End Cycle Story

島地 雷夢

第36話


『本日臨時休業』
 『Hotel&Bazaar Garnera』の三階に立て看板にそのような文面の紙がばんと貼られていた。『Hotel&Bazaar Garnera』では一階がロビーとフロントに浴場、二階が食堂、三階が雑貨屋、四階五階が宿泊する部屋となっているらしい。 で、五階の502号室に荷物を置いて三階へと向かったらこの有様である。どう言った理由かは分からないけど、やっていないのなら仕方がない。俺達はそのまま五階の502号室へと戻っていった。 五階の部屋は複数人が一部屋に泊まるようなフロアらしく、502号室は三人部屋と言われるだけあって結構広かった。流石に高級スウィートルームとかと比較すると狭いのかもしれないけど、部屋にベッドが三つ並んでも床に二人までなら横になれるスペースがある。備え付けのテーブルの上には各階の見取り図となっていて、御丁寧にも非常階段の位置とかも記載されている。この世界でもちゃんと避難経路は確保しているんだな、と思った。また、部屋のテーブルの下には鍵付きの金庫があり、その中に貴重品を仕舞えるようになっていた。 流石にトイレと洗面台はあったけど、浴室はなかった。代わりに一階に大き目の浴場が用意されているそうだ。見取り図で知った。因みに、雑貨屋の位置も見取り図で知った。見取り図様様だよ。 浴場は午前の十時から午後の十時までの間は入れるらしい。入浴するのに宿泊客から料金は取らないそうだ。宿泊費に浴場代も入っているのだろう。宿泊客以外でも入れるそうだけど、その場合は50セルを払うそうだ。 部屋の置時計を確認すると、もう午後四時を過ぎていた。なので、今日の所はまず汗水流そうと言う事で一階の浴場へと赴いて旅の疲れをお湯で洗い流す事にした。貴重品を部屋の金庫に入れ(リャストルクとキルリの愛剣は壁に立て掛け、俺が付けていた欠人形の籠手(左)と陶蜂の軽鎧はテーブルの上に置いた)、着替えとして今日買った服と部屋に備えられていたタオルを抱えて部屋を出て階段を下りて行った。浴場は階段を下りてフロントへと向かう方向とは真逆の場所にある。 因みに、浴場はきちんと男湯と女湯で分かれていて、浴槽は大きく二十人は余裕を持って入れる広さで、檜で出来ていた。流石にシャワーは浴場でもないらしい。セデンの家の風呂にも無かったし、この世界ではシャワーは普及していないか、そもそも作られてもいないのだろう。 俺は桶で蛇口を捻ってお湯を出し、湯を溜めて体に掛けて濡らし、石鹸をタオルに擦り付けて泡立てて体を洗っていく。全身を洗い終えて髪も石鹸で洗い、泡を落として風呂に浸かる。久方振りに全身が暖まる感覚が身に沁み、ほぅっと口から息が漏れる。 二十分程浸かって、俺は上がる。あまり長湯をする性分でもないので、これくらいで充分だ。タオルで全身の水分を拭き取って、服を着る。髪はドライヤーなんて便利な道具は存在しないのでタオルで出来るだけ水分を拭き取るだけ。身支度を整えて、浴場から出てロビーへと向かう。先に上がったらここで待つ事になっていて、スーネルとリルの姿が見えないのでまだ浴びているのだろう。俺はソファに腰掛けて女性陣が上がるのを待つ事にした。 待つ事二十分。スーネルとリルがほくほく顔で出て来て俺の方へと向かってくる。髪が完全に乾いている所を見ると、スーネルは『ヒートウェーブ』の出力を調整して髪を乾かしたんだろう。俺の髪にまだ水分が残っているのを確認すると、『ヒートウェーブ』で乾かしてくれた。 俺達は一度部屋に戻ってそこで少し時間を潰し、六時を過ぎた頃に食堂へと行って夕飯を食べた。メニューはパンに野菜のスープ、そして豚の内臓と茸の炒め物だった。結構旨くて箸……ではなく、フォークとスプーンが進んだ。スーネルとリルも漸く腰を下ろしての食事だったのでゆっくりと食べた。 食事を食べ終えて部屋へと戻り、明日の予定を話し合って早めの就寝を取る事にした。折角のベッドと枕なので、今日は存分に堪能したい欲求に駆られての事だ。カーテンを閉じ、部屋に備えられたランプの火を消して床に就いたのが午後八時。スーネルとリルは数分以内に健やかな寝息を立てて夢の世界へと旅立っていった。 けど、俺は眠れなかった。 ベッドと相性が悪かった訳じゃないし、疲れていない訳でも無い。このベッドのスプリングの感覚は久しぶりで、地面に雑魚寝だった旅の就寝時よりも睡眠へと誘導する装置足り得ているし、長旅で疲れて早く寝てしまいたいと言う欲求にも突き動かされている。 けれど、寝れない。 ランプの灯りを消して何時間が経過しただろうか? もしかしたらまだ数十分しか経っていないのかもしれない。でも、俺に一向に睡魔は訪れなかった。 その理由も、勘付いているんだけど。 一人になって、静かになったから、思い返してしまっているんだ。 キルリの事を。 昼間にキルリと同じ顔をした女性を目にしてから、こんな感じだ。大会があると聞かされたり、風呂に入ったり、食事をしたりで意識から遠ざけていたけど、それ等が無くなると途端に表層へと浮かんで来てしまう。 ……本当、俺は弱いな。 このままベッドで布団にくるまっていたら際限なくキルリの事を思い返してしまいそうだったので、スーネルとリルを起こさないようにそっとベッドから抜け出し、壁に立て掛けられた剣のうち、キルリの愛剣を手に取ってカーテンを避けて部屋の窓を開ける。少しだけ冷たい風が部屋の中へと入り込んでくる。「ブラッド・オープン」 俺はそう呟いて『エンプサ・ブラッド』を解放した状態になる。別に『ブラッド・オープン』と言わなくとも『エンプサ・ブラッド』になれるのだけど、そこは気分の問題で敢えて言っている。切羽詰まっている時には言わないけど。 俺は背中に生えた翼を羽ばたかせて窓から身を乗り出して空へと躍り出る。そしてそのまま屋上へと向かう。 屋上へと辿り着き、そこに足を着けて『ブラッド・オープン』を解除し、手摺りに体重を預けて下の様子を窺う。 寝入ろうとして部屋の灯りを消した時よりも時間はかなり経過していたらしく行き交っていた人達の姿はなかった。街灯がぽつぽつとマカラーヌを照らしている。空を見上げれば、月は右側が半分欠けているのが窺える。月の光の所為か、星の光は弱い。けど、日本で見るよりも多くが輝いている様が見受けられる。 空に輝く東極星の下に聳える巨大な建築物も、暗い夜闇の中で下から照らし出してくる灯りで輪郭が分かる。この五階建てのビル群の三倍はあるだろう高さの建物は横幅も広く、尖がり帽子のように尖った屋根を持った円柱が数本枝分かれして伸びている。あそこが城なんだろう。そして、四日後にはあそこにあると言う広場で『バルーネン国武闘大会』が行われるらしい。ここからだと他の建物の陰に隠れてしまっているのか、はたまた都市を囲む塀とは別の壁によるものなのかは定かではないけど広場は見えない。まぁ、暗いってのもあるだろうけど。 俺は城から視線を外して人工的な光の灯った夜の街並みを見渡していくが、自然と口から溜息が漏れる。 ……街の様子を見て気を紛らわそうとしても、やっぱり駄目みたいだ。「…………弱いな、俺」 つい言葉にしてしまう。雀のようなか細い声は空気に溶けるように跡形もなく消え去る。そう、弱い。俺は弱い。身体的にじゃなくて、精神的に。人の死は日本にいた時も体験した。それは曾祖父であったり、近所に住んでいた人であったりと決して自分と関わりが薄い人ではなかった。この異世界に来て直ぐに人の死に触れた。その一ヶ月後にも多くの人の死を目の当たりにした。 けど、そんな大勢の人の死よりも、一人の死の方が俺の心に重くのしかかってくる。 好きになった人の死は、ここまで心の奥底にまで響き、屈んでで蹲り、そして立ち止まって目を瞑りたくなる程に辛い。 一ヶ月経っても、その感覚が消えない。スーネルとリャストルク、それにリルが近くにいると軽減されるけど、あまり小さくならない。「……キルリは、強いな」 好きになった人――キルリは両親を目の前で殺された。そのショックで一時期は完全に塞ぎ込んでいたらしい。けど、キルリは立ち直った。両親の死にきちんと向かい合い、受け入れた。キルリが立ち直るのに手助けをしてくれた人がいたからこそで、キルリ一人では出来なかっただろうけど、それでもキルリは受け入れた。人の死を受け入れられるだけでも精神は強い。 けど、キルリに比べて俺はどうだ? 一ヶ月経つと言うのに、未練がましくキルリの死を嘆いている。俺の所為でと、終わってしまった事を悔いている。 自責の念が途切れる事はない。 生きている限り、俺は苛んでいくんだろう。 スーネルに、キルリの分まで精一杯生きて下さいと言われた。俺も彼女の言葉通り、精一杯生きて行こうと心に決めた。それは違える事はないと思う。でも……昼間も思ってしまったけど、それだけでいいのか? と疑問を持ってしまう。 他にキルリの為に出来る事はないだろうか? キルリに償うにはどうすればいいんだろうか? ここ一ヶ月、少なくない頻度で考えてしまう。今日もまた、頭の中で答えの出ない自問を延々と回し続ける。その間、俺はキルリの愛剣が収められた鞘を固く握りしめる。 ……こんな事では、この先何処かで必ず心が壊れる。一ヶ月前にリャストルクが俺に言った言葉だ。あの時の精神状態よりは遥かにマシと言える状態だけど、それでも、苛む気持ちがあり続ける限り、何ヶ月後、何年後かには必ず限界が訪れて、精神が崩壊する。そうしたら、俺はどうなるんだろう? いっその事、記憶が消えてしまえばどれだけ楽なんだろうか? キルリと過ごした日々の記憶が無くなれば、苛む事なんてなくなるのに……。 自嘲気味にそう思ってしまった俺は自分に嫌悪の感情を抱く。記憶を消して楽になろうとするな。キルリと過ごした一ヶ月は掛け替えのない大切なものだろう。それを、消してしまえばいいと思うなんて……俺は最低だ。消えていい筈がない。この記憶こそが、キルリとの心の繋がりだ。これを失くしてしまえば、俺は後悔する。例え記憶を失くしたとしても、それを取り戻そうとするだろう。それくらい、その記憶は大切なんだ……っ。「くそ……」 俺は固く目を瞑り、手摺りに額をぶつける。 本当に、俺はどうすればいいんだ? 誰かに助言を乞いたい。 でも、それは駄目だ。 これは俺個人の問題なんだ。 他人の助けを借りようとするな。 自分一人の力で乗り越えろ。 苦しくても、辛くても、悔やんでも、納得の出来る答えを導き出せ。
 どくんっ!
 自分を戒めていると、胸がざわついた。「……珍しいね、こんな夜中に屋上に人がいるなんて」 ふと、後ろから声が聞こえた。その声が俺の鼓膜を打つと同時に、俺の体は反射的に撥ねる。心臓の拍動が速度を上げ、血流の勢いが増していくのが手に取るように分かる。 俺は早鐘を打つ心臓に抗うかのようにゆっくりと背後を振り返る。 頭半分程、俺よりも背の低い女性がランタンを片手に持ってそこに立っていた。ランタンに照らされた姿恰好は白でラインや紋様が描かれているであろう薄い青緑色の軽鎧に身を包んでおり、フレアスカートは背部が長く膝裏まで伸びており、前部は太腿の中程までと言う奇怪な形状をしている。膝の皿を隠すように長いブーツはファッションよりも機動性を重視した作りとなっているらしく、関節の動きを阻害しないようにされている。 髪の色は夕焼けのように切なく暗い茜色で、ウェーブが掛かっている。腰に届くであろうそれは結ばずに風に遊ばせている。細めで均整の取れた眉とすっと立っている鼻、柔らかそうな唇によって幼いと言う印象よりも可愛いと言う印象の方が強いけど、俺と同じようにやや大きめで幼さを感じさせる目の端が吊り上っていて勝気な印象を与えてくる。大き目の眼に収まっている瞳の色は左右で色が異なり、右が金で左が紫だ。 ファイネ=ギガンス。攻撃に特化した『ブラッド・オープン』――『ドラゴン・ブラッド』を扱えると言われている人物。 ――そして、キルリ=アーティスと瓜二つの顔立ちをしている女性。 顔が似ていると、声まで似ているらしく、背後から声を掛けられた時は本当に驚いた。 俺が『アサノ食堂』で見た人物がまさに、彼女ファイネである。『ドラゴン・ブラッド』を扱える人物がまさか女性だとは思わなかったけど、それ以上にその顔に驚かされて、そして二度と見ないようにと『アサノ食堂』を後にしたんだ。 どうしてファイネがここにいるのだろう? と言う疑問と同時に、俺の視界の上半分にウィンドウが表示されてクエストの発生を告げてくる。 サブクエストでもなく、レアクエストでもなく、普通のクエスト。『E.C.S』ではストーリーを進行させる為に絶対行わなければならないクエストが発生した。 けど、現れたウィンドウに示された文字列に俺は眉根を顰める。 それはファイネ=ギガンスに関わっているとは思えなかった。 それはもしかしたらファイネ=ギガンスが所持しているのではないかとも思った。 俺の視界上部に現れたウィンドウ。そこに書かれていたのは――。
『クエスト『偽金剛銃』を開始した』
 俺はそれに似た名前の武器を知っている。 偽石英剣リャストルク。俺がこの世界に来て、レガンドールに殺されそうになった所を実質助けてくれた意思のある強力な剣。 ファイネ=ギガンスとの関係性は分からないけど、リャストルクと関わりのある武器が出てくるのだろう事は断言出来る。


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