End Cycle Story

島地 雷夢

第30話

「…………」「…………」 ……沈黙が痛い。きらきらと星が輝く夜空は岩の天井で見えず、ぽっかりと空いた出入り口から見えるのは角度的に一部だけ。俺達を照らすのは燃える焚き木が二つ。うち一つには鍋で湯を沸かしている。これは先程の鍋とは違う奴で、身体の芯から暖まるように飲む為の湯を沸かしている。 梟の鳴く音さえも聞こえない静寂。聞こえてくるのはぱちぱちと爆ぜる焚き木の音くらいだ。焚き木の周りに胡坐をかいている俺の目の前にある皿には目玉焼きが一つと林檎が二つ。それに一度原型を留めなくなったものを再生させた乾パンだ。皿の隣のコップには『アクアボール』で生成された水が入っている。俺は湯ではなく、水を選んだ。 折角沸かしている湯ではなく、普通に冷たい水を選んだ理由と言うのは、まぁ、あれだ。少女の裸を見てしまって慌ただしくなっている自分の心を落ち着ける為にわざわざ冷たい飲み物を胃の腑へと流し込んで頭の冴えを元に戻そうと画策している訳だ。 ふと、俺の右隣を見る。 そこには正座を少し崩した所謂女性座りとでも言えばいいのか、そのようにして地面に座っているスーエルが湯の加減を見極めようとじっと鍋に視線を注いでいる。そこまで真剣にしなくても沸けばぐらぐらと気泡が浮かんでくるのだから気楽にしてればいいのに。 で、今度は俺の右隣の更に右隣。つまりスーネルの右隣へと視線を向ける。「……」 少年――いや、少女がじっと赤々と燃えている焚き木の火を見詰めている。少女の恰好は上が俺のシャツ。下も俺のズボン。ただし下着はスーエルの物だ。サイズ的に下着以外はぶかぶかである種の人種からすれば頬を紅潮とさせて息を荒げるスタイルとなっているが、俺はそんな変人ではないので荒げる事も無く、ちらりと見えてしまいそうになる胸元に視線を移すまいと堪える。因みに、ズボンのサイズは紐である程度調節可能なのでずり落ちると言うハプニングが起こる確率が低くなっているのは僥倖だ。 また、少女の髪は食事を摂った後に綺麗にしようと俺は思っていたけど、少女の性別が分かるや否や、スーネルが食事をする前に丹念に洗った。流石に髪は女性の命とでも言うべき存在だからなのか、結構な時間を掛けていた。男の俺からすれば、ぐしゃぐしゃと掻いて水で流せば終わりの行程が異様に長いと感じた。『ヒートウェーブ』で髪を乾かす際にも櫛を使って髪の毛が絡まないように梳いていた。 その結果とでも言えばいいのか、少女の髪は先程までのぼっさぼさ加減は消え失せており、初めて会った時には後ろ髪が撥ねていたが今ではすっと下に流れている。それで分かった事は、意外と髪の毛が長かった事だ。撥ねていた時は気付かなかったけど、項を隠すくらいまで伸びている。あの日の水害を経験して全身ずぶ濡れになった時も髪の毛の撥ね具合はなんら変わりが無かったと言うのに、ある程度の手入れを施せば髪の毛は変質するのだな、と感心した。 まぁ、俺の頭上でぴょんと立っている俗に言うアホ毛はどんな事をしても崩れる事が無いから逆に不安になるが。どうなってるんだよこの髪の毛。日本にいた時は流石に水に浸かったら重力に従って下がったのに、ここでは水に浸かっても重力に逆らうくらいに強力な代物になっている。意味が分からない。気にしても仕様が無いのだろうけど、気になる。 俺のアホ毛の事は置いておくとして、だ。 こうしてほぼストレートになっている髪を携えている姿を見ると、確かに少女に見える。撥ねていたら少年に見える。結構線引きが曖昧なのか? このくらいの歳の子供って? とか言ってる俺も少々童顔であって年下に見られる時もあるし、五年くらい前までは女顔っぽかったから性別を間違える事があったりもした。なので、他人の事は言えない立場にいるが、敢えて棚に置くとしよう。 で、現在焚き木を見ている少女だが、起きたのはほんの五分前。俺が少女が少年じゃないと気付いた三十分後だ。なので、まだ自己紹介もしてないし、名前を教えて貰ってもいない。 少女が起きてから五分と言うカップラーメンが確実に出来る短い時間でも一言も会話が交わされない時間は正直言って辛いものだ。何と言うか、居心地が悪い。少女は起きたら焚き火を見ているだけだし、スーネルは少女の前に『ヒートウェーブ』で温め直した目玉焼きと林檎に乾パンが載せられた皿を置いて湯を沸かし始めただけだし、リャストルクは……喋らない方がいいな。今は焚き木を挟んで俺の向かい側の地面に突き刺さっている剣が喋っているのを目の当たりにすれば、ちょっと以上に訝しるだけじゃなくてとてつもないくらいに警戒をされる事だろう。うん、そうに違いない。「……沸きましたね」 スーネルが眼をきらりと光らせて、沸騰……とまではいかないまでも湯気が立つくらいに熱せられた湯の張った鍋を火から下ろして、傍らに用意されていたコップ二つに中身を注いでいく。「どうぞ」 湯を注ぎ終えたコップの一つを、焚き火を凝視している少女の眼前へと持っていく。少女は視線を突如として目の前に現れたコップへと移し、目をぱちくりとさせて緩慢な動作でそれを受け取る。「……ありがとう」 何も知らない人が聴くと少年のように思えてしまうだろうハスキーな声で少女はぺこりと頭を下げながら礼を述べる。 あ、漸く沈黙空間を抜け出せる風向きと変わったようだ。少し重かった空気が払拭されたような気がする。「……ふぅ、ふぅ……」 少女は湯気の立つ透明な液体の入ったコップの水面に向けて息を数回吹きつけてると、コップの端に唇をつけて中身をこくりと飲む。別にそこまで熱くないように見えるから冷まさなくてもいいような気がするけど、気分の問題か、はたまた猫舌なのか。まぁ、どのくらいの温度なのか一見して分からないから(このコップ、異様に遮熱性が高いから余計に)念の為に冷ます行動は理に適っている……と思う。「…………」 ……あれ? また静寂が訪れた? 風向きが逆風へと戻っちゃった? これは、俺から何かを言うべきだろうか? とは言っても、この少女の事を全く分かっていないから何を話したらいいのか。あ、分からないからこそ色々と訊けるんじゃなかろうか? でも、初対面の(いや、ほぼ初対面か)異性に根掘り葉掘り聞かれるのも嫌だろうし、それに応えてくれるかってのも問題な訳で……。「名前は何て言うんですか?」 と、スーネルが聖母のように微笑みながら(誇張表現)少女に名前を訊いてきた。ナイス、スーネル。これで沈黙空間から抜け出す為の糸口を掴む切っ掛けを得られたも同然だ。「………………」 しかし、少女は答えず、コップから口を離して顔を伏せて黙ってしまった。どうしたのだろうか? ただ名前を訊かれただけだから答えればいいだけのに。 とか呑気に独り言を心の中で呟いていると、少女が口を開いて述べる。「……無い」「は?」 俺はつい聞き返してしまう。ナイって名前なのか?「名前は、無い……」 けど、それはどうも違うようで、ナイって名前じゃなくて、名前が無いと言っているだけだった。って、名前が無い?「…………けど」 少女は俯いたまま言葉を続ける。「DZ516って呼ばれてた」 呼ばれてた? そんな簡単に考えてつけた暗唱番号みたいな呼び名で? しかも過去形なのはなんでだろう?「そう、だったんですか……」 意味が分からず首を捻っていると、スーネルが幾分かトーンを落とした声でそう呟いていた。どうやら彼女は何かを知っているようだ。けど、明らかにそれを訊くのを躊躇われる雰囲気を全身から醸し出しているから訊くに聞けない。こう言った場合には、やはりあの方にご教授願うとしよう。 俺は少し身を乗り出して対面しているリャストルクを引き抜いて抜き身のまま腰に帯びる。手に持っているよりは少女に警戒されないだろうと思っての行動である。幸い、少女は刃物に手を伸ばした俺を見なかったから恐喝されるのでは? と恐怖される事は無かった。 で、リャストルクさん。DZ516って呼び方は何? そう、リャストルクと俺は互いの思考を流して心の中での会話が可能となっている。だから口に出して聞くと言う事が躊躇われる雰囲気のこの場ではベストな選択だと思う。 俺の問いにリャストルクは渋る事も無く答えてくれる。『個々を識別する為の奴隷の呼び名じゃな』 リャストルクの答えはあまりにも簡潔過ぎた。 え? 奴隷……?『そう、奴隷じゃよ。商品として売られる立場にある奴隷には名前は不要での。剥奪されたり、与えられないのじゃ。ただ、それだと奴隷個人に対して何か命令を下す際に不便じゃから個々を識別する為にはアルファベッドと数字の羅列で呼ぶ事にしとる』 リャストルクは俺の呟きで奴隷にどうして名前が無いのか? と首を捻ったと思ったのだろう。補足をしてくれる。 違う。俺が呟いたのはそんな理由じゃない。 この世界には、普通に奴隷商売が成り立っているのか、と言う得も知れない感情に突き動かされて漏らした呟きなんだ。日本も昔は奴隷……のような存在はいたのだろうけど、現代日本じゃ人身売買は法律に反するので奴隷は存在しない。奴隷がいないと言うのは一応は裕福で人手が足りている国だからなのだろう。いや、時代の流れからして奴隷制度を排していたと言うのも勿論あるかもしれない。だから、この異世界で奴隷が存在する考えを失くしていた。『……そうじゃったな。お主の住んでおった日本とやらには奴隷制度は存在しなかったの』 リャストルクは少しだけ声のトーンを下げ、俺に対して遠慮するかのように言ってくる。『この世界では奴隷制度は広く行き渡っておる。奴隷は身売り奴隷、犯罪奴隷、生涯奴隷に分かれる。身売り奴隷は生活に行き詰った者が金銭を得る為に身内の者を売った場合の売られた者の事を指し、主には家事労働をさせられる。犯罪奴隷は軽度の窃盗や詐欺等の犯罪行為をして殺されずに騎士団に捕まった者が成り、鉱山での重労働や開拓地へと向かわされる。生涯奴隷は、奴隷の子供として生まれた者のうち、そのまま奴隷として育てるか、孤児院に預けるかで奴隷として育てられた者の事を指す』 ……奴隷にも種類があるのか。ライトノベルとかでも犯罪した者が成ったり、本当に身売りでなる奴隷が出てきたりするけど、生涯奴隷ってのは訊かなかったな。あと、奴隷だと奴隷紋等一発で奴隷と分かるような印が付いている筈だよな。『まぁ、そうじゃな。この世界の場合は両手首に奴隷である証の茜色をした金属製の手錠が嵌められるの。もし奴隷が何か問題を起こしたとしても、即座にその手錠が奴隷を制し、腕を強制的に後ろに回して手錠同士が接合し拘束する機能を有しておる』 なんかハイテクな手錠だなそれ。……でもさ、この少女の手首には手錠なんてついてないけど?『奴隷とて手錠を外せる条件はある。奴隷の主人が死去したり、主人が奴隷として扱わないように願えば自然と手錠が外れるようになる。ただし、主人が死去した場合に手錠が外れるようにするには、きちんとした遺言が必要になてくるがの』 ……と言う事は、この少女は元奴隷が正しいのか?『そうなるのう』 で、少女を奴隷として購入したであろう人物は恐らく、一週間前に遭遇した血みどろ馬車の中にいた誰か、なんだろう。しかも、奴隷として扱わないようにする心根の優しい、とでも言えばいいのか、そのような御仁だったのだろう。そんな人が盗賊に殺されもすれば、仇討も考えるのだろうな。「……あの」 とか考えていたら、スーネルが意を決したように顔を引き締めて少女に質問をする。「貴女は……何方に買われたんですか?」 念の為なのだろう。十中八九、あの馬車にいた誰かに買われたのだろう事はスーネルも分かっているが、ほんの少しだけ別の可能性と言うのも考えてるのかもしれない。盗賊に買われた、とかそんな所だと思う。可能性としては無い訳じゃないけど、盗賊の住処で盗賊を殺した男を襲った事もあるので否定し切れない。あの男が盗賊の頭か、はたまた盗賊を消しに来た何処ぞの輩か定かではないので判断の仕様が無い。だからスーネルは思い切って訊いてみたのだろう。「…………わたしは」 少女は俯いたまま、スーネルの質問に答えようと口を開く。「……わたしは、誰にも買われてない」 下を向いていた顔を上げ、泣きそうな表情を俺とスーネルに向けて告げる。「………………逃げてきた」 何から? と訊くよりも早く、少女は言葉を紡ぐ。「………殺されそうになったから」 絞り出すようにして、ゆっくりと、小さな声量であったけど、俺の耳にはきちんと届いた。


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