うちのトラックは、轢いた相手を異世界に飛ばせるらしい
第14話 『見えない化け物』
「うぉっ、地震か!?」
突然の振動に、とっさにベンチの背もたれにしがみつく。
周りの人達も悲鳴を上げ、その場にしゃがみ込んだりしていた。
だが、幸いにもそれほど長くは揺れは続かなかったらしい。程なく振動は収まり、周りの人達はホッとした様子でまたそれぞれに動き始める。
「……そういや、最近は地震が多い気がするな。ちょうど一週間前から──」
そんなことを呟きながら、何となく空を見上げる。
そして、目に飛び込んできた光景に思わず言葉を失ってしまった。
上には抜けるような青い空。
雲は少なく、快晴というのに相応しい天気をしている。
そんな空の一点を隠すように、黒い染みのような物が浮いていた。
いや……違う、アレは染みなんて物じゃない。
遠目でもその姿形がわかるくらい巨大な、黒い羽毛に覆われたは虫類的な何かだ。
「……なんだ、ありゃ」
見ているだけで、背筋が寒くなるような感覚が込み上げてくる。
まさか、あれが……金髪ロン毛の真城が言っていた化け物?
「って、ちょっと待て、あんなのが真昼の繁華街に現れるって、ヤバイだろ!?」
ものすごい騒ぎになるはずだ。
そう思って、俺は慌てて周囲の様子を確認する。
だが、誰一人として騒いでいる人はいない。
先程の地震で人の流れが滞っていたり、俺と同じように空を眺めている人だっているのに、だ。
まるで誰もアレが見えていないかのようだ。
「……見えているのは、俺だけ……か?」
もしかして、白昼夢でも見ているのだろうか?
そう思って自分の頬を抓るも、空に見えるアレの様子は何も変わらない。
むしろどんどんこちらに近付いて来ているようで、その姿は大きくなってくる。
「おいおい、まさかこっちに来るつもりじゃ……」
慌てて立ち上がり、場所を移動しようと辺りを見渡す。
そんな折に、少し離れたところから叫び声が聞こえて来た。
『う、うああああぁあぁぁぁっ、で、出たっ、出たぁあああぁぁぁっ!!』
若い男の声──
おそらく真城のだろう声だ。
とっさに声の方に視線を向けると、かなり離れたところにその姿を発見する。
真城は空を見上げ、恐れるように悲鳴を上げながら尻餅を付いていた。
あの反応は間違いなくアレが見えている。
しかし周りにいる人達は真城を様子をいぶかしげに見ているものの、誰も空を漂う化け物に気付いていない。
「やはり他の人には見えていないのか……どういうことだ? 俺と、真城だけが見えている?」
俺たちに共通するのは、自称・神に会ったことがあることや、トラックで人を異世界に飛ばせることだろう。
俺はもう一度空の化け物に視線を向ける。
そいつはゆっくりとだが、こちら──いや、真城が狙いか? 俺よりも、真城の方に向かっているような気がする。
そして……。
『来るなっ、来るなっ、来るなぁああぁぁぁぁっ!』
なんとか立ち上がった真城は空から迫ってくるソレから逃げだすため、おぼつかない足取りで道路へと飛び出した。
「なっ……バカッ、危ない──」
急制動をかけるとき特有の、悲鳴のような音が大きく響いた。
続けて、ここ最近に何度も聞かされてきた鈍い音が耳にまで届く。
「きゃぁああぁあぁぁぁぁぁぁっ!!」
誰かが耳をつんざくような声を上げた。
あっという間に人だかりができ、その現場を取り囲むように増えていく。
「あの、バカがっ」
見に行かなくても、何が起こったかはすぐにわかる。
その光景に、心が締め付けられように痛んだ。
俺は吐き捨てるように悪態をついてその気持ちを振り払い、もう一度空を見上げる。
「……ッ!?」
いつの間にかすぐそこにまで降りてきていた。
巨大な……おそらく全長は五メートルから十メートルの間くらいだろうか。
前足に三本の鋭い爪。後ろ足は見えないが、まるで蛇の様な尻尾がとぐろを巻いている。
全身は漆黒の羽毛に覆われていて、とても醜悪な顔をしている。
まるで、伝承などで見る東洋の龍と大蛇を掛け合わせて、それに羽毛を生えさせた姿……とでも言うのだろうか。
すぐそこにまで来ているのに、誰も気付いた様子は無かった。
それどころか尾があきらかにビルに激突しているのに、壊れたりしている様子は無い。
「実体がない、のか? いや、だが……」
その存在感に、俺はその場を動くことができなかった。
もし目立つような動きをすればソレに見つかってしまうような気がして、ただ立ち尽くしたまま息をひそめる。
そんな俺の見ている前で。ソレは人だかりを踏みつけるようにして地面に降り立った。
誰もそれに気付いていない。踏まれているはずの人達も特に傷ついた様子もなく、先程の事故現場を熱心に……ときにはスマートフォンを構えながら眺めている。
化け物は、ゆっくりとその人だかりの中心へと顔を近づけた。
耳元まで裂けた口を大きく開け、何かにかじり付くようにして熱心に動かしていく。
「……お父様、ご無事ですか?」
「っ!? タバサ、か?」
「はい。静かに……ゆっくりとこっちに来てください。アレから離れましょう」
「見えるのか?」
タバサに手を掴まれ、優しく先導するように引っ張られる。
絞り出した俺の質問に小さく頷き返してきた。
「私だけじゃなく、アシハナさんも見えるそうです。結花には見えていませんが……」
「ああ……そうなのか」
と言うことは、自称・神や異世界に関わった者だけが見えると言うことだろうか。
タバサも見えると言うことは、少なくとも白昼夢ではないらしい。
「あっ、お父。さっきの地震ビックリしたねー」
どれだけ歩いただろうか。
タバサに手を引かれるまま進んだところで、アシハナと結花の姿が見えてきた。
結花はすぐに俺の姿に気付いて、こちらへと駆け寄ってくる。
「お父は地震、大丈夫だった?」
「こっちは別に何とも無かったな。結花の方も問題は無かったのか?」
「うん、ちょうどデパートを出ようとしてたところだったから。でも屋上とかにいたら、めちゃくちゃ揺れて大変だったかも」
そう言いながら、屈託のない笑みを浮かべる結花。
どうやら三人でデパートへ行って、十分に楽しめたらしい。
そして結花の様子を見る限りでは、タバサの言うとおり化け物には気付いていない。
「流行さんはあちらにいらしたんですよね? 大丈夫……でしたか?」
「俺は……な」
頷きながら、さっきまで自分がいた方向へ視線を向ける。
ちょうどビルが死角になっていて、あの化け物の姿は見えなかった。
しかし、相変わらずそのことで騒ぎになった様子は無い。
ただ誰かが救急車を呼んだのだろう、救急車両のサイレンの音が風に乗って聞こえてくる。
「なるべく早く、ここから離れた方が良いかもしれません」
「……わかった」
あの化け物のことは気になるが、結花達もいるし安全が第一だ。
もっと情報は欲しいが、欲張りすぎて取り返しの付かないことになるのは不味い。
「あっ……」
ふと、タバサが顔を上げた。
「どうかし──」
そこまで言ったところだった。
突然聞こえて来たつんざくような咆哮に、俺はとっさに息を呑む。
あの、化け物の声だ。
まるで戦利品を獲たことで雄叫びを上げているかのような咆哮に、俺も、タバサも、アシハナも、慌てて耳を塞いでいた。
「え? 何? どうしたのお父? タバサお姉ちゃんも、アシハナお姉ちゃんも、急に耳なんて押さえて……」
「くっ……結花には聞こえなかったのか?」
「だから何が? え? 何かあった?」
不思議そうにきょろきょろと辺りを見渡す結花。
俺達以外、誰も耳を塞ぐような行動を取っていない。
そして。
再びズンッ! 突き上がるような振動が襲いかかって来た。
「ひゃぁっ、ま、また地震っ!!」
結花がとっさに俺へとしがみつく。
アシハナとタバサは、耳を押さえたままその場にしゃがみ込む。
今度は先程よりも大きく、長い。
周囲にいる人たちも悲鳴を上げながら何かにしがみつき、しゃがみ込む。
ビルの下にいる人たちは、何が降ってくるかわからないため、慌ててそこから避難していた。
「あ……」
俺は結花を支えながら、ふと何かの気配を感じて空を見上げる。
そこには、あの黒い染みのような化け物が舞い上がり、遠ざかっていく姿が見えた。
その姿が徐々に小さくなり、見えなくなるにつれて揺れも小さくなっていく……。
「止まった……? はぁ……ビックリしたぁ、こんな大きな地震、すっごく久し振りかも……」
揺れが止まったのを感じて、結花はようやく俺から離れ、小さく息をついた。
タバサとアシハナもホッとした様子で立ち上がったのが見える。
「今のは大きかったな。震度5くらいあったんじゃないか?」
「そうかも。あっ、お母は大丈夫かな? これだけ揺れたんなら、あっちも揺れてると思うんだけど……」
「電話して確認してみるか?」
「うん。スマートフォンを貸して、お父」
そう言う結花に、自分のスマートフォンを手渡す。
今の地震は、あの化け物が起こしたもののようだ。
あれがいなくなって、振動が収まったのがその証拠だろう。
しかし、結局俺達以外の誰もがあれの存在に気付かなかったとは……。
「お父様、どうやらしばらく電車は運転を見合わせるようです」
たどたどしい手つきでスマートフォンを弄り、タバサがそう運行状況を教えてくれる。
今の地震で、どこかに不具合でも出たのかもしれないな……。
「どうしますか、流行さん?」
「いつ復旧するかわからないし、時間はかかるがレンタカーを使うか」
地元で返却できるシステムの奴ならば、ここに戻ってくる手間も省ける。
となれば、早くここから離れてしまおう。
去って行ったので大丈夫だとは思うが、またいつあの化け物が戻ってくるとも知れない。
俺は結花が元妻に連絡するのを待って、近場にあるレンタカー屋を探し始めるのだった。
すっかり暗くなった道を走りながら、俺はポケットからタバコを取り出した。
ハンドルを握ったまま火をつけ、ゆっくりと肺に紫煙を満たしていく。
「すぅ……はぁ。なぁアシハナ、タバサ。アレはなんだと思う?」
途中で降ろして来たため、すでに結花は乗っていない。
助手席にはタバサが、後部座席にはアシハナがそれぞれ座り、俺の質問に首をかしげていた。
「別の世界から来た魔物なんですよね?」
「おそらくな。あの金髪ロン毛が俺と会った後に行きずりの男を轢いたらしい。そのときに化け物が出て来た……と言っていたし、多分そうじゃないか?」
「わたしたち以外の誰も存在に気付いていませんでした。本当に存在していたのでしょうか?」
「俺には、あいつが地震を起こしていたように思えたが……。ああ、あとは、あの金髪ロン毛。化け物から逃げようとして、車に轢かれて……アレはそれを喰うような仕草をしていたな」
実際のところはわからない。
人だかりに遮られて見えなかったし、人や物もすり抜けるようだったから、喰おうとして喰えるものでも無いだろう。
そもそも、まだ真城が死んだとも限らないのだ。
「……魂食い」
ぽつりと、タバサがそう呟いた。
「私のいた世界のお話になりますが、こんな伝承がありました」
そう言って、その伝承を歌うように口にする。
夜の帳にまぎれ、魂を食む漆黒の獣来たり。
獣は地を揺らし、徒人を喰らう。
獣は何人にも触れること叶わず。
何人も獣に触れること叶わず。
ただ月の無き暗き闇の中でのみ、獣を誅すること能う。
「アレが私の世界から来たわけでは無いでしょうし、この魂食いだとは思いませんけれども、似たような存在かもしれません」
「それでしたら、わたしの世界でも似たような魔物の話はありました。こちらは獣では無く地を揺らす蛇で、人の魂──魔力を好むと言われていました」
タバサの世界にも、アシハナの世界にも、似たような化け物がいるらしい。
となれば……他の世界にいたとしてもおかしくはないだろう。
そしてあの夜、人を一人異世界に飛ばしたことで、この世界へ逆に送り込まれてきた。
「……そうだ、あの日は確か新月だったな。月の無い夜、か」
結花を送りに行き、そのついでに仕事をしようと待機していたときだ。
俺は確かに、月が出ていないのを見ていた。
だからこそ真城のトラックには爪痕が刻まれていた……。
「……はぁ、どうなってんだ、これ。くそっ、あの自称・神め」
何が災害を起こさないために異世界に人を送ってくれ、だ。
仕事以外で、しかも俺以外の人間がしたことだが、災害その物がその代償として送られてきたじゃないか。
俺はタバコを咥えたまま、ついそう心の中で罵ってしまうのだった。
突然の振動に、とっさにベンチの背もたれにしがみつく。
周りの人達も悲鳴を上げ、その場にしゃがみ込んだりしていた。
だが、幸いにもそれほど長くは揺れは続かなかったらしい。程なく振動は収まり、周りの人達はホッとした様子でまたそれぞれに動き始める。
「……そういや、最近は地震が多い気がするな。ちょうど一週間前から──」
そんなことを呟きながら、何となく空を見上げる。
そして、目に飛び込んできた光景に思わず言葉を失ってしまった。
上には抜けるような青い空。
雲は少なく、快晴というのに相応しい天気をしている。
そんな空の一点を隠すように、黒い染みのような物が浮いていた。
いや……違う、アレは染みなんて物じゃない。
遠目でもその姿形がわかるくらい巨大な、黒い羽毛に覆われたは虫類的な何かだ。
「……なんだ、ありゃ」
見ているだけで、背筋が寒くなるような感覚が込み上げてくる。
まさか、あれが……金髪ロン毛の真城が言っていた化け物?
「って、ちょっと待て、あんなのが真昼の繁華街に現れるって、ヤバイだろ!?」
ものすごい騒ぎになるはずだ。
そう思って、俺は慌てて周囲の様子を確認する。
だが、誰一人として騒いでいる人はいない。
先程の地震で人の流れが滞っていたり、俺と同じように空を眺めている人だっているのに、だ。
まるで誰もアレが見えていないかのようだ。
「……見えているのは、俺だけ……か?」
もしかして、白昼夢でも見ているのだろうか?
そう思って自分の頬を抓るも、空に見えるアレの様子は何も変わらない。
むしろどんどんこちらに近付いて来ているようで、その姿は大きくなってくる。
「おいおい、まさかこっちに来るつもりじゃ……」
慌てて立ち上がり、場所を移動しようと辺りを見渡す。
そんな折に、少し離れたところから叫び声が聞こえて来た。
『う、うああああぁあぁぁぁっ、で、出たっ、出たぁあああぁぁぁっ!!』
若い男の声──
おそらく真城のだろう声だ。
とっさに声の方に視線を向けると、かなり離れたところにその姿を発見する。
真城は空を見上げ、恐れるように悲鳴を上げながら尻餅を付いていた。
あの反応は間違いなくアレが見えている。
しかし周りにいる人達は真城を様子をいぶかしげに見ているものの、誰も空を漂う化け物に気付いていない。
「やはり他の人には見えていないのか……どういうことだ? 俺と、真城だけが見えている?」
俺たちに共通するのは、自称・神に会ったことがあることや、トラックで人を異世界に飛ばせることだろう。
俺はもう一度空の化け物に視線を向ける。
そいつはゆっくりとだが、こちら──いや、真城が狙いか? 俺よりも、真城の方に向かっているような気がする。
そして……。
『来るなっ、来るなっ、来るなぁああぁぁぁぁっ!』
なんとか立ち上がった真城は空から迫ってくるソレから逃げだすため、おぼつかない足取りで道路へと飛び出した。
「なっ……バカッ、危ない──」
急制動をかけるとき特有の、悲鳴のような音が大きく響いた。
続けて、ここ最近に何度も聞かされてきた鈍い音が耳にまで届く。
「きゃぁああぁあぁぁぁぁぁぁっ!!」
誰かが耳をつんざくような声を上げた。
あっという間に人だかりができ、その現場を取り囲むように増えていく。
「あの、バカがっ」
見に行かなくても、何が起こったかはすぐにわかる。
その光景に、心が締め付けられように痛んだ。
俺は吐き捨てるように悪態をついてその気持ちを振り払い、もう一度空を見上げる。
「……ッ!?」
いつの間にかすぐそこにまで降りてきていた。
巨大な……おそらく全長は五メートルから十メートルの間くらいだろうか。
前足に三本の鋭い爪。後ろ足は見えないが、まるで蛇の様な尻尾がとぐろを巻いている。
全身は漆黒の羽毛に覆われていて、とても醜悪な顔をしている。
まるで、伝承などで見る東洋の龍と大蛇を掛け合わせて、それに羽毛を生えさせた姿……とでも言うのだろうか。
すぐそこにまで来ているのに、誰も気付いた様子は無かった。
それどころか尾があきらかにビルに激突しているのに、壊れたりしている様子は無い。
「実体がない、のか? いや、だが……」
その存在感に、俺はその場を動くことができなかった。
もし目立つような動きをすればソレに見つかってしまうような気がして、ただ立ち尽くしたまま息をひそめる。
そんな俺の見ている前で。ソレは人だかりを踏みつけるようにして地面に降り立った。
誰もそれに気付いていない。踏まれているはずの人達も特に傷ついた様子もなく、先程の事故現場を熱心に……ときにはスマートフォンを構えながら眺めている。
化け物は、ゆっくりとその人だかりの中心へと顔を近づけた。
耳元まで裂けた口を大きく開け、何かにかじり付くようにして熱心に動かしていく。
「……お父様、ご無事ですか?」
「っ!? タバサ、か?」
「はい。静かに……ゆっくりとこっちに来てください。アレから離れましょう」
「見えるのか?」
タバサに手を掴まれ、優しく先導するように引っ張られる。
絞り出した俺の質問に小さく頷き返してきた。
「私だけじゃなく、アシハナさんも見えるそうです。結花には見えていませんが……」
「ああ……そうなのか」
と言うことは、自称・神や異世界に関わった者だけが見えると言うことだろうか。
タバサも見えると言うことは、少なくとも白昼夢ではないらしい。
「あっ、お父。さっきの地震ビックリしたねー」
どれだけ歩いただろうか。
タバサに手を引かれるまま進んだところで、アシハナと結花の姿が見えてきた。
結花はすぐに俺の姿に気付いて、こちらへと駆け寄ってくる。
「お父は地震、大丈夫だった?」
「こっちは別に何とも無かったな。結花の方も問題は無かったのか?」
「うん、ちょうどデパートを出ようとしてたところだったから。でも屋上とかにいたら、めちゃくちゃ揺れて大変だったかも」
そう言いながら、屈託のない笑みを浮かべる結花。
どうやら三人でデパートへ行って、十分に楽しめたらしい。
そして結花の様子を見る限りでは、タバサの言うとおり化け物には気付いていない。
「流行さんはあちらにいらしたんですよね? 大丈夫……でしたか?」
「俺は……な」
頷きながら、さっきまで自分がいた方向へ視線を向ける。
ちょうどビルが死角になっていて、あの化け物の姿は見えなかった。
しかし、相変わらずそのことで騒ぎになった様子は無い。
ただ誰かが救急車を呼んだのだろう、救急車両のサイレンの音が風に乗って聞こえてくる。
「なるべく早く、ここから離れた方が良いかもしれません」
「……わかった」
あの化け物のことは気になるが、結花達もいるし安全が第一だ。
もっと情報は欲しいが、欲張りすぎて取り返しの付かないことになるのは不味い。
「あっ……」
ふと、タバサが顔を上げた。
「どうかし──」
そこまで言ったところだった。
突然聞こえて来たつんざくような咆哮に、俺はとっさに息を呑む。
あの、化け物の声だ。
まるで戦利品を獲たことで雄叫びを上げているかのような咆哮に、俺も、タバサも、アシハナも、慌てて耳を塞いでいた。
「え? 何? どうしたのお父? タバサお姉ちゃんも、アシハナお姉ちゃんも、急に耳なんて押さえて……」
「くっ……結花には聞こえなかったのか?」
「だから何が? え? 何かあった?」
不思議そうにきょろきょろと辺りを見渡す結花。
俺達以外、誰も耳を塞ぐような行動を取っていない。
そして。
再びズンッ! 突き上がるような振動が襲いかかって来た。
「ひゃぁっ、ま、また地震っ!!」
結花がとっさに俺へとしがみつく。
アシハナとタバサは、耳を押さえたままその場にしゃがみ込む。
今度は先程よりも大きく、長い。
周囲にいる人たちも悲鳴を上げながら何かにしがみつき、しゃがみ込む。
ビルの下にいる人たちは、何が降ってくるかわからないため、慌ててそこから避難していた。
「あ……」
俺は結花を支えながら、ふと何かの気配を感じて空を見上げる。
そこには、あの黒い染みのような化け物が舞い上がり、遠ざかっていく姿が見えた。
その姿が徐々に小さくなり、見えなくなるにつれて揺れも小さくなっていく……。
「止まった……? はぁ……ビックリしたぁ、こんな大きな地震、すっごく久し振りかも……」
揺れが止まったのを感じて、結花はようやく俺から離れ、小さく息をついた。
タバサとアシハナもホッとした様子で立ち上がったのが見える。
「今のは大きかったな。震度5くらいあったんじゃないか?」
「そうかも。あっ、お母は大丈夫かな? これだけ揺れたんなら、あっちも揺れてると思うんだけど……」
「電話して確認してみるか?」
「うん。スマートフォンを貸して、お父」
そう言う結花に、自分のスマートフォンを手渡す。
今の地震は、あの化け物が起こしたもののようだ。
あれがいなくなって、振動が収まったのがその証拠だろう。
しかし、結局俺達以外の誰もがあれの存在に気付かなかったとは……。
「お父様、どうやらしばらく電車は運転を見合わせるようです」
たどたどしい手つきでスマートフォンを弄り、タバサがそう運行状況を教えてくれる。
今の地震で、どこかに不具合でも出たのかもしれないな……。
「どうしますか、流行さん?」
「いつ復旧するかわからないし、時間はかかるがレンタカーを使うか」
地元で返却できるシステムの奴ならば、ここに戻ってくる手間も省ける。
となれば、早くここから離れてしまおう。
去って行ったので大丈夫だとは思うが、またいつあの化け物が戻ってくるとも知れない。
俺は結花が元妻に連絡するのを待って、近場にあるレンタカー屋を探し始めるのだった。
すっかり暗くなった道を走りながら、俺はポケットからタバコを取り出した。
ハンドルを握ったまま火をつけ、ゆっくりと肺に紫煙を満たしていく。
「すぅ……はぁ。なぁアシハナ、タバサ。アレはなんだと思う?」
途中で降ろして来たため、すでに結花は乗っていない。
助手席にはタバサが、後部座席にはアシハナがそれぞれ座り、俺の質問に首をかしげていた。
「別の世界から来た魔物なんですよね?」
「おそらくな。あの金髪ロン毛が俺と会った後に行きずりの男を轢いたらしい。そのときに化け物が出て来た……と言っていたし、多分そうじゃないか?」
「わたしたち以外の誰も存在に気付いていませんでした。本当に存在していたのでしょうか?」
「俺には、あいつが地震を起こしていたように思えたが……。ああ、あとは、あの金髪ロン毛。化け物から逃げようとして、車に轢かれて……アレはそれを喰うような仕草をしていたな」
実際のところはわからない。
人だかりに遮られて見えなかったし、人や物もすり抜けるようだったから、喰おうとして喰えるものでも無いだろう。
そもそも、まだ真城が死んだとも限らないのだ。
「……魂食い」
ぽつりと、タバサがそう呟いた。
「私のいた世界のお話になりますが、こんな伝承がありました」
そう言って、その伝承を歌うように口にする。
夜の帳にまぎれ、魂を食む漆黒の獣来たり。
獣は地を揺らし、徒人を喰らう。
獣は何人にも触れること叶わず。
何人も獣に触れること叶わず。
ただ月の無き暗き闇の中でのみ、獣を誅すること能う。
「アレが私の世界から来たわけでは無いでしょうし、この魂食いだとは思いませんけれども、似たような存在かもしれません」
「それでしたら、わたしの世界でも似たような魔物の話はありました。こちらは獣では無く地を揺らす蛇で、人の魂──魔力を好むと言われていました」
タバサの世界にも、アシハナの世界にも、似たような化け物がいるらしい。
となれば……他の世界にいたとしてもおかしくはないだろう。
そしてあの夜、人を一人異世界に飛ばしたことで、この世界へ逆に送り込まれてきた。
「……そうだ、あの日は確か新月だったな。月の無い夜、か」
結花を送りに行き、そのついでに仕事をしようと待機していたときだ。
俺は確かに、月が出ていないのを見ていた。
だからこそ真城のトラックには爪痕が刻まれていた……。
「……はぁ、どうなってんだ、これ。くそっ、あの自称・神め」
何が災害を起こさないために異世界に人を送ってくれ、だ。
仕事以外で、しかも俺以外の人間がしたことだが、災害その物がその代償として送られてきたじゃないか。
俺はタバコを咥えたまま、ついそう心の中で罵ってしまうのだった。
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