うちのトラックは、轢いた相手を異世界に飛ばせるらしい
第5話 『娘の来襲』
遅い朝食。もしくは早い昼食としてタバサが作ってくれた料理を三人で食べる。
元々料理は好きだったらしく、タバサの作る物はなんでも美味かった。
最初はこの世界の調理器具や食材に戸惑っていたが、あれこれ試しているうちにレシピ通りであればほぼ再現できるようになっている。
まぁ、さすがにまだアレンジを加えた料理は難しいようだし、一部の特別な技巧が必要なものは無理だが……それも時間の問題な気がするな。
そして優雅なブランチの後は、多嶋運送の仕事の時間だ。
「社長、今日は荷物を運んだりしないのですか?」
「夕方に荷物の受け取りがあるが、月曜日に運送予定だから急ぎではないな。受け取りにはアシハナにも付き合ってもらうぞ?」
「お任せください! と言うよりも、私は事務仕事は苦手なので、肉体労働でしかお役に立てませんから……」
事務室の机につきながら、アシハナが困ったような表情を浮かべる。
アシハナは頭が悪いわけではない。むしろ貴族として教育を受けていただけあって、教養はとても高い。
ただ騎士なんてしていたこともあり、事務仕事に向かないのだ。
「社長、こちらの計算が終わりました。確認をお願いします」
「ありがとうタバサ。とりあえず一区切り付くから、お茶でも飲んで休憩していてくれ」
「はい。それでは社長の分も淹れてきますね」
そう言い、タバサは自分の机から離れて給湯室へ向かう。
給湯室と言っても、流し台がある場所ってだけで間仕切りはないんだけども。
っとそうだ。
この二人にもあの話をしなければいけないな。
「そう言えば。昨夜、また夢の中で仕事の依頼が来た」
「「……!?」」
唐突に俺が漏らした言葉に、タバサとアシハナが同時に息を呑んだ。
二人の視線が俺の方へ向く。
「昨日の今日で、もう……ですか?」
そう聞いてくるのはアシハナだ。
昨日は横断歩道のすぐ傍から、対象がトラックに勢いよく轢かれたところを見ていたのだろう。
そのときのことを思い出しているのか、あまり歓迎できないような表情を浮かべている。
「社長は大丈夫なのですか……?」
タバサはタバサで、あからさまに顔を青ざめさせているようだ。
昨夜は俺のベッドにもぐり込んでくるくらい強いショックを受けていたようだし、無理もないか……。
俺は二人を安心させるように微笑みかけながら、軽く肩をすくめてみせた。
「断るという選択肢がないからな。一応、明後日の夜──月曜日だな、その日までと期限を切られているんだが、今回はかなり場所が遠い」
そう説明しながら、ロードマップを引き出しから取り出した。
うちのトラックにはナビなんて気の効いた物は取り付けられていないので、ロードマップは欠かせないのだ。
自称・神から聞かされた条件を考えたら、もしナビをつけていれば選ばれなかったんじゃないかとも思うが……。
アシハナは席を立って俺の机までやって来て、タバサも手早くお茶を入れて戻ってくる。
「今回は、こちらの街……この事務所からだと片道四時間かかるところに住んでいる対象を異世界に送らなければならない」
二人はまだ日本の地理には詳しくはない。
縮尺の小さい地図で大体の場所を指し示すと、揃って首をかしげていた。
「それほど遠い場所ですと、一日仕事になりますよね」
「ああ。だから明日……一応会社が休みの日曜日に済ませてしまうつもりだ」
昼頃にここを出発すれば、夕方にはたどり着けるだろう。
それから対象をしばらくストーキング──もとい追跡しつつ都合の良い場所を見繕い、暗くなってから仕事を済ませてしまう。
その後は、帰宅は深夜から朝方になるがドライブしながら帰ってくれば良い。
だが、そうすると問題点が一つ。
「悪いが、今回はタバサは留守番をしていて欲しい」
「えっ……ど、どうしてですか!?」
「精神的にきついだろ? それに遅い時間に十六歳の女の子を連れ回すと、警察に見つかったときがな……」
戸籍上はちゃんとした養子になっていても、外見は俺とタバサでは似ても似つかない。
そんな女の子を深夜にトラックで連れ回すのだ。調べればわかるとはいえ、誤解を受けることは想像に難くない。
「なにより、対象の足取りを追うのにアシハナを連れて行きたい。うちのトラックは二人乗りだから……」
「あっ、そうですよね。それに、近場でしたら他の移動手段でついていくんですけれども……」
納得してくれたようだ。
対象を追跡するのはタバサでは無理だ。鈍くさいわけではないのだが、あまりその手の行為は向いていなかった。
その点、アシハナは騎士として魔物退治を行い、ときには猟師とともに山に入って獲物を追ったこともあったという。
どちらが適任かと言えば、比べるまでもないだろう。
それに遠いのが問題だ。
移動だけなら電車を使えば良いが帰りが問題になる。県をまたいでの移動になるし、時間的に終電を逃すことだってあり得るのだ。
あちらで一泊して帰ってくるという手もあるが、そうすると翌日が辛い。月曜日は今日これから回収してくる荷物を輸送したりと、朝から忙しいからな……。
「タバサ、社長の手伝いは私にお任せください。しっかりと大任を果たしてみせます!」
「はい、よろしくお願いします、アシハナさん」
胸を張って請け負うアシハナにタバサが微笑みかけた。
アシハナは事務仕事で役に立てないため、自分のできそうな仕事を頼まれて嬉しそうにする。
俺は義理とは言え娘たちのそんなやり取りを、微笑ましく思いながら眺めていた。
我ながら枯れているとは思うが……まぁ子供のような年齢の二人だし、しかたないよな。
と、そんなことを考えていたときだった。
大きな音を立てて事務所のドアが開かれ、小柄な体躯が飛び込んで来た。
「何やつ!?」
アシハナがすぐに飛び退り、近くにあった定規を手に身構えた。
タバサもとっさに立ち上がって、口の中で魔法の呪文を唱え──
「って、ちょっと待て、さすがにそれはまずい!!」
タバサの性格的に唱えている呪文は攻撃系の魔法ではなく、防御系の魔法だろう。
だが魔法はこの世界にないものだ。事務所に押し入ってきたが誰であれ、使うのはいろんな意味でまずい。
そう考えた俺は、とっさにタバサを抱きしめて魔法を中断させる。
だが、そこに割り込んで来るのが押し入ってきた相手だ。
「ちょっとお父、何やってんのよ!? 若い女の子に抱きついて、実の娘の前でセクハラとか犯罪じゃないの!」
「……結花、か?」
「あたし以外の誰に見えるのよ。ちょっと見ない内に、目でも悪くなったの? つーか、はなれろぉぉっ!」
足音も荒くこちらに駆け寄り、強引に俺とタバサを引き剥がそうとする少女。
名前は、今は要結花と言っただろうか。要とは離婚した元妻の旧姓だ。
「……社長、お知り合いですか?」
構えていた定規を下げ、アシハナはいぶかしげに結花を見る。
タバサも俺に抱きしめられながら、自分と俺とを引き剥がそうとする結花にキョトンとした顔を向けていた。
「……俺の娘の結花だ」
「そんな紹介とか後で良いからっ、先にその手を離しなさいよ、スケベ!!」
「お、おう」
至近距離から睨まれ、俺は慌ててタバサを解放する。
結花は俺から守るようにタバサを自分の背後に回し、ただでさえツリ目がちな眼差しでキッと俺を睨んできた。
健康的な艶やかな黒髪を活動的にポニーテールにしている結花は、ここ数年でグッと母親に似てきたようだ。
この口調からもわかるように気が強く、ツリ目がちな目は、親の欲目かもしれないが将来美人になることを予想させる。
小柄な体格で、今年で十四歳のはずだが平均よりは多分小さいんじゃないだろうか。
発育は少し残念な感じだが、まだ成長の余地は残している……はず。まぁ、これくらいでも十分に可愛いのだから、別に成長しなくても良いとは思うけどな。
中学に入学してからの成績は知らないが、小学生のころはかなり優秀だったはずだ。
そんな実の娘が、じっとりとした眼差しを俺に向けていた。
「お父、サイテー。寂しがっているかと思って二年ぶりに電車を乗り継いで会いに来てみれば、女の子を事務所に連れ込んでセクハラとか……。しかも何? おうちの方にも先に寄ってきたけど、女物の小物が増えていたんだけど? そりゃあ、お母と離婚したんだしお父の勝手だけどさぁ……」
面白くなさそうな仕草で、グチグチとそんなことを言われてしまう。
気持ちはわからなくもない。これくらいの年頃の女の子は潔癖なところもあるだろうし、そう言うのには拒否反応が出たりとかな。
まぁ、誤解なんだが……。
「で、どっちがお父の新しい恋人なわけ? どっちもあたしとあんまり歳が変わらないように見えるんだけど……。それに他の従業員の人は? ヤスさんとか、トメさんとか、ジジさんとかいたよね?」
「ヤスとかトメとかジジさんは、全員二年前に経営が傾いたときにこぞって退社したよ。今はどこか別の会社で働いているんじゃないか?」
あまり人数は多くなかったが、我が多嶋運送は何人もの従業員を抱えていたのだ。
経営が悪化し、借金を作ってヤバくなったときに妻に三行半を突きつけられて、倒産しそう……ってところで全員に逃げられたけど。
それからタバサとアシハナが来るまでは、ずっと俺一人だった。
「あと誤解しているようだから訂正するが、この二人は俺の恋人でも後妻でもないぞ」
「……そうなの?」
いかにもうさんくさそうな、汚物を見るような眼差しが俺に向けられる。
もしかして、実の娘に本気でロリコンとか思われているんだろうか?
だとしたらめちゃくちゃショックなんだが……。
その結花は俺と話をしていても埒があかないと思ったのか、くるりと回れ右をしてタバサとアシハナの方へ身体を向けた。
「初めまして、あたし、この人の娘で要結花と言います」
「要……ですか?」
聞き覚えのない名字に、アシハナがオウム返しに問い返した。
俺の名字が多嶋なので違うのがおかしいと思っているのだろう。
「父と母が離婚して、あたしは母に引き取られてそっちの姓になったんです。なので、元多嶋結花で、今は要結花。あたしの方が歳下っぽいですし、結花って呼んでください」
俺に対する気やすい口調とは違い、タバサやアシハナにはちゃんと丁寧語だ。
中学生になって上下関係も厳しくなったことだろうし、こういったことで成長を感じさせられてしまう。
「それで……えっと、お二人のお名前を聞いても良いですか?」
可愛らしく首をかしげて、そう問いかける結花。
アシハナとタバサは一瞬だけ二人で顔を見合わせ、うなずき合った。
「わたしは、多嶋タバサです。よろしくお願いいたします、結花さん」
「私の名は多嶋アシハナと申します。どうぞ、お見知りおきください」
「……え?」
二人の名前を聞いて、思わずと言った様子で硬直する結花。
まるで油を差していないブリキ人形のように、ぎこちない動作で首を回して顔をこちらへ向けてくる。
「お父……どういう、こと?」
「どういうと聞かれてもな……そのままなんだが」
戸籍上では、二人とも俺の義理の娘になる。
だが、どうやら結花が思ったのはそれとは違うらしい。
「重婚とか、犯罪だよ、お父!! 若い女の子ってだけでも犯罪的なのに、何考えてんのっ、何考えてんのっ、何考えてんのぉぉぉぉっ!?」
背伸びしながら襟首を掴み、ガクガクと俺を揺すり始める結花。
その顔は今にも泣きそうな様子で涙目になっていた。
「待てっ、落ち着け結花! それは、誤解してるっ!」
「誤解って何よぉぉ! お父の変態っ、スケベっ、ロリコンっ、あたし信じてたのにっ、お父はお母と離婚しちゃったけど、きっと真面目に頑張って働いているって思って……なのに、こんなのあんまりだよぉぉぉっ!」
そう叫ぶと同時に、涙腺が緩み、とうとう決壊してしまったようだ。
ぽろぽろと涙がこぼれ落ちるのを見て、俺の方まで焦ってしまう。
「な、泣くな、結花、違う、俺は再婚なんてしていないぞ!?」
「じゃあ、あの二人は……なんで多嶋に……」
「あー……とても言いづらいことなんだが……」
涙を零しながら睨んで来る娘に、どう説明すれば良いだろうか。
俺は助けを求めるようにタバサとアシハナへ視線を向ける。
「結花さん、安心してください。わたしもアシハナさんも、社長の妻ではありません」
「そう、なの……?」
「ええ、そのとおりです。何とも説明に困るのですが……」
異世界から来た──という話は、事前に誰が相手でも内緒にするように言い含めてある。
そのため少し説明しづらそうに言いよどみ、だがすぐに意を決して改めて名乗りを上げた。
「私は多嶋アシハナ。社長の娘で、アシハナと申します」
「同じく社長の娘で、結花さんの姉になりますタバサです」
娘。その言葉に、一瞬で結花から涙が引っ込んだ。
驚愕の表情で二人を見て、俺を見て、もう一度二人を見て……。
「お父、見損なったよ! あたしが産まれる前に浮気して、子供まで作っていたなんて! さいってー!!」
「待て、それも誤解だ!!」
二人の自己紹介は、新たな誤解を生んだだけだった……。
元々料理は好きだったらしく、タバサの作る物はなんでも美味かった。
最初はこの世界の調理器具や食材に戸惑っていたが、あれこれ試しているうちにレシピ通りであればほぼ再現できるようになっている。
まぁ、さすがにまだアレンジを加えた料理は難しいようだし、一部の特別な技巧が必要なものは無理だが……それも時間の問題な気がするな。
そして優雅なブランチの後は、多嶋運送の仕事の時間だ。
「社長、今日は荷物を運んだりしないのですか?」
「夕方に荷物の受け取りがあるが、月曜日に運送予定だから急ぎではないな。受け取りにはアシハナにも付き合ってもらうぞ?」
「お任せください! と言うよりも、私は事務仕事は苦手なので、肉体労働でしかお役に立てませんから……」
事務室の机につきながら、アシハナが困ったような表情を浮かべる。
アシハナは頭が悪いわけではない。むしろ貴族として教育を受けていただけあって、教養はとても高い。
ただ騎士なんてしていたこともあり、事務仕事に向かないのだ。
「社長、こちらの計算が終わりました。確認をお願いします」
「ありがとうタバサ。とりあえず一区切り付くから、お茶でも飲んで休憩していてくれ」
「はい。それでは社長の分も淹れてきますね」
そう言い、タバサは自分の机から離れて給湯室へ向かう。
給湯室と言っても、流し台がある場所ってだけで間仕切りはないんだけども。
っとそうだ。
この二人にもあの話をしなければいけないな。
「そう言えば。昨夜、また夢の中で仕事の依頼が来た」
「「……!?」」
唐突に俺が漏らした言葉に、タバサとアシハナが同時に息を呑んだ。
二人の視線が俺の方へ向く。
「昨日の今日で、もう……ですか?」
そう聞いてくるのはアシハナだ。
昨日は横断歩道のすぐ傍から、対象がトラックに勢いよく轢かれたところを見ていたのだろう。
そのときのことを思い出しているのか、あまり歓迎できないような表情を浮かべている。
「社長は大丈夫なのですか……?」
タバサはタバサで、あからさまに顔を青ざめさせているようだ。
昨夜は俺のベッドにもぐり込んでくるくらい強いショックを受けていたようだし、無理もないか……。
俺は二人を安心させるように微笑みかけながら、軽く肩をすくめてみせた。
「断るという選択肢がないからな。一応、明後日の夜──月曜日だな、その日までと期限を切られているんだが、今回はかなり場所が遠い」
そう説明しながら、ロードマップを引き出しから取り出した。
うちのトラックにはナビなんて気の効いた物は取り付けられていないので、ロードマップは欠かせないのだ。
自称・神から聞かされた条件を考えたら、もしナビをつけていれば選ばれなかったんじゃないかとも思うが……。
アシハナは席を立って俺の机までやって来て、タバサも手早くお茶を入れて戻ってくる。
「今回は、こちらの街……この事務所からだと片道四時間かかるところに住んでいる対象を異世界に送らなければならない」
二人はまだ日本の地理には詳しくはない。
縮尺の小さい地図で大体の場所を指し示すと、揃って首をかしげていた。
「それほど遠い場所ですと、一日仕事になりますよね」
「ああ。だから明日……一応会社が休みの日曜日に済ませてしまうつもりだ」
昼頃にここを出発すれば、夕方にはたどり着けるだろう。
それから対象をしばらくストーキング──もとい追跡しつつ都合の良い場所を見繕い、暗くなってから仕事を済ませてしまう。
その後は、帰宅は深夜から朝方になるがドライブしながら帰ってくれば良い。
だが、そうすると問題点が一つ。
「悪いが、今回はタバサは留守番をしていて欲しい」
「えっ……ど、どうしてですか!?」
「精神的にきついだろ? それに遅い時間に十六歳の女の子を連れ回すと、警察に見つかったときがな……」
戸籍上はちゃんとした養子になっていても、外見は俺とタバサでは似ても似つかない。
そんな女の子を深夜にトラックで連れ回すのだ。調べればわかるとはいえ、誤解を受けることは想像に難くない。
「なにより、対象の足取りを追うのにアシハナを連れて行きたい。うちのトラックは二人乗りだから……」
「あっ、そうですよね。それに、近場でしたら他の移動手段でついていくんですけれども……」
納得してくれたようだ。
対象を追跡するのはタバサでは無理だ。鈍くさいわけではないのだが、あまりその手の行為は向いていなかった。
その点、アシハナは騎士として魔物退治を行い、ときには猟師とともに山に入って獲物を追ったこともあったという。
どちらが適任かと言えば、比べるまでもないだろう。
それに遠いのが問題だ。
移動だけなら電車を使えば良いが帰りが問題になる。県をまたいでの移動になるし、時間的に終電を逃すことだってあり得るのだ。
あちらで一泊して帰ってくるという手もあるが、そうすると翌日が辛い。月曜日は今日これから回収してくる荷物を輸送したりと、朝から忙しいからな……。
「タバサ、社長の手伝いは私にお任せください。しっかりと大任を果たしてみせます!」
「はい、よろしくお願いします、アシハナさん」
胸を張って請け負うアシハナにタバサが微笑みかけた。
アシハナは事務仕事で役に立てないため、自分のできそうな仕事を頼まれて嬉しそうにする。
俺は義理とは言え娘たちのそんなやり取りを、微笑ましく思いながら眺めていた。
我ながら枯れているとは思うが……まぁ子供のような年齢の二人だし、しかたないよな。
と、そんなことを考えていたときだった。
大きな音を立てて事務所のドアが開かれ、小柄な体躯が飛び込んで来た。
「何やつ!?」
アシハナがすぐに飛び退り、近くにあった定規を手に身構えた。
タバサもとっさに立ち上がって、口の中で魔法の呪文を唱え──
「って、ちょっと待て、さすがにそれはまずい!!」
タバサの性格的に唱えている呪文は攻撃系の魔法ではなく、防御系の魔法だろう。
だが魔法はこの世界にないものだ。事務所に押し入ってきたが誰であれ、使うのはいろんな意味でまずい。
そう考えた俺は、とっさにタバサを抱きしめて魔法を中断させる。
だが、そこに割り込んで来るのが押し入ってきた相手だ。
「ちょっとお父、何やってんのよ!? 若い女の子に抱きついて、実の娘の前でセクハラとか犯罪じゃないの!」
「……結花、か?」
「あたし以外の誰に見えるのよ。ちょっと見ない内に、目でも悪くなったの? つーか、はなれろぉぉっ!」
足音も荒くこちらに駆け寄り、強引に俺とタバサを引き剥がそうとする少女。
名前は、今は要結花と言っただろうか。要とは離婚した元妻の旧姓だ。
「……社長、お知り合いですか?」
構えていた定規を下げ、アシハナはいぶかしげに結花を見る。
タバサも俺に抱きしめられながら、自分と俺とを引き剥がそうとする結花にキョトンとした顔を向けていた。
「……俺の娘の結花だ」
「そんな紹介とか後で良いからっ、先にその手を離しなさいよ、スケベ!!」
「お、おう」
至近距離から睨まれ、俺は慌ててタバサを解放する。
結花は俺から守るようにタバサを自分の背後に回し、ただでさえツリ目がちな眼差しでキッと俺を睨んできた。
健康的な艶やかな黒髪を活動的にポニーテールにしている結花は、ここ数年でグッと母親に似てきたようだ。
この口調からもわかるように気が強く、ツリ目がちな目は、親の欲目かもしれないが将来美人になることを予想させる。
小柄な体格で、今年で十四歳のはずだが平均よりは多分小さいんじゃないだろうか。
発育は少し残念な感じだが、まだ成長の余地は残している……はず。まぁ、これくらいでも十分に可愛いのだから、別に成長しなくても良いとは思うけどな。
中学に入学してからの成績は知らないが、小学生のころはかなり優秀だったはずだ。
そんな実の娘が、じっとりとした眼差しを俺に向けていた。
「お父、サイテー。寂しがっているかと思って二年ぶりに電車を乗り継いで会いに来てみれば、女の子を事務所に連れ込んでセクハラとか……。しかも何? おうちの方にも先に寄ってきたけど、女物の小物が増えていたんだけど? そりゃあ、お母と離婚したんだしお父の勝手だけどさぁ……」
面白くなさそうな仕草で、グチグチとそんなことを言われてしまう。
気持ちはわからなくもない。これくらいの年頃の女の子は潔癖なところもあるだろうし、そう言うのには拒否反応が出たりとかな。
まぁ、誤解なんだが……。
「で、どっちがお父の新しい恋人なわけ? どっちもあたしとあんまり歳が変わらないように見えるんだけど……。それに他の従業員の人は? ヤスさんとか、トメさんとか、ジジさんとかいたよね?」
「ヤスとかトメとかジジさんは、全員二年前に経営が傾いたときにこぞって退社したよ。今はどこか別の会社で働いているんじゃないか?」
あまり人数は多くなかったが、我が多嶋運送は何人もの従業員を抱えていたのだ。
経営が悪化し、借金を作ってヤバくなったときに妻に三行半を突きつけられて、倒産しそう……ってところで全員に逃げられたけど。
それからタバサとアシハナが来るまでは、ずっと俺一人だった。
「あと誤解しているようだから訂正するが、この二人は俺の恋人でも後妻でもないぞ」
「……そうなの?」
いかにもうさんくさそうな、汚物を見るような眼差しが俺に向けられる。
もしかして、実の娘に本気でロリコンとか思われているんだろうか?
だとしたらめちゃくちゃショックなんだが……。
その結花は俺と話をしていても埒があかないと思ったのか、くるりと回れ右をしてタバサとアシハナの方へ身体を向けた。
「初めまして、あたし、この人の娘で要結花と言います」
「要……ですか?」
聞き覚えのない名字に、アシハナがオウム返しに問い返した。
俺の名字が多嶋なので違うのがおかしいと思っているのだろう。
「父と母が離婚して、あたしは母に引き取られてそっちの姓になったんです。なので、元多嶋結花で、今は要結花。あたしの方が歳下っぽいですし、結花って呼んでください」
俺に対する気やすい口調とは違い、タバサやアシハナにはちゃんと丁寧語だ。
中学生になって上下関係も厳しくなったことだろうし、こういったことで成長を感じさせられてしまう。
「それで……えっと、お二人のお名前を聞いても良いですか?」
可愛らしく首をかしげて、そう問いかける結花。
アシハナとタバサは一瞬だけ二人で顔を見合わせ、うなずき合った。
「わたしは、多嶋タバサです。よろしくお願いいたします、結花さん」
「私の名は多嶋アシハナと申します。どうぞ、お見知りおきください」
「……え?」
二人の名前を聞いて、思わずと言った様子で硬直する結花。
まるで油を差していないブリキ人形のように、ぎこちない動作で首を回して顔をこちらへ向けてくる。
「お父……どういう、こと?」
「どういうと聞かれてもな……そのままなんだが」
戸籍上では、二人とも俺の義理の娘になる。
だが、どうやら結花が思ったのはそれとは違うらしい。
「重婚とか、犯罪だよ、お父!! 若い女の子ってだけでも犯罪的なのに、何考えてんのっ、何考えてんのっ、何考えてんのぉぉぉぉっ!?」
背伸びしながら襟首を掴み、ガクガクと俺を揺すり始める結花。
その顔は今にも泣きそうな様子で涙目になっていた。
「待てっ、落ち着け結花! それは、誤解してるっ!」
「誤解って何よぉぉ! お父の変態っ、スケベっ、ロリコンっ、あたし信じてたのにっ、お父はお母と離婚しちゃったけど、きっと真面目に頑張って働いているって思って……なのに、こんなのあんまりだよぉぉぉっ!」
そう叫ぶと同時に、涙腺が緩み、とうとう決壊してしまったようだ。
ぽろぽろと涙がこぼれ落ちるのを見て、俺の方まで焦ってしまう。
「な、泣くな、結花、違う、俺は再婚なんてしていないぞ!?」
「じゃあ、あの二人は……なんで多嶋に……」
「あー……とても言いづらいことなんだが……」
涙を零しながら睨んで来る娘に、どう説明すれば良いだろうか。
俺は助けを求めるようにタバサとアシハナへ視線を向ける。
「結花さん、安心してください。わたしもアシハナさんも、社長の妻ではありません」
「そう、なの……?」
「ええ、そのとおりです。何とも説明に困るのですが……」
異世界から来た──という話は、事前に誰が相手でも内緒にするように言い含めてある。
そのため少し説明しづらそうに言いよどみ、だがすぐに意を決して改めて名乗りを上げた。
「私は多嶋アシハナ。社長の娘で、アシハナと申します」
「同じく社長の娘で、結花さんの姉になりますタバサです」
娘。その言葉に、一瞬で結花から涙が引っ込んだ。
驚愕の表情で二人を見て、俺を見て、もう一度二人を見て……。
「お父、見損なったよ! あたしが産まれる前に浮気して、子供まで作っていたなんて! さいってー!!」
「待て、それも誤解だ!!」
二人の自己紹介は、新たな誤解を生んだだけだった……。
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