前世と今

ノベルバユーザー225269

前世と今



 彼との出会いは小学4年生の時。たまたま同じクラスでたまたま出席番号が前後でたまたま席が前後だった。 彼は友達は少なくどちらかと言うと無口な方で私のほうは友達はいるけれど一人で過ごすのが好きな方だった。そんな私達だったがなぜか馬が合いよく一緒に過ごすようになった。 彼と友達になって少し経ったころ彼は言った。
「僕はこの髪のせいで周りの人から嫌なこと言われてきたんだ。そのせいか人と関わるのが苦手になって…。でも、君といるとそんなこと忘れちゃうんだ。不思議だよね」
 私はその言葉が嬉しくて彼に抱き付きながら「あなたの髪はとっても綺麗よ!」と伝えた。 彼をぎゅっと抱きしめると彼がくすっと笑うのが聞こえた。そして「ありがとう」そう囁いた。 彼の髪は私とは違い茶色だった。地毛だと言うその髪は母親譲りで彼自身はとても気に入っていると言った。私も彼の髪の色は好きだった。他の人と違うものを持っている彼に憧れのようなものを抱いた。

 私達の関係は中学校に入ってからも変わらなかった。また同じクラスでまた出席番号が前後でまた席が前後だった。そのため小学校の頃と変わらず私達は2人でいた。しかし小学校のときと違っていたのは私達を見た同級生たちが私達が付き合っていると勘違いしたことだ。 そのせいで私達はクラス公認のカップルになってしまった。彼はその噂を耳にしているはずなのにそれについては何も触れずいつも通り過ごしていた。私の方は私と彼はそんな風にみられているのかと優越感にも似た感情を抱いたが彼の様子を見てそれを誰かに言うことは避けた。

 中学2年になると私と彼はクラスが離ればなれになった。小学4年生のときから同じクラスだったため少し不安もあったが彼以外にも友達がいた私はあまり苦労することなくクラスに馴染んだ。彼の方はやはり最初はクラスで浮いていたそうだがクラスの学級委員になったことで少しずついろんな人と関わるようになって友達もできたそうだ。
 それにしても何をやるにも無気力に見えた彼が学級委員をやるなんて驚いた。そのことを彼に伝えると彼は笑いながら「じゃんけんに負けたんだ」と言った。そしてこの頃から彼はよく笑うようになった。 彼のクラスの前を通ると彼の笑う声がするようになった。それまで「ははは」と声を出して笑う彼を私はほとんど見たことなかった。 それを見ると嬉しく思う反面、何故か苛ついた。そして不安になった。何が不安なのか分からないが不安だった。 彼の笑い声や話す声が聞こえると胸がざわざわした。言いようのない不安が胸に溢れて怖かった。



「どうかしたの?体調でも悪いの?」

 放課後になり多くの生徒が部活に行く中、私はぼぉっと椅子に座ったまま外を眺めていた。するとカバンを持った彼が教室に入って来てそう言った。彼は私の異変にすぐ気づく。いつもそうだ。心配事があると彼はそれをいち早く察知して私を気遣ってくれる。私はそれが嬉しかった。
「体調は悪くない」「でも最近ちょっと変だよ?何かあった?何でも言ってよ。僕は君の味方なんだから」
 彼はそう言って私の隣の席の椅子を私の方に近づけて座った。そして私の手を取り自分の両手で包み込んだ。彼は根気よく私が話すのを待ってくれた。だから私は床を眺めながらポツリポツリと彼に自分の思っていることを伝えた。彼の声や笑い声を聞くと嬉しくなるけどそれと同時に苛ついてしまう。彼が誰かと楽しそうにしているのを見ると胸がざわついて苦しいと。
 私が話し終えても何も言わない彼を不思議に思って彼の顔を見た。彼の顔は真っ赤だった。「え、あ、どうしたの」私がそう尋ねると彼は握っていた手をギュッと強く握りしめた。「ねぇ、どうしたの」再度尋ねると彼は小さな声で言った。「……それって僕の事好きってことじゃないかな?」「え?」「多分、君は僕のことが好きなんだと思う」消え入りそうな声でそう言われた。
 好き・・・。好き!? 私は思わず彼の手を振り払い勢いよく立ち上がった。
「うぇ!?えっ!?好き!?え、ええ??」「…多分ね」
 私達の顔はどちらも真っ赤だっただろう。 私は両手で自分の顔を覆った。恥ずかしすぎた。穴があったら入りたいとはこのことだろう。 しばらくの間私達の間には沈黙が続いた。部活に励む生徒たちの声と時計の音がやけにうるさく感じた。 沈黙を破ったのは彼だった。

「……僕たち、付き合う?」「え?」「ほら僕たちって付き合ってるって噂になってるし。……それに僕も君の事好き、だし…」
 彼のその言葉に私は「あ、うん。…そっか。…うん、じゃあ付き合おうか」としどろもどろになりながら返した。 彼はそんな私を見て笑った。それは彼が友達の前で見せる笑とは少し違っていたが私はそれが心地よかった。 彼と付き合うことになっても劇的に何かが変化することはなかった。時々放課後一緒に帰って時々手をつなぐ。時々デートをして時々手をつなぐ。そんなことの繰り返しだった。少女漫画のような急展開なことは起こらず、少しずつ時間は流れて行った。



 中学3年生になるとまた彼と同じクラスになった。しかし出席番号は前後にならなかった。そのため彼と席が前後になることもなかった。 中学3年生になっても私達の関係はそう変化がなかった。時々一緒に帰って時々手を繋いで時々デートをする。キスの1つもしないまま私達の時間は過ぎて行った。
「君はどこの高校を受験するの?」「私は一校だよ」「僕と一緒だ」「本当?」「うん。…良かった、違う高校にならなくて」
 そう言ってほほ笑む彼はもう無気力で無口な彼ではなかった。性格も明るくなりよく笑い良く喋る人になった。それと同時に彼の容姿も変わってきた。初めて会った時は可愛らしい顔をしていたが、次第に男らしい凛々しい顔に変化した。背もぐんぐん伸び今ではクラスで1,2を争う長身になった。

「きっとあなたは高校に入ったらモテるよ」「それは困るな。僕は君がいればいいんだから。君を不安にさせたくないよ」
 そんなことを簡単に言えるような人ではなかったのに、少し前の彼を思い出しほんの少し寂しく思ったけれど「嬉しいよ」そう言って彼の手を握った。

 それから私達は無事に志望校に受かった。一緒に高校に合格を確認しに行った日、私は初めて彼とキスをした。驚く私に彼は「これからもずっと一緒だよ。これからもよろしくね」そう言ってネックレスをプレゼントしてくれた。「どうしたのこれ」と聞くと「家の手伝いしてもらったお金で買ったんだ。…誰かにプレゼントするなんて初めてで何がいいかすごく悩んだだけど」と赤い頬を指で掻きながら教えてくれた。「ありがとう」そう言うと彼は「どういたしまして」とはにかんだ。彼のやさしさにほんの少し涙が出た。
 私達はお互いそんなに干渉するほうではなかったし「好き」という想いを伝えることもほとんどしていなかった。私はそれをほんの少し後悔した。彼は言葉は無くても行動で示してくれるけれど私は何もしてないと。それに気づいてから私は彼に時々「好きだよ」と伝えるようになった。彼は「嬉しい。僕もだよ」そう返してくれた。 こんなことで胸の中がぽかぽかして幸せな気持ちになれるならもっと早くからこうやって伝えていたら良かった、そう思った。





* * *

 私達の交際は順調のまま高校生になった。クラスはまたしても同じだったが出席番号はかなり離れてしまった。 彼は中学2年生の時にした学級委員が結構お気に入りだったらしく高校での初めての委員会決めの時、彼はクラス委員に手をあげた。 高校生になっても私達の関係は相変わらずだった。特に大きな波もなく倦怠期と言われる時期もなかった。少女漫画のようにライバルが現れることもなかった。 彼は学年の中でもかなり顔が整っていた。けれど私と彼が中学の時から付き合っていると知っている人たちの噂によって彼に変な虫はよってこなかった。時折「私を彼女にして?」と言ってくる人もいたが彼は「僕にはもう彼女がいるから。僕の彼女は彼女1人だけだから」そう言って追い払っていた。

「愛されているね」そう言って私を冷やかすのは中学の時からの腐れ縁の友人だった。
「あんたの彼氏、顔も良ければ運動もできる勉強もできる。性格はあたし的には微妙だけどあんたの事すごく大事にしてるし、いい彼氏だよね」「うん」「あぁいう将来有望なやつってあんまいないし逃がさないようにしなさいよ」「逃がさないよ。だって彼のこと好きだもん」「うわ~あたしに惚気ないでよ」
 そう言う友人は私の下敷きで顔を仰いだ。 優しい彼と友人に囲まれて私は幸せだった。勉強はちょっと難しいけれどやりがいがあったし家族仲も良好でクラスメイト達とも特に何の問題もなく、穏やかな日々を送っていた。





 しかし幸せな時間は突如終わりを告げる。

「今日からこのクラスにもう1人仲間が加わることになりました」
 そう言って紹介されたのは1人のとても綺麗な女子生徒だった。綺麗な長い黒髪、小さな顔に小さな口、それなのに目はくりくりと大きい。それに加えて左目の下にある黒子がどこか色気を漂わせていた。 彼女が紹介された時、ガタン!と大きな音がした。音のした方へ目を向けると、何故か彼が立っていた。彼の目は美しい彼女のほうを向いていた。食い入るようにその姿を見つめる彼を見たのは初めてだった。 すぐに彼は正気を取り戻し「すみません」と椅子に座りなおした。 先生はそんな彼を見て「あなたクラス委員よね?昼休憩に校舎の案内を頼めるかしら」と言った。彼は「は、はい」と答えていたがいつもの覇気は無かった。

 彼女はすぐにクラスに馴染んだ。顔の美しさもあるが彼女はそれを鼻に掛けないとてもいい子だったのだ。2週間もするとクラスをまとめる女子たちのグループに混ざっていた。 クラスをまとめる女子のグループは、クラスをまとめる男子のグループとも仲が良い。その男子グループにはもちろん彼もいた。私は彼と彼女が急速に仲良くなっていくのをじっと見つめていた。
「ねぇ、あれいいの?あんた彼氏とられちゃうんじゃないの?」友人は心配してくれた。「私もそんな気がする」と答えれば「馬鹿じゃない!ちゃんと話しなよ!!」と怒られ、その日の放課後強引に彼と話す場を設けられてしまった。 放課後、私と彼は教室で2人っきりだった。彼と2人っきりになるのは久しぶりだった。 彼女が転入してきてから彼は何にかけて彼女のことを気にかけていた。友人がそのことをやんわりと諌めたけれど彼は「僕クラス委員だし。彼女がクラスに馴染めるようにしないといけないって思って」そう言って彼は彼女の元へ歩いて行ったことがあった。また何度かデートに誘ったがそのたびに何かと理由を付けて断られた。そんなことが続けばどれだけ鈍感だろうと気づく。彼は彼女に惚れていると。 確かに彼女は顔も良く性格も良い。勉強もスポーツもでき人当たりも良い。もう言うことなしの子だ。彼が惹かれるのもなんとなくわかった。
 友人が2人で話す場をせっかく設けてくれたが、多分今日私達は別れることになるのだろう。 そう思うと鼻の奥がつんとした。あぁ悲しいな、私は彼の事今も好きなのにな、そんな思いが溢れだして自然と目に涙が浮かぶ。 私達の間には長い長い沈黙が流れていた。沈黙が怖いと思ったのはこれが初めてだった。彼と出会った頃私達の間にはよく沈黙が流れた。けれどその沈黙すら私は好きで怖いと思ったことは無かった。けれど今は違う。彼の口から出てくる言葉が怖い。 長い沈黙を破ったのはやはり彼の方だった。



「……前世って信じてる?」「…え?」

 別れを切り出されると思っていた私は彼の思わぬ言葉にただただ驚いた。 そんな私を置いて彼は言葉を続ける。


「小さいときから変な夢を見ることがあったんだ。その夢には決まって綺麗な女の人が出てきて僕の方を見て言うんだ。来世では幸せになりましょうって。どういう事って聞く前に彼女は誰かに背中を剣で刺されて血まみれになるんだ。そしてもう一度言うんだ。必ず来世で幸せになりましょうって」

 彼の顔はいたって真剣だった。

「最初はその夢が怖くてどうしてこんな夢を見るんだって思ってた。…けど歳を重ねるにつれてその女の人が気になりだした。もしかしたら僕の夢に出てくる女の人は僕の前世で大切な人だったんじゃないかって…。頭がおかしいと思うよね?僕もそう思ってた」

 彼はそこで言うと、一度言葉を切った。 何となく彼が今から言う言葉が分かる。ほらやっぱり、彼は彼女の席を見る。

「…彼女に会うまで、そう思ってたんだ。僕は頭がおかしいんだって。前世何て占いの時だけ気にするもので、夢で見たあれはただの夢、気にしなければいいだけだ。そう思ってた。いやそう思おうとした。……けど、彼女そっくりなんだ。夢の中の女の人に」

 そう言って彼女の席を見つめる表情は私に向けられるものとは違った。愛おしい、と顔に書いてある。

「彼女を初めて見たとき分かったんだ。夢の中の女の人は彼女だって」

 私は思わず首にかけていた彼から貰ったネックレスを握りしめた。 彼が彼女を想って顔を歪めるのを見て私の胸はぎゅっと掴まれたような衝撃を受ける。それと同時に胃のあたりに押さえつけられるような痛みを感じた。 彼のこんなにも誰かを想う表情を私は知らない。 嫌だ。こんな表情見たくない。そう思っても私の目の前にいる彼から私は目を離せなかった。
 彼は私に向けてこんな表情をしてくれたことは無い。辛い、苦しい、悲しい、寂しい、いろんな負の感情が溢れだして止まらない。 それは彼が中学2年生のときクラスで馴染んでいるのを見たときの感情と似ていた。彼を誰かにとられてしまう、そう思うと辛くてたまらない。
 彼はもう一度彼女の席を見てその後瞼を閉じた。あぁ別れの言葉を言われるのかそう思って私は目を閉じた。 けれど彼の口からは思わぬ言葉が発せられた。

「…でも僕は前世だけじゃなくて君との今を大事にしたいとも思ってる」「…え」

 彼の言葉に私はまたネックレスを握った。彼の目は私を見ていた。彼女ではなく私を。
「僕を変えてくれたのは君だ。夢の中の女の人でも彼女でもない。だから僕は君の傍にいたい。…駄目かな」
 そう尋ねられて否と言えるわけがない。私は首を横に振って彼に抱き付いた。久しぶりに感じる彼の体温はとても心地よかった。



* * *

 そんなことがあってから彼は彼女との時間を減らし私と多くの時間を過ごした。以前のように彼が隣にいることに私は安心感を覚えた。 彼女は彼がいなくても学校生活に支障はなく、グループの女子や男子たちと毎日楽しそうに話していた。彼はそれを見ながら時折顔を歪めていたが私はそれに気づかないふりをした。
 2年生になると私は彼とクラスが離れた。それだけなら良かった。けれど彼のクラスには彼女がいた。「僕がいうのもあれだけど心配しないで。僕は君のことが好きだから」そう言って彼は微笑むけれどもう昔のようにそれを嬉しいと思えない。 その微笑みは彼女に向けるものとは全く違う友人に向けるような笑みだったからだ。 彼女と彼が一緒にいるのを見るたびに、「やめて!喋らないで!一緒にいないで!」そう言いそうになった。けれどそんなことを言う勇気などなかった。 彼と彼女を見るたびに私は不安に襲われた。前世など占いの時にちょっと気になる程度で本当に前世があったなど私は信じていない。けれど彼のあの表情を見ているとあながち嘘ではないのだろうと思ってしまう。


「ねぇ前世って信じる?」「は?前世?」

 私は今年も同じクラスになった友人に尋ねた。友人は噛んでいたガムを包み紙に出しながら考える。 しばらく考えた末に友人は「信じない。…てか興味ない」と答えた。

「興味ない?」「うん。だって前世がどうしたって感じじゃない?もし前世であたしが総理大臣だったとしても今世で総理大臣になるとは限らない。…あとはそうだな、もし前世であたしが誰かと恋人同士だったとしても今世でも恋人になるとは限らないでしょ?だってそうじゃない?もしかしたら同性かもしれないし最悪今の自分の家族かもしれないでしょ?」「うん」「それなのに前世でも〇〇だったから今世でも〇〇になる、っていうのは成立しないでしょ?」「確かに」「もし前世であたしとあんたが敵同士だったとして今世も敵同士になるなんておかしな話でしょう?」「うん」「そういうことだよ。…前世とか意味分からないものに引っ張られて今を無駄にするとか馬鹿らしくない?前世は前世。だって前世は私とは名前も容姿も違うんだよ?きっと性格も違うよ?それなのに今の私と同じにしてほしくない」「確かに」
「あんたさっきから、うんと確かにしか言ってない」そう言って友人に頭を叩かれた。私は友人の言葉に元気をもらった。 彼は前世を信じて前世での女の人の言葉を守ろうとしている。それは彼にとったら大切なことなのかもしれないが私にとっては至極どうでもよく気味が悪かった。 友人の言う通り、どうして彼は前世に引っ張られて今を見ようとしないのか、それは彼のように前世の夢を見たことがないから言えることなのだろうけれど、そう思った。

「そう言えば聞いた?あの子彼氏できたらしいよ」
 友人の言うあの子が彼女のことだと言うのはすぐに分かった。
「え、そうなの?」「うん。一個上の先輩だって。喧嘩がかなり強いって噂で聞いた」「そうなんだ」「うん。…良かったじゃん。これで彼氏もあんたのことだけを見てくれるよ」
 そうだといいな、その言葉は口には出さなかった。 友人は何となく私達の関係が以前と違っていることを気づいている。けれど友人はそれに対してあまり口を挟もうとしなかった。それは私に対する思いやりだと言うことは分かっている。



 彼女に彼氏が出来たと聞いて数日後、彼に屋上に呼び出された。 先に屋上にいた彼はフェンスに背中を向けて立っていた。彼の顔は下を向いていて私が近くによってもその顔があげられることは無かった。
「…大丈夫?」
 そう声をかけると彼は首を横に振った。 私は彼の前に立ったまま、言葉を続ける。

「ねぇ教えて。あなたは彼女の事どう思っているの?」「どうって…」「夢で見る女の人が彼女に似てるって言ってたでしょ?」「…似てるんじゃない。…あの女の人は彼女なんだ」「違うよ。彼女はその女の人じゃない」「違わない!!」
 彼は大きな声で否定した。しかし顔は下を向いたまま。私はそれでも続けた。

「もし彼女があなたの夢に出てくる女の人の来世の姿だったとしても、彼女はその女の人と同じじゃない。それは分かってるでしょ?」「同じだ、同じだよ」「それはあなたがそう思ってるだけじゃないの?前世と今では彼女は容姿も名前も性格も変わってるはずよ?それなのにあなたは前世に引っ張られるの?」
 私の問いかけに彼は答えなかった。
「もし仮に前世が本当に在ったとしても、その時と今とでは状況が違うんだよ?前世での恋人が今は同性かもしれないし自分の家族かもしれないでしょ?」「……分かってる。…分かってるんだよ、僕も」
 彼はずるずると腰を落とし、冷たいコンクリートの上に座った。顔を手で覆い項垂れている。

「前世よりも今が大切なことは分かってる。前世に固執している自分を馬鹿だと思うし、君を大切にしたいと思ってる。夢や前世のことを忘れて君と一緒に笑っていたいと思った。なのに事あるごとにちらつくんだ。来世では幸せになりましょうって言う彼女に似たあの女の人が。それを思い出すと彼女を大切にしないとって思うんだ。………どうして、どうして!僕は本当に君が好きで大切にしたいんだ。なのに、なのに!」

 私は彼の前に跪いた。そして震える彼の体を抱きしめた。 彼は彼なりに悩んでいた。多分それは一生私には分からない悩みだろう。だって私は前世の夢を見たことが無い。自分ではない誰かの思考を持っていない。 けれど私の腕の中で震えている彼は違う。彼には前世の記憶がある。それが彼を苦しめている。彼の中に眠る彼の前世が彼女を愛おしく思い、今の彼は私のことを好いてくれている。自分の中に他人の記憶や思考があるのは私には考えられないことだった。 かける言葉が見つからない。そう思って私は彼の体を抱きしめた。
「…自分でもわからないんだ。自分がどうしたいのか、どうすればいいのか…」「…私も分からないけど、何かの本で本能の赴くままに動けって書いてあった」「本能の赴くままに?」「うん」「何それ面白いね」
 彼は笑っているけどその声は鼻声だった。私は彼から体を離した。急にどうしたのだろうかと私の顔を見てくる彼の目と鼻は真っ赤だった。やはり泣いていたのだろう。私は彼の頬を優しく両手で包む。そしてゆっくりと顔を近づけた。目は閉じなかった。だから彼の驚く顔がよく見えた。私は彼の顔をじっと見ながら自分の唇を彼の薄い唇に近づけ、そして軽く触れた。ほんの数秒彼の唇に触れただけ。けれどこれは私のほうから彼にした初めてのキスだった。

「本能の赴くままにしたの」

 そう言ってまた彼の唇にキスをした。 彼はそれを黙って受け取った。 何回かキスをした後彼は私を胸の中に抱きとめた。
「好き。…僕は君が好き」「…うん。私もあなたが好き」
 しばらく私達はそのまま抱き合ったままだった。 彼の腕の中はとても心地よかった。「大好きだよ」と言えば「僕も好き」と返された。胸の中に広がるこの気持ちはどう表現したらいいのか分からない。でも1つ言えるのはとても嬉しい。彼の気持ちが私にあることが嬉しい。 彼のことが大好きだと改めて感じた。
 できることならこの幸せな時間がずっとずっと続けばいいと思った。けれどそう思うたびに神様は新たな試練を私にぶつけてくる。


* * *

 彼女が例の先輩と別れたと聞いたのは、12月の寒い日の事だった。ストーブを囲っていた女子たちの会話は部活の事や彼氏の事と話が変わって行きついに彼女の話になった。どうやら彼女が先輩に振られたらしい。 それを聞いても私は以前のように不安に陥ることはなかった。彼が私のことを好きだと言ってくれたから。その言葉が私の支えになっていた。 彼女のことを聞いた友人は私に大丈夫かと尋ねてきたので私は頷いた。「彼、私のこと好きって言ってくれるし」「あ~はいはい、また惚気ですか」友人はパタパタと自分の手で顔を仰いでいた。
 彼は私と会っている時、夢の事や前世の事、そして彼女のことを口にすることがなくなった。かわりに「君が好きだよ」とよく言うようになった。多いときは日に4回も5回も言われた。それを聞いている人はもちろんいて、そのたびに周りから冷やかされた。私はそれが恥ずかしかったが嫌ではなかった。彼は私の物、私は彼の物、それを周りに知らしめるみたいで結構好きだった。
 彼は彼女が別れたことに一度も触れてこなかった。だから私もあえて触れなかった。そうすれば穏やかな日々を送れることを私は分かっていた。今までもそうだった。触れてしまえば彼の心はすぐにぐらつき私から離れようとする。そんなこと許せなかった。だから私は彼の時折見せる苦しそうな顔や彼女を見つめる熱のこもった目を見て見ぬふりをした。そうすれば幸せな時間を過ごせるから。卑怯な人間だと、狡い人間だということは自分が一番理解している。彼の優しさに付け込んで私は彼女の地位を得ている。彼の彼女でいれば私なんかでもイケていると思える。そんな卑しい気持ちが彼と付き合う理由の4分の1くらいをしめている。あとは好きと言う感情と彼を憐れむ気持ち。
 最低な彼女だと自分でも思う。彼がいれば自分のステータスも少しは変わると思って彼を手放したくないと思っている自分がいる。 卑しい、と最近凄く思う。彼の気持ちを分かっているくせに自分の幸せを優先して彼を傷つけている。それに気づきながらも私は知らんふりをする。少しでも彼と長くいたくて。




 だからこそ私は後悔している。自分の欲を優先したからこうなったのだろうか。 もう少し彼のことを考えていれば未来は変わったのだろうか。



 あれ以来私は放課後空き教室で彼とその日あったことを話すのが日課になった。 この日もいつもと同じだった。私はお菓子を食べながら彼とたわいない話を空き教室でしていた。今日は何があった、何をした、そんなことを話し合っていた。と言っても話すのは私ばかりで彼は頷いてばかりだった。それは初めてあった頃を思い出させるようだった。 昔は心地よかったそんな雰囲気も今は少し気まずく感じる。それを彼も感じ取っているのだろう。私の手を握りながら時折笑顔を私に向ける。私もそれにほほ笑み言葉を続けようとしたとき、教室の扉がガラガラっと大きな音を立てて開いた。 音のしたほうを見て、開けた人物を見たとき私の口から思わず「あ・・・」と声が漏れた。 そんな私のことは見向きもせずその人物、彼女はくりくりとした目に大粒の涙をためて彼の方を見て叫んだ。


「カイル!!!」

 彼女の声は教室によく響いた。いつもなら部活に励む生徒の声が聞こえるのにその時は彼女の声だけがその場に響いた。 そしてその声の後、彼の息を飲む音が聞こえた。
 私はと言うとは?カイル?誰それ、そう思っていた。訳が分からず、「何を言っているの?」と彼女に問おうとしたとき彼が何の前触れもなく立ち上がった。

「え、どうしたの」

 私は急に立ち上がった彼の制服の裾を引っ張る。けれど彼は私の方へ顔を向けない。その目は彼女に注がれている。その目は初めて彼女を見たときに似ていた。

「…カイル。…カイルでしょ?私やっと、やっと分かった」「ローザ」

 彼の口から聞きなれない言葉が発せられた。 ローザ?誰それ。カイルと言いローザと言い何言っているの、そう思ったところで漸く気づいた。 それが分かった瞬間私の顔は強張った。

「私何で気づかなかったんだろう。…来世では幸せになりましょうって言ったのに」「ローザ」

 やめて、それ以上言わないで。

「でも駄目よね。今頃。だってあなたには彼女がいるし」「ローザ」

 愛おしそうにそれでいて苦しそうな声で彼女のことを呼ばないで。

「…ごめんなさい。急に」
 そう言うと彼女は扉を開けたまま廊下を走り去った。


「ローザ!!!」

 彼が焦りにも似た声で彼女を呼ぶ。 今にも駆けだして彼女の方へ向かいそうな彼に私は必死でしがみ付いた。彼はそれを鬱陶しそうに払おうとする。 それが分かっても私は構わずしがみ付く。

「追いかけちゃ嫌だよ!」「離してくれ」「私のことが好きなんだよね?だったら彼女のとこに行かないで!お願い!」
 そう言うと彼は彼女が出て行った扉の方から私の方へ顔を向けた。ようやく彼と目があったが、彼の目に私への恋愛感情は見て取れなかった。 そして彼は私の顔を見て、「ごめん」と呟いた。

「ごめんってどういうこと?ねぇ」
 私は彼の腕にしがみつく。 けれど彼の手が私の手に重ねられることは無い。いつものように抱きしめてもくれない。
「僕は自分の気持ちに嘘は付けない」「待って、どういうこと」「気づいてるだろう?……僕は彼女がローザが好きなんだ」「それは前世のあなたの話でしょ?あなた自身はどうなの?私のことが好きなんだよね?」

 なおも食い下がる私を見る彼の目は私を見ているようで見ていなかった。大方先ほど走り去った彼女のことを思っているのだろう。


「僕は確かに君のことが好きだ。だけどもう無理なんだ。どれだけ忘れようとしても無理なんだ。僕は彼女のことが好きなんだ。…前世の僕の気持ちだけじゃない、今の僕も彼女が好きなんだ」「私が泣いて縋っても駄目なの?」「…ごめん」「私は、あなたのことが好きなのに…」「ごめん」「何で、あなたも私のことが好きなんでしょ?なのに何で!」

 彼は眉をひそめて今にも泣きだしそうになりながら小さな声で言った。

「言葉では説明しようがないんだ…。心が彼女を求めているんだ」

 彼のその言葉を聞いてもう駄目なのだと分かった。どうしようもできないのだと。 私は彼から腕を離した。私にはもう何もできない。

「……ごめん。君を傷つけてばかりでごめん。こんなこと今言うのもあれだけど……僕は本当に君の事好きだったよ」

 そう言って走り去っていく彼の後姿を見ながら私は声もなく泣いた。狡い人だ。最後までそんなことを言うのだから。 何がいけなかったのか、どうすればよかったらいいのか分からない。何もわからない。どうして彼が私ではなく彼女を選んだのかも分からない。好きだと言ってくれたじゃないか。 でも本当は気づいていた。気づいていたけど気づかないふりをしていた。そのほうが楽だし幸せだったから。
 彼は私を好きと言うことで彼女に対する想いを封じ込めようとしていた。けれどどれだけ封じ込めたところで一度溢れた想いは止まらない。私だってそうだ。彼の話を聞いてから何度も別れようと思った。けれど彼のことが好きだった。ただただ好きだった。確かに不純な動機もあった。だけど根本にあるのは彼に対する気持ちだった。 こんなに彼のことが好きなのに、どうしてもう少し彼を思いやることができなかったのだろう。彼が苦しんでいるのを知っていたくせに最低だ。 それに多分彼の背を押してしまったのは私だ。
 本能の赴くままに動け、私がそう言ったのだ。だから彼は彼女を追った。 カイルと呼ばれ彼の中で今までの想いが爆発したのだろう。 ローザ、と彼女を呼ぶ声がまだ聞こえる気がする。私の名前をあんな風に呼んでくれたことがあっただろうか。そもそも私は名前で呼ばれたことがあっただろうか。 考えれば考えるほど自分が惨めでしょうがなかった。


 私は彼から貰ったネックレスを外した。ほとんど毎日つけていたそれは少し錆びている。 彼から貰った最初で最後のプレゼント。私はそれをさっき彼と食べていたお菓子と共にコンビの袋の中に放り入れた。 涙はいつの間にか止まっていた。私はぐじゅぐじゅになった鼻水をすすりながら立ち上がった。
 食べかけのお菓子とネックレスの入ったコンビニの袋をきつく縛ると私はおぼつか無い足取りで教室に設置してあるゴミ箱の方へ向かった。 燃えるゴミ、燃えないゴミ、ペットボトル、と書かれた3種類のゴミ箱がある。私は燃えるゴミと書いてあるゴミ箱の前で立ち止まった。 そしてコンビニの袋を持ち上げゴミ箱に近づけた。


「…私も好きだったよ。…本当に好きだった。…バイバイ、透君」


 そう言って私はビニール袋をゴミ箱の中に放り投げた。





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