彼の心にわたしはいないシリーズ

ノベルバユーザー225269

あなたが笑ってくれるなら

『君はまるで氷の王子様だね』『・・・氷の王子様?』
あれは僕が八歳の時、彼女にそう言われたのだ。
『そうだよ。とっても綺麗な顔をしてるのにクールだし、人に興味なさそうだし』『それは』『・・・だからどうってことないんだけどね』

彼女がここに来て約一年たって僕は彼女と初めて話をした。言われたことが印象に残りすぎて今も夢に出てくる。





僕は彼女が嫌いだった。家族に馴染もうとしない彼女が。学校に馴染もうとしない彼女が。
この世界に自分なんていらないんだという雰囲気が。容姿だって整っていないし、勉強もスポーツもできない。何の才能もない、僕らの家系としてとても珍しい役に立たない人間だった。それなのに、おじい様も伯父さんたちも彼女に目をかける。僕の母もその一人だ。仕事で忙しくめったに家に帰ってこない。それなに帰ってくると必ず彼女のこと聞いてくる。元気にしているのか、一緒に遊んでるか、何か欲しいものは無いのか。それをどうして僕に聞いてくれないのだろう。彼女はたくさんの人からの愛情をもらっているのに、何がそんなに不服なのだろうか。









大っ嫌い。大っ嫌い。大っ嫌い。あんな奴大っ嫌いだ。僕より無能のくせに僕よりたくさんのものを貰っていて。何がそんなに気に入らないんだよ。お金も、家族も、なんだってお前は持っているじゃないか。



僕は知らなかったんだ。彼女がどんな思いでこの家にいるかなんて。彼女は亡くなった両親の月命日には必ず一人でお墓に行っていた。僕はそれに秘密でついて行った。でもすぐに見つかってしまった。彼女は電車で移動しようとしていたのだ。もちろん僕は電車の乗り方なんて知らなかった。彼女は僕のところに来ると、切符を買って僕の手を引いて歩き出した。お墓につくまで二人ともしゃべらなかった。
『ここにお父さんとお母さんは眠ってるの』
彼女はお墓を綺麗にしていた。僕はそれを立って見ていた。これ、と言われて彼女の手を見るとお線香というものが握られてた。『これをそこに刺して、手を合わせて』そう言われたから言われたとおりにした。僕が終わると彼女が同じことをした。とっても長い間彼女は手を合わせていた。
どれくらい時間が経ったのかは分からない。多分、二・三分。だけど一時間のようにも感じた。その時僕は彼女がここから消えてしまいそうな不安感に襲われた。目をはなしたら消えてしまいそうだったのだ。
彼女は目を開けて立ち上がると僕のほうを見て言った。『ありがとう』って。何が、そう言おうと思ったけど言葉が出てこなかった。彼女は泣きそうな顔でほほ笑んでいた。後から聞いた話だけど、彼女は誰かとこのお墓に来たことがなかったそうだ。



家に帰りながら僕は彼女とたくさんの話をした。どうして彼女のお父さんとお母さんは亡くなったのか。どうして家に馴染もうとしないのか。僕らは彼女にとってどうでもいい存在なのかなど。彼女は僕に質問に全て答えてくれた。
そこで僕は彼女の身の上を知った。施設で暴力を受けていたと知ったのはこの時だった。僕らと仲良くしようとしないものちゃんと理由があることも分かった。
『私はね、君のお父さんや伯父さんたちから大切な人を奪ったの。・・・だからね、いつかここを出て行くつもりなの。その時に大切な人が出来ていたらきっと出て行きづらくなっちゃうでしょ』『どうして出て行くの?』『きっと誰も気づいていないけどね、おじい様たち私を見るとき時々顔を歪めるの』『え?』『その時ね思うの。どうして私が生き残ったんだろうって』『それは』『私があの家にいる限り、皆期待するの。お父さんがまだ生きていてここに戻って来たって』『・・・僕には分からない』『分からなくていいよ。こんな思い。誰にもね・・・』
僕は初めて彼女の心の内を知ったんだ。正直、僕は人に興味がなかったから彼女の話はその時ほとんど理解できなかった。でも話を聞いてから彼女の言うことが分かってきた。


本当に時々、おじい様たちは彼女を見て顔を歪めるのだ。そして泣きそうな顔をする。その時の彼女の顔は、いつも通りの笑顔だった。きっとあの笑顔が偽物だって気づいているのは僕くらい。それくらい彼女の偽物の笑顔は完璧だった。
彼女がこの家を出て行きたい理由がだんだん分かってきた。大人たちは皆彼女に、亡くなった彼女の父親・・・京四朗さんを重ねているんだ。それは仕方がないことかもしれない。でも、それはあまりにも酷なことではないのか。そしてそれに追い打ちをかけるように、彼女の婚約者である各務俊也の想い人が現れた。彼女は行き場を失ったのだ。僕はまだ十一歳でどうすることもできなかった。






彼女からどんどん元気がなくなっていった。偽物の笑顔もどんどん曇って行った。それは各務俊也のせいだって分かってる。彼女が素を出せるのは各務俊也の前だけだったのに。あんなに幸せそうだったのに、なのにどうして。あんなひどい真似ができるんだ。彼女がお前に何かしたのか、そう叫んでやりたい。彼女が何も言わないのをいいことに、好きな女と会って思いを募らせて。残された彼女はどうなるんだ。
彼女を嫌いだったあの頃の比にならないくらい、僕があいつが嫌いだった。そしてあの女も嫌いだった。橋田美雪。早く死んでしまえばいいのに。そうしたら各務俊也は彼女だけを見るようになるのに。たくさん苦しんでいる彼女を救えるのは各務俊也だと思っていたのに。そんな僕や彼女の思いを踏みにじったあいつを僕が許せるわけない。それと同時に思ったのだ。どうして僕じゃないんだろうと。彼女を救えるのが僕じゃないんだろうと。そして気づいたんだ。自分の気持ちに。

好きなんだ。もうずっと前から。

お墓に行ったとき?いや違う。その時にはもう気になっていた。だからついて行こうと思ったんだ。なら『氷の王子様』って言われたとき?それも違う。じゃあいつ?考えて考えて分かった。初めからだって。だからこの家に馴染んでくれない彼女が嫌いだった。僕と仲良くなろうとしてくれない彼女が嫌いだった。僕をどうでもいいと思っている彼女が嫌いだった。僕は好きなんだ。大好きなんだ。
だから各務俊也が嫌いなんだ。彼女に想いを寄せられているのにそれを無視するあいつが。そしてその想い人である橋田美雪が嫌いなんだ。本当なら彼女がいるべきところを奪った女。彼女の幸せを奪う奴は皆嫌いだ。おじい様も、父さんたちも。彼女を傷つけて悲しませる奴らなんていなくなってしまえばいいのに。彼女が本当の笑顔を僕に見せてくれるなら何でもするのに。

大好きなんだ。本当に、大好き。・・・春が大好きなんだ。

僕の気持ちに気づかなくていいんだ。君が幸せになってくれるならその隣にいるのが僕じゃなくてもいいんだ。ねぇだから笑ってよ。君の本当の笑顔が見たいんだ。









それなのに、それなのに、橋田美雪が死んでも彼女の笑顔が戻ることは無かった。その理由はただ一つ。各務俊也のせいだ。あいつがその女を忘れずにいるからだ。どうしてどうして、彼女を傷つけるんだ。
彼女はどんどん元気をなくしていった。僕はそんな彼女を見ていられなかった。前のように嘘の笑顔でもいいから見せてほしかった。そのためなら、もう僕の意思なんて関係なかった。ここに居てほしい、どこにもいかないでほしい。そんな思いは捨ててしまおう、そう決意した。彼女に、ここを出て新京高校に行けばいいと言ったのは僕だ。彼女は僕のその言葉を聞いて、初めてほっとしたようにほほ笑んだ。それは嘘でもない、彼女の本当の表情だった。きっと彼女は待っていたんだ。自分の背中を押してくれる人を。彼女がここで幸せになれないというのなら、無理にここにいる必要はないんだ。
『春姉さんは自分の好きにしたらいいよ。ここで苦しむ必要なんてない』『だけど』『どこにいたって僕が春姉さんを大切に思っていることは変わらない。苦しいとき悲しいときはすぐに駆け付ける。だからね・・・もう、いいんだよ』
その時彼女は僕を初めて抱きしめた。ありがとう、ごめんね、その言葉を繰り返しながら。それはこっちのセリフだよ。ずっとここに縛り付けてごめん。もっと早くにここから出せてあげられなくてごめん。そして僕にこの想いをくれてありがとう。この想いを伝えることはきっとないけれど、僕は幸せなんだ。できるなら傍にいて、彼女を支えたいけど。それじゃあ僕らは何も変わらない。幸せになってほしい。僕が君に出会えて幸せだったように。











彼女がここを出て行くとき僕たちは何も話さなかった。彼女はやっとここから飛び立てるのだ。誰かに重ねられることなく彼女を彼女として見てくれる人たちと知り合って、ここでは得られなかった幸せを得るのだ。彼女が去った後、涙が込み上げてきた。
僕は正しいことをしたのだ。彼女の幸せのために。なのになぜこんなにも苦しいのだろう。どうして自分のしたことを後悔しているのだろう。











彼女がいなくなって家は静かになった。彼女の存在はこんなにも大きかったのだと思い知った。おじい様はずっと悩んでいるようだった。どうしてこうなったのかと。それは父さんたちも同じだった。この人たちは愚かだと、そう思った。何もわかっていないないのだ。僕ら子供が分かっているのに、どうして大人な彼らが気づいてあげられなかったのか。ふがいなさすぎて僕はおじい様にヒントをあげた。思っているだけじゃ何も伝わっていなんだよと。それは僕にも言えることだけれど。僕は伝えなくてもいい想いなんだ。これはきっと彼女を苦しめるから。愛しているならそれを伝えないと彼女は本当だと思わないのだから。彼女は各務俊也や過去のことから人の思いに敏感で、それでたくさんに傷ついてきたのだから。言葉にしないと何も分からないんだよ、おじい様。







僕はあなたが笑ってくれるなら何でもするよ。これでおじい様たちが自分の間違いに気づいてあなたとの関係が変わればいい。あなたが笑ってくれるのが僕にとって何よりの幸せだから。もう泣かなくてもいい、自分のせいだと責めなくてもいい日が早く来てほしい。もう大好きじゃこの想いは抱えきれない。あなたを愛しているんだ。でも僕じゃあなたを幸せにできない。同じ失敗を繰り返すだけだから。だから・・・だから外の世界でどうか幸せに。







他人に興味なんてなかった僕がこんなにも夢中になったのはあなただけだから。それはこれからも変わらない。あなたの温もりを絶対に忘れない。あなたが僕にだけ向けた表情を絶対に忘れない。いや、忘れることなんてできない。
僕がこれから好きなるのはあなただけだから。あなたが幸せならそれでいいから。だから幸せいっぱいに笑ってね。あなたが笑ってくれるなら僕は幸せだから。






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