世界を呪った鬼は願う

白波ハクア

第51話 アカネの嘘と襲撃者

 何事もなく森を抜けたアカネ達は、だだっ広い平原をゆったりと進んでいた。
「暇ねぇ……」
 アカネは一人、呟いた。
「暇、なら……一緒に走ったら……どう?」
 馬車と並行して走り込みをしているシルフィードは、暇そうにしているアカネに声をかける。
「そうしたいのは山々なんだけどね。私は体質上、長く運動したら……危ないのよ」
「危ない……? それはなんで、ですか?」
「リフィ、多分、アカネの冗談よ……」
 同じく馬車と並走しているリーフィアが、アカネの言葉を怪訝に思う。そして、シルフィードはただの彼女の虚言だと言い切る。
『シルフィード様。母上の言葉は嘘ではありません……』
 しかし、ハクの静かな声がシルフィードを咎める。
「え、それって……」
「私は生まれつき体が弱くてね……今は少しなら動ける程度に鍛えたけど、必要時以外はなるべく動かないようにしているのよ」
「そう、なんですね。……なんか意外です」
『(真実に近い――嘘、だな)』
 納得する二人とは反対に、アカネの真実を知っているハクは、少し複雑な気持ちになる。
 アカネは心配させないよう、話に嘘を混ぜている。ハクがこっそり真実を話して、無理をさせないよう頼むこともできる。しかし、それは主人の意に反する行為だ。
 言いたいのに言えない。 アカネを本気で大切に思っているからこそ、それがとてももどかしくて、無力な自分にイライラしてしまう。
「それなのにアカネは、全種族に恐れられている【魔王】なのよね……凄いと思うわ」
「努力すれば、人は何にでもなれるのよ」
「……努力、という枠組みでいいのでしょうか。限界の次元を越えているような気がします」
「けれど、本当に努力しただけなのよ。弱かった私は、誰よりも力を欲した。強くなるためなら、どんな危険にも立ち向かった。そして、オリジナル技能を編み出して、今に至るの」
「……ごめんなさい。冗談って言って……」
「そんなの気にしないで。普段の私を見ている人が、信じられる訳ないでしょうし……」
「どちらかというと……リフィの言う通り、努力だけでそこまで行けるというのが、信じられないわよ」
「ああ、やっぱりそっちなのね」
 努力は必ず報われる。という言葉がある。 それを信じていない訳ではないが、その限界もあると理解している。もし、それが可能だったならば、今頃、魔物も【魔王】もこの世に存在していない。
 しかし、現にアカネ達【魔王】は今も健在だ。人種や亜人種がいくら努力しようと、対立している勢力の均衡は崩れることがない。アカネがやっていることは、その均衡を崩すのと同じ。
「昔の私は……人間の幼児にすら負けてたんじゃない?」
 さすがにそれは嘘だ。昔のアカネは、人間の幼児ではなく、人間の赤ちゃんに負ける。そもそも、彼女は動けなかったのだから。
(……ま、今となってはどうでもいいけどねぇ。私達にとって、過去は忌まわしき記憶だから、なるべく早く忘れ……いいえ、だからこそ忘れちゃダメなのよね。あの時の憎悪を、【魔王】の資格を忘れないために……)
 ……と、そこでアカネは気づく。 何者かがこちらに向かってくることに。それも尋常ではない速度で、真っ直ぐ。
『母上……』
「ええ、わかっているわ」
 ハクも同タイミングで気づき、どうするかを視線で問うてくる。
「二人共、中に入りなさい。ハクはそのまま待機。私が対処するわ」
 感じられる気配から、シルフィード達程度では相手にもならないのがわかる。だったら、アカネが出るしか安全な方法はない。
 いつになく真剣な表情のアカネに、姉妹は素直に従って中に入る。
「……さて、と」
 対象までの距離は遠い。どんな人物かはまだハッキリとわからない程に離れている。 だから、誰が来てもいいように、その場で体を動かす。いざという時に動きが鈍らないためだ。
『母上、ありえない話ですが、万が一にも危なくなったら……』
「はいはい、その時はハクに頼むわ」
 心配性な子にアカネは笑って返す。


 ――数分後。
 ようやく、気配だけでも何者かがわかる距離まで、対象が近づいてきた。
「…………はあ……頭痛い」
 入念に準備運動をしていたアカネは、先程までの気合とは裏腹に、面倒くさそうに頭を抱えて頭痛を訴えた。
「……シルフィ、これから起こることをしっかりと見てなさい」
 そして、馬車の中から心配そうに見つめるシルフィードに、助言した。唐突に言われたことに、彼女は困惑しながらも頷く。
 やがて、それは現れた。 白い髪をなびかせながら大地を疾走するその人物は、獣人種だった。その中でも俊敏性を得意とする狐族。 尖った耳をピコピコと揺らすその姿は、癒やされる者も大勢いるだろう。
 しかし、現実はそんな悠長なことを言っていられない。尋常ではない速さで走ってくる者の手には、『和の都・京』でしか出回っていない、細くそそり立った刀身の『刀』が握られていた。
 その姿を見ただけで、友好的ではないと誰もがわかる。
「何っ、あの速さ!」
 馬車の窓から顔を出していたシルフィードは、襲撃者の速度に驚愕をしている。
 ……本当は彼女も全力で走れば、あのくらいの速度なら出せるのだが、本人はそれに気づいていない。まだハクから貰った加護を、完全に理解していない証拠だ。
(シルフィにはまだまだ鍛錬が必要ね)
 鍛錬すれば、己の限界がわかる。とてもシンプルで、手っ取り早い。
「――アカネ! こんな場面で考え事しない!」
 シルフィードから注意が飛ぶ。
 それも当然。襲撃者は今もアカネに向かって、戦意を漲らせて走ってくるのだ。戦闘態勢に入って迎え撃つのが普通なのだが、構えと呼べるものを全くしないアカネ。
 それもそのはず。アカネが本気になった時は、一切構えを取らない。
 名を『無の構え』。 ぬらりひょんとの稽古の末、アカネが編み出した全てを受け流す構えだ。あえて体に力を入れないことで、相手からの攻撃をどの方向からも防御する。 動きを予知する鋭い観察眼と、一瞬で動ける反射神経が必要な、武を極めた者にしか扱えない諸刃の技。
 ちなみに、これの習得に十年かかった。シルフィードが同じことをやろうとしたら、倍の二十年は最低でもかかるだろう。
「――ッ!」
 襲撃者はアカネの姿を見て、刀を握る力を強める。一歩、二歩、三歩と軽快なステップを踏み、勢いのまま中段の構えから横薙ぎの一閃を放つ。
 ――ガキンッ!
 硬質な物がぶつかり合う、本来ならありえない音がした。その理由はアカネにある。
 襲撃者が刀なのに対し、アカネは素手だ。それなのに、甲高い音がする。単に彼女が自身の手を強化しただけなのだが、シルフィード達を驚かせるには充分だった。
「やはり、ダメですか……」
 襲撃者が諦めたようにアカネと距離を取る。そして、彼女の防御を崩すために、中段の構えから上段の構えへと切り替えた。
 そんな狐族には目もくれず、防御した手の甲を眺めるアカネ。そして、懐かしそうに襲撃者を見つめる。なぜかその瞳は、嬉しそうに輝いていた。
「今の一撃、腕を上げたわね――コノハ」

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