り出すのであった。


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