End Cycle Story

島地 雷夢

第48話

 荒れた空間。 瓦礫と化した建物。 俺はそれを前にしてただ茫然と立っている。 周りを見渡しても、同じように建物が崩壊していたり、なんとか止まって半壊で済んだり、強固だったのか形一つ変わらないものもある。 どうして俺はこんな所にいるんだろう? そんな疑問を覚えながらも視線を下に向ける。 人が一人死んでる。首と腕だけが投げ出されるように露出していて、残りが瓦礫の中に埋まっている。 けど、誰が死んでるのか分からない。顔に靄が掛かっていて、判別がまるでつかない。 いや、この死んでる人だけじゃない。周りの景色全てが靄が掛かったように、ぼやけてる。輪郭は分かるけど、それがどう言った建物であったのか、その面影を推測させる様な視覚情報が一切入って来ない。 ……そもそも、どうしてこんなぼやけた視界に入り込んだ瓦礫が建物だったって分かるんだ? どうして瓦礫だって把握してるんだ? どうして人が死んでるって認識出来てるんだ? 分からない。 分からない…………っ! 頭が痛い。割れるように痛い。痛みを堪えようと、もしくは消し去ろうとその場に膝をつき、両の手で頭を抑え込む。膝に瓦礫の角が当たって痛みが走るが、その感覚も直ぐに無くなり、残るのは頭痛のみとなる。
「――っ、――っ!」「――っ」「――っ!」
 と、俺の肩に手が置かれる感触があった。反射的だったが、頭の痛みから急には振り向けずにのろのろと首だけを後ろへと回す。 そこには人が三人立っていた。けど、やはりぼやける視界ではそれだけしか分からずに誰なのかが全く判断つかない。
「――――、――」
 何を言ってるんだ? 俺の耳には音が入って来るが、それを言葉として脳が書き換えてくれず、雑音のように耳障りで、それでいて心に滲みってくるような意味の分からない音となって俺を揺さぶってくる。
「――――!」「―――、―――――!」「――っ!」
 頑張って理解しようと耳を傾けてみてもやはり理解出来ず、余計に頭に痛みが走る。我慢出来ずに目を固く閉じ、蹲って痛みに耐える。 すると、今度は誰かが俺を抱き締める。そんな感触が伝わってきた。 薄目を開けると、視界に変化が訪れていた。 荒れた空間ではなく、何処か辺鄙な場所、とでも言えばいいのか、木々が立っていた。ただ、やはり靄が掛かっていてどんな木、どんな場所かまでは分からない。 そして、何時の間にか立っていた俺を抱き締めている人が誰かもやはり分からない。
「―――、―――――――」
 この俺を抱き締めてくれている人が俺の耳元で何かを囁いて来るけど、さっきと同じで言葉として変換がされない。 けど……何故だろう? この人が俺に何て言ったのかが分かる。この人は俺に「だから、あなたは生きて」って言った。何がだからなのか、どうして生きてなのかまでは分からないけど、そう言ったと分かる。 誰、なんだろう? そう思っていると、また景色が変わる。白い何かに覆われた閉鎖的な空間。 中央には木が植わっていて、噴水のようなものも見受けられるようだけど、やはり変わっても全体に靄が掛かったように朧げで、対象を識別しづらい。 しづらいけど、俺の手に抱えられるように人が眠っている。 眠ってる? 違う。 眠っているんじゃない。 この人は。 死んでしまっているんだ。 どうして? どうして死んでしまっているんだ? どうして俺の腕の中で死んでしまっているんだ? どうして俺の眼から涙が溢れ出ているんだ? 疑問が頭の中で延々と回り続けていると、腕の中から重みが消えた。もう、そこには何もなかった。 朧げだった視界も何時の間にか墨でもぶちまけたかのように真っ黒に染め上げられ、自分がどのような場所にいるのかすら、完全に分からなくなった。 一寸先も見えない程の、黒。 闇ではないと分かるのは、自分の体の色は霞むが識別出来ているからだ。 俺はこの数分、下手をすると数秒かもしれないけど、色々な場所を行っては過ぎた。自分で歩く事さえせず、他人に引き摺られていくのでもなく、引っ張り合う磁石のように引き寄せられたのでもなく、紙芝居のように周りが変わっていった。 ここ、仮にこの場所に意思があるとするならば、俺に何をさせたいんだ? 意図が全く読めない。こんな事をして、何かメリットがあるのか? 考えると、また頭に痛みが振り返してくる。 それも、先程とは比にならないくらいに激しい痛み。万力を何重にも押し当てられたかのような、脳に直接酸を掛けているような、そのような痛み。 痛い痛い痛いっ。 どうしてこんなに痛いんだ? どうして頭が痛いんだ? どうして俺はこんな所にいるんだ? 分からない。 分からないっ。「ぐ、ぐぁぁぁぁあああああああああああああああああああぁあああああああああああああああああああああぁああああああああああああああああああぁぁあああああああああああああああっ‼‼‼」 声を出せば最低でもこの痛みから気を引く事が出来るのかもしれないと体が無意識のうちに行動したのか、はたまた単にこの痛みに耐える事が出来なくなったのか判別出来ないけど、俺は天を仰ぎ、喉が壊れんばかりに叫び声を上げる。 痛みを打ち消そうと何度も頭を掻く。 痛みから逃れようと、その場をのた打ち回る。 けれど、一向に痛みが引く事はない。余計に増すばかりだ。「ぁぁあああああああああああああああああああああああああああぁぁぁあああああああぁぁぁああああああああああぁああぁぁぁぁああああああああああああああっ‼‼‼」 どうしたら痛みが消えるんだ? どうしたら俺は楽になるんだ? どうしたらっ⁉
――手放せ――
 脳が焼かれるかのような激痛に苛まされていると、更にそれを助長させるかのように言葉が響く。
――手放せ――
 鼓膜から振動するのではない。何時かに経験したかのような脳に直接響く言葉。 何時か? 何時かって、何時だ? そう疑問に思うと、痛みが増した。「ぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁっぁああああああああああああああああぁっ‼‼‼」
――手放せ――
 声は三回も『手放せ』と俺に囁き掛けている。
――手放せ――
 何を手放せばいいのかもわからないのに、手放せとだけ言ってくる。
――手放せ――
「な、に……を……」
――手放せ――
「て……ば、な」
――手放せ――
「何、を」
――手放せ――
「手放せ、って、言うんだよっ⁉」 痛みに負けないよう、絶叫をやめ、声に対して言葉を返す。
――手放せ――
 しかし、俺の言葉は向こうに伝わらなかったらしく、もう訊きたくもない言葉しか能を揺さぶらない。
――手放せ――
「だ、から」
――記憶を手放せ――
 更に追及しようとすると、声に変化が現れた。「記憶……っ?」 痛みで顔を歪ませながらも、声に問い掛ける。
――記憶を手放せ――
 記憶を手放すとは、一体どういう意味か? 如何せん激痛で脳が真面に機能しなくなってきているのでよく分からない。
――経験を捨て置け――
 それを汲んだのか、声は先程とは違う言い回しをした。 経験? 記憶? どうして捨てないといけないんだ?「ぐっ⁉」 疑問に思うと、更に針で刺されていくかのように痛みが増えていく。
――手放せ――
 また声が響く。
――記憶を手放せ――
 声は繰り返す。
――経験を捨て置け――
 どうして置いて行かないといけないんだ?「ぁぁぁぐぅあぁぁぅぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ‼‼‼」 考えてしまう。考えてしまうから余計に頭痛が激しさを増してき、涙が吹き出てくる。汗も滝のようにだらだらと流れ落ちていく。開いた口からは唾液が滲み出てきてしまう。
――記憶を手放せ。楽になるぞ。経験を捨て置け。楽になるぞ――
 蜜を前にしたかのように甘美な誘惑。そのように感じ取れてしまう言の葉。 楽になる。この痛みから解放される方法。もし、この声が言っている事が本当であるならば、記憶を手放せば痛みは無くなる。経験を捨て置けば苛まされる事も無くなる。 この、死んだ方がマシとさえ思える程の激痛から解放されるなら、記憶を手放した方がいいのか? ……そんな訳、ない。 記憶を手放すなんて、出来ない。記憶が無くなると、経験が無くなると、俺が俺でなくなる。全くの別人になる。そんな気がする。俺じゃなくなるくらいなら、俺は俺でありたい。
――手放せ――
 声は尚も催促してくるが、俺は歯を食い縛りながら、首を横に振って拒絶する。
――そこまで記憶が大切か?――
 当たり前だ。記憶が無いと、俺じゃなくなるんだ。
――愚か――
 自分の記憶を手放さないと決めた俺を貶すように、声は冷淡な口調へと変貌する。
――ほんの僅かしか残っていない記憶にしがみつく愚かな者よ――
 ……ほんの、僅か?
――名前も忘れ、出身も忘れ、目的も忘れ、知人も忘れ、大切なものさえも忘れ去ってしまっているとしても、その残りかすのような記憶を手放したくはないとは、愚か――
 声は俺に淡々と伝えてくる。 俺の名前は――――名前は、何だ? 出身は何処だ? 目的って何だ? 家族、友人。俺にはいただろうか? そして、大切なものって、何だ? 何なんだ? 思い出せない。分からない。頭の中を探っても探っても浮かんでこない。痛みで思考が散漫になっている事が影響している可能性があるが、それを踏まえたとしても、俺は自分の名前さえも思い出せないのはあまりにも不可解だ。 普通ならば、自分の名前くらいなら直ぐに頭に思い浮かぶ筈だ。なのに、そう言った予兆というものが全く訪れる気配は見えない。
――朧げに思い出すしかない記憶なぞ、手放せ。忘却の彼方へと置き去りにしたそれを思い出そうとすれば、更に痛みは増していくばかり――
 朧げ……。 あぁ、そうか。俺が先程まで見ていたのは、俺の記憶だったんだ。それは何が理由で失われてしまったか分からないけど、完全に消失していない記憶の中の断片。 他の記憶を追体験する事が無い事を見ると、今まで見ていた記憶は、俺の中でとても印象深かったのか、もしくは絶対に忘れたくないと言う強い想いの下残滓のような形で取り残された――声の言う通りの残りかすのような記憶。 この今も俺の頭を締め付け、脳髄を焼き切るかのような痛みは、自分に対しての戒めなんだ。そう思う。忘れたくない、忘れてしまってはいけない記憶を忘れ、それを必死になって完全に思い出そうとこうやって朧げな残滓を元に復元しようと足掻く。戒めであって、代償なんだ。 思い出そうとする程、俺の中から消失したものを補おうとして、脳を抉っている。脳内が焼き切れそうな程に稼働をさせる。だから、痛みが走る。 思い出す事を放棄すれば、この痛みからは完全に解放されるだろう。声の言った通りに。そして、俺の立てた仮説……と言えるかどうか曖昧だが、それが当たっているならば、だけど。 そう、この朧げで残滓に過ぎない記憶を完全に忘れてしまえば、それらを思い出そうとせずに無理に脳を稼働させないで済む。
――僅かな記憶を手元に残し、激しい痛みに苛まされ、気を失う事も、狂う事も出来ずいるのならば、いっそ手放してしまえば楽になる――
 それだけで、俺は痛みから解放される。
――手放せ――
 けど、俺はそれを選ばない。 こんな痛みを発してまでも、俺は思い出したい、取り戻したい記憶があるんだ。それはきっと、俺が俺として、個人としてだけど、誇れる事なんだろう。その記憶があるからこそ、名前さえも思い出せなくなった俺が俺として生きていけた。そう思えるんだ。 記憶の残滓を自らの意思で消し去ってしまえば、それは記憶のあった俺を否定するのと同義であり、記憶にあった出来事さえも必要でないと切り捨ててしまう、とても無慈悲で、身勝手で、救いようのない人間になってしまう。 流石に言い過ぎな気もするけど、少なくとも、俺個人を対象とすればこれは当て嵌まる。俺は、例え名前を忘れても、出身を忘れても、目的を忘れても、知人を忘れても、そして大切なものも忘れてしまっていても、俺と言う存在を否定したくない。俺と言う存在を取り戻したい。 だから、この残滓と化してしまった記憶は、絶対に手放さない。
――愚か――
 愚かと言われても、俺は自分の記憶を取り戻す為に、痛みを堪えながらも復元していく。
――理解出来ぬな――
 心の底から言っているのだろう、不可思議だとばかりに納得出来ない声色を最後に、声はぷつりと途切れた。 今の俺には、真っ黒に広がる光景と、頭の激痛だけが感知出来る。 俺は自分を取り戻す為に、激痛を増しながらも記憶を思い出そうと必死に脳をフル稼働させる。 初めは何でもいい。ほんの些細な事でもいい。少しでも思い出したい。 そう願い、脳を稼働させながら、急速に目の前が遠くなるような感覚に襲われる。

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