虚空を歩む者

島地 雷夢

自分らしさ

 建国の祭り開催まで残す所二日となった。 無事に舞台も完成し、本番までの時間は照明、音響、舞台装置のタイミング合わせや部分稽古、全通し等を行う。 古の勇者の演劇は祭りの最終日に割り当てられている。なので、時間的には猶予はあるが祭りの一日目と二日目もリハーサルに時間を費やす事となり、あまり長い間の自由行動は取れない。 また、開演当日までは関係者以外の劇場の立ち入りを禁止し、人目に付く事無くリハーサルに臨めるようになっている。 日も暮れ、【イルシオン】は本日最後のリハーサルを終え、反省会を済ませた後となっている。 一座の者全員で舞台の掃除をし、衣装や小道具もきちんと仕舞い終える。「うっし、あとはまた明日だ! 各々今日の反省を活かすように! では解散!」「「「「「うっす!」」」」」 楽屋での座長の号令の下解散となり、残された時間は自由行動となる。 夕飯は既にリハーサル前に食しており、腹が空いたものは街の食堂や酒場へと向かう。「ふぅ……」 軽く息を吐き、ユレンも腹に何かを詰める為に劇場の外に出ようと廊下を歩く。「よっす、お疲れ様っ」「え、あ、お疲れ様ですっ」 と、若干気が緩んでいたユレンは背後から声を掛けられ、肩越しに振り返った相手の姿を見て僅かに頬を染め、くるりと身体の向きを変えて頭を下げる。 振り返った先にはユレンより一つ年上の少女が笑顔を浮かべていた。ワンピースに上着を羽織った彼女は癖のない綺麗に流れる白銀の長い髪を緩く束ねており、それに黄昏時の太陽のような柔らかい黄金色の瞳を持っている。 すっと立った鼻、柳眉に触れれば柔らかそうな唇、未だ僅かに幼さが残っているがそれぞれのパーツが絶妙にマッチしており、異性ならず同性でさえも惹かれる魅力を持っている。 彼女の名前はレイディア。【イルシオン】を纏める座長の一人娘である。 レイディアは幼い頃より役者としての道を歩んでおり、ユレンにとっては大先輩に当たる。そして一昨年から古の勇者の劇では神の力に愛されし者の役を担っている。 事実、長年の練習によって積み重ねてきた技巧と幾度も経験してきた本番で培われた度胸は一目置かれるものであり、座長の娘と言う贔屓目なしに実力で役を勝ち取ったのだ。 年が近い事もあってか、ユレンはレイディアと、そしてシーンを目標に練習に励んでいる。 レイディアとシーン。二人の演技は当然ながら異なるものだ。 シーンはまるで物語の登場人物が現実世界にそのまま現れたかのような錯覚を起こす程にキャラに心身ともに没入して迫真な演技を行う。 対するレイディアは物語の登場人物に自分を重ね合わせ、自分と言う存在を登場人物に融和して演じるというものだ。「えっと、何か用ですか?」「ん、ちょっとね~……」 急に声を掛けられ、やや早鐘を鳴らす心臓を鎮めようと努めているユレンにレイディアは真面目な顔を作ると、辺りを見渡して近くに誰もいない事を確認すると囁くような声でユレンに尋ねる。「何か最近悩みある?」「えっと、はい?」 何を言われたのか一瞬だけ分からず、自分の中で反芻して漸く理解したユレンは至近距離にいるレイディアに問い返す。「急にどうしたんですか?」「いやね、舞台設営終えてからのユレンの演技が何処かぎこちなくってさ。何か悩みでもあるのかな~と思って」「いえ、別に悩みは……」 そこまで言って、ユレンは口を一旦閉じる。 悩み……それは舞台設営初日にシーンの言葉がユレンの中で楔となって今も抜けずに苛んでいる事を指しているのだろう。 そう判断したユレンは、やや苦い顔を作りながらレイディアに正直に答える。「……ありますね。悩み」「やっぱりあったか。よければ私に話してみない? 誰かに話せば気持ちとか楽になるし、解決するかもしれないしさ」 そう言って自分の胸を叩くレイディア。 確かに、誰かに話せばいくらか楽になったり、答えを得たりする事が出来るだろう。 ユレンは逡巡した後、おずおずとレイディアに自分の悩みを打ち明ける。「実は、自分らしさに付いて悩んでいます」「ほうほう、自分らしさね」 自分がらしさに付いて悩むようになった経緯を詳細とまではいかなくともある程度の説明を加えてユレンはレイディアに語る。「あ~、成程ね。でも、シーンからはそれは参考程度って言われたんでしょ? 実際、そう言うのって個人で捉え方違うし」「はい。でも、どうしても気になってしまって。俺の自分らしさって一体何なのかなって……」「そっかぁ。……それにしても、ユレンらしさねぇ」 レイディアは顎に手を当て、目を瞑って顔を天井に向けて考え始める。 ほんの数秒思案すると、レイディアはユレンに向き直る。「ん~、私個人の見解としては、一本芯が通っててひた向きで諦めずに努力し続ける事、じゃないかなと思うよ」 右手の人差し指をぴんと立て、レイディアは自分でも納得するかのように頷きながら言葉を繋げる。「ほら、ユレンって一座に入りたての頃、ずぶの素人っていうのを差し引いても動きや声の出し方に表情の作り方その他諸々てんで駄目だったじゃない?」「うっ……そ、そうですね」 レイディアの言葉に、ユレンは当時の自分を思い出して眼を泳がせ、苦い物を噛んだかのような渋い顔を浮かべる。 一座に入りたての頃のユレンは、それはもうどのつく程の素人だった。無論、最初は誰もが素人だが、それ以上に環を掛けての物だった。 喉を傷めるような声の出し方に息を無駄にする呼吸の仕方、大声を出そうとすれば声が裏返り、滑舌もお世辞にもいいとは言えなかった。 表情を作るのも下手で何処か引き攣り、姿勢もやや猫背で固定され、身体が固くて可動域が狭く、指示された通りに動けばぎこちない物となった。 ただ、元からそこそこの運動神経や体力があったのは救いか。それも無ければ、かなりの絶望度数となっていた事だろう。 あの頃は自分のあまりの素人っぷりに打ちひしがれだ。このままでは駄目だ、もっともっと上達しないと、とユレンはその日のうちに練習に励みに励んだのだ。「あれ見て、正直ユレンは役者に向いてないって思っちゃったよ、私。父さんも陰で苦言呈してたし」「そうだったんですか……」「まぁ、その後のユレンの姿勢を見て、評価は変わったんだけどね」 自分を知られざる真実をレイディアから訊いてがっくり肩を落として落胆するユレンにレイディアは励ますように彼の背中を優しく叩き笑顔を向ける。「今のユレンは二年前とはまるで違ってる。まだ拙い部分もあるけど、当時のユレンからは想像も出来ない程に上達してる。それはユレンが毎日毎日練習を続けてた成果が実を結んだからなんだよ」 当時を思い出すように、レイディアは遠い目をする。 彼女の頭の中では、日々練習に励むユレンの姿が思い起こされる。「夜遅くまで復習して、朝早くに自主練して。暇を見付けては注意されたところを意識して練習に励んで。人一倍努力して少しでも上達するように頑張ってる。弱音も吐かず、諦めもせず、ひた向きに」 そこまで言うと、レイディアはぴんと伸ばしていた人差し指をユレンの方へと向け、そのまま彼の頬を突っつく。突然の事でユレンは思考停止するが、即座に思考を再開して頬を赤く染め鼓動が早まる。「それがユレンらしさじゃないかなって思う訳、私的に。そして私はユレンのそんな所を尊敬していたりする訳だよ」 レイディアはそんなユレンの状態を知ってから知らずか、構わずに何度も彼の頬を指で突っつく。頬を赤らめるユレンをからかっているのか、それとも彼の頬が思いの外気持ちの良い感触だったから突っついているのかは、レイディアのみ知る。「そ、そうですか」「うん、そうです」 満足したのか、レイディアは指を彼の頬から離す。「まぁ、今言ったユレンらしさは私個人の見解だし、らしさを役に反映するかしないかは人によって違うしね。完全に自分を殺して役に没入する人だっている訳だし」 肩を竦めながらそう言うと、レイディアはびしっと人差し指をユレンに向ける。「どういう答えを出すかはユレン次第だよ。どの答えにしろ、選んだものはきっと次に繋がると思うな」 そして、人を引き付ける柔らかく優しい笑みを浮かべる。思わずどきっとするユレンは小さく頷く。「おーい、レイディアー」 ユレンが頷くのと同時に、遠くからレイディアを呼ぶ女性団員の声が廊下に響く。「今行くー! じゃあ、ユレン。そゆ事でっ。また明日ねー」 レイディアはユレンに手を振りながら廊下を駆け、女性団員の下へと向かって行く。 ユレンもレイディアに手を振り返し見送る。未だ頬に残る彼女の指の感触と笑顔で思考がぼやけたまま。「いやぁ、青春だねぇ」「うわっ⁉ シーンさん⁉」「よっ」 後ろから肩を組まれ、ユレンは突如出現したシーンに驚愕を顕わにし、現実に引き戻された身体はビクッと震える。対するシーンは何事もないかのように爽やかな笑みを浮かべる。「い、何時からいたんですか?」「んん? 何時からだろうねぇ?」 シーンはにまにまと笑い、答えをぼかす。恐らく、結構前からいたのだろう、とユレンは憶測を立てる。 では、具体的に何時からだろう? そう考え始めた所で、ユレンの腹の虫が空腹を訴える為に鳴き始める。「ほれほれ、腹減ってんだから飯食いに行こうぜ」「は、はい」 結局、シーンが何時からいたのか分からず、彼の促されながら廊下を歩き始める。「因みに、座長は物陰に隠れて鬼の形相しながら血が出る程に歯を食いしばってたよ」「えっ⁉」 レイディアの父である座長は、それはもう娘を可愛がっているのだ。それでいて分別は付いており、仕事では贔屓なぞしないで駄目な部分は駄目と告げる。それを直そうとしなければすっぱり仕事を降ろさせるくらいに座長としての顔と態度で接している。 反面仕事以外ではもうべたべたであり、男が言い寄ったのであれば鬼の形相で追い払い、異性と話しているのを見れば気になって気になって仕方がくらいの親馬鹿だ。 なので、先程のレイディアとのやり取りを見ていたとすれば、ユレンの身が危ないのだ。下手をすれば、簀巻きにされて人知れぬ沼に沈められるくらいのレベルで。 青褪めるユレンの顔を見て、シーンは軽く吹きながら一言。「冗談だって、冗談」「その冗談、笑えませんよ……」 そんなちょっと笑えない冗談を口にしたシーンに連れられ、やや精神のすり減ったユレンは夜の食堂へと向かうのだった。

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