End Cycle Story

島地 雷夢

第52話

 都心部の方へと歩いていても、牛乳をくれたおっちゃん以外には誰にも遭遇しない。あれ? ここに住んでる人は早朝のウォーキングとかジョギングはしない方なのかな? 俺はやや圧迫感のある背の高い建物群の下の道を悠々と歩く。また、牛乳もちびちびと呑む。一気に飲み干してもいいのだけど、記憶を失ってから現在に至るまで食べ物飲み物を口にした記憶が無い。もしかしなくても絶食だったのだから、いきなり冷たいもんを胃の腑へと流し込んでしまうと腹を壊しそうだな、と思ってゆっくり飲んでいる。 でも、あんまり腹は空いてないんだよな。気絶中は点滴でも打ってたとか? いやいや、だとしたら庭で横たわってる筈無いし。外で点滴打って寝っ転がらせられるなんて非常識にも程がある。しかも地べたに直で寝てた訳だし。だとしたら部屋で点滴打って、その後外して外に連れ出されたとか? そんな七面倒な事はしても利点なんてないし、それならずっと点滴していた方が俺としても有り難い。針の後が少なくなるし。 一応腕を確認しても針が刺された跡なんてないから点滴はされていない事が窺える。だったら、何で腹減ってないんだろうな? もしかして空腹が絶頂を迎えて逆に空腹を認識出来なくなっているだけとかか? それはそれで危険だな。 まぁ、空腹であるにしろないにしろ牛乳はゆっくり飲みますけどね。冷たい飲み物の一気飲みは身体に悪いし。 あぁ、食道を伝って胃へと流れていく感覚が何と言うか懐かしいなぁ。 牛乳を飲みながら辺りを見るが、背の高い建物が乱立し、街灯があって、道路も車道と歩道で分かれてるけど街路樹は無い。植物が見当たらないと物寂しさがあるなぁ。植物は心の安らぎもしくは目の保養にいいだろうに。アロマセラピーとか、緑は目に優しいとか。 やっぱり、そう言った知識はあるんだよなぁ。考える程に俺の常識は世間の常識なのだろうかと疑問に思ってしまう。考えるだけで思い出そうとはしていないので頭に痛みは走らない。 そもそもだ。思えばこの街には電柱とか電線が存在していない。マンホールがあるから下水処理施設とかは確実に存在するのだろうけど、何と言えばいいのか、少しアンバランスだ。今も尚灯りの灯っている街灯はどうも電気で稼働している訳じゃないのだろうか? あの灯りを見る限りどう見ても火ではない。火だったら揺らめく筈だし。あ、密閉されてれば空気の流動が無いからそもそも揺れないか。いやいや、密閉されてれば酸素がすぐに枯渇して火は短時間で消えるからな。十中八九火ではない。でも空気の吸入孔があれば関係ないか。 とか思っていれば街灯の灯りが一斉に消え失せた。さっきよりも陽が高くなってるから、もう街灯の灯りは御役目御免となったのだろう。そうなると、これは点く時間帯を最初から設定していると考えていいのだろうか? しかし、そうなると本当に電気で操っているのではないのだろうか? もしくはガス灯だとか? ガスを地下から引き出して燃料にしてるとか? 時間になるとガスの元栓を開閉して一斉に点けたり消したりするのかな? …………考えても埒があかないけど、どうしてだろう? 記憶を思い出そうとするのとは違うからか、微妙に安心する。ん? 安心じゃなくて、落ち着くか? まぁどっちでもいいけど何でだ? ただ考えてるだけだってのに。それも他人からすれば至極どうでもいい事だし。「う~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん?」 まだ中身の残っている牛乳瓶を右手に持ちながら腕を組んで首を捻る。はてさてはてさて。よく分からんぞ。目を瞑って思考を凝らしても、やっぱり分からない。でも不安にはならない。んん~~?「どうしたんですか?」「ん?」 目の前から声を掛けられたのでそちらを改めて向く。「おっと、御免」 なんか数センチしか間が無いくらいに至近距離に一人の女性が立っていた。危ねぇ、正面衝突する所だった。このままでは目の前の女性もさぞかし居心地が悪いだろうと思い、二歩程下がる。「では、これにて」 女性が声を掛けなければ、ぶつかって牛乳を引っ掛けていたかもしれないんだよな。そう考えると本当に危なかった。服のクリーニング代なんて持ち合わせてないから、そんなちょっとしたトラブルでも今の俺には解決出来ない。 そう思いながら、進行方向を右斜めに変更し、軽く会釈をして女性を避けながら前へと進んで行く。そう言えば、牛乳くれたおっちゃん以外で初めて会うな。「待って下さい」 何故か女性が俺の手を掴んで引きとめてくる。何故に?「えっと、何か?」 牛乳の水面が波打つけど、半分以下にまで減っていたから零れる事は無かったのが救いかな。零れてたら服に掛かってたよな。俺の服にだけど。「いや、先程から前を見ずに何か考えていたようなので、何について考えているのだろうか、と思って。私でよければ訊きますよ?」 で、俺を引きとめた女性だけど、服装としてはシスターと言えばしっくりくる。頭を隠すように白い布の頭巾? でいいのかな? まぁそんなのを被っていて、紺色の修道衣を着込んでいる。背丈は俺と同じ。眼はくりっとしてて鼻は少し低めだけどあと、そばかすもあって世間一般の美人ではないのだろうけどそれがチャームポイントになるんだろう。青い瞳に額に少し掛かっている前髪と眉毛の色は水色……人間て水色の髪の毛してたっけ? ちょっと違和感が。黒とか茶色とか金色とかなら分かるけどさ、水色?「あの、さっきよりも眉間に皺が寄ってるんですけど? あと顔がどんどん近付いてるんですけど?」「あ、御免。何でもない」 どうやら初対面の女性に悪印象を与えてしまったようだ。眉根を寄せて少し体退いてるし。俺は直ぐに近付いていたと言う顔を元の位置まで下がらせて軽く頭を下げながら謝る。「で、最初に戻りますけど何か悩み事でもあるんですか?」「いや、悩み事…………って言えばそうなんだろうけど」 記憶喪失は紛れもない悩み事だけど、今はそれじゃなくて自分の常識に関しての疑問を思い浮かべていただけなんだけどね。最新の情報は貴女の毛の色についてですけど。「さっきも言いましたけど、私でよければ訊きますよ?」 女性は居住まいを正すと、真顔――ではなく柔らかく口角を上げて微笑んでくる。「いや、そこまでは。って初対面の無礼な男によくそんな事言えるね君」 うん、本当そう思う。失礼にも顔を近付けたり見知らぬ間に急接近していたり、あと下手をすれば牛乳を引っ掛けてしまうかもしれなかったのになぁ。俺だったら警戒心ばりばりだよ。「無礼ではないとは思うけど、まぁ、私は修道女ですからね。悩める人の役に立つのも仕事の一環ですし」 と、女性はそつなくそう答えた、あ、やっぱり修道女なんだ。「修道女、ねぇ。キリスト教?」 修道女って言えばキリスト教のイメージがある。仏教は尼さんだし。イスラム教とかヒンドゥー教がほぼ全く知らないからイメージしづらい。なので目の前の女性に率直に尋ねる事にした。すると、女性は目をぱちくりして口をポカンと半開きにする。「キリスト教? 何を言ってるんですか?」「へ?」 あら、違うのか、だったらイスラムかヒンドゥーか。はたまたユダヤか。「そんな宗教はありませんよ」「へ?」 けど、そんな考えも女性の言葉から一気に吹き飛んでしまった。キリスト教が……無い? そんな訳はないだろ。宗教の名前くらいなら大概の人は知ってる筈なのに、この修道女は知らないどころかないと言っている。どういうこっちゃ?「そもそも、バルーネンとその周辺国での宗教と言えば一つしかないじゃないですか」「はい?」 バルーネンって何? もしかしなくても国名なのか? 知らない。あと周辺国で宗教は一つしかないってのも違和感しかない。普通ならば宗教は国が違えば当然違ってくるだろうに。でも、女性の言葉からは嘘だとは感じられないかな。まず初対面の相手にここでは常識だろう事を嘘吐く利点が見当たらないし。あぁ、ここでも俺の常識がずれてるな。俺の常識は世間の常識ではない、か。一つ賢くなったよ。 とか心の中で独り言をつぶやいていたら、修道女は何時の間にか俺の顔をまじまじと見ている。そして少し顔も近付いている。さっきの俺と立場が逆だな。「…………もしかして、貴方」 修道女の女性は俺を指差す。人を指差すのは失礼にあたるだろうに、修道女がしていい行為ではないとか思うが、その指先が、と言うか女性の肩とか全身がわなないているのが逆に気になる。どうしたのだろう?「は、はい」 疑問に思っていた為に少しどもってしまいながらも、続きを促す。すると女性はゆっくりと口を開いて言葉を紡いでいく。「異国の剣士、ソウマ=カチカ様ですか?」「え? えっと、確かに俺はソウマだけど」 剣士の前に異国ってついてるけど、あと何故に様付なんだ? っと、ここでも俺についての情報を手に入れた。俺は今いる国――多分バルーネンって言う所――とは別の国から来たらしい。あとおっちゃん以外にも俺の名前を知っているのだからそこそこに名が知られているらしい。それがいい意味なのか悪い意味なのかは今の時点では見当もつかないけど。 あれ? 何時の間にか女性は震えが止まっている。と言うか、瞳すら揺らがないし、瞬きも無い。呼吸も止まってしまっている。もしかしておっちゃんの言ってた大会のハプニングで何かとんでもない事をやらかしてお尋ね者とかになってたりして? いや、それだったらおっちゃんは応援してるとか言わないだろうし。いや、おっちゃん自体が俺の賛同者? とかだったらその限りでもないか。「…………き」 と、五秒程固まっていた修道女はまた震え出して、何やら詰まっている喉から無理に声を出しているかのように一音だけ発した。「き?」「きゃぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ⁉⁉⁉」「うおっ⁉」 突然の絶叫に俺は咄嗟でその場から後ろに飛び退って身を硬直させる。何何何っ⁉ どうしてこの自称修道女はいきなり目を見開いて、と言うか瞳を輝かせて頬に手を当て、あまつさえ頬も赤くして叫び声を上げたのだろう⁉ 俺には皆目見当がつかない。「わ、わわわわわわわわわわわ私っ‼」「はいっ!」 距離を開けた俺に修道女は眼にも止まらぬ速さで近付いてきて俺の手を握って上下にぶんぶんと勢いよく振ってくる。痛い。色の違う左腕がきちんと痛覚を発揮している事に安堵を覚えるけど、今はそれどころじゃないな。「そそそそっそそソウマ様のファンなんですっ‼」「ふぁ、ファン?」 手を握って振りながらそんな事をのたまう修道女。うわっ、本人を目の前にしてミーハーの如くファンですと口にする人初めて見た。…………じゃなくて。「あの、ファンって」「ファンはファンです!」 駄目だ話が通じ無さそうだ。もう瞳には理性は欠片も存在しない。あるのは狂気とも見紛うばかりの威圧の眼差し。これって人気アイドルの追っ掛けファンとかが宿してそうだよ。ヤバい、背筋に嫌な汗が流れてきた。あと、戦慄を覚える。「予選ではGブロック四位でしたけどまさかその時点では実力を隠しながら戦っていたとは思いませんでした! 副団長様との戦いは正に手に汗握る展開の連続でしたよ! そもそも副団長が違反をしてしまったのはいただけないと思いますが、それは致し方ない事と承っていますので副団長様を卑怯とは言いません。それにご自身の体を傷付けると言う戒めも行っていましたので、恐らくあの場にいた方々は副団長様を悪くは思っていないでしょう。で、話を戻しますけど、勝負の際に暫くの間得物を持たずに善戦をしていたソウマ様は凄いですよ! 普通副団長様に勝てるのは団長様くらいのものです! ナンバースリーのヴァン様ですらも足元に及ばない副団長様と互角の戦いを繰り広げ、あまつさえ」 俺はじりじりと後退するも、掴んだ手を放さずに獲物を追い詰める肉食獣のように距離を詰めてくる修道女はマシンガントークで何やら口にしている。俺の失った記憶についても触れられているのだろうけど、ちょっと今は訊く気になれない。身の危険を感じているから。まぁ、命に関係はしていないけど、別の危険がひしひしと肌を刺激してくる。 …………一人で早朝に出歩かなければよかったなぁ、と悲観に暮れる事になった。

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