複垢調査官 飛騨亜礼

坂崎文明

衝撃の三文字小説《パレオ》の謎

「萌さん、これって………」

 飛騨亜礼はあまりの衝撃で言葉を失っていた。
 今日もダークブルーのサイバーグラスに紺色の背広姿である。
 そこは新ネット小説投稿サイト《ヨムカク》の京都事務所である。

「これが衝撃の三文字小説<パレオ>です」

 運営の神無月萌も苦笑するしかなかった。

 <パレオ>といえば、誰もが子供の頃食べたホワイトビスケットに甘くてほろ苦いブラックビタークリームが挟まれた人気のビスケットのお菓子である。

 その小説の本文には一言、<パレオ>と書かれているだけである。
 それが《ヨムカク》で一番人気の小説「戦国三国志」を抑えて、SFジャンルで一位になってしまっている。
 ☆は軽く9000オーバーである。

「《ヨムカク》の小説評価システムは読者による☆による評価と、各エピソードを読者が読んだ時間をAIシステムが測定してはじき出されるんですが、どうもシステムのバグを突かれてこんなことになってしまってるんです」

 神無月萌はうなだれた。
 今日はこの前の京都の高級料亭で鞭をふるっていた時のような元気がなかった。
 ただ、憂いを含んだ瞳が妖艶に煌いて、流石の飛騨亜礼も少し惚れそうになった。

 《ヨムカク》の小説評価システムは「☆よかった、☆☆いいねえ、☆☆☆凄くいい!」の三段階評価になっていて、読者登録した読者のみが評価できるようになっていた。

 《パレオ》の☆はほとんど「☆☆☆凄くいい!」だったのだが、最初はネタ小説として注目されて徐々にランキングを上がって行って、昨日、ついにSFジャンルのランキング一位にまで上り詰めた。

「萌さん、僕もネット小説投稿サイト《作家でたまごごはん》に関わってたから分かるんですが、巨大掲示板サイトの≪サブちゃんねる≫に匿名書き込みしている連中にはこういう小説はウケちゃいます。おそらく、≪サブちゃんねる≫経由で愉快犯が流入してると思われます。まあ、《ヨムカク》のアクセスも上がるし、≪サブちゃんねる≫まとめサイトにも取り上げられて話題になるし、しばらくこのまま放置でいいでしょう」

「え? 放置しちゃうんですか?」

 萌は飛騨亜礼の意外な回答に驚きを隠せなかった。

「三文字しかないからWEB小説新人賞には応募できないし、いいんじゃないかと思いますよ。《作家でたまごごはん》ではこんなことは日常茶飯事ですし、いちいち気にしてたら身が持たないですよ。《作家でたまごごはん》の運営の舞さんみたいにドンと構えていればいいです。それより、小説評価、ランキングシステムの練り直しをしましょう。僕もちょっと考えてみます」

「確かに、舞さんは<鋼鉄の心臓アイアンハート>を持ってますよね」

 萌は先輩運営の舞の姿を思い出してケラケラと笑い出した。
 少し元気が戻って来たようだ。

「萌さん、ちょっと、アイデアを練るために散歩して来ます」

 そう言って飛騨亜礼は《ヨムカク》の京都事務所を後にした。

 事務所は京都の北の鴨川沿いにあるのだが、しばらく歩くと、川は二股になっていて高野川と鴨川に別れる。
 その三角州に世界遺産<下鴨神社しもかもじんじゃ>がある。
 正式名称は「賀茂御祖神社かもみおやじんじゃ」で、鴨川を中心に町づくりがなされた京都の中心に東京ドームの三倍の敷地を有する。

 鴨川の下流に祀られた神社ということで「下鴨しもがもさん」「下鴨神社しもかもじんじゃ」と呼ばれて京都民に親しまれている。
 祭神は賀茂建角身命かもたけつぬみのみこと玉依媛命よりひめのみことなどで、山城の国一ノ宮として京都の守護神である。古事記にもでてくる八咫烏やたがらすは賀茂建角身命の化身であると言われている。

 賀茂建角身命は古代の京都を開いた神様で、平安京が造営されるにあたって成功祈願が行われて以来、日本の国民の平安を祈願する神社と定められた。

 世界平和、五穀豊穣、殖産興業、身体病難解除はもちろん、導びきの神、勝利の神、方除、厄除け、入学、就職の試験などの合格、交通、旅行、操業の安全等多方面にご利益がある。

 玉依媛命は婦道の守護神でもあり、縁結び、安産、育児などにも神徳があると言われていて、水を司られる神でもあるらしい。

 飛騨は下鴨神社の参道わきに広がる<ただすの森>に踏み込んでいった。

 下鴨神社の境内に124,000㎡〔36,000坪、東京ドームの約3倍の面積〕もの広さを有し、古代山城国、山代原野の原生林の植生を残している。
 神社への参道がこの森の中を縦断していて、ケヤキ、ムク、エノキなど約40種の樹齢200年~600年の樹木、約600本が生い茂っている。

 そのため、森全体が国の史跡に指定されていて、梅、山桜、アジサイなどの樹々と草花、樹林の間を縫うように流れている奈良の小川、瀬見の小川、泉川、御手洗川みたらしがわの清流が四季折々の神秘的な貌を見せて、京都市民の憩いの場所になっている。

 飛騨も時々、考えごとをする時に訪れていた。
<糺の森>のとある場所にある岩に腰掛けて、飛騨はしばし物思いに沈んだ。

(飛騨亜礼、久しぶりじゃの。わしが誰か分かるか?)

 飛騨の脳内に懐かしい声が、直接、響いた。

(清明さまでしょ?)

 確か、今、安部清明は安東要あんどうかなめと一緒に東北に旅立っているはずである。


(わしは神霊なので、どこの場所にもいるし、どこにもいないとも言える)

(便利ですね。僕の方は相変わらずトラブルだらけですが、そちらはどうですか?)

(要は例の天使と一緒で楽しそうじゃ。わしは難問を前にして悩みまくっておるよ)

(清明さまでも、そういうことがあるんですか?)

(生きてる時と全く変わらんよ。数千年の余計な知識が増えたばかりに生身だった時のように無茶ができなくなった)

(そんなもんなんですかね)

(そういうものだよ。飛騨、おぬしも良く悩み、良く考えて、時には無鉄砲な決断を下せばいい)

(はい、そうですね。心に留めておきます)

(では、またな)

 安部清明の波動が消えていった。
 東北の安東要の元に戻ったのだろう。
 飛騨はサイバーグラスを外して立ち上がった。
 <糺の森>の木漏れ日が少しまぶしく感じた。

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