虚空を歩む者

島地 雷夢

エピローグ

 今からおよそ二百年程昔、死導の勇者は世界を救った。 世界を救った死導の勇者は五色の剣を破壊し、その内に秘められていた五色の神の力を世界へと戻した。 その後、死導の勇者は古の勇者とは違い、姿を晦ませず彼が所属していた劇団【イルシオン】へと戻り、芸人としてその生涯を終えたとされる。 死導の勇者の物語にはいくつか不可解な点が混在する。 まず、死導の勇者は支配者に負けたのだ。その後、雪辱を果たす為に再度挑んだという記録は存在しない。 支配者は死導の勇者と一度のみ相対し、その後は虚ろの者の姿も支配者の姿も見た者はいない。 歪みも現れず、世界に平和がもたらされた。 支配者を打ち倒さず、虚ろの者を撤退させる事が出来たのは何故なのか? その点に関しては現在でも議論が交わされている。 死導の勇者が支配者に一撃を当て、それが元で支配者は撤退を余儀なくさせられた。 実は撤退の瞬間に致命の一撃を与え、支配者を死へと導いていた。 短い打ち合いの中で死導の勇者と支配者が言葉を交わし、支配者が引く事に頷いた。 等、様々な意見が上げられるが、どれも確証はなく机上論でしかない。 故に、現在まで語られる死導の勇者の物語は複数存在し、どの顛末を有力視するかで地域ごとに伝承が異なっている。 また、死導の勇者が活躍していた時代に、かつて神の力に愛されし者が使っていたと言う弓を携える者は存在しなかった。 それは単に弓を扱える者がいなかったからとも、弓を扱える者は死導の勇者とは遠く離れた場所で人知れず虚ろの者と戦っていたと推測される。 そして、死導の勇者が世界を救った後、世界では魔法が使えなくなった。これに関しては死導の勇者が壊した剣に内包された力が影響していたのではないかと予測が立てられている。 タイミング的にも、その前後で魔法が使用不可能になったので有力な説ではあるが、逆にどうして死導の勇者が魔法を使えなくしたのか、その理由は不明のままだ。 ヒトビトは最初魔法が使えなくなった事で戸惑い、魔法によって生計を立てていたものは職を無くすこととなった。 混乱は時を経るごとに鳴りを潜め、ヒトは魔法の代わりになるものを試行錯誤しながら生み出していった。 現在では魔法に頼らずとも、まるで魔法のような効果を得られる様々な道具が生活の基盤を支えている。


 シューリン王国城下街ではそこら中が活気で満ちている。本日は建国の祭りの最終日。祭りに訪れた人々は続々とある建物を目指して進んでいる。 彼等が目指すのは大劇場。そこで建国恒例の勇者の物語が劇として演じられる。 物語を演ずるのはかつて古の勇者が所属していた旅の一座【イルシオン】。今年から建国の祭りで行われる勇者の演目は二つに増えていた。 一つは古の勇者の物語。 そしてもう一つは死導の勇者の物語だ。 本日建国の祭り最終日は死導の勇者の物語の公演日となっている。古の勇者の物語は先日大歓声のもと幕を閉じた。 本日も先日と同じくらいに劇場へとヒトは足を運び、満席となり立ち見をする観客も出て来る程だ。「うぅ……緊張する」 開演まであと一時間。もう直ぐ自身の初舞台の幕が上がると思うとネリュゥの心臓はばくばくと音を鳴らして身体がぎこちなくなる。 村を飛び出して一座へと入り、努力を重ねて早三年。十六歳となった彼は漸く役者として最低限の実力を身に着け、今日初めて舞台に上がる事を許された。 彼の役は死導の勇者……ではなく、村人や虚ろの者。つまりは端役だ。それでも、舞台に上がる事に変わりはなく、どのような役柄であろうと全力を持って演じなければならない。 ただ、そのプレッシャーがネリュゥの肩に重くのしかかっている。このままでは緊張に耐えかねて失敗をしてしまうだろう。近くにいた団員が気楽にやれよとアドバイスを送ろうとするよりも早く、彼の脇腹をくすぐる者がいた。「こちょこちょこちょ」「あ、ちょ、はははは! って、ちょ、何するんですかっ、ヘイデルさんっ」「いやね、緊張してたから緊張をほぐそうと思って」 ネリュゥの脇腹をくすぐったのは彼と同い年の少女ヘイデルだ。 彼女はネリュゥよりも二年前に一座の門を叩いた先輩だ。役者としても一座に入って一年で舞台に上がり、今では劇のヒロインも演ずるようになった。「ほら、緊張ほぐれたでしょ?」「え? あ、はい。……あ、でも、意識したらまた」「こちょこちょこちょ」「だからっ、やめて、下さいっ!」 そんなじゃれ合いをしているうちに、ネリュゥの緊張は完全に解けた。「はぁ、はぁ、な、何か舞台に上がる前に体力を使い果たした気分……」「それはいけないな」「誰の所為だと思ってるんですか?」「いやはは、ごめんね。やり過ぎたよ」「全く。まぁ、でも。ありがとうございます」「いいって事よ」 ネリュゥは頭を下げ、ヘイデルは笑いながら首を横に振る。「じゃっ、私はもう舞台袖に行くから。お互い楽しもうねー」「はい」 ヘイデルは手を振って舞台袖へと向かい、ネリュゥは一度楽屋へと戻る。そこに置いていた虚ろの者を模したマスクを手に取り、彼はヘイデルとは反対側の舞台袖へと向かう。

 かつて、死導の勇者が交わした約束。 それは今日、漸く果たされる事となる。
――にしても、本人が別の配役で出るってどうなんだろうね?――
『さぁな。と言うか、あいつはもう生まれ変わってるから本人じゃないだろ』
――それもそっか。っと、もう始まるよー――
 かつて死導の勇者と共に世界を救った古の勇者と黒の神は、転生した彼の初舞台の幕が上がると同時に、そちらへと意識を傾ける。



 了

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