異世界仙人譚

島地 雷夢

第8話

 皆と再会してから、およそ二ヶ月が経った。 今日も空が青くブルー・キュラソー(酒)を連想し、雲がきめ細やかで綿飴に見えてしまう。「あ、ちょっ! ギブギブギブ!」 少しの現実逃避をした後、俺は涙目になりながらタップを何度もする。 今、俺は熊さんとプロレスを繰り広げている。以前よりはマシになったが、未だにこの熊さんに勝てるヴィジョンは浮かんでこない。「ノォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ‼⁉」 で、俺が熊さんに極められている技がキャメルクラッチと言うもの。その巨体で俺の背中に乗り、顎に手を回して海老反りになるように思いっ切り引っ張られている。しかも、これだけでも相当痛いのにギブ宣言したら何故かより深く極めて来たんですけど⁉「ほんとギブ‼ 折れる! 俺の体が首から上下に分断されるっ!」 カンカンカンカ――――――ン。 漸くゴングが鳴り響き、熊さんが俺を解放してくれる。 た、助かった…………。 俺はぐったりとリングで倒れていると、対戦相手とは別の熊さん二匹がタンカを持って来てくれて、それに俺を乗せてリング運び出してくれる。 ここは熊さん特設のプロレスリングだ。四方を金属製のロープで囲まれており、きちんと五メートルはある金網で観客席とリングを隔離している。観客席も作られていて、三段になっている。 対戦相手は熊さん。審判も熊さん。観客の皆さんも熊さん。セコンドも熊さん。 ここは熊さんによる熊さんの為の熊さん主催のプロレス会場だ。因みに、屋外に設置されているので開放的な空間でプロレスを楽しめる仕様となっている。 あと、熊さん以外でも参加、観戦可能である。観客席には熊さんの他に鬼ごっこを繰り広げた狼達や、紐無しバンジーを敢行しやがった大鷲野郎も俺と熊さんの試合をポップコーン片手に観戦していた。 で、俺を余裕で打ち負かした熊さんは現在勝利者インタビューを受けている。この熊さん、現在王者である。そして防衛戦を全て勝ち取っていて王座に居座り続けている凄い熊さんなのだ。王者の証として、腰にはデフォルメされた熊の手が彫られたベルトを巻いている。 一応言っておくが、最初からこの王者な熊さんとの試合をこの一年していた訳じゃない。大体三ヶ月前――俺が仙気を生み出せるようになってから週に一回相手をして貰っている。 それまでは年の若い新人プロレスラーの熊さんと一緒に練習したり、股割したり、技の掛け合いをして基礎を叩き込んでいた。時折新人の熊さんと試合もしたけど、普通に惨敗したよ。その時のスペックは一般的な高校生に毛の生えた程度でしかなかったからな。 仙気を生み出せるようになってから徐々にいい試合が出来るようになり、最近では実力は五分五分と言った所か。 しかし、ベテランや王者にはまだまだ遠く及ばない。そろそろベテラン相手に一本取りに行けるかも? ってくらいだし。 実力差があり過ぎても王者が俺を含めて新人と試合をしてくれるのは今後の成長に期待しているからだ。試合では手加減などせずに全力で落としに掛かってくる。あと、試合の後にアドバイスもくれる。 タンカでリング外に運び出され、ベンチに横にさせられた俺はリングに顔を向ける。そこでは既に新人熊さんと王者な熊さんの試合が始まっていた。新人熊さんは果敢に攻めるも王者な熊さんの華麗な手捌きで触れる事叶わず、隙を付かれて王者な熊さんからアルゼンチンバックブリーカーを喰らって白目を剥いた。 ゴングの音が高らかに鳴り響く。あれは、綺麗に決まったな。流石は王者。美しい技だ。「大丈夫?」 横になっている俺の顔を覗き込むように、琴音が心配そうな目を向けてくる。「あ、あぁ……大丈夫。何時もの事だから」 軽く手を振って大事ない事を琴音に伝える。 二ヶ月前に再会を果たしてから、琴音は数日置きに蓬莱へと来ている。 俺が琴音に醜態を晒した後に来た際に俺は即行で土下座をして弁明と釈明と謝罪を繰り広げた。 琴音は「これからは程々に」と言って許して(?)くれた。 で、琴音が蓬莱に来て何をしているかと言えば、俺の鍛錬の手助けと言う名の負荷を掛けている。それは山の頂から麓までのダッシュや狼達との鬼ごっこに置いて、漫画や小説でよく見かける【重力操作】によって体を重くして負荷を掛けると言うもの。これの御蔭でこの頃は楽になって来ていたのが一年前と同じくらいの過酷さに置き換わった。 ただ、石の上での瞑想、熊さんとのプロレス試合、滝行等をしたり仙人達からの仙術指南を受けている際には【重力操作】は使わず邪魔にならないように端でこちらを見ているだけだけど。 蓬莱への琴音の送り迎えは【転移】スキルを持ってる子がしている。その子も時折蓬莱に残って仙人達と何やら話をしていたりもする。因みに、今日はいない。時間になったら琴音を迎えに来る。 琴音が俺の鍛錬を手伝ってくれているのは、頼んだからじゃなくて、琴音自身の意思だ。琴音が蓬莱に通っている事を同級生達が知り、二週に一度設けられた下山日に「「「「「制裁をぉぉおおおおおおおおおおおおおおお‼‼」」」」」と追い駆けられた。手に持っていた鈍く光る剣や槍が恐怖を助長させてたな。 ただ、剣で切られたり槍で刺される事はなかった。これも琴音の一言が影響していて「鍛錬を手伝いたかったから」と口にしたら即座に暴動は治まった。御蔭様で五体満足でこうして鍛錬に励めている訳だ。ただ、その時同級生男子全員から頬にキツイ平手打ちを貰ったけどな。 因みに、琴音が鍛錬を手伝ってくれる理由は分からない。ただ、それを訊いた時の琴音の眼には揺るがない決意が垣間見えていた。何が琴音をそこまで駆り立てているのか今でも分からないが、俺としても手伝ってくれるのは有り難いので深くは訊かない事にしている。「飲む?」 琴音が蓋を開けた水筒を俺に差し出してくる。中身は確か砂糖と塩を水に適量溶かしたスポーツドリンクに似せた奴だったか。あと、それにレモン果汁で酸味をつけてたっけ。「飲む。あんがと」「ん」 俺は上体を起こして琴音から水筒を受け取り、ゆっくりと飲み下していく。いい感じに甘じょっぱく、酸味が効いていて疲労が和らいでいく。 …………これに酒を足してカクテルにしたら旨いんじゃないか? って考えてしまった時点で俺はもう末期だろうな。もうどんだけ酒に毒されてしまったんだよ? 禁断症状はまだ出てないけどさ。と言うか、仙人に禁断症状は出ないらしいけど。 ここ最近、鍛錬後に飲むのが格別に旨くて大量に飲んじまってるんだよなぁ……。二日酔いにならない身体になってるから苦にはならないけど、少しは自制しないとな。………………出来たら、だけど。 出来たらいいなぁ……。欲に負ける確率高いけど。そして仙人達と何時も通り馬鹿騒ぎを繰り広げる未来が容易に想像出来てしまう。せめてもの救いはその場面に琴音がいない事か。基本的に酒盛りは琴音が帰った後――夜に行われるからな。この間のあれは偶然朝っぱらから開催してしまったが故の事故だ。そうそうあんな偶然は起こらない。実際、あれ以来琴音が来る時間帯に酒盛りは開催されていないし。「ん?」 天を仰いで哀愁を漂わせていると、上級を巨大な物体が過ぎ去って行った。翼をはばたく音を響かせながら、それは仙人達の住む山の頂へと向かって行った。 はばたく音が聞こえ、試合をしていた熊さん、観戦していた狼達や大鷲野郎までも上を見ていた。 上を通り過ぎて行った何かは、ファンタジー世界を代表する生物のフォルムをしていた。 長い尻尾、逞しい四肢、蝙蝠を連想させる翼、蜥蜴のような顔。「あれって……」「多分、ドラゴン」 俺の呟きに、琴音が答えてくれた。 異世界に転移してから一年と二ヶ月。 初めて、ドラゴンを見た。 と言うよりも、ファンタジーな生物を初めて見た。

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