End Cycle Story

島地 雷夢

第49話

 死にたくなるような頭痛から解放されると、俺は仰向けになっている事に気付かされる。手を横に広げ、足も開いて大の字になって天を仰いでいる。薄らと眼を開けると、頂点に辿り着いた太陽の輝きが直接目に入ってしまい、咄嗟に右の手の甲で眼を覆って光を遮る。 と、ここで俺はどうして仰向けになっているのか疑問に思う。服の布地に覆われていないうなじ辺りの感触から言えば、冷たい土でもなく、ごつごつと固い石でもなく、ふさふさとくすぐったい丈の短い草の上に寝ている事が窺える。 外で大の字になって寝ていたのだろうか? それにしてもこう草があるにもかかわらず太陽光を直視しないようにした視界には空を遮るような木々は全く入って来ない。俺の眼には端に太陽、蒼穹に浮かぶ純白の雲が漂っているのが分かるくらいだ。寝るにしては木陰などにいないと熱射病の危険もあるだろうに。 気温にしても、長袖だと少しばかり暑いと感じる程で、服の下にはうっすらと汗がにじみ出ている。それと同様に、額に浮かんだ汗に前髪が貼り付いて鬱陶しさを感じる。このまま寝ていたのならば脱水症状にもなりかねない。そんな気がする。 さて、こんな昼寝をするのに少々悪条件な場所で熱転がっていた俺はどうしてここにいるのだろうか? 思い出せない。う~~ん?「ソウマさん、大丈夫ですか?」 と、小首を傾げていると視界の左端から赤茶の髪の女性――少女と言った方がいいのか?――の顔が現れる。やや眉根を寄せ、目尻を下げ気味にして心配そうな顔をしているが、どうしてそんな顔をしているのか皆目見当もつかない。 と言うか、ソウマって何だ? 理解しようと頭の中を回転させていると、赤茶の髪の少女は目を軽く開いて、その後にやや目を細める。口の端が気持ち少しばかり下がって、何て言うのか、失念していた、と言うような表情を作った。「ソウマ、と言うのは貴方の名前ですよ」 傍から見ればぎこちなく動かしているように見える口からそのような言葉が聞こえてきた。ソウマ。それが俺の名前……? ソウマ? ソウマ――。ソウマ…………? 今一しっくりと来ない。そもそも、本当に俺の名前なのだろうか? 名前ならば、俺は直ぐに反応出来るだろうに。 と思ったが、俺は自分の名前も思い出せない。それに気が付く。あの凄まじい激痛を今は味合わないでいるが、いやいや、あの激痛がどうして起きていたのかさえも今の今まで忘れてしまっていた。兎に角、俺は自分が何者なのかを忘れてしまっている。だからソウマと言う言葉に反応出来なかったんだろう。「……本当に忘れてしまったんですね」 切なく聞こえる声で少女はそう言うと、視界から消える。すると、左腕に圧迫感を感じる。状態を僅かに起こして確認すると、少女が俺の左腕の肘辺りを握っているのが窺えた。 その肘だけど、袖が破れていて露出しているから普通なら肌色が見えるんだろうけど、そんな事は無かった。透明感のある白。それが俺の左腕の色だった。 ふと、今度は自分の右腕の方を見ればこちらは袖が普通にあるし、肌色の皮膚をした手の甲が見える。これが普通の腕というものだろう。だとしたら、俺の左腕はどうなっているんだろう? と、疑問に思っても全く思い出せずに頭をひねるばかりだ。 そもそもこれは俺の腕なのかさえも不可解だ。感覚はあるけど肘を握る少女の圧迫は本来ならば弾力のある肉を押し込んで骨へと到達するような感覚があるのだろう。それが正常な感覚だと個人的な意見としてそうしておく。けれど、この左腕は圧迫感はあるけど全く形状を変化させない。圧迫された部分が押し込まれない。かと言って試に指を動かせば違和感なく動くし、地面に生えてる草を触ってもきちんと触覚を伝わって触れていると分かる。 率直に言えば、かなり変だ。いや違和感なく動かせるけど、こう感触が変なんだよなぁ……。手首を回して見たり指をぷらぷら動かしてみても思いのままに動く。それが自然に行えるけど皮膚の引っ張られる感覚や骨の擦れる感覚とかがないと、落ち着かないっていうか……。「ソウマさん?」 と、少女が心配そうに俺に声を掛けて来た。どうやら少女としては俺が何か変な行動をすると不安になる様子だ。どうしてだか知らないけど。「何でもない」 そうとだけ答えると、俺は取り敢えず起き上がる事にする。左肘を掴む少女の手をゆっくりと離し、軽く首を回して立ち上がり、辺りを見渡す。 ここはどうやら何処かの庭? なのかな? そんな場所だろうと推測出来る。綺麗に切り揃えられた芝生が今し方まで俺が横になっていた場所で、遠い所には庭木が植わっている。それも規則正しい間隔で植わっているので法則性に基づいて植樹されている事が窺えるのが余計に庭だと訴えて来るものだ。 いや、それ以前にも向こうの方に何やら壁のようなものが拝見出来る。それもこの空間をぐるりと囲むように連なっているからある意味でここは隔絶された場所とでも言えばいいのだろうか? それにしてもやけに背の高い壁だなこれ。ん? 窓とかあるのを見ると建物と見た方がいいのだろうか? そこは追々検証するとしよう。 それよりも、俺の目に焼き付くのが、この空間の中央に聳え立つ巨大な石だろう。装飾された柱? に囲まれたそれは俺なんかよりも大きくて、おおよそ十メートル程離れていてもその存在感は嫌と言う程にある。どうしてこんな巨岩がぼんと庭の中央に陣取っているんだろう? 考えても考えても、この場所、岩の意味、さっぱり分からない。そもそも、どうして俺は分からない事ばかりなのにここにいるのかが……いや、俺が記憶を失くしているからなんだろうけど。 はぁ、疲れてきた。 兎にも角にも、俺は記憶を失くしていて、名前はどうやらソウマと言うらしい。で、左腕が可笑しい、と。 結局の所、それしか分からないのだからこれから先はどう生きて行こうか悩む。記憶を失う前の俺は一体何をしていたんだろうか? 学校に通っていた? 職に就いていた? それとも無職だった? と言うか、今更ながらに自分の記憶は無くても知識はあるんだな。学校とか、無職なんて言葉がすらすらと頭の中に浮かんでくるんだから。そこから推測すると、俺は知識はそのまま保持していて、俺が体験・経験してきた事柄を綺麗さっぱりと忘れてしまっているようだ。 ううん、綺麗さっぱりじゃない。痛みに苛まれながらも、朧げにだけど追体験して思い出そうとした記憶がある。俺はそれを思い出そうとすれば、いずれは全ての記憶が思い出す事が出来るんじゃなかろうか? と画策する。 そうと決まれば早速と追体験していたあの記憶を必死で思い出そうと脳を稼働させる。
 ――――――――――――――――ピシッ――――。
 が。「ぐぁぁああああああああああああぁあああああああぁあぁあぁあああああぁあああぁああああああああああああああっ‼」 それを元にして記憶の復元を試みると、あの黒い空間での時と同じように、頭に激痛が走り、頭を押さえて早まる動悸と冷や汗に血の気が無くなる感覚が一気に襲い掛かってくる。 記憶の復元には、やはりそれ相応の代償が必要だった。あの黒い空間限定じゃなくて、恐らく記憶を追体験していない、現実にいる自分が記憶を思い出そうとしても頭に痛みが走るようだ。「ソウマさん⁉ どうしたんですか⁉」 目を瞑っているから完全には把握出来ていないけど、少女が声を荒げて俺の左の二の腕と肩を掴んで揺さぶっている。少女が一体どんな表情でゆすっているのか確認するのさえも億劫に感じる程の痛みが激流となって全身を巡り、そのまま脳へと戻ってそこで荒れ狂う。 痛みに耐えかねるけど、それでも俺は必死になって記憶を戻そうと、思い出そうと朧げな残滓を元に手繰り寄せていく。だが、それでも残滓は鮮明になる事はなく靄の掛かったかのようなぼやけ具合のままだ。「あぐぅうぅあぁああああああああああああああぁぁああああああああああああぁぁぁああああああああああああああっ‼‼」 声を荒げて痛みを拡散させようと足掻きながらも、決して諦める事も無く手繰り寄せる。 全身から汗が吹き出し、体が震え出してくる。体が火照り、一気に底冷える。脳には針が刺されたような、火で炙られるかのような、氷水の中に漬け込まれたかのような、様々な種類の痛みが走る。 それでも、俺は足掻く事をやめない。「がぁぁぁぁあああああああああああああぁっぁあああああああああああああああああああああああああぁぁっぁああああああああああああああああああっ‼‼‼」「ソウマさん⁉ ソウマさんっ‼」 とても遠くにあって、手を伸ばしても決して届く事はない。分かっていても伸ばさずにはいられない。そうしないと不安になる。恐怖に身を縮こませてしまう。「ハイヒール!」 記憶が無い。思い出せない。本当の自分が分からない。それが不安で怖くなる。「そんな、どうして効かないんですか⁉」 あの黒い空間で声に言われた通りに、この記憶の残滓さえも忘れてしまえば苛む事はないけど、やはり、改めて痛みが激走していても手放す事は出来ない。それが俺の生きていた証でもあるし、俺が俺であるための存在理由だから。「キュア!」 記憶のあった頃の俺は一体どんな性格だったのだろう? どのような口調だったのだろう? どのような体の動かし方をしていたのだろう? それらを思い出そうとする程に痛みは増していき、立っているにはとても辛く、その場に崩れ落ちて生まれ落ちる前の胎児のように丸くなって堪えようとする。「『キュア』も効かないなんて……どうすればっ⁉」 残滓。 記憶の残滓。 記憶の中でも特に印象深かった記憶。 記憶の中でも特に忘れたくない記憶。 取り戻したい。 思い出したい。 この痛みに耐えた先にはこれらの記憶はあるのだろうか? いや、きっとあるんだろう。あって欲しい。 朧げな過去へと向かい、自身の軌跡をなぞるように。
 ピシピシピシビキッ‼
「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――っ‼‼‼」 声にもならない叫びを上げ、目の前が白一色に染め上げられる。 その後に、じんわりと赤が広がっていき、鮮紅色から赤黒へと変わっていく。 耳には音が何も入って来ない。 皮膚には何が触れているのか全く分からない。 視界は赤一色。 鼻が麻痺して周りの匂いも判別出来ない。 あぁ、辛い。ただそれだけの言葉が浮かんでくる。 それはこの痛みを味合わなければならない事に。 それは思い出そうとしても思い出せない煩わしさ故に。 俺は、俺は、おれは、おれは。 何者だ? 何者だ? 何者だ? あぁ……ああぁぁ、分からない。思い出せない。 思い出したい、思い出したい、思い出したい。 そう願っても記憶は戻らない。復元されない。 必死で願っても願っても。 手を伸ばしても伸ばしても。 全力追い掛けても追い掛けても。 叶う事はない。 届く事はない。 追い付く事はない。 痛みと言う感覚さえも温さを感じる程の激動の流れ。頭部に集中するそれは次第に全身へと行き渡り、五感というものを全て上から塗り潰していき機能を停止させていく。俺は今どうしているのかさえ不明瞭で、不可解。唯一俺に許されているのは思考のみ。この思考――過去を思い出そうとする事さえ止めれば俺は正常に戻る。 それでも俺は思い出そうと必死になる。
 すると、真っ赤に染め上げられた視界が一気に白へと変貌し、その中央に誰かが浮かんできた。
 今までの朧げで、霞がかったようにぼんやりとしたようにではなく、輪郭や細部の装飾に至るまできっちりと分かる程に鮮明な姿で。 けど、顔は見えない。それは単に俺に背を向けているように立っているからだろう。 ロングブーツを履いていて、ズボンにシャツ、腰のベルトにはどうやら剣を佩いているらしく、鞘の先が俺に向けられている。肩の方にはなにやら肩当のようなものが取り付けられている。 少し波のようにうねっている髪の毛の色は赤で、それを項辺りで一つに纏めている。 多分、髪も長いし、立ち姿とかから女性なんだろう事が窺える。 この人は一体誰なんだろう? そう疑問に思うけど、それとは別に俺は感覚が全て麻痺してしまった体の一部――胸の辺りがぽっかりと無くなってしまうような、そしてそこだけが今まで思い出そうとする度に味わった激痛とは違う、ずきずきと内から外に向けて押し出そうとするような微量な痛みが現れる。 このような変化に戸惑っているうちに、その女性の姿は霧の中に消えるかのように徐々に見えなくなっていってしまった。 完全に消えてしまう前に、女性はこちらを振り返った。 けれども、女性の顔は既に靄が掛かっていて判別出来なかった。 だけど、女性が何故か悲しそうな顔をしていたのだけは、理屈は分からないけど手に取るように分かった。 顔が見えなかったのにどうしてそんな表情をしていたのかを分かったのか? と疑問に思うと、そこから一気に視界が暗転していった。

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